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神子の奴隷  作者: くろぬこ
最終章 試されし者

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奴隷兎娘の恩義

 

「分かりました。では、ご主人様を呼んで参りますので、少々お待ち下さい」

「お願いします」


 サクラ聖教国の巫女服を着た猫人の女性が、丁寧に頭を下げる。

 礼儀正しい対応とその容姿のせいか、どこかアクゥアを連想させる。

 私も軽く頭を下げると、玄関の扉を閉めた。

 

 廊下を歩きながら、耳を澄ましてみる。

 1階には、旦那様のいる気配がないので、おそらく2階にいるのだろう。

 階段を上り、旦那様の部屋まで行くと扉を叩いた。

 

「旦那様、アイネスです」


 中から旦那様の声が聞こえたが、扉を開けて顔を出したのは、黒い猫耳を生やした少女。

 黒い瞳で私を一瞥すると、アクゥアが部屋の奥へとさがる。

 

「旦那様、お迎えが来ました」

「え? もう、そんな時間?」


 読み書きの勉強をしてたのか、ちゃぶ台の上には紙の束が置かれていた。

 慌てて出掛ける準備を始めたので、旦那様を手伝おうと部屋へ入る前に、黒い影が目の前を横切る。


『ハヤト様、こちらに』

『ああ、ありがとう』


 服を脱ぎ始めた旦那様の前に、アクゥアが素早く歩み寄る。

 いつの間にか手に持っていた巫女服を、旦那様に渡す。

 旦那様の脱いだ服を受け取ると、手際良く畳み始めた。

 

「……旦那様。先に、玄関で待ってますね」

「ほいほい」

 

 なんとなく、居心地の悪さを感じて扉を閉める。

 自分の仕事が取られたような気がしたけど、気のせいではないでしょうね。

 

 たぶんだけど、今まで私に気を遣ってたのだろう。

 最近のアクゥアは私に遠慮せず、旦那様の身の周りを世話しているような気がする。

 あえて口には出さないが、今の私を信用してないということだろうか。

 

 さっき、目を合わせた時もそうだった。

 旦那様は気づいてないようだが、アクゥアの私を見る目が、明らかに変わっている。


 猜疑。

 そんな言葉が浮かぶような目だ。

 私があの女に裏切られたと気づいた時も、今のアクゥアと同じような目をしてたのかしらね……。

 

 まあ、前にも増して露骨に私を嫌って悪態をつくアズーラよりは、マシなのかもしれないけど。

 以前と変わらない態度で私と接してくれるのは、アカネくらいだろうか?

 いや……。

 たぶん、気は遣われてるでしょうね。

 

「人生は、何が起こるか分からないでありますよ。父殿も、よく言ってたであります。底が来たなら、後は上がるだけでありますよ。あむ、んぐ……おかわりであります!」

 

 私の作った料理を、いつもの如く豪快に食べながら、そんなことを言ってた気がする。

 玄関に置いてある靴べらを手に取ると、旦那様が降りて来るのを待つ。

 

「アイネス。信用を築くのは、とても時間の掛かることだが、壊すのは一瞬だぞ」

 

 誰かの言葉が、ふと頭に浮かぶ。

 宰相の肩書きを持ちながら、眉間に皺を寄せて、いつも難しそうな顔をしていた男性が、脳裏をかすめる。

 ついでに楽しかった思い出も甦るが、もうあの日には戻れない。

 今も、あの城で私を嘲笑ってるだろうあの女のせいで、私の人生は狂ってしまった。

 

 靴べらを握ってた手に、思わず力が入る。

 でも、あの女を一発殴ってやるまでは、泣き寝入りをするつもりはない。

 奴隷になった時、他人を利用してでも、1億の借金を必ず返済してやると決めたのだ。

 私のやろうとしてることが知られた時に、嫌われ者になる覚悟はできていた。

 

『え!? 今日会うエンジェさんって、アクゥアのお師匠様のお弟子さんなの?』

『はい。私の姉弟子にあたります』


 出掛ける準備が終わったのだろう。

 旦那様達の会話が聞こえてくる。

 そんな会話も右から左へ聞き流し、靴べらを握り締めると、ただ床を見つめ続ける。


 孤独には慣れている。

 奴隷に落とされたあの日から、私はずっと、1人ぼっちだから……。

 

 助けてと言って助けてくれる人がいるなら、既に言っている。

 私が泣いたところで、1億の借金を返済してくれるような、白騎竜に乗った王子様は現れない。

 いるのは卑しい顔で、お金も払わず私の身体を求める豚野郎の貴族ばかり。

 自分に都合の良い夢物語に花を咲かせて、楽しくお喋りするのは、頭の中もお花畑な貴族の娘くらいだろう。


 あの時も、姫様だけは私の事を信じてくれたけど、誰も私の無実を証明できる者はいなかった。

 お人好しなだけでは、私は救われない。

 結局、自分の身を守る為には、自分がしっかりしないといけないのだ。


 現実は、私に少しも優しくはなく、非情で、残酷で……。

 こんな私に、優しく手を差しのべてくれるような人は、存在しない。

 

 ……本当に?

 

 もし、私の抱え込んでる心の内を全部吐き出して、素直に泣けば1人くらいは……。

 巫女服を着た、お人好しの顔が一瞬浮かぶ。


「……アイネス?」

 

 いつものように、優しく声をかけてくれる。

 その差し出した手に、思わず手を伸ばす。

 

「えっと……。靴べらを、貸して欲しいんだけど……」

「……?」

 

 顔を上げて、困ったように頭をかく旦那様を見た後、旦那様の視線が下に動く。

 それに合わせて、自分の目も自然と下に移る。

 旦那様の差し出した手の上に、なぜか自分の指先が触れていた。

 

「あっ、すみません!」

 

 旦那様と触れた手を慌てて引っ込めると、もう片方の手に持っていた靴べらを渡す。

 自分が握ろうとしていた手が、旦那様の手だと気づいて、顔が燃えるように熱くなる。

 

 よりにもよって、一番頼りない旦那様を選ぼうとするとは。

 ここ最近いろいろ悩んで、あまり寝てなかったせいか、私にあるまじき大失態だ。

 旦那様なら泣きつけば、確かにいろいろと親身になって考えてくれそうな気はするけど……。

 なにしろ、私が1億の借金を抱えてると知っても、奴隷商会に返却するどころか、どうやって一緒に返済しようかと考えるような、大馬鹿者ですからね!

 

「アイネス。もしかして、体調悪い? 昨日も、徹夜とか言ってたし、熱があるんだったら別に無理しないで休んでも」

「大丈夫です!」

「え……あ、うん」

 

 顔が赤くなった私を見て、熱があると勘違いした旦那様を、思わず怒鳴ってしまった。

 アクゥアに睨まれて、感情的になった自分に気づき、ちょっとだけ冷静になる。

 

「大丈夫です。仕事には、支障ありません」

「そう……。なら良いけど」

 

 お人好しにも限度がある。

 今のはどう考えても、反抗的な奴隷を叱る場面だ。

 まったく、どうしてこの人は……。

 

「手続き漏れとか、面倒臭いな。昨日来た人も、書かないといけない書類が、いっぱいあるとか言ってたし……」

「折角、外出許可が出たのに、残念でしたね」

「だよなー」


 ブツブツと文句を言いながら、靴を履いた旦那様から靴べらを受け取る。

 サリッシュさんから警戒を解くと知らされて、今日から迷宮に出掛けるつもりだったから、確かに間が悪いとも言えますね。

 玄関の扉を開ける。

 外で待っていた猫族の巫女が旦那様を見るなり、嬉しそうな顔で出迎えた。

 

『レイナ、出掛けますよ』

『はい、お姉様!』

 

 裏庭でサリッシュさんと訓練をしていたエルレイナに、アクゥアが声をかける。

 するとエルレイナが、両手に持った剣を鞘に仕舞う。

 

「サリィ! サリィ! またね!」

「うむ。また夜にな」

 

 エルレイナが大きく手を振り、アクゥアに駆け寄る。

 旦那様達が談笑しながら、サクラ聖教国の聖堂へと歩いて行く。

 綺麗に切り揃えた黒い髪を、猫族の巫女が手でかき上げると、色白の頬がほんのりと赤く染まってるのに気づいた。


 やっぱり旦那様は、サクラ聖教国では人気があるんですかね?

 まあ、新しくできた『サクラザカ聖教会』の教皇候補に名前があげられるような、大貴族ですしね。

 玉の輿を狙う女性とかであれば、お近づきになろうとか考えるでしょうし。

 大貴族と言うわりには、本人に威厳はまったくないですが……。

 

 私も出掛ける用事があるので、玄関の鍵を閉めておく。

 ロリンには休みを与えてるし、アカネ達も今日はのんびりと買い物をすると言ってたから、問題ないだろう。

 露骨に私を睨んでるアズーラは無視して、アカネに近寄る。

 

「もしかしたら、用事がすぐに終わらないかもしれないから、お昼御飯は外で食べてきなさい」

「了解であります!」

 

 お小遣いを少し多めに渡して、サリッシュさんと一緒に出掛けることにした。






   *   *   *






 賑やかな商店街の雑踏に囲まれながら、サリッシュさんの後ろを歩く。


「すまんな。アカネ達と買い物へ行く予定を、邪魔してしまって」

「いえ、お気になさらないで下さい」

 

 サリッシュさんが後ろへ振り返ると、気を使う言葉をかけてきて、少しだけ返答に困る。

 正直な話、今は他の人達と一緒にいる方が居心地が悪い。

 旦那様の呼び出しで暇ができると話してたら、まさかサリッシュさんと出掛けることになるとは思わなかったが、空気の重いあの家にいるよりは、気が楽ですからね。


「……」


 ふいに、両親と手を繋ぐ子供が目に入った。

 家族で買い物をしてるのだろうか?

 楽しそうな顔で笑う子供を、ぼんやりと見つめる。


 そういえば、1億の借金を抱え込んでからは、両親とも絶縁状態になって、手紙のやりとりもしてないわね……。

 みんな元気にしてるのかしら?

 

 奴隷になる前は色鮮やかに見えてた景色も、今は色あせて見える。

 1億という途方もない大金を返済するには、どうすれば良いかを考える毎日。

 あの女から学んだのは、自分が幸せになるためには他人を蹴落として生きる事。

 

 他人を信用できなくなってから、他人といる時間が苦痛にさえ感じるようになった。

 これだけ沢山の人がいるのに、なんで私はこんなに孤独なんだろう?

 なんで私だけが、こんなつらい目に……。

 

「アズーラ達と、喧嘩したのか?」

「え?」


 気づかないうちに、横を歩いていたサリッシュさんが声をかけてくる。

 あまり聞かれたくない質問に、少しだけ返答が遅れた。


「アズーラが、何か言ってたのですか?」

「いや、何も言ってない。だが、お前達を見てれば、態度ですぐに分かる。私も、女ばかりのパーティーにいた頃があるからな。似たような経験を、よくしてたさ」

「そうなのですか?」

「まあ、若いうちは、他人と意見が合わなかったりして、いろいろと衝突をするものだ。私の時は、クエンとエンジェがな……」

 

 サリッシュさんがする若い頃の思い出話を、適当に相槌を打ちながら右から左へ流す。

 今の私にとっては、どうでもいい話だ。

 

 私と彼女達の間にできた溝は、これからどんなに努力したところで、もう埋まることはないだろう。

 たぶん、私が逆の立場であれば、アズーラやアクゥアと同じような態度を取ってると思う。

 移り変わる景色をぼんやりと眺めてると、不意にサリッシュさんが立ち止まった。

 

「おっと、いかんな。40も近くなると、ついつい説教臭くなってしまう」

「ええ、そうですね。……ええ!?」

 

 思わず、サリッシュさんを二度見してしまった。

 えっと……どう見ても、20代くらいにしか見えないのですが……。


 あ、でも……。

 副団長という肩書きともなると、そんな若さでなれるものなのかしら?

 じゃあ、もしかして本当に?

 私が穴が開くほど見つめていると、サリッシュさんがいつもの意味深な笑みを見せる。

 

「クックックッ。さて、私の本当の年齢は、いくつだろうな。上級者迷宮を踏破すると、いろいろ良い特典があってな……」

「特典、ですか?」

「おっと、これ以上は言えないな。上級者迷宮は、仲間と協力する気の無いパーティーが、いけるような場所では無い。ましてや、先輩の助言を聞き流すような、やる気のない者ではな」

「あ……。すみません」

 

 適当な相槌を上手く打ってたつもりだったが、流石に気づかれていたようだ。

 副団長相手に失礼な態度を取った自分に、自己嫌悪しながら頭を下げる。

 やっぱり疲れてるのか、今日は失敗続きだ。

 

「生きているとな、いろんな問題にぶつかる。悩みを打ち明けたくても、相談できる相手がいない時もよくある」

「……」


 サリッシュさんが私の後ろに回ると、肩に両手を置いた。


「だったら、打ち明けてみれば良い。彼女なら、お前の話を全部聞いてくれるさ」

「……彼女?」


 意味の分からないサリッシュさんの言葉に、首を傾げる。


「さて、着いたぞ。中に入ろう」

「えっと……。サリッシュさん、ここって……」


 サリッシュさんに背中を押されながら、1軒の大きな店に入る。

 この街でも知らない人がいないような、貴族達が利用する会員制の高級料理店のはずですが……。

 見るからに高そうな絨毯の上を歩きながら、サリッシュさんの後を慌ててついて行く。

 サリッシュさんのおごりだと聞いたが、奴隷の私が入っても大丈夫なのでしょうか?


 少し不安になりながら後ろを歩いていると、賑やかな声が聞こえる。

 開いた扉から中を覗けば、迷宮騎士団らしき人達が、食事をしているのが見えた。


「今日は、午後から他国との合同訓練があってな、団長達と早めの昼食を取ることになっているんだ」

「迷宮騎士団の方達と、食事をするのですか?」

「いや、アイネスはこっちだ。うちの団長は、よく食うからな。たぶん、食い終わるのに相当時間がかかるだろう。まあ、時間は気にせず、ゆっくりしていくといい」

「えっと……」

「この階段を登って、一番奥の部屋に行けばいい……。この店は今日貸し切りで、他の部屋には誰もいないはずだから、空いてない部屋を探せば、問題無く辿り着くはずだ」


 貸切?

 本当に、どういうことなの?

 意味の分からない事を言う、サリッシュさんの話に混乱しつつも、言われた通り階段を上がる。

 扉の空いてる部屋を無視して、通路を奥へ奥へと進む。


 不安な気持ちでいっぱいになりだした頃、扉の閉まってる部屋を見つけた。

 扉に耳を当ててみれば、中から声が聞こえる。


「そうなのよー。アイネったら、私のことを姫様らしくないとか、もっと女性はお淑やかにとか言う癖に、何かあるたびに棒を振り回して私を追いかけ回すのよ」

「まあ。そうなのですか?」

「勉強が嫌になった時とか、こっそり外へ出るために窓から抜けだそうとするとね。扉を勢いよく開けたアイネが、『コラー! 逃げるなー!』て言いながら、掃除道具のはたきを振り回して、部屋の中へ突撃して来るのよ。今も扉の向こうで、こっそり耳を澄ましてるかもよ?」

「フフフ。確かに、人の気配がしますね」

「!?」


 まさか……。

 中にいる人達の会話を聞いて、急に鼓動が早くなる。

 思わず深呼吸を繰り返し、扉を手で叩く。

 

「……」


 少し間をおいて扉が開くと、どこか見覚えのある黒い猫耳の侍女が顔を出す。

 小柄な黒髪の侍女が私を一瞥すると、部屋の中へと招く。


「それでは、私達は外で待ってますね。何か御用があれば、お呼び下さい」

「分かったわ」


 先程、会話をしてた人だろうか?

 深緑の髪と瞳を持つ猫族の侍女が深く頭を下げると、黒髪の侍女と共に部屋を退室する。

 席に座っていた女性が、飲んでいた食器を小皿の上に置くと、ゆっくりと立ち上がる。


「久しぶりね、アイネ」


 私の記憶の中にいたそのままの姿で、彼女が微笑む。

 もう、会うことはないだろうと思っていた予想外の人物を前にして、空いた口が塞がらなかった


「……」

「あれ? アイネ? ……もしかして、私の顔を忘れちゃった?」


 忘れるはずがない。

 身分違いでありながら、私のことを『親友』と呼んでくれた、大切な友人のことを。


「あっ、そうか。平民の服を着て、変装してるから……。あれ? でも、アイネにも見せたことがある服よ?」

 

 本人は変装してるせいで、私が気づいてないと思ってるようだが、そうではない。

 驚きのあまりに、声がでないだけです。


 そもそも、『水竜の涙』と呼ばれる宝石に例えられるような、特徴的な蒼い瞳を持つ人物は、私の知る限り1人しかいない。

 私なんて、毎日のように顔を見合わせたから、見間違うはずがない。

 オーズガルド王国の王族であり、オーズガルド家の末娘である、レリィナ姫のお顔を……。

 

「本当に……姫様なのですか?」

「え? ……なんだー。ちゃんと分かってるじゃない。もう、びっくりさせないでよー」


 姫様が胸に手を当てると、安堵したような表情で息を吐いた。

 私に近づいてくると、長く綺麗な蒼髪を手でかきあげて、下から覗き込む。


「久しぶりね、アイネ。元気にしてた?」

「はい……。姫様も、お元気そうで……」

「なによー。その元気のない声は。私と会えて、嬉しくないの?」

「いえ、その。嬉しいと言うよりも、驚きの方が大きくて、その……」


 口を尖らした姫様が、私を横目で見つめる。

 

「姫様。どうしてこちらに?」

「それは勿論。アイネに会いたいなーと思って、会いに来ちゃった! てへ」


 てへって……。

 舌を出して、そんなことを言う姫様を見て、思わず頭痛を覚える。


「まあ、本当はベリモンドから、アイネに伝言を頼まれてね。どうせなら、アイネをびっくりさせようと思って、サリッシュに協力してもらったのよ。どう、びっくりした?」

「はい。それはもう……」


 思わず心臓が止まるくらいに、驚きましたよ。

 すぐに言葉が出ない私を見て、姫様が楽しそうに笑う。

 悪戯好きなのは、変わらないようだ。

 ……ベリモンド宰相から、私に伝言?


「それよりもアイネ、その言葉遣いはなによー。2人きりの時は、姫様禁止だったの忘れたの? それと敬語も」

「えっと……ですが、今の私は奴隷の身分ですし……。それに、侍女の方が扉の外にいますし」

「あー、あの子達なら大丈夫よ。ちょっと訳有りで、しばらく私の護衛をしてもらってるだけなのよ。二人共、凄く強いのよー。アイネにも、見せてあげたかったわ。特に小さい子なんて、鎧を着たうちの騎士を、素手で投げ飛ばすのよ! それを見た時、もう私びっくりしちゃって」

 

 その話を聞いて、うちのパーティーにいる常識外れの猫族がすぐに思い浮かぶ。

 黒い全身鎧を着た、アズーラを掴んで背負投げをした時は、あの小さな身体のどこに、そんな力があるのかと思ったわね。

 『重心さえ理解すれば、人を投げるのは容易いです』と軽く言うが、そもそも相手は全身鎧を着てるというのに……。


「いつもの侍女達は、どうされたのですか?」

「あー。そうねー。その話もしなくちゃね……。貴方が城からいなくなってから、いろいろあったのよ……。立ち話もなんだし、座ったら? 久しぶりに、アイネの紅茶が飲みたいわ」

「分かりました。では、紅茶を淹れさせて頂きます」

「……」


 一礼すると、姫様の為に紅茶を淹れる準備を始める。

 余所余所しい私の態度を見て、姫様が何か言いたげな表情で見ているが、これは変えるわけにはいかない。

 もう、あの日には、戻れないのだから……。






   *   *   *






「間者……ですか?」

「そうよ。んー……。やっぱり、アイネの紅茶が一番美味しいわね」

「ありがとうございます」

 

 私が淹れた紅茶の香りを楽しむと、姫様が口をつける。

 静かに紅茶を飲む姫様を見て、妙な違和感を覚えた。

 仕草の1つ1つが、上品になったというか……。

 以前は、もっと男らしいガサツな雰囲気だった記憶が。

 

「私の周りに、いつもの侍女達がいない理由が、まずそれね。まあ、いきなりそれを言っても、アイネには分からないと思うから、順を追って説明するわ」

 

 食器を小皿の上に置くと、姫様が私を見つめる。

 姫様の話によると最近、城内にいる間者の大捕り物があったらしい。

 騎士や侍女、平民や貴族も関係なく、疑いがある者は強制的に拘束後、尋問がなされたようだ。

 

「悲しい話よね。身内よりも、外の者の方が信用できるなんて……」


 姫様が寂しげな顔で呟く。

 いつも傍にいた侍女がいないのも、それが理由ですか。

 間者は皆、ヴァルディア教会に金で雇われて、我が国の重要な情報を売っていたらしい。

 今回の大捕り物には、サクラ聖教国の支援があったようで、その絡みでサクラ聖教国の者が姫様の護衛をしているという話に、ようやく納得した。


「侍女長も捕まったわ。部下の侍女を指導して、いろいろやってたみたいよ」

「そうですか……」


 どうせそんなことだろうとは思っていた。

 怒りをぶつける相手がいなくなったのは悲しいが、良い気味ですね。

 胸のつかえが下り、久々に晴れ晴れとした気分になった。


「泳がせていた相手も捕まったということで。ここからが本題よ、アイネ。貴方に、ベリモンドから預かってた物があるの」

「え?」


 ……本題?

 姫様が、傍に置いていた封筒を手に取る。

 中から書類を取り出すと、それを私の前に置いた。

 紙に書かれた内容へ目を通す。


「姫様……これは……」


 信じがたい内容に、驚いて顔を上げる。

 嬉しそうな顔で、姫様が私を見ている。


「やっと貴方の冤罪が証明されたわ。ヴァルディア教会との繋がりは簡単に喋る癖に、貴方に罪を被せようとしたことは、なかなか認めなかったらしいけど。でも、証人がいたってことで、ようやく罪を認めたのよ。女の嫉妬って怖いわね」

「証人? ……でも、あの時は確か……」


 とても貴重な壷を割ったと私に疑いをかけられた時は、あの場に誰もいなかったはず。

 一体、誰が……。


「ちなみにその証人は、さっき私と一緒にいた黒い子の方よ。貴方がいた現場を、天井からぶら下がって見てたらしいわ」

「……は?」

「ぶっ! ちょっと、アイネ。何て顔してるのよ」

「あ、すみません!」


 思わず素になった私の顔を見て、姫様が噴き出した。

 姫様にケラケラと笑われて、思わず赤面してしまう。

 でも、天井って……。


「フフフ。まあ、驚くのも無理ないわよね。私もアレを初めて見た時は、口が開きっぱなしだったわ。まさか、人が天井を歩いてるとは思わないから、アレは見逃すわよねー。サクラ聖教国の忍者って、ホントすごいのね」

「忍者……」


 姫様の言葉に、うちの奴隷仲間である猫族の顔が脳裏に浮かぶ。

 アクゥアが、天井からぶら下がってるのを初めて見た時は、私も思わず悲鳴を上げてしまいましたよね。

 返事は聞こえるのに本人は部屋にいなくて、なぜか声が上からすると思ったら、アクゥアが上から見下ろしているんですもの。

 アレは心臓に悪いですわ。

 

「もともとは、ヴァルディア教会との繋がりを疑っていた、侍女長を監視してたんだけど、貴方が事件に巻き込まれた時に、その一部始終をたまたま見てたらしいわ。後で、礼を言っておきなさい」

「えっと……はい……」

「ヴァルディア教会も、裏でいろいろとやってたみたいだけど、うちの宰相の方が一枚上手だったみたいね。何年も前から、サクラ聖教国と密かにやり取りをして、場内に侵入した鼠を優秀な猫に監視してもらっていたんですって」

「はぁ……」

 

 驚きの内容の連続に少々頭がついていかず、また素で返事をしてしまった。

 姫様が姿勢を正すと、真剣な表情になる。

 

「貴方には、謝っておかないといけないわね。宰相の独断によるものとはいえ、相手を泳がす為に貴方の冤罪をすぐに証明しなかった。今日まで奴隷と言う身分に落とされて、とても苦労させてしまったわ。宰相に代わって、私から謝罪させてもらうわ。本当にごめんなさい」

「ひ、姫様! いけません! 私のような下々に、頭を下げては!」

 

 深々と頭を下げる姫様の傍に駆け寄る。

 貴族どころか、今の私は奴隷の身分。

 こんな所を、誰かに見られては……。

 

「アイネ、ここは謁見の場ではないわ。それに、今は私と2人きり。私はね、貴方に友人として謝りたいの」

「姫様……」

「アイネ、許してもらえる?」

「勿論です。私は姫様に感謝はしても、恨む様なことは一度もありませんでした」


 あの時も、すぐに証拠の出せない私を、最後までかばってくれたのは姫様だった。

 今日まで、そのことで心を痛めてたのが分かるだけに、責めることなどできるはずがない。

 

「よかったわ。アイネに許して貰えなかったら、どうしようかと思って……。まったく、ベリモンドも頭が良いんだから、もっと上手くやって欲しいわよね。『芯の強いアイネスなら、奴隷に落ちても上手くやるだろうと思ってたから』とか。なによそれ。だからって、ちょっと酷いと思わない!」

「えっと、まあ、そうですね……」


 自分のことのように、姫様が怒った表情を見せて私に詰め寄る。

 姫様、素が……。


「一応は、奴隷商人には口添えをして、アイネが酷い目に遭わないようにしてたらしいけど」


 姫様が口を尖らせて、ブツブツと文句を言う。

 ……あっ。

 もしかして、ホーキンズが奴隷の私に対して、えらく腰が低かったのも、ベリモンド宰相が裏で手を回してたから?

 

「友人を助けられなかったのも、私が自分勝手で勉学を疎かにしたからとか言われてね。これをやれば、アイネの冤罪が証明できるかもってベリモンドに言われて、いろいろやらされたわ!」


 どうやら姫様も私も、ベリモンド宰相に一杯喰わされたようですね。

 しばらく見ない間に姫様の雰囲気が、女性らしくなったのも、真面目に教育を受けた成果なのでしょうか?


「さあ、アイネ。この紙に、貴方の名前を署名して。後は、ご主人様の了解が取れれば、貴方は晴れて奴隷から平民に戻れるわ。今回は、冤罪ということだから、奴隷だった過去も一切なくなるから安心して。アイネのご主人様との交渉は、少し厄介みたいだけど……」

「……」


 姫様に渡された紙を見つめる。

 これに署名すれば、私は奴隷から解放される。

 やっと平民に戻れる。

 

「1億という途方もない金額をつければ、どうせ誰も買い手が付かないと思ったら、サクラ聖教国の偉い人に1億セシリルを支払うと言われて、ベリモンドが困ってるらしいわ。貴方のご主人様に頼まれて、1億セシリルを用意したらしいわね。でも、友人に頼めば1億セシリルを用意できるとか、貴方のご主人様ってすごいのね。どうやって見つけてきたの?」

「……え?」

 

 署名欄に名前を書こうとしてた所で、手が止まる。

 驚いて顔を上げると、感心したような顔で見つめる姫様と目があった。

 

「サクラ聖教国の中でも、一番厄介な相手と交渉せねばならぬとか、頭抱えてあーだーこーだとか言ってたけど。まあ、そこはベリモンドに、責任持って何とかさせるから、安心なさい。さあ、アイネ、早く早く!」

「……」

 

 旦那様が。

 私の為に、1億のお金を……。

 

「……アイネ? どうしたの?」

「姫様。少し、時間を頂けないでしょうか? 今日は、急な話の連続で、冷静なことが考えられなくて……」

「はぁ……。それは別に、良いんだけど」

「一応、私の方からも、ご主人様に相談してみます」

「あっ、そうね。それは大事ね。じゃあ、そちらはアイネに任せるわ」

「はい」

 

 署名のことは保留にして、折角の機会だからと思い出話に花を咲かせる。

 久々に会えた友人と、楽しい時間を過ごした。

 姫様が真面目に勉強をしていた時には、それを見た侍女達が「姫様がおかしくなった!」と騒ぎだして、医者まで呼んで大変だったらしい。

 頬を膨らませて「失礼な話よねー」と語る姫様の話に、その時の皆が慌てふためく様子を想像して、ついには堪えきれず吹き出してしまった。


 「もう、アイネまで!」と姫様には叱られたが、本人の普段の行いを知ってるだけに、皆がそんな反応をするのは当然だと思う。

 ガヴァネスの授業中も、目を開けたまま眠るとか、無駄に器用なことをしてたお転婆姫様だけにね。

 まあ、最後はいつも白目になって、いびきをかく姫様にガヴァネスが気づいて、説教を懇々と頂いてましたけど……。

 あまりの可笑しさに思わず腹を抱えて、涙が出る程に笑ってしまった。


 いつからだろう……。

 こんなに大声で笑ったのは。

 奴隷になってから、本音で会話できる友人はいなかった。

 常に自分の感情を押し殺して、少しでも相手より有利になるよう会話をし、相手に隙を見せないように考えてばかりで、とても窮屈な生活の毎日。


 いつ以来だろう……

 誰かと一緒にいる時間が、こんなに心地良いと思ったのは。

 別れは名残惜しかったが、姫様のお陰で心に溜まっていた鬱憤も、全て吐き出すことができた。

 私を驚かそうと、姫様と悪戯を計画していたサリッシュさんに文句を少々言いつつ、感謝の礼を述べて家路に着く。


 玄関の鍵を開けて中に入ると、誰もいない静かな家が私を迎えた。

 2階へと繋がる階段を登る。

 扉の1つを開け、主のいない部屋へと入った。

 

「……」

 

 ちゃぶ台に近寄ると、座布団に腰を下ろす。

 頬杖を突きながら、何気なく書類の束をめくる。

 私の作ったヴァルディア語の読み書きを、真面目にやってるのが窺えた。

 

「悪い人ではないのよね……」


 短い期間だったが、旦那様の奴隷になってから、今までで最も濃密な時間を過ごした気がする。

 本人に言うつもりは無いが、旦那様には感謝してるし、今回は主人に凄く恵まれたと思ってる。


「好きか嫌いかと聞かれたら、別に嫌いではないんだけどねー」

 

 髪を指で弄びながら、旦那様の匂いがする部屋で、これからのことをいろいろと考える。

 最近はちょっと居心地が悪いけど、自分のやりたいことをやらせてもらえた。

 奴隷という身分ではあったが、毎日が充実していた気がする。

 

「やっぱり、私が謝るべきなのかな」

 

 今の居心地の悪いのを何とかするには、私が頭を下げるべきなのだろうか?

 1億の借金のことを皆に黙って、いろいろとやってた部分があるのは、認めるけど……。

 むー。

 アズーラに頭を下げるのが、どうにも癪に障るわね。

 

「1億か……」


 顔を上げ、天井を見つめながら呟く。

 借金を返済することしか頭になかったから、急に返さなくてもよくなったと言われてもねー。

 肩の荷が降りたと言うか、気が抜けたと言うか、張り合いがなくなったと言うか……。

 正直な話、本当に支払ってくれる人が現れるとは思わなかったしね。


「少しだけ、見直したかも」


 お人好しの誰かさんが、私の為に1億を一生懸命に工面してる姿を想像して、少し嬉しくなった。

 やっぱりサクラ聖教国の大貴族は、他の貴族とは違ったのね。

 鼻歌まじりに立ち上がると、外の天気が良かったの思い出して、窓を開ける。

 押入れの襖を開くと、旦那様の匂いが強く残った布団を取り出し、天日干しの準備を始めた。

 

 後は、旦那様の許可さえもらえば、平民には戻れる。

 でも、旦那様にはよくさせてもらった分のお礼はしたい。

 大酒飲みのアズーラと大食いのアカネを残して、ここを去るのは少し不安だしね。

 ロリンだけだと、家計が大変なことになりそうだし……。

 

 姫様の所でまた働きたいというのもあるけど、もうちょっとだけなら、ここに居ようかしら?

 アズーラ達とは溝があるけど、最悪そういう職場だと思って割り切ればね。

 この家で住み込みの仕事なら、お風呂にもまた好きなだけ入れるし。


 そうなのよねー。

 ここにいるとあの高級石鹸も使えて、お風呂にも入れるっていうのが、凄く魅力なのよねー。

 悩ましい問題ね……ん?

 

「あれ? ちょっと待って……。旦那様が、1億を、払った?」

 

 何だろう……。

 このモヤモヤした、妙に引っ掛かる感じ?

 なぜか押入れの隅に、齧りかけのラウネが転がっていて、それを手に持ちながら考える。

 

 私の借金1億セシリルを、旦那様が払ってくれたのだから、素直に喜べば……。

 目を閉じて、旦那様との会話を必死に思い出そうとする。

 

「……ああああっ!?」


 手に持っていた白いラウネを、思わず放り投げた。

 私の開けた窓から、半笑いのラウネが外へ飛んで行ったが、そんなことはどうでもいい!


 私が、旦那様の……せ、せ、性奴隷?

 どどどどど、どうしよう!?

 

「いえ、ちょっ、待って、えっと……えっと……」


 覚悟は、覚悟はもちろん、あったわよ?

 でも、でも……。

 本当に1億で、私を買う人が現れるなんて。


 だって、だって……。

 私がホーキンズに啖呵を切った時も、ちょっと困ったような顔してたから、心の中ではやっぱり無理があるかなーと、思ったりもしたけど。


 だから、だから……きっと、大丈夫だと思って……。

 でも、旦那様が、このまま私を1億で買えば……。

 

 タタミの上に広がった布団を見下ろし、よからぬ妄想が頭に広がる。

 旦那様の布団の上で、胸元のはだけた姿の私が、旦那様に優しく組み敷かれて……。

 思わず自分の身体を抱きしめた。

 

 えー……。

 えええええええ!?

 

「なにか、なにか考えないと……。いや、別に嫌とかいうそういうわけじゃなくて。旦那様は良い人だし。ここの暮らしも、気に入ってるし。恩も感じてるし。でも、それとこれとは……身体で返すと言うのは……心の準備も……」

 

 自分から言いだした事とはいえ、頭が混乱して考えが纏まらず、なかなか冷静になれない。

 髪を乱暴に掴んだり、意味もなく手櫛を繰り返したりして、部屋の中を落ち着きなく右往左往してしまう。

 

「アイネス殿、大変であります! アイネス殿! いるでありますかー!」

「!?」


 1階から聞こえるアカネの叫びに、ただならぬ雰囲気を感じて、慌てて2階から降りる。

 転びそうになりながら玄関へ到着すると、信じれない光景が目に入った。


 気を失ってるのか、ぐったりした様子のアクゥアが、アカネに背負われている。

 アカネの隣には、エルレイナが悔しそうな顔で歯を食いしばり、アクゥアの服の裾を握り締めていた。

 肝心の旦那様が、なぜか見当たらない。


「ハヤト殿が……。凶賊に、さらわれたであります!」


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