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神子の奴隷  作者: くろぬこ
最終章 試されし者

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天界人

 

『クロミコ様。どうかなされましたか?』

『え? あー、景色が綺麗だなーと思って』


 声のした方へ顔を向けると、巫女服を着た小柄な女性がこちらを見ていた。

 広い屋敷を案内してくれているシズクさんから視線を外し、池のある庭園へと目を向ける。


『何だか懐かしい雰囲気なので、ちょっと見とれてしまって』


 その言葉に嘘は無い。

 元の世界に戻って来たのかと錯覚するような、昔ながらの和を強調させた景色に、いつまでも眺めていたい気分になる。

 床を軋ませる音を出しながら、足を止めた俺の傍にシズクさんが寄って来た。


『あの池に泳いでいるのは、鯉ですか?』

『はい、そうです。モモイ様が遠方へ旅に出掛けられた際に、様々な生き物を持ち帰るので、底の方には変わった生き物も沢山いますが……』


 シズクさんの方へ視線を動かすと、何とも言えない困惑した顔が目に入る。

 顎の辺りで綺麗に切り揃えた黒髪に、目の前に広がる青空のような瞳。

 彼女の頭から生えた黒い豹耳や、腰から垂れた長い尻尾が本物でなければ、猫耳を生やした巫女の外人コスプレイヤーと勘違いしそうな衣装だ。

 だが現実は小説よりも奇なりであり、全てが本物のまごうことなき異世界である。

 

 迷宮都市イルザリスから転移門を使って移動し、サクラ聖教国に着いてからは驚きの連続だ。

 少し昔の日本にタイムスリップしたかのような、和を強調させた街並み。

 外国から日本へ、海を渡った気分と言った方が正しいのだろうか。

 

 着流しや袴姿の人達が、本物の猫耳や尻尾を生やしてたりしなければ、元の世界に戻って来たと勘違したところだろう。

 サクラ聖教国に来た事がないアイネス達は、別の意味で驚いてばかりだったけどね。

 迷宮都市イルザリスで最近知り合ったシズクさんから、まずは招待状の送り主である神獣のモモイ様と顔合わせをする必要があるということで、アイネス達と別れてこの屋敷まで自分だけが来たわけだが……。

 

 物思いに耽りながら、再び視線を池の方へ向けた。

 池の中には、赤や黒など様々な色の鯉達が優雅に泳いでいる。

 中には金色に輝く生物が、半笑いの顔を池の外に出して、優雅にプカプカと……え?

 

『シズクさん。アレって……ラウネですか?』

『え? ……あっ!? コラッ! キンコ! また勝手に入って』

 

 シズクさんが怒った表情で庭の方へ声を張り上げると、黄金色に輝くラウネが池から飛び出した。

 地面に着地すると、犬のように全身を激しく動かして、身体に付いた水を地面へまき散らす。

 そして、目にも止まらぬ物凄い速さで、庭の奥へ逃げて行った。


 金色鯉の人面魚かと思ったら、ラウネかよ。

 ていうか、あの速さならオリンピックに出ても、ぶっちぎりで優勝できるな。

 

『すみません。モモイ様が、どこからか拾ってきたラウネでして。生態を調べるという名目で、その辺に放し飼い状態になってますが、害はないので気にしないで下さい』


 視界の端に、金色に光るモノが目に入り、そちらへ目を凝らす。

 遠くの茂みから顔半分を覗かせて、逃げ出した黄金ラウネがこちらをじっと見つめている。

 もちろん、黄金に輝く半笑いの顔で……。

 実物を見て思ったが、やっぱりきめぇな。

 

『黄金ラウネって、足が速いんですね』

『はい。土の中に潜んでる時は、捕まえるのが容易いですが、一度外に出てしまうと、私も全力を出さないと捕まえれないくらいに、逃げ足の速いラウネです。黄金ラウネを、生きたまま捕獲するのが難しい原因は、そこにあるのかもしれませんね』

 

 以前、アイネス達に聞いた黄金ラウネの話を振ってみると、『黄金ラウネは、強力な魔物達を引き寄せる体質ですが、この辺りは強力な結界が張られてる為、そのような危険はないので安心して下さい』とのこと。

 丁寧な物腰で、俺の質問に1つ1つ答えてくれる姿勢は、とても好感がもてる。

 実はアクゥアの従姉だと教えられたが、思わず納得した。


 聞きたい事はいろいろあるが、モモイ様を待たせてもいけないので、屋敷の奥へと進む。

 沢山ある部屋の一室に到着すると、ふすま越しにシズクさんが中へと声を掛ける。

 

『モモイ様。クロミコ様をお連れしました』

『うむ。入っていいぞ』


 シズクさんが襖を開けると、中の様子が目に入る。

 古き良き時代を思い出す、畳部屋に視線を動かすと、肘掛けのある座椅子に座る人物と目があった。

 見覚えのある女性に、思わず固まってしまう。

 

『また会ったな。クロミコ』


 着物姿の美女が、楽しそうな表情で右手をあげる。


『立ち話もなんだ。まあ、座れ』


 手招かれて、座布団へと腰を下ろす。

 後ろでふすまが閉まる音が聞こえて、目の前の女性と2人きりになった。


 テーブルの上には、紫色の水晶玉が置かれていた。

 『呪』と書かれたお札の貼られた、見覚えのある占い道具だ。


 改めて目の前の女性をもう一度見る。

 艶のある長い黒髪と黒い瞳。

 そして、桜色の大きな猫耳が、パタパタと上下に動いているのが可愛らしい。

 シズクさんから聞いた話だと、目の前にいる人が武術者の中では生きる伝説と呼ばれる凄い人のはずだけど、以前に出会った時の印象があるせいか、胡散臭い占い師というイメージが……。


『改めて自己紹介をさせてもらおう。私はモモイ。神獣と呼ばれる者の1人だ』

『えっと、自分は』

『知っている。桜坂隼人だろ。そして、君が異世界から来たことも、勿論知っている』

『……』

『さて。何から、話をしていいのやら』


 言葉の詰まる俺に対して、水晶玉を指で撫でながら、目の前の女性が楽しそうな笑みを浮かべる。

 悪戯に成功した時のような、悪い笑みにも見えるのは気のせいだろうか?

 

『まず、最初に言っておくが。私は、隼人と同じ世界から来た人間だ。こちらの人達からすれば、天界人と呼ばれる種族にあたる』

『天界人、ですか……』

『そうだ。この世界では天を超えた先に、もう一つの世界があると信じられている。つまり君は、そこから降りて来た事になってるのだ。特に信心深いサクラ聖教国では、天界人は神の使いとして崇められている。私の都合で本国には、もうしばらく隠しておくつもりだったが、予想外の事態が発生してな。色々と騒がしくなってきたので、急遽こちらへ来てもらったわけだが。まあ、その話は後にしよう』

『はぁ……』


 唐突な話に、何とも言えない返事をしてしまう。

 目の前の女性が、おもむろに両手をこめかみの辺りに移動させると、まるでそこに透明の何かがある様な仕草をする。

 すると、今まで見えなかったヘッドホンのような物が現れ、それを頭から取り外した。

 猫耳の生えたヘッドホンと言えばいいのか、それを外すと今まで見えなかった人間の耳が目に入る。


『幻覚魔法の類だ。ちなみに、この尻尾も魔道具で作られた物で、本物ではない』


 まるで意思を持ったように桜色の猫尻尾が顔を出し、暫くするとモモイさんの後ろへ隠れた。

 気付けば、俺に馴染みのある日本人の女性が目の前にいる。

 以前、占いをしてもらった時に感じた、違和感の正体がようやく解けた。

 

『おおよそ見当がついてると思うが、この世界に隼人の知ってる文化があるのは、私がこの世界に介入したからだ。特にこのサクラ聖教国に関しては、私が長い年月をかけて、理想の国を作り上げた。猫族だけが住む国とか、最高だと思わないか?』

『あ、はい……』

 

 自慢げな顔で語るモモイさんだが、いろいろと返答に困ってしまう。

 

『リアクションが薄いな』

『いや、えーと……。驚きすぎて、何と言ったらいいのか』

『失礼します』

 

 ふすまが開かれると、膝を折って座るシズクさんが顔を出す。

 お盆に載せたお茶をテーブルの上に置くと、頭を深く下げて退室した。

 『日本茶ニャンちゃ』と書かれた湯呑みを手に持ち、熱いお茶を冷まそうと息を吹きかける。

 

『だいぶ混乱してるようだな。口数が少ないようだが、私に何か聞きたいことがあるんじゃないのか?』

『えっと……』


 湯呑みを啜りながら、モモイさんが俺に視線を投げかけてくる。

 聞きたい事は確かにあるが、頭が混乱して何から聞いたものか。

 

『あの』

『……ん? 何だ?』

『元の世界に、帰れますか?』

『ブッ!?』


 モモイさんが、口に付けていたお茶を吹き出す。

 信じられないものを見たとばかりに、驚いた表情で俺の方へ顔を向ける。


『なぜだ。何が不満だ?』

『いや、その』


 身を乗り出して、モモイさんが俺に顔を近づけた。


『私が用意した、迷宮で稼げるだけの実力を持ってる子供達だぞ。特に私の弟子であるアクゥアは、お前に危害が及ばないよう、細心の注意を払うように言いつけてる。贅沢をしなければ、生活に困らないはずだ。なぜ帰りたいんだ?』

『え? そうなんですか?』

『む? ……そうか。まずは、そこから話さないといけないのか』


 少し冷静になったモモイさんが、顔中に飛び散った水滴を布で拭きとりながら、俺がこの世界へ連れて来られた経緯を説明する。

 もともとサクラ聖教国というのは、この世界のバランスを取る為に、中立の立場として建国された国であるらしい。


 人間が獣人達を支配していた過去の経緯から、武力による大きな組織を作らない代わりに、治療を専門とするヴァルディア教会と呼ばれる組織を、人間達に任せた。

 しかし、長く続いた歴史の中で、欲に溺れた者達によりヴァルディア教会が、組織として間違った方向へ大きく歪んでしまう。

 現教皇になってから急に言い出した『創造神ヴァルディア』については、サクラ聖教国が認識している歴史と大きく異なる解釈な為、教会本部があるイシュバルト共和国とサクラ聖教国が険悪な状態になってる事など、アクゥアがヴァルディア教会を目の敵にしていたのが納得できる話を聞かせてもらった。

 

『昔は、割と上手く機能していたんだがな。私の意図するものと違って、最近は金儲けに走る連中が増えたせいでな。厄介な問題が、表面化してきたのだ』

『そうなんですか』

 

 両肘をテーブルの上にのせ、組んだ両手に顎をのせたモモイさんが、難しそうな表情で溜息を吐く。


『私としては、この世界の人達で問題を解決してくれるのを、望んでいたんだがな』

 

 しかし、モモイさんの願いとは裏腹に、前教皇のディレンさんの暗殺事件を機に、状況は良い方向へ向かうどころか、ますます悪化したらしい。

 ヴァルディア教会を取り纏めていたディレンさんがいなくなり、獣人に対する差別意識の強いディレンさんの弟と宰相が組織の舵取りをするようになってから、状況は悪化の一途を辿った。

 寄付名目で徴収していた教会の治療費が大きく値上がり、ヴァルディア教会に対する不満や不信感が高まり続けていたようだ。

 

『他の国から、サクラ聖教国に組織への介入を願う打診はあったのだが……。さて、どうしたものかと頭を悩ませていた時にな。馬鹿な連中が、怒らせてはいけない人を、怒らせてしまってな』

『怒らせてはいけない人、ですか?』

『うむ』


 俺の言葉に、モモイさんが大きく頷く。

 ヴァルディア教会の幹部連中たちは、稼いだ金にものを言わせて、裏で武力による組織の強化を図っていたらしい。

 しかも、人身売買という非人道的な行為も行われ、沢山の獣人の命が亡くなったようだ。

 そして、神獣である狐人のヨウコさん達が、その事実を知って烈火の如く怒った。


『獣人達にとって、最もつらい歴史を目の当たりしてる神獣達だ。ヨウコ以外の神獣達もその事を知って、危うくヴァルディア教会と神獣の戦争になるところでな』


 当時を思い出してか、モモイさんが苦笑いを浮かべる。

 この世界に現存する8人の神獣達が協力すれば、武力で国を滅ぼすのは容易いだろうが、神獣は国を滅ぼす為の戦争兵器ではなく、国民を守る為の守護者であるべきと言うのがモモイさんの持論らしい。

 

『自分達に制御できない化け物は、ドラゴン達のような魔物と変わらない。危険な魔物を退ける神獣達がいるからこそ、獣人は日々神獣達に感謝し、人間も過去の戦争を水に流して、獣人を必要な隣人として認める。長い歴史の中で苦労して、ようやく人間と獣人の争いがなくなってきたのだ。私は、人間達が獣人と再び対立するような、野蛮な時代には戻したくなかったのだよ』

『なるほど』

『さて、ここからが本題だ。怒り狂う神獣達を納得させる為に、私はどうしても必要な人材を呼ぶ必要がでてきたのだ』

 

 面白い悪戯を思いついた時の様な、愉しげな表情を浮かべるモモイさんを見て、思わず嫌な予感がしてしまう。

 犯罪者達に相応しい罰を与え、悪の道に進み続ける組織の解体と、世界の人々が納得する人材を教会の代表者として置くことを約束して、神獣達にはとりあえず矛を収めてもらった。


『この世界に初めて来た、異世界人であるサクラの功績により、神獣達の天界人に対する評価はかなり高い』

『サクラさんって、戦女神様になったサクラさんですか?』

『そうだ』


 過去の大戦で、虐げられていた獣人達を救い、国を統一したサクラさんの話はアズーラ達に聞いている。

 サクラ聖教国に来た際にも、雄々しい巨大な石像が所々に立っていて、未だに神格化されているのが理解できた。


『神獣達だけでなく、こちらの世界の住人に納得させる人材となると、異世界の人間を連れて来るのが、一番手っ取り早かったんだ』

『……』

『もう、分かるな。こちらに望む条件に該当するのが、ハヤトだったわけだ』


 うーん……。

 そんな事を急に言われましても。

 別に俺はチート能力があるわけでもないし、頭が良いわけでもないし、その話を解決しろと頼まれてもな。


『モモイ様。アクゥアを連れて参りました』

『うむ。入れ』

『失礼します』


 ふすまが開かれると、シズクさんの隣に正座をしたアクゥアがいた。

 どこかで着替えてきたのか、いつもの服装ではなく名家のお嬢様と思うような、袴姿になっている。

 

『アクゥアについては、紹介するまでもないな。先程も話に出ていたが、荒事に対処する用心棒として、私が指示を出していた者だ。もし、奴隷として雇わなかった場合でも、何らかの理由を付けて、強制的に雇わせる予定になっていた』

『え? そうなんですか?』

『そうだ。それと、君が誘拐事件に協力してくれたお陰で、アクゥアが私の試験に合格し、適任者であることが証明された』


 アクゥアの任務に協力した際、エンジェさんからこの世界の情勢は多少聞いてる。

 モモイさんの指示により、ヴァルディア教会の非人道的な行為をしていた証拠が集められ、サクラ聖教国を含む8大国との協議でも、ヴァルディア教会の解体が全会一致で可決されたこと。

 自分の誘拐事件はアクゥアの任務の為だけでなく、ヴァルディア教会の幹部がサクラ聖教国の要人を誘拐しようと計画していたのを、証明するための偽装工作として行われたこと。

 

 それって冤罪ではとも思ったが、実は警護の甘そうな俺を誘拐する計画自体はあったらしい。

 敵対するサクラ聖教国の見せしめとして、悪さをするつもりだったらしいが、計画を立案していたロール嬢の母親が夜逃げして、計画は一時中止。


 しかし、機転を利かしたモモイさんの計らいで、逃げ出したはずのロール嬢の母親から、あたかも指示が出されたよう情報工作を仕掛け、それにまんまと乗っかった悪党達が行動を起こしたようだ。

 モモイさんが用意した最高のタイミングで、軟禁された貴族や騎士達が謀反を起こし、街から脱出を図ろうとしたが、脱出する出口も強力な結界で塞がれていて、結局は皆が捕まったらしい。

 結果的に、皆がモモイさんの掌の上で転がされただけのようだ。

 アクゥアの修業の為だけに、これだけ大規模な計画を実行していたというのが恐ろしい。

 

『という事で、ようやく天界守護者の役職が機能するという訳だ。私の場合は、個人でも十分強いから、護衛も必要なかったからな。アクゥア、こちらに』

『はい』

 

 モモイさんの前まで近寄ると、再び正座をしたアクゥアが姿勢を正す。

 

『皆の前での正式な任命式は、後日するとして……。コホン』

 

 モモイさんが咳払いをすると、真剣な表情になる。

 

『此度の任務によるお主の働きは、見事であった。困難な任務でありながら、見事凶賊を討ち倒し、主人を救出した功績から、天界守護者の役職を任命する。今以上の困難が待ち受ける事になると思うが、お主なら必ずや達成できると信じている。宜しく頼むぞ』

『はい。承知しました』

『うむ』


 正座したアクゥアが、畳におでこを付けんばかりに、深々と頭を下げた。

 満足気にモモイさんが頷くと、俺の方へ顔を向ける。

 

『というわけで、今日から君にはサクラザカ教会の教皇として、クロミコ=サクラザカの名で活動してもらう。解体されたヴァルディア教会の後任組織となるが、前教皇のディレンが教皇代理として君の補佐をする事になってる。ディレンとの話は既についてるから、仕事についてはそっちへ全部放り投げても大丈夫だ。安心しろ』

『……え?』


 ちょっと待って下さい。

 何か今、さらっと凄い事を言われてる気がしたんだが……。


『モモイ様。そろそろ、夕食会の準備をしなくてはならないかと』

『おお。そうだったな。面倒だが、お偉いさん達に顔合わせをしとかないと、後で色々とうるさいからな。さぁ、忙しくなるぞ!』

『えっと……』

『クロミコ様。申し訳ありませんが、こちらの書類への記入をお願いします』


 シズクさんがおもむろに取りだした書類の束に、思わず目が点になってしまった。

 戸籍登録とか、サクラザカ教会の設立による代表者の何とかかんとか……。

 頭痛がしそうな状況に、思わずこめかみを抑えたくなる。

 これから俺は、どうなるんだろう?






   *   *   *






「あー。疲れたー」

「お疲れ様です」


 脱力してソファーに深く腰掛ける。

 すると、俺の後ろに回ったアイネスが、肩を揉んでくれた。

 モモイさんがくれた、ネコ耳ヘッドホンを頭から外そうと思ったが、それすらも面倒臭いので放置する。

 下着から生えた猫尻尾が、意思を持ってるかのようにウネウネと動いて、腕に絡みついたりするが無視をした。

 

「あー。そこ気持ち良い」

 

 夕食会と言う名の挨拶回りに付き添わされて、流石に疲れた。

 基本的に話相手は、モモイさんが全てやってくれたので、俺の役目はニコニコと笑ってるだけだったが、気疲れが半端ない。

 猫耳に逞しい髭を生やした貴族のおっちゃんとか、ユキサクラ家とか言う王族だとか、完全に場違いな食事会にいきなり放り込まれてもね。

 テーブルの上にある小皿に置かれたお菓子や小さな果物を摘まんで、口の中に放り込む。


「旦那様。お食事をされたのではないのですか?」

「んぐ。ずっと捕まりっぱなしで、それどころじゃなかった。……アズーラ達は?」

「先程、ヨウコ様がいらっしゃいまして。エルレイナと一緒に、外へ散歩に出掛けました」

「ヨウコさん?」

 

 どうやらさっきまで、神獣のヨウコさんがこの部屋に来て、アイネス達と談笑していたようだ。

 今のところ俺の護衛をする必要もないから、エルレイナと散歩へ出掛けたヨウコさんに、アズーラ達もついて行ったらしい。


「神獣の方とお話しできる機会は、滅多にないですからね」

「ふーん。そっか……」


 さっきまで、アイネスが読んでいたのか、テーブルの上には本が積み重ねられている。

 『冥土メイドの心得』とか、表紙に書かれた物騒なタイトルが気になったが、難しい事を考える元気も無いのでとりあえず放置。


「旦那様」

「ん?」

「旦那様がいない間、カルディアさんから弟子入りのお誘いを受けまして。それと、エンジェさんからも……」


 俺達を転職してくれた戦巫女のカルディアさんから、魔法使いとしての優秀な才能があるからと、弟子入りの誘いがあったらしい。

 さらにエンジェさんからは、主人を護衛する為のより優秀な侍女教育を受けないかと、お誘いがあったそうだ。


「へー。モテモテじゃん」

「悪い話でもないので、それをお受けしようかと思います。宜しいでしょうか?」

「え? 何で俺に聞くの?」


 後ろを振り返ると、なぜか頬を膨らましたアイネスがこちらを見つめる。


「旦那様の奴隷を続けるからですよ。でなければ、そんな面倒な教育を受けたりしません。旦那様の傍でお世話を続けるとなると、普通の侍女とは勝手が違うそうです」


 まるで俺を諭すかのような口調で、アイネスが顔をよせてきた。

 未だに首輪をつけたままのアイネスを見て、疑問に思った事を口にする。


「もう奴隷じゃないんだから、無理に俺の奴隷をしなくても」

「お断りします。私は借りを作りっぱなしは、嫌いなんです」

「あっ、はい」


 若干、怒ったような表情で睨まれて、それ以上の余計な事を言えなくなってしまう。

 もともと冤罪で奴隷にされたわけだし、モモイさんの支払いではあるが、アイネスの借金は既に返済されてるので、平民に戻ろうと思えば戻れるはずだ。

 なぜ、そこまで頑なに平民へ戻るのを拒むのかはよく分からんが、本人がそれでいいと言うのなら、俺は別にいいんだけど……。


「旦那様」

「……ん?」

「私が、1憶セシリルの借金をした話を、覚えていますか?」

「覚えてるよ」


 忘れるわけがない。

 その話のせいで、我がパーティーは崩壊の危機に瀕していたからな。

 殺伐としたあの空気は、二度と経験したくない。

 

「その……借金を返済して頂いた後の話ですが」

「……?」


 肩を揉んでいた手が止まり、思わず後ろへ振り返る。

 少し頬を赤らめたアイネスが、モジモジしながら言いにくそうな表情で、俺を見ていた。

 あまり見る機会のない珍しい表情だ。


「わ、私は、も、勿論そのつもりで、約束しましたし。旦那様の好みに合うかは、分かりませんが。約束は、果たすべきかな、と思っておりまして……。ようやく、決心も、つき、つきまして……」


 なぜか俺から目を逸らし、消え入りそうな声で小さくボソボソと呟いて、後半がよく聞きとれなかった。

 ていうか、それよりも。

 

「アイネス。約束って何?」

「……え? 覚えてないのですか?」

「え、えっと……。何か、約束したっけ?」


 さっきまで頬を染めていたアイネスの表情が変化し、身体が小刻みにプルプルと震え始める。


「私が……」

「あ、アイネスさん?」

「私が……。どんな思いで、あの話をしたと思って……」


 やばい……。

 流石に、空気の読めない俺でも分かる。

 どうやら俺は、何かの地雷を踏んだらしい。

 

 ホントになんの事かさっぱり分からないが、必死に記憶を辿ろうとしてると、アイネスの腕が伸びてきて俺の肩を掴んだ。

 突然、背中に突き刺さるような痛みが走る。


「イタタタタ! アイネス、そこ痛い!」

「知ってます。とぼけるのが上手な人から、大事なことを思い出してもらう特別なツボを、カルディアさんから教えて貰ったので、さっそく試しているところです」


 ちょっとカルディアさん!

 よりにもよって、ドSな兎娘に余計な事を!

 兎娘がニコニコと可愛らしい笑みを浮かべているが、かなりのお怒り状態なのは間違いない!

 

「今日まで、その事で私がどれだけ悩んでいたと思ってますか?」

「アイネス、ギブ! ギブ!」

「おつむの残念な旦那様にも、そのつらさを身に染みて頂かないと不公平ですよね?」


 何その理不尽!?

 チェンジ、チェーンジッ!

 誰か、俺に優しいメイドさんを、激しくプリーズ!


 俺の願いが通じたのか、扉をノックする音が聞こえて、アイネスが扉へ向かう。

 た、助かったぜ……。

 扉が開くと、見覚えのある大きな桜色の猫耳を生やした女性が、顔を覗かせた。


「ん? ……お邪魔だったか? アイネス。すまんが、急ぎで聞きたい事があるから、少し御主人様を借りるぞ?」

「はい。では、私は外に出ています」


 部屋を退室すると、アイネスが扉を閉めた。

 その後ろ姿をモモイさんが首を傾げながら見送ると、俺の方へ向き直る。


「……えらく機嫌が悪そうだったが。何かあったのか?」

「それが、俺にもよく分からなくて」


 ぐったりしていた身体を起こして、姿勢を正す。

 モモイさんが部屋の中を見渡すと、指をパチンと鳴らした。


「……?」

「あまり他人に聞かれたくない話でな。防音の結界を張ったんだ」


 聞かれたくない話?

 何だろう?

 着物姿に猫耳を生やしたモモイさんが、腰に手を当てて俺を見つめる。


「昼間は忙しくて、聞きそびれたんだが……。ハヤト、元の世界に帰りたいのか?」

「え?」

「返答次第では、これからの計画にいろいろと支障がでるのでな。で、どうなんだ?」

「えっと……」


 真剣な表情で見つめられて、返答に困りつつ頬をかく。


「帰りたいって言うか。その……連絡を取りたい人がいまして」

「連絡?」

「はい」


 こちらの異世界へ飛ばされてから、世話になっていた叔母さんや悪友に連絡が取れてない事。

 長い間、音信不通だった為に、流石に皆が心配してる事を素直に話した。

 すると、モモイさんが脱力したように椅子へ座る。

 

「なんだ。そんな事か……。いや、すまんな。お前にとっては、大事なことだったな……。すぐに元の世界へは帰してやれないが、手紙を送るくらいなら可能だ」

「あっ、そうなんですか?」

「うむ。モヤシにでも頼めば、何とかしてくれるだろう」

「モヤシ?」

「ハヤトをこちらへ召喚する手伝いをしてくれた、私の古い友人だ」


 テーブルに置かれていた湯呑みを一つ手に取ると、それを飲み干す。

 一息つくと、俺の方へ再び顔を向けた。


「こちらの勝手な都合で、ハヤトを巻き込んでしまって申し訳ないとは思う。だが、こちらに召喚した人を、また向こうへ戻すには時間が掛かるのだ。数年は帰れないと思ってくれ」

「数年ですか……」

「その間は、ハヤトの生活が困らないように、できるだけこちらからも協力をする。その代わり、こちらの都合にも少しだけ付き合って欲しい。なに、天界人として適当に振る舞ってくれればよい」


 いや、適当に振る舞えと言われましてもね。


「何しろハヤトは、この世界に現存する2人目の天界人だからな。もはや神話の物語だった人物が降臨したという事で、サクラ聖教国だけでなく、世界中が連日連夜の大騒ぎさ。偽物の神様を崇めるヴァルディア教会からすれば、一番面白くない展開だろうな」


 ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべるモモイさんが、座っていた椅子から立ち上がる。


「今回の戦争は、始まる前から終わってるようなものさ。世界の敵と認識されたイシュバルト共和国に、明日は無い。君が教えてくれた夢の話を除けば、概ね私の予定通りの展開だ」

「……?」


 夢の話?


「ハヤトは、こちらの世界へ来る時に、夢を見たと言っていたな。成長したアイネス達と、一緒に迷宮探索をする不思議な夢を」

「はい。そうですね」

「私もこの世界に来た時に、夢を見たんだ。猫族の獣人達だけが住む楽園、もふもふニャンニャン帝国を作る夢をな」


 和服美女が真剣な表情で夢を語るのは良いと思うが、台詞のせいでいろいろ台無しな気がするのは俺だけだろうか?

 

「確かにその夢は叶った。だが、未だに叶わない夢もある。クエン達がいた『紅の騎士団』ならと思ったが、私の理想にはまだ遠い」

 

 モモイさんが、俺の肩をポンッと叩く。


「ハヤトには、とても期待している。師匠を超える弟子が現れるシチュエーションは、やっぱり一番燃える展開だとは思わないか?」

「え? あっ、はい」


 ……あ、いけね。

 モモイさんの会話に違和感を持って、途中から話を聞いてなかった。

 でも、俺にとっては重要な事だし、聞いといた方がいいよな。


「モモイさん。1つ、尋ねたいのですが……」

「ん? 何だ?」


 確か天界人は、俺で2人目と言ってたよな?

 異世界に来る時に、夢を見たモモイさん。

 なら、異世界に来て、戦女神になった人は……。


「天界人は、モモイさんと俺のみって言いましたが。戦女神になったサクラさんって、結局は元の世界に帰ったって事ですか?」


 その質問を投げかけると、モモイさんがキョトンと不思議そうな顔をする。

 しかし、すぐに笑みを浮かべた。


「いや、サクラはまだこの世界にいるぞ。というか、お前は既に会っている」

「え? そうなんですか?」


 この世界に来てからの記憶を辿ろうとするが、それらしき人物に会った覚えがない。

 石像のイメージが正しいのなら、あれだけ特徴的な人を見逃すとは思えないのだが……。


「フフフ。まだ気づかないのかしら?」

「……?」


 唐突に、口調を変えたモモイさんを見つめる。


「貴方がお探しのサクラが、私よ。この名前で名乗るのも、何百年振りかしらね」

「えっと……」

「私が、貴方と同じ世界にいた頃の名前が、桃伊桜。サクラの名は、この世界の戦女神様になった時に、この国にあげちゃったの。有名になり過ぎて、自由がきかなくなったからね」

「じゃあ、あの石像の姿って、偽物なんですか?」

 

 衝撃の事実に動揺しつつも、疑問に思った事を口にする。

 すると、なぜかモモイさんが困ったような表情を見せた。

 

「えっと……間違っては無いんだけどね。何と言うか、私の黒歴史というか……」

 

 なぜかとても言いにくそうな顔で、指と指を突き合わせ始めたモモイさん。

 

「アレはそのね。私の……ダイエット前の姿なの」

「……え?」

 

 ダイエットって、あの石像と比べても、ゴリラと人間くらいに体型が全然違うじゃん。

 どう見ても別人だろう。


「いや、角とか尻尾は、流石に生えてなかったけどね。無駄に肉が多いでしょ。この体型になるまで苦労したけど、皆あのイメージが強いせいか、誰も気付かなくて……。そっちの方が都合良いから、サクラの魂を継いだ転生者の設定で、モモイの名で通す事にしたの」

「は、はぁ……」

「正確には、私は天界人ではないことになってますので、よろしく! てへぺろ」


 舌を出して、可愛らしくおどけた仕草をするが、もはやどこからツッコミを入れていいのやら。

 黒い髪を指でかき上げると、目の前の猫耳女性が顔を近づけて、人差し指を口元に当てる。


「この事は、私とハヤト君だけの秘密だからね。乙女の秘密をバラしたら……分かってるわよね?」

「あ、はい」


 おかしいなー。

 美女のお姉さんが、可愛らしい笑みを浮かべてるのに、なぜか恐怖しか感じない。

 

「ハヤトは物分かりがよくて助かるな」


 いつもの口調に戻ったモモイさんが、満足そうに何度も頷く。

 

「今日のお披露目会が終われば、明日は各国の要人を招待した、前夜祭をする予定だ。それが終わり次第、本祭という名の全国ツアーも始まる。今年の夏祭りは、イベント尽くしだな」

「ぜ、全国ツアー?」

「うむ。今日まで各国の宰相達と、綿密な打ち合わせをやってきた。ヴァルディア教会の妨害は多少あるだろうが、今の奴らはそれどころではないから、大して問題ないだろう」


 え、いや、ごめんなさい。

 全然意味が、分からないんですけど?

 防音の結界を外したのか、モモイさんが指をパチンと鳴らす。


「それじゃあ、また後でな」


 部屋を退室するモモイさんを見送ると、椅子に深く腰かける。


「なんか、どっと疲れたな」

「旦那様、肩をお揉みしましょうか」

「いえ、結構です」


 意地悪な兎娘が肩を揉む仕草をするが、背後を取られないように立ち上がって警戒する。

 アイネスが不満そうに頬を膨らませたが、今はすごく遠慮したい。


「そうですか。それでは、もうすぐお披露目会が始まるそうなので、指定された場所まで来て欲しいそうです」

「ほいほい。どこに行けばいいの?」

『アクゥア』

「うぉ!?」


 アイネスが両手を叩きながら、アクゥアの名をニャン語で呼ぶと、上からいきなり黒い物体が落ちてきた。

 何事かと思ったら、床に片膝をついたアクゥアが俺を見上げている。


『こちらに』

『旦那様、案内、お願い』

『承知。御主人様、こちらへ』


 おそらく天井に貼りついてたんだろうけど、完全に気配を消して斜め上の登場をするので、いつもびっくりしてしまう。

 黒い忍装束に身を包んだ、豹耳くのいちに案内されながら部屋を出る。

 お披露目会とやらをする為の特設会場が用意されているということなので、転移門を抜けてそちらへ向かう。


 通路を歩きながら、モモイさんに手紙を出す事を許可して貰えたので、その内容を考える。

 まずは叔母さんに、俺のせいでは無いとはいえ、長いこと連絡を取れなかった事を謝っといて、無事なことを伝えとかないとな。

 もともと田中の家に行く予定だったから、家出だとは思われてないと思うけど……。

 便りの無いのは、元気な証拠……は無理があるか。

 

 あー、でも……。

 肝心の田中にも、状況報告をしておく必要があるよな。

 たぶん、いつまで経っても来ない俺を、心配してる可能性があるしね。

 ていうか、叔母さんにもだけど、この状況をどうやって説明したらいいんだろうか?

 

 異世界にいますとか、完全に頭がおかしい人とか思われるよな。

 いや、田中にはむしろ開き直って、ありのままを手紙に書いて送ってやるか?

 「何だこれは、新しいネット小説のネタか?」とか言われそうだけどね。


『ご主人様。……ご主人様』

『ん? どうした?』

『到着しました』


 どっかのテレビで見たような、ライブ会場の裏側みたいな所に到着する。

 猫耳を生やしたスタッフらしき獣人達が、忙しなく周りを走り回っていた。


『お前達、本物の天界人を、見てみたいかー!』

『ニャァアアアアア!』

『うぉおお!?』


 拡声器でも使ってるのか、モモイさんらしき声が聞こえた後に、割れんばかりの大声援が耳に入り、思わず飛び上がってしまった。

 ていうか、その掛け声の台詞は何ですかね?

 大きな垂れ幕の向こう側から、これからワールド規模のクイズ番組が始まりそうな、凄い熱狂を感じるんですが。

 なんつうか、物凄く行きたくない気分だ。


『ご主人様。モモイ様から、合図がきました。とりあえず手を振って、ニコニコ笑っとけ、だそうです』

『わ、分かった……』


 外の様子を見に行っていたアクゥアに声を掛けられて、一気に緊張が走る。

 この日の為に、10万を超える来場も可能なライブ会場を作ったとモモイさんが言ってたが、まさか本当にそんな人が集まってるわけではないですよね?

 

『立ち見をしないといけないくらいの人がいました。私は後ろで控えてますので、何かあればお呼び下さい』

『う、うん』

 

 アクゥアさん……むしろここは下がらずに、すぐ傍にいて欲しい気分なんだが。

 俺の服装に乱れがないかを最終チェックした後に、アクゥアが俺の傍を離れて行く。

 

 ていうかアクゥアさん、立ち見がいるとか言ってましたよね?

 10万人が収容できるはずなのに、立ち見がいるって言ってましたよね?

 大事な事なので、二回聞いちゃいますよ。


『ッ!?』


 だが現実は非情であり、目の前の幕が左右に広がる。

 まるで巨大な花火が、爆発したような大歓声が、俺を包み込んだ。


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