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神子の奴隷  作者: くろぬこ
最終章 試されし者

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凶賊と黒い悪魔(前編)

 

「オルァアアア!」

 

 気合いの入った掛け声と同時に、豪快な一振りが放たれる。

 元騎士のゴンヅエラが振り抜いた戦斧がぶつかり、激しい衝突音が耳に入った。


「グゥゥ……」


 しかし、苦悶の表情を見せたのは、大男のゴンヅエラの方だ。

 おそらく手が痺れたのだろう。

 苦しそうな顔で呻きながら、ゴンヅエラが自分の腕を抑えている。

 しかも、破壊しようとした結界は傷一つつかず、綺麗な虹色の輝きを放ったままだ。


「クソが。どうなってやがる……」


 忌々しそうな顔で結界に蹴りを入れると、戦斧を地面に転がす。

 滑り止めの細工がされた革手袋を乱暴に外すと、不機嫌そうな顔で地面に腰を下ろした。

 暴れ過ぎて息切れしたのか、肩で息をしている。


「何だよ、もう終わりかよ。さっきまで俺なら壊せるとか、でかい口を叩いてた癖に。それでも元騎士かよ」


 手に顎をのせて、結界を破壊しようとしていたゴンヅエラを眺めていたザルテの口から、俺が思った感想と似たような呟きが漏れる。

 口の端を吊り上げて、馬鹿にしたような笑みを見せるザルテを、ゴンヅエラが殺気立った顔で睨む。


「ああ? 何か言ったか?」

「でかいのは、口と身体だけかよって言ったんだよ」

「んだとゴルァ。潰すぞ糞チビ」

「……あ? おい、ハゲ。今なんつった?」


 地面に胡坐をかいていたザルテが立ち上がり、腰に提げた鞘から短剣を抜く。

 猛毒が塗られた刃が、結界の光に照らされて気味の悪い色を見せる。

 

「やめろ、ザルテ」

「あ、兄貴。でもよ……」


 壁に背を預けて腕を組んだセングが目を細めると、ザルテが不満そうな顔で刃を鞘にしまった。

 血の繋がった兄弟ではないが、もともとセングの武術に惚れ込んでついて来ただけのことはあり、セングの言葉に従って大人しく身を引いたようだ。

 

 それにしても、今回の新入りは随分と短気な奴だな。

 最近まで騎士だったからか確かに力はあるが、貴族だった頃の癖が抜けきらないせいで、凶賊の俺達と協力する気もなさそうだ。

 奴らに金で雇われた者同士、今回は一時的に手を組んでるが、自分勝手な行動ばかりして正直かなり扱いづらい。


 力はあっても足は大して速くないから、何かあった時の肉壁くらいしか使い道がない。

 これなら弟子のザヴァンを連れて来た方が、まだマシだったな。

 

「……」

 

 二本のサーベルを腰に提げたセングが結界に近寄ると、握り拳で軽く結界を叩く。


「サイノメ、どう思う」

「魔法の結界だと思うが……何とも言えんな」


 セングに問われるが、俺も正直まだ現状を理解しきれず、明確な回答を出せずにいた。

 無精ひげを撫でながら、状況を整理しようと考える。

 

 本来この場所は、ヴァルディア教会と黒い繋がりのある貴族達が、外への脱出路として使う予定だった。

 ヴァルディア教会と裏金で汚い事をやっていたのが、オーズガルド王国の宰相達に気づかれた際に、国を裏切った騎士達と一緒にここへ駆けつけるまでの間、俺達が時間を稼ぐ手伝いをするはずだったが……。


 突然、大部屋の奥に現れた巫女のような姿を捉えた瞬間、肩に小さな痛みのようなものを感じて、不覚にも気を失ってしまった。

 起きれば目の前には、この馬鹿でかい大きな結界。

 セング達と話し合って、痺れ薬が塗られた何かで、おそらく攻撃を受けたという結論にはなったが……。

 

 とりあえず周辺に誰かいないか探ってはみたが、人の気配はどこにもなかった。

 あるのは、まるで俺達の退路を塞ぐように張られた、この馬鹿でかい結界だけ。

 何が何だか、訳が分からないままだ……。

 

「あの糞犬と出会ってから、何もかも上手くいかねえ」

 

 ゴンヅエラが、動物の皮革ひかくから作られた水筒を腰から取り外す。

 蓋を外すと口をつけ、喉を鳴らして勢いよく飲み始めた。

 確かあの中には、高い酒が入ってるとか言ってたはずだが……。


「んぐ、んぐ、プハーッ! 糞親父には、家を追い出されちまうしよ」

「馬鹿だろ、コイツ……」


 ザルテが呆れたような顔で呟く。

 言いたいことは分かる。

 仕事が終わった後に、祝杯として飲むならまだしもな。

 上手くいかなくて、ヤケになる気持ちは分からなくもないが、今回はいつにも増して酷い。

 

 親のコネで騎士になった身とはいえ、自分の金儲けの為にどこぞの子供を貶めようとしたら、結果的に自分も道連れにされて落ちぶれた末路がコレか。

 酔っ払った時に、聞いても無いことを饒舌に話していた、ゴンヅエラの姿が脳裏に浮かぶ。

 

「憂さ晴らしに糞犬を虐めてやろうと思って、この街の奴隷になってるのが分かったと思ったら、既にどっかの貴族に買われてるしよ……あん?」


 水筒を傾けるが、もう酒がないことに気づいて、それを乱暴に放り投げた。

 酒豪自慢をしたかったのか、ここで待機してる間も暇だからと飲み続けてたし、すぐに無くなるのも無理はない。

 口元から零れた酒を手で拭うと、未だにブツブツと何かを呟くゴンヅエラ。


 ザルテが何か言いたげな顔でセングを見ると、無言で首を横に振った。

 他の連中が合流したら、さっさと押し付けた方がマシだな。

 元騎士から視線を外し、自分の手元に移す。


「……いけそうだな」


 手を何度か握り締めながら、身体の感覚を探る。

 痺れ薬の効果も切れて、身体を動かすのも問題なさそうだ。

 伸び放題なった髪を、持っていた紐でいつものように後頭部で束ねながら、次の手を考える。


 雇い主達の逃亡が成功したのなら、そろそろ使いの連中が来そうなものだが、その様子もまだない。

 おそらく本隊が来るのは、まだ先だろう。

 この場所はもう使えそうもないし、早いうちに新しい脱出路を探して……。


「ッ!?」


 目を閉じた瞬間、妙な気配を感じて素早く身構えた。


『ほう。この距離で気づかれましたか。やはり山賊とは違いますね』


 結界の反対側へと視線を移すと、小さな2つの人影が目に入る。

 1人は斜め十字に刀を背中に装備した、探索者らしき格好の狐人。


 もう1人は、この辺りではあまり見かけない、全身を黒ずくめにした格好の獣人。

 目出し帽のせいで顔は見えないが、外気に晒された獣耳と尻尾からして、猫族だろう。

 それにしてもあの装備は、おそらく東方の……サクラ聖教国の忍装束。

 

 黒衣に身を包んだ、見覚えのある装備を見たせいか、忌々しい記憶が脳裏を霞めたが、すぐに振り払う。

 どちらとも、見た目は獣人の子供にしか見えないが……。


「サイノメ。いつからだ?」

「分からん」


 俺の隣に近寄ったセングが、小声で尋ねる。

 目配せをしたセングの顔からも、動揺が感じ取れた。

 信じられないことだが、お互いこの距離に近づかれるまで、全く気付かなかったようだ。

 最大限に警戒しつつ、相手の様子を伺う。


「あん? 何だこのガキは……。迷子か?」


 空気の読めない馬鹿が立ち上がると、2人の獣人へと不用心に近づく。


「んー? コイツら、奴隷か?」

 

 よく見れば獣人の子供達の首には、奴隷がするような首輪が嵌められていた。

 武装をしてるとなると、戦奴隷なのか?

 となると、奴隷の主人が近くに……。

 セングと目を合わせると、同じことを考えたのか周辺を探るように視線を動かす。


「おチビちゃん、どうしたんでちゅか~。まいごでちゅか~?」

「うぜぇ」


 一応はナイフを構えて様子を見ていたザルテが、鬱陶しそうな顔をする。

 完全に相手を見下した、舐めきった態度だ。


『レイナ、手を出しては駄目ですよ。まずは、私が相手をします』

『はい、お姉様!』


 俺には理解できない言葉で会話をすると、狐耳の獣人が後ろに下がった。

 猫族の子供がこちらへ歩み寄ると、大男のゴンヅエラを見上げる。

 

『武器を携帯してないようですが、素手の戦いが得意なのでしょうか? 私はそれでも、一向に構わないのですが』

「あん?」


 バンザイをするように、猫族の子供が両手を上げる。

 降参をしてる様子には見えない。

 戦う意思を宿した瞳で、猫族の子供が見上げる。

 それを見下ろしていたゴンヅエラが、突然に身体を仰け反らせ、大口を開けて豪快に笑う。

 

「ガハハハハ! おいおい。まさか、俺様と力比べしようってか? 俺様は、迷宮騎士団にいたんだぞぉ?」

『随分と酒臭い方ですね。戦いを前に、わざわざ判断力の鈍ることをするのは、命取りだと思いますが……。力の差がありすぎるお師匠様が、やるならまだしも』


 嘲笑するゴンヅエラを見上げていた猫族の目つきが、訝しげなものへと変わる。


「いいか。この世界はなぁ、力の強い奴が偉いんだ。弱肉強食だよ、分かるだろぉ? 獣人だからと言ってもな、おめぇみたいなチビが、俺に力で勝てるわけがねぇんだ。俺がな、ガキに一撃で沈められるとか、ありえねぇんだよ……。そうさ。あの時も、たまたまだ……。獣人のガキに、俺が負けるわけが」

 

 最初は上機嫌な様子で、酔っ払い特有のくだを巻いてたゴンヅエラだったが、だんだんと怒りの籠った低い声でブツブツと呟き出す。


『これはまた……。分かり易いぐらいに濁った目ですね。言葉が通じなくとも、貴方の犯してきた悪行の数々が、その目から読み取れます。凶賊を相手に、手加減はしませんよ。私も最初から、少し本気を出させて頂きます』

「ッ!」


 なんだ、この感じは?

 猫族の子供が右目を閉じた瞬間、死んだはずの目が……。

 古傷が、妙に疼きやがる。

 眼帯に指を添えながら、周辺への警戒を更に強めた。


「フヘヘヘ。可愛い声で泣けよ。待ってばかりで、退屈してたんだ。たっぷり可愛がってやるよ」


 下種な笑みを浮かべて、ゴンヅエラが舌なめずりをする。

 ゴンヅエラが両手を握り締めると、力強く指を鳴らした。


『先手はお譲りします』


 猫族の小さな手を、ゴンヅエラの大きな手が包み込む。

 ゴンヅエラは確か、騎士のレベルが15に副職業が戦士のレベル20と言ってたはず。

 腐っても迷宮騎士団に在籍していた元騎士。

 相手が獣戦士に転職していたとしても、普通は負けるわけが……。


「ん? ……あれ?」


 ゴンヅエラが難しそうな顔をして、何度も首を傾げる。


『どうされましたか?』

「ふん! ……んー? ふぬぅ!」


 相手の手を握り潰そうとしてるのか、ゴンヅエラが歯を食いしばった。

 酒がまわってるせいか、顔も真っ赤になり、体中の血管が浮き上がっている。

 しかし、相手の子供は涼しげな表情のままだ。


「ぐぬぬ……」

『それが、あなたの全力ですか? ……では、次はこちらの番ですね』

「あへぁあ!?」


 突然に元騎士のゴンヅエラが、奇妙な声を出す。

 気持ち腰が抜けた様に、大男の身体が傾く。

 

「あいででで! ちょっ、待っ、駄目ぇ!」

『……』

 

 膝から崩れ落ちると、情けない声を出して喚き始めた。

 

「折れる。折れるからぁ!」

「……プッ。ギャハハハハ! 何だよそれ、面白過ぎだろ!」

 

 ゴンヅエラを指差して、ザルテが腹を抱えて笑う。

 相手が見た目通りの子供で、力自慢の元騎士との力比べであれば、確かに演技かと思ってしまうが。

 

「サイノメ……。猿芝居にしては、少しおかしくないか?」

「うむ」

 

 俺と同じ違和感を持ったらしいセングに声を掛けられて、身体に巻いていたナイフを1つ取り出す。

 黒い忍装束を着た獣人めがけて、ナイフを投擲する。

 

「あいあいあー!」


 しかし、投げたナイフが相手を貫く前に、横から飛び出た獣人に弾かれてしまった。

 俺のナイフが宙を舞い、地面に突き刺さる。

 奇声を上げて飛び出た狐人の子供が、俺達と対峙するように2本の刀を構えた。

 

「ザルテ、仕事だ」

「へ? 兄貴!」


 腰に提げたサーベルの1本を抜いたセングが、狐人の子供へ向かって駆け出す。

 慌てた様子で、ザルテもその後を追った。

 セングは剣士がレベル20、副職業も戦士のレベル20。

 相手が普通の子供なら、間違いなく一撃で斬り伏せるはずだ。

 

「あいあいあー!」


 狐人の子供も前へと飛び出し、2人の間合いが重なる。

 セングが横薙ぎにサーベルを振り抜くが、耳に入ったのは激しくぶつかる金属音。


「やはりな」


 これで確信に変わった。

 コイツらは……。


「兄貴!」

「ザルテ、見た目に騙されるな。賞金稼ぎだ!」

「なっ!?」

 

 ザルテが驚いた表情を見せる。

 まあ、無理もないだろう。

 このなりで、俺達凶賊を倒す為にやって来た、賞金稼ぎだと言われてもな。

 

『レイナ。その2人は貴方に譲ります。見事倒してみせなさい』

『はい、お姉様!』

「ザルテ、いつも通りに仕事をしろ」

「……」

 

 ザルテの顔が、真剣な表情へと変わる。

 サーベルを握りしめたセングが、狐人の子供へ再び襲い掛かった。

 互いの斬撃がぶつかるたびに、火花が飛び散る。

 

「あいあいあー! あいあいあー!」


 荒削りな剣術だが、反応は悪くないな。

 凶賊であるセングの素早い斬撃を、2本の刀でしっかりと捌いている。

 だが、サーベル1本しか持ってないセングを、積極的に攻めれば……。

 

 刺突を狙ったのか、腰を落としたセングがサーベルを前へ突き出す。

 その攻撃を横に素早く避けた狐人の子供が、セングの懐に飛び込もうと前へ出る。


「ッ!?」

「ピュー。やるじゃねぇか」


 感心したような表情で、ザルテが口笛を吹く。

 わざと隙を作ったセングの懐に、狐人の子供が飛び込もうとした瞬間、猛毒の塗られた刃が空を切った。

 若い獣人なら、今の死角からの一撃を確実に貰っていたはずだが、紙一重で避けたか。

 見た目の幼さに似合わず、予想以上に反応が良いな。

 

「敵は1人じゃないぞ」

「ッ!」


 賞金稼ぎに休む暇を与えず、笑みを浮かべたセングが、両手で握り締めたサーベルを力強く振り降ろす。

 腕力の補正が高い剣士の斬撃に、狐人の子供が素早く後ろへ下がった。

 当然ながら逃がすつもりもなく、凶賊2人掛かりで激しい追撃を繰り出す。


「ヒャハハハ! まだまだいくぜ!」


 熟練の剣士であるセングが強烈な殺気を出して、わざと自分に注意を向けさせた瞬間、狩人の足の速さと隠密能力を活かして、気配を消したザルテが死角から攻撃を仕掛ける。

 優秀な獣人の探索者を確実に屠る為に、2人が編み出した技の1つらしいが、相変わらずいやらしい戦い方だな。

 しかし、こうなると戦いの流れは2人のものだ。

 

 今はなんとか攻撃を避け続けることができても、2人の休みない攻撃に持久力が削られて、最後には決着が着くのが目に見えてる。

 二対一でセング達に挑んだ時点で、勝負は決まったようなものだ。


 ならば俺はその間に、もう1人を片づけるとしよう。

 セング達の戦いから視線を外し、目標に向かって駆ける。

 両膝を地について、許しを請い続ける大男が視界に入った。

 馬鹿が囮として役立ってるうちに、こっちの賞金稼ぎを背後から……。

 

「ッ!?」

 

 黒衣の獣人に近づこうとした瞬間、突然に足が止まる。

 気付けば自分の間合いへ入る前に、腰を落として居合い斬りの構えを作っていた。

 無意識のうちに抜刀しようとして、何とか抜くのを止めた手が、驚きで小刻みに震えている。

 

「馬鹿な。この距離で……」

『ほう……。どこぞの山賊なら、そのまま突撃してたはずでしたが。やはり、凶賊となると違うのですね』

 

 ゴンヅエラの両手を握りしめたまま、黒い猫族の顔がゆっくりとこちらに振り向く。

 先程までの丸い瞳ではなく、猫族特有の縦長に変化した黒い左目が、俺を静かに見据える。

 

 目出し帽から覗く、獲物を見定めるような視線に、嫌な感覚を思い出す。

 中級者迷宮の最下層主である、獅子の身体を持つ三つ首の魔獣、キメラと対峙した時のような感覚だ。

 この小さな身体で、これほどの気迫を感じさせるとは……。


「貴様、何者だ……」

『ふむ……。その構えは、居合い斬りですか』


 異国の言葉なのか、言ってることは理解できないが、俺の身体を上から下へと観察する。

 相手は両手を塞がれ、とてもじゃないが俺の攻撃に、反撃できるようには見えない。

 本来なら、攻め込むには絶好の機会だろう。

 だがしかし、眼帯の下にある古傷が今なお疼き、俺にこれ以上の接近を止めるよう警告している。


 右目を失ってから、この感覚に頼って危機を脱した戦いは何度もあった。

 だとすれば……コイツは、何を隠している?

 俺の本能は、何を恐れている?

 

『そちらから来ないのであれば、私はこの者へのお仕置きを続けますね』


 俺から視線を外すと、ゴンヅエラへ再び視線を移す。

 賞金稼ぎの猫族と目を合わした元騎士が、「ヒッ!」と小さく悲鳴を上げて、怯えたような表情を見せた。


「や、やめてぇええええ!」


 小柄な猫族の指が、大男の手に食い込んでいくのが分かる。

 痛みに耐えきれなかったのか、ゴンヅエラが大粒の涙を流しながら絶叫した。


『大の大人が、情けないですね。それでも凶賊ですか? 他人を痛めつけることは好きな癖に、自分が痛めつけられる側になると途端に泣き出す……。屑もいいところですね』


 まるで俺へ見せつける様に、元騎士の大男をいたぶり続ける。

 おそらくコチラを挑発してるんだろうが、己の感覚を信じて構えを作ったまま、俺は相手の様子を伺う。

 

「サイノメ、何やってる! 早くそいつを倒せよ!」

「チッ……」


 背後からザルテの罵声が飛んできて、思わず舌打ちをしてしまう。

 こちらから仕掛けれるものなら仕掛けたいところだが、どうにも攻め込む気が起こらない。

 猫族の子供が不意に手を放すと、ゴンヅエラが情けない声を出してうずくまる。


「ああ……俺の手が……」


 恐らく手の骨に、ヒビでも入ったのだろう。

 指を握る事すらままならない様子で、大男が身体を震わせている。


『さて……。弱者を痛めつける為だけに使う指は、もう必要ないですよね?』

「ヒィッ!? もう、もうやめてくれー!」


 賞金稼ぎの小さな手が伸びると、逃げ出そうとする大男の右腕を掴む。

 まるで牛人に捕まえられたように、ゴンヅエラの身体が引き寄せられた。

 そして、もう片方の手が右手の人差し指を掴む。


『両手を合わせれば、指は10本あります。なるべく時間をかけて折りますので、その間に今までやってきた愚かな行為を反省しなさい』

「や、やめ……ッ!?」


 ゴンヅエラが身体を仰け反らせ、獣のような絶叫を上げる。


「あいあいあー!」

「グッ!?」

「兄貴!」

「大丈夫だ。思ったより、粘るな」


 珍しく苦戦するようなセングの声が聞こえて、視線をそちらに動かす。

 驚いたことに、あちらの決着もまだついてないようだ。

 優秀な獣人を屠る凶賊2人相手に、狐人の子供が2本の刀を振り回して、果敢に相手の攻撃を捌き続けている。

 相手の持久力を削る為に、休みなく激しい動きを続けているためか、皆が顔から大量の汗をかいていた。


『やはり加護の力は、素晴らしいですね。サリッシュさんに厳しく扱かれたおかげもありますが、凶賊相手にも対等の戦いができるのなら、上出来でしょう』

「……」


 元騎士を痛めつけながら、黒衣の賞金稼ぎが涼しげな表情で、セング達の戦いを観戦している。

 流石にここまで俺の存在を無視されては、凶賊としての名が廃るな……。


 一度息を整えて気持ちを切り替えると、相手の間合いを探ろうと仕掛ける。

 えらく重く感じる足に力を入れ、静かにスリ足をしつつ、前へとゆっくり歩を進めた。

 すると、セング達の戦いを見ていた黒い瞳が、こちらへ動く。

 気配をなるべく消して近づく算段だったが、それでも気取られるのか。


「……」

『……』


 激しくぶつかり合う金属音を耳にしながらも、相手は微動だにしない。

 相手は武器らしき物は持っておらず、両手は大男の腕を掴んだままだ。

 まとわりつく恐怖を振り払うように、更に一歩前へと踏み込もうとした瞬間、俺を見ていた賞金稼ぎの左目が縦長に変化した。

 

「ッ!」

 

 次の瞬間、剣先が喉を掠めたような感覚に襲われ、思わず後ろへ身を引いた。

 

『……』


 黒装束の子供は一歩も動いておらず、静かにこちらを見つめ続けている。

 しばらく睨み合っていると、縦長になっていた黒い瞳が元の丸い形に戻り、再び大男をいたぶり始めた。

 

「……フーッ」

 

 肩の力を抜いて、大きく息を吐く。

 死角を狙って攻めようとした時に、キメラの尻尾である大蛇が予想以上の速さと距離で襲い掛かって来て、冷や汗をかいたのを思い出した。


 居合切りの構えを作ったまま、再び相手を観察する。

 キメラの大蛇並みに死角の無い、広い間合いか。

 これは中級者迷宮の最下層に挑戦するつもりの心構えでないと、危険かもしれんな。

 本当に、何者なんだコイツは……。


「あいあいあー!」

「兄貴!」


 焦ったようなザルテの声が耳に入り、思わず振り返る。

 賞金稼ぎに斬られたのか、服の胸元を大きく横に斬り裂かれ、肩で息をするセングの姿が目に飛び込む。

 

「ハァ……ハァ……。ありえん……。俺が、こんな子供に、負けるわけが……」


 致命傷こそなさそうだが、よく見れば頬に斬り傷ができていたり、服を何ヶ所も斬り裂かれている。

 てっきり相手を2人で追い詰めていたと思っていたが、明らかに疲労困憊なのはセングの方だった。


「あいあいあー! あいあいあー!」

「クソッ、しつけぇ!」


 呼吸を整えているセングの代わりに、ザルテが必死に戦っている。

 狐人の賞金稼ぎの方は、顔中汗だくになりながらも、楽しそうな表情で2本の刀を振り回す。

 剣速も先程までより更に早くなり、足の早い狩人のザルテを翻弄する程に、素早く縦横無尽に走り回っている。

 そんな速さで走り続ければ、すぐに持久力が切れるはずだが……。


「あいあいあー! あいあいあー!」

『忍者刀を実践で使うのは初めてでしたが、流石レイナですね。この短期間で、もう自分の剣術に取り込みましたか』


 疲労が出始めて動きに精彩を欠き始めたザルテに対して、狐人の動きはみるみると洗練されていく。

 ザルテ1人で相手をさせるのは、荷が重いか?


「ハッ、ハッ、ハッ……。あ、兄貴! 援護を」

「あいあいあー!」

「アグゥッ!?」


 セングを探すように視線を外した一瞬の隙を見逃さず、鋭い蹴りがザルテの腹に突き刺さる。

 

「あいあいあー!」

「グゥ……」

 

 地面に派手に転んだザルテの後頭部を、狐人の子供が踏みつけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 援護になかなか戻らないセングを探すと、自分の荷物袋を拾い上げて、中をまさぐっている。


「セング、ザルテを!」

「ここに辿り着くまで、俺がどれだけ苦労したと思っている。こんなガキに捕って、剣の道を終えるくらいなら……」

「……」


 セングの様子がおかしい。

 傷薬を取りに行ったのかと思ったが、セングの手には予想外の物が握られていた。


 あれは確か……。

 ヴァルディア教会の連中が、「もしもの時の為に」と渡してきたやつだ。

 赤い液体が入った小瓶の蓋を開けると、それを勢いよく飲み干した。

 

「……ぐぉおお!? ……う、うぐぅ」

 

 しばらくすると、苦しそうにセングが呻き始める。

 心臓が痛むのか、胸の辺りを掴みながら前屈みの姿勢になると、身体を小刻みに震えさせた。


「グゥゥ……」

「セング!」

「はぁ……はぁ……。クックックッ……」

「……?」


 なぜか笑い声が聞こえると、セングがゆっくりと顔を上げる。


「サイノメ。これは凄いぞ……」

 

 その瞳に、信じられない物を見つけた。


「力が……力が溢れてくる」

「セング。その目は……」

 

 つい先程まで金色だった右目に、血のような赤が混じっていた。

 獣人の中でも、特に優秀な者にしか現れないと言われる『夜叉の血』の証。

 なぜかその証が、人であるはずのセングの右目に現れていた。

 ヴァルディア教会の戯言だと思って信じてなかったが、本当にそんなことが……。

 

『どういうことですか……。なぜ、人の身で夜叉の血が』

 

 僅かな気の乱れを感じて黒い猫族に目を移すと、目を見開いて驚いた様子でセングを見ていた。

 

『これは……。少々不味い事になりましたね。レイナに、夜叉の血は……』

 

 セングを見つめる黒装束の賞金稼ぎの目つきが、険しいものへと変わる。

 

「クックックッ……。まずは、お前からだァ!」


 鞘から2本のサーベルを引き抜くと、目にも止まらぬ速さで、セングが俺の眼前を横切る。

 俺が知ってるセングの速さではない。

 金属音がする方向へ慌てて目を移すと、先ほどまでザルテを踏んづけていた狐人の子供が、地面を転がっていた。

 すぐさま立ち上がった狐人の子供が、剣を激しく振り回して応戦する。


「ッ!?」

「クカカカカカ! 凄いぞ、この力は! これが夜叉の血……」


 狩人のザルテを翻弄していた狐人の賞金稼ぎを上回る速さで、セングが縦横無尽に駆け抜ける。

 まるで『夜叉の血』に目覚めた獣人かと思うような、剣士とは思えない異常な速さに進化したセングの猛攻に、流石の賞金稼ぎも防戦一方の状態になっていた。

 むしろ、あの斬撃の嵐を捌けるだけ、凄いと感心してしまう。


「オルァ!」


 先程の蹴り飛ばされたザルテを再現するかのように、狐人の子供が後ろに勢いよく飛んで、地面を激しく転倒した。


「ククク……。この力があれば、サリッシュも恐れるに足らん! お前を殺し、このまま街にいる連中も殺し、俺が二刀流最強であることを、知らしめてくれるわ! フハハハハハ!」


 もはや依頼も関係ないとばかりに、狂気に触れたような笑い声をあげると、剣先を地面に転がる狐人の賞金稼ぎに向ける。


「……」


 戦意はまだ失ってないのか、狐人の獣人が地面からゆっくりと立ち上がる。

 まるで脱力したように腕を垂らし、2本の刀を握りしめただけの無防備な構えだ。


「これで、終わりだぁああああ!」

『終わりですね……』


 猫族の賞金稼ぎが、ボソリと何かを呟いた。

 次の瞬間、セングが俺の視界から消える。

 耳に入ったのは、数えきれない程の金属音。

 

「馬鹿な……。そんなはずが!」

 

 それと、驚愕の光景に目を見開くセング。

 もはや俺には目で追えない刃の嵐を、正面から全て弾き返す狐人の賞金稼ぎ。

 

「あいあいあぁあああああ!」


 狐人の子供が一際大きな奇声をあげ、2つの人影が交差した。

 

「ありえん……。こんなことがあって、たまるか……」

 

 握っていた2本のサーベルが地面に落ち、両肩から鮮血を飛び散らせたセングが、膝から崩れ落ちる。

 セングと背中合わせで立っている狐人の刃先からは、赤い血が滴り落ちていた。

 狐人の子供が振り返ると、その左目が赤くなっていることに気づく。


 なるほど。

 そういう事か……。


 ただの子供ではないと思っていたが、コイツも『夜叉の血』が扱えるのか。

 止めを刺すつもりなのか、狐人の子供が刀を振り上げる。

 

「兄貴! 逃げろー!」


 ザルテの呼びかけに気づいたのか、うな垂れていたセングが顔を上げた。

 

「ザルテ……。俺は、強いよな?」

 

 まるで救いを求めるような、悲愴感の漂う表情で、セングがこちらを見ている。

 助けに行こうとした瞬間、俺の間合いに何かが飛び込んできて、思わず刀を振り抜いた。

 室内に、金属音が響き渡る。

 

『レイナ、そこまでです。この者は、既に心が折れてます。止めを刺すまでもありません』

「ウーッ!」

 

 白い牙を剥き出しにして、怒りの表情を作った狐人の刀を、猫族の賞金稼ぎが逆手に持った黒い短剣で受け止めている。

 よほど力を入れているのか、擦れ合う刃同士からは、小さく火花が散っていた。

 

「……」

 

 俺は手元に視線を落とす。

 鞘からは、刀が抜かれていた。

 間合いに入った者を斬ったはずだが、手に残った感触は人を斬ったものではなく、金属とぶつかった時のもの。

 ということは……。

 

「兄貴、何やってんだよ! 早く逃げろ!」

「負けた……。こんな子供に、俺の剣が……。凶賊までになった、俺の剣道は……クックックッ」

 

 その瞳は虚空を見つめ、乾いた笑みを浮かべる。

 まるで魂が抜けたようなセングの様子に、過去の自分が重なった。

 

「ザルテ、諦めろ。今のアイツは、もう……」

「はぁあ!? 何言ってやがる! 兄貴を見捨てろって言うのか!?」

 

 肩に置いた俺の手を、ザルテが乱暴に払いのける。

 コイツに分からないだろうな。

 長い間、剣の道に人生の全てを捧げた者だからこそ、分かる感覚。

 

『レイナ。刀を納めなさい』

「ウーッ!」

『レイナ。……聞き分けの悪い子は、嫌いですよ』

「ッ!?」


 こちらに背を向けた黒い猫族から、ただならぬ気配を感じて素早く身構えた。

 なんだこれは?

 先程までの……キメラ以上の……。


『はい。お姉様……』

 

 白い牙を剥き出しにして、怒りの表情を見せていた狐人が急に大人しくなると、狐耳を伏せながら後ろに下がった。

 古傷の疼きが更に強くなり、思わず右目を手で押さえる。

 

「サイノメ、手を貸せ。兄貴を助けるぞ!」

「待て、ザルテ! そいつに近づくな!」

 

 走り出したザルテを止めようとするが、俺の制止を振り切って突撃した。

 ザルテが黒衣の賞金稼ぎに近づいた瞬間、まるで風槌エアハンマーをぶつけられたように、ザルテの身体が空中へ吹き飛ぶ。

 竜巻に巻き込まれたように、空高く宙を舞ったザルテの身体が、地面へと叩きつけられた。


「……」


 気を失ったか、もしくは死んだのか……。

 地面を転がり終えたザルテが、身動き一つしなくなった。

 

 黒い忍装束の猫族が、上げた右足をゆっくりと下ろす。

 子供のように小柄な身でありながら、闘牛士を思い起こさせるような、信じられない威力の回し蹴りだな。

 しかし、元騎士のゴンヅエラを、力でねじ伏せる奴だ。

 ありえないことはない。

 

 今まで閉じられていた猫族の右目が、ゆっくりと開かれる。

 見覚えのある色を宿した瞳が目に入り、思わず納得してしまう。

 

「だろうな」

『……』

 

 互いに無言で、静かに見つめ合う。

 えらく報酬金の高い依頼だと思っていたが、ヴァルディア教会の馬鹿共は、厄介な連中に喧嘩を売っていたようだ。

 

 オーズガルド王国の宰相は、頭のキレるやつだと言っていたが、おそらく腕の立つ賞金稼ぎを雇ったのも奴だろう。

 この分だと、今回の計画も既にバレてたかもしれんな。

 ここへ合流する予定の連中も、おそらく……。

 抜いていた刀を再び鞘に収めると、居合切りの構えを作る。

 

「仕事の選べぬ身とは言え、夜叉の血を相手にすることになるとはな」

 

 自分の運の悪さに、思わず苦笑する。

 さて、この窮地をどう切り抜けたものか……。

 

『残る凶賊は、貴方だけですよ』


 黒い忍装束の獣人が、前へと進み出た。

 苦無を逆手に持ち替ると、ゆっくりと腰を落として身構える。

 

『貴方には、折れない信念はありますか?』

 

 右目に真紅の瞳を宿らせた猫族が、鋭い眼光でこちらを見据えた。


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