初迷宮探索(上)
異世界生活2日目
「この豚野郎!」
殺気めいたその言葉に、俺は反射的にかぶっていた布団を蹴り飛ばして上体を素早く起こした。
ドスッという鈍器が布団にめり込むような音と、「チッ」という舌打ちが背後から聞こえて、俺はおそるおそる首を後ろに回す。
そこにはメイド服を着た兎娘ことアイネスが、両手で握り締めたメイスを俺が寝ていたベッドの上に振り下ろしている所だった。
ものの見事にメイスの先が枕にめり込んでおり、俺がそのまま寝ていたら間違いなく頭がかち割られていたことが予想できる。
俺の視線に気付いたのか、アイネスが俺に向き直ってニコリと微笑む。
「おはようございます、旦那様。今日から楽しい迷宮探索ですね。朝食の準備はできてますので、起きて下さいね」
まるで何事もなかったかのように、メイスを後ろに隠してアイネスが朝の挨拶をする。
「あ、アイネス。まさか、これから朝の起こし方は、これが普通になるのか?」
俺は恐る恐るアイネスに尋ねる。
「寝起きドッキリイベントです!」と笑顔で言われたとしても、これはいくら何でもひどすぎる!
今でも心臓がバクバクいってるよ。
こんなのが毎朝続けば、心臓ショックで死んでしまいそうだ。
「迷宮に入れば、いつ何時魔物に襲われるか分かりません。旦那様は、今まで安全な所に暮らしてたからでしょうか。どうにも危機的状況を察知するのに、不慣れなように見えます。ですので、旦那様が少しでも生き永らえるように、本日より私が鍛えようと思った次第です」
な、なるほど。
たしかにそう言われると、俺にも見直す所がある気がする。
今まで戦争の無い平和な時代に生きてきたから、これから魔物のいる迷宮に潜る以上、気構えから考え直す必要があるしな。
「でも、流石にその起こし方はちょっと……」
「まずは、私が旦那様の部屋に入って殺気を出した時点で、起きることを目指してくださいね」
ニコリと微笑みながら、兎耳アイネスがさらりと恐ろしいことを言う。
いやいやいや。
人を起こしに来るのに、メイスを持って殺気を出しながらご主人様に忍び寄ってくるとか、何という殺伐とした寝起きシーン。
「ご心配なさらないで下さい。私から見て、もう大丈夫だと判断できましたら、優しく起こしてあげるようにしますので。一緒に頑張りましょう、旦那様」
おそらく、俺が呼ばれて嬉しい『旦那様』と言う言葉を使って、飴と鞭を切り分けてるのだろう。
かわいい兎人のメイドさんに毎朝起こしにきますと言われて喜ぶシーンなのに、なぜこんなにも物悲しいのだろう。
「旦那様、早く着替えて頂きたいのですが。このままですと朝食も冷めてしまいますし、迷宮にも潜らないつもりですか? 本日、何も成果が無い場合、明日から旦那様の事を『甲斐性無し』と呼ぶ事になりますが、それでも宜しいでしょうか?」
箪笥から取り出した服を広げて、早く着替えろと催促する兎耳メイド。
相変わらず台詞の端々に、さり気なく棘がしこまれてるな。
可愛らしい笑顔でさらりと言うから、一瞬聞き間違いかと錯覚してしまう。
豚野郎と呼ばれるのもキツイけど、甲斐性無しは地味に凹むな。
「それはやめてくれ、すぐに着替える。あ! ……自分で着替えれるから、アイネスは先に食堂へ行ってくれ」
俺の着替えを手伝おうとするアイネスを制止する。
すると、若干不満そうな表情を見せるが、「承知しました。食堂に先に下りてます」と言って、一礼した後に兎耳メイドは部屋を出て行った。
どうにもアイネスは、未だに俺のことをどっかの貴族か何かと勘違いしている節がある。
皆に俺は貴族じゃないと言っても、最後まで疑いの視線を向け続けてたのはアイネスだった。
昨日の風呂の件に関してもアイネスの行動にはすごく困った。
昨日は家を買ったばかりで、家の掃除と部屋の割り当てと生活用品の補充やらで、一日がつぶれてしまった。
汗もたくさんかき、ご主人様特権で一番風呂に入る権利をもらったが、脱衣所にまさかアイネスが当然のように入ってくるとは予想しなかった。
「旦那様」
「うぉお!?」
あの時、いつの間にか脱衣所に入ってきているアイネスに、思わず心臓が飛び出しそうになったくらいに驚いたのも無理はない。
「旦那様、お手伝いします」
「手伝う? 何を? いや、着替えくらい自分だけでもできるから!?」
俺は着替えすらもできない子供だと思われてるのか? さすがに、それは心外だぞ?
よくよく聞いたら、アイネスは貴族の所に奉公に出ていた頃が有り、侍女の仕事をしていたらしい。
その時は、侍女が貴族の着替えの手伝いをするのは当たり前だったらしい。
今の俺は貴族ではなくて探索者であって、そっちの扱いをしてくれと言ったら、「私は家内奴隷ですから、旦那様のお手伝いをするのは当然です」だと言う始末。
正直、普段から俺を貶す発言もあるから俺に尽くしたいのかどうしたいのかが、アイネスのキャラがさっぱり分からなくなってきた。
脱衣所で変な事に頑固なアイネスと俺の妙な攻防がしばらく続いたが、先に折れたのはアイネスの方だった。
「分かりました。私は着替える服を用意するだけで、着替えについては旦那様にお任せします。まあ、たしかに城にお勤めしてるわけではないので、今はそこまで無理にしなくても良いかもしれませんね」
若干、ムスっとした顔をしてたが、一応は引き下がってくれた。
ていうか、絶対未だに俺が貴族だと疑ってるよね?
「今は」の単語が、すごくひっかかったんだけどね。
その後、俺が風呂に入ってるにも関わらず、俺より男前な牛娘のアズーラと頭の中があいあいあーな狐娘のエルレイナが待ちきれずに、裸で突入してきたのはそれはそれで大変だったけど。
ラッキースケベは無いと油断してただけに、アレはなかなかくるもんがありましたぜ、ウッヘッヘー。
鼻の辺りから熱い何かが吹き出るところだったぜ、フヒヒヒ。
ご機嫌で風呂から出た時に、俺が出るのを待ってた女性陣に白い目で見られた時には言い訳に苦労しましたがね。
主にアイネスからの冷気を感じるほどの視線に、何も悪いことをしてないはずなのに覗きをした男みたいな気分になって、おもわず土下座しそうになりましたよ。
別に俺が一緒に入れって言ったわけじゃないからな!
ご主人様権限で、彼女達に命令した覚えはないんだからな!
何でアイネスは笑顔でメイスを構えてるのかな?
「これは教育が必要そうですね。豚野郎!」って、静かに怒り狂う兎娘には肝が冷えましたよ。
一瞬だけど、兎耳が頭から生えた角に見えてしまったじゃないか。
あれは本当にひどかったなー。
誤解を解くのにすごく苦労したよ。
嫌な事を思い出しながら着替えを済ませ、食堂に向かって2階の個室から下りていく。
食堂に入る手前の部屋で、既に起きて食事を済ませたのか、装備品を何やら点検している黒猫娘のアクゥアを目にする。
しかもわざわざ正座で。部屋が畳だからその姿はしっくりくるな。
アクゥアは目も髪も黒だし、日本語喋れるし、着物とか着せれば猫耳と尻尾つきの日本人で良いんじゃない? って思うのは俺だけかな。
『おはよう、アクゥア。それって、今日の迷宮に潜るのに使うやつ?』
『おはようございます、ハヤト様。はい、雑貨屋で安くするために中古品を買いましたので、少しでも使い易くなるように、手入れをしているところです』
真面目だなー。
中古品だからか、見た目ボロボロの皮装備を熱心に手入れするアクゥア。
しかし、その後ろに何やらアクゥアを狙う怪しい影が。
「あいあいあー!」
『キャッ! エルレイナさん、邪魔をしては駄目です!』
アクゥアに飛び掛った馬鹿狐ことエルレイナに驚きはしたものの、異国の言葉で喋りながら、流れるような動作でアクゥアがエルレイナの攻撃をかわす。
「うー、あいあいあー!」
『もう! 邪魔をしては、駄目ですよ!』
背丈が似てるから、傍目から見ると獣耳と尻尾をつけた少女達が、楽しそうにじゃれ合ってる様にしか見えんな。
何だかんだで仲が良いみたいだし、言葉が通じ合わない同士だから馬が合うのかね?
よし。ここはひとつ、俺も混ざって……。
「旦那様?」
「ヒィッ! あ、アイネス。脅かすなよ」
アイネスさん、お願いですから気配を消して背後に立たないで下さい。
私はつい昨日まで、一般人だった人間なんです。
訓練された人間ではないのですよ?
本当に、心臓に悪いよー。
「いつになったら、食堂に来て頂けるのですか? 私は日が暮れるまで、食堂で立ってればいいのですか? 豚野郎?」
うわー、笑顔で言ってるけど、旦那様から豚野郎に呼び名が変わってるぅー。
これはアイネスのご機嫌が斜めになってる証拠だ。
ここはアイネス様に、大人しく従おう。
「すまん。今行こうと思ってたところだ」
うん、本当だよ?
俺の言葉に胡散臭そうな顔をした後、アイネスが食堂に移動し始めたので、その後ろをついていく。
食堂に行くと、すでに座布団に着席した狼娘のアカネと牛娘のアズーラの姿があった。
「二人とも、おはよう」
「おはよふで、ござふぃまふ!」
「うぃー」
テーブルの上に置かれた朝食のパンを、口の中にねじ込みながら挨拶をする暴食狼娘。
それと朝が苦手なのか、気だるげに片手を上げて挨拶をする不良牛娘。
「旦那様、どうぞ」
「ありがとう」
今日の朝食は、なにやら黒いパンと野菜スープのようです。
うむ。この黒パンは、何やら口の中でパサパサするのう。
スープにつけて食わんと、飲み込めんな。
「申し訳ありません、旦那様。しばらくお金が問題無く稼げるまでは、食事の方を節約するために質を落としたものを提供することになります。昨日、貴族ではなく探索者として扱うように仰られましたので、初級探索者の稼ぎに合わせた食生活に、ご協力願います」
「了解。そればかりは仕方ないね」
そう言われると何も言えんな。
たしかに探索者として扱えとも言いましたし、しばらくは我慢でござるな。
予想はしてたが、食事に関しては元の世界の方にありがたみを感じるな。
「んぐ、おかわりであります!」
パン4つとスープをぺろりと平らげたアカネが、追加をアイネスに要求する。
「はい、どうぞ」
「朝から、よく食うよなぁ」
「腹が減っては、迷宮に潜れないであります! はむ、んぐ!」
呆れた様子のアズーラに、とりあえずは3つで充分だなと思った俺も同意する。
「アカネは少し痩せ過ぎてるので、皆より多めに食べさすことにしようと思います。旦那様、問題無いでしょうか?」
「まあ、それも仕方ないな。アカネは今後の貴重な戦力になるからな。ほれ、俺のを1個やるよ」
「今日はあんまり食欲ねぇから、俺も1つやるよ」
お? アズーラ、不良娘のくせして意外と優しいなー。
「すごいであります。戦奴隷になったら、貴重なパンを譲って頂けたであります!」
パン2個で大げさな。
奴隷商会では、本当にどんな食生活をしてたんだよ。
パンすらも食えなかったのか?
そんなんでそこまで感動するか、普通。
「戦奴隷になって、良かったであります!」
「「それはない」」
思わずアズーラとハモってしまった。
奴隷になって喜ぶ馬鹿がいるか。
朝食も食べ終え、皆を交えて迷宮に潜るための準備をする。
「アイネス。正直な話、男の俺が巫女服を着るって言うのも……」
若干、憂鬱な気分になりながらも、アイネスから渡された巫女服の装備に着替える。
「旦那様は、何やら勘違いなさっているようですが、一応、説明をさせて頂きますね。巫女服を着せているのは嫌がらせという理由だけではなく、きちんとした理由もあります」
おい。
今、嫌がらせって言ったな。
聞き逃さなかったぞ。
やっぱり嫌がらせの意味も含めてるんだな?
「続けて」
「はい」
俺は不満そうな顔を前面に出しながら、アイネスに先を促す。
「今の我々のパーティーは、旦那様以外は女性という特殊な状況になっています。例えば、他のパーティーに1人の男性が5人の美女を侍らかしているの見かけたら、旦那様はどう思いますか? しかも、女性すべてが首輪をつけた奴隷だった場合」
「うらやましいなと思う」
むしろ、脳内でリア充は爆発しろ! って大声で叫ぶだろうね。
「そうですね。迷宮に潜る人達の大抵が男性のむさ苦しいパーティーが多いので、そのような光景を見たら嫉妬するのはあたりまえですね。嫉妬するだけならまだ良いです。例えばその女性奴隷達のご主人様が、見るからにひょろそうな人間だった場合、腕に自信があり邪まな考えを持つ男達は、どういった行動を取るでしょうね」
そう言われた瞬間、サーッと顔の血の気が引くのを感じた。
「もしかして、今の俺達って迷宮に潜るのはかなり危ない状況?」
「しかも、レベルの低い未成人のパーティーですからね。いろいろと都合が良いでしょうね」
ニコリと微笑んで何とも無いようにアイネスは言うが、いや、結構危険な状況でしょ?
「そういった意味では、早急に全体的なレベルを上げる必要がありますね。それと、その間の時間稼ぎの為にも、旦那様には巫女服を着て頂く必要があります」
「つまり?」
「か弱い女性の巫女が自分の身を守るために、女性の奴隷達を買って身を固めているという方が説得力があり、いらぬ厄介事をひきつける可能性を減らせます。私達もあえて奴隷の首輪を見せ付ける事で、命がけで巫女を守ろうとしている意思を主張できます。さすがにそのような輩にいらぬ怪我をしてまで、手をだそうとする馬鹿はいないでしょう」
なるほど。
なかなか説得力のある話である。
皆の身を守る為にも、俺が巫女服を着ないといけないような気がしてきた。
「それに、我がパーティーにはアズーラもいます。女性とは言え、力自慢を得意とする牛人が戦奴隷となると、やはり警戒の対象になります」
「さすがアズーラだな」
そう言って俺は、牛人のアズーラに視線を移した瞬間、固まってしまう。
「とは言え、アズーラもまだまだ低レベル。蓋をあけてみれば、最強と言うにはまだ無理がある状態です。そのために、用意したのがコレです!」
アイネスが自信満々な態度で、アズーラの装備を指差す。
な、なるほど……。
ものの見事に、「ヒャッハー! 魔物は撲殺だー!」な装備である。
肩から凶悪な棘が沢山出ているぞ。
貴様はどこの世紀末伝説から降臨した、不良戦士かね?
「俺の名を言ってみろ!」とか喋らせてみたら、おもしろそうだな。
でも、さすがにその装備で抱きしめられるのは勘弁願いたいな。
「俺は、誰と戦えば良いんだ?」
アズーラが困惑した顔で、そう呟きたくもなるのも分かる気がする。
これはどう見ても対魔物用と言うよりは、対痴漢撃退用だろ?
装備を外したら、胸に7つの傷とかついてたりしないよな?
「例の雑貨屋の店長からお借りした装備です。購入する程、欲しい装備ではありませんが、これだけ派手でいかつい装備であれば問題ないでしょう。当分はこれで、中身が張りぼてでも周りの牽制にはなりますね」
なかなか動きにくそうな装備だけど、アズーラ、俺達の為に頑張ってくれ!
見た目は完璧な用心棒がパーティーに参加したので、迷宮に潜るのは問題なさそうだな。
朝をそんな感じで終えつつ、装備を整えた後、いよいよ迷宮に潜ることになった。
しかし、家から迷宮への移動中もアイネスの俺に対するダメだしは続く。
「そもそも、奴隷とは決して安くない買い物です。奴隷達の食生活の面倒もみないといけないですし、予備知識も無しにいきなり最初から5人も買うとか、頭がおかしいとしか言えませんね」
はい、ごめんなさい。
頭のおかしい人です。
でも、異世界に飛ばされたばっかりだし、いきなりどんな危険もあるか分からないから、奴隷を買うって発想は悪くないと思うんだけどなー。
それに戦奴隷って言う、いかにも強そうな響きの人達を選んだし。
俺を守ってくれて、迷宮にも潜れるという、一石二鳥な選択ではないですかね?
信用できる人を金で買うのには、少し抵抗があったけど。
雇った人達が全員女性になってしまったのは、完全に予定外でしたが……。
「普通の探索者であれば、まずは己の装備を充実させて、金銭的にも装備的にもレベル的にも余裕ができてきた頃に、奴隷を買ったりするものです。どっかの頭の悪い馬鹿猿さんは、その辺は何も考えず、ただ自分の身を守ってほしいという短絡的な理由だけで、即奴隷を購入したようですしね。悪知恵のある奴隷だと、今頃どんな目にあってたでしょうかね?」
ウッキッキー。
僕、馬鹿猿です。
はい、ごめんなさい。
睨まないで下さい。
今はかなり反省してます。
アイネス様の仰るとおりです。
「現状を、理解して頂けましたか?」
「はい、ものすごく」
その後もネチネチと耳が痛くなるような、アイネス様の説教を受け続けたが、俺に非がある所が多いためにこればかりは素直に聞くしかない。
しかし、奴隷に説教されるご主人様とか本当に威厳も何もないな。
猿芸人の如く、反省のポーズでもとっておこうか?
いや、やめておこう。
余計なことをしてたら、またアイネスの逆鱗に触れそうだ。
「これから迷宮に潜りますので、迷宮についていくつか話をしておきましょう。旦那様は、迷宮についてどのくらい知ってるのですか?」
「全然、知らん」
呆れるな、呆れるな。
本当のことだから。
俺は昨日、異世界から来たばかりの異世界人だから。
「一応は雑貨屋の店長に、街の中に迷宮があるっていう話は聞いてる。あと、それを国が管理しているってことも」
「本当に、最低限の知識ですね」
アイネスが溜息を吐く。
急に歩みを止めると、目を閉じて考え込むような仕草をとる。
アイネスと会話してて気付いたのだが、これはアイネスが俺に長い説明をする時にする癖だ。
お馬鹿な俺に分かり易く説明するために、たぶん頭の中で整理してるんだと思う。
思ったんだが、アイネスって毒は吐くけど面倒見はすごくいい気がする。
お金が入ったギルドカードを奪われたりしたが、6人の大所帯を面倒見るためには、誰かがお金を管理しないといけないから、家内奴隷も兼任しているアイネスが持つのは別段おかしくはない。
俺がギルドカードを持ってると、後先考えずに使っちゃうしね。
激痩せ狼娘のアカネに関しても、あのガリガリから普通の体系に戻るまでは、食事を大目に出そうとしてたし、アクゥアの言葉についてもサクラ聖教国の本を取り寄せて何とかしてみると言ってたし、「あいあいあー!」のエルレイナについては先が見えなくて、かなり深刻そうな表情になってたけど……。
基本的に足手まといがいても、それをいきなり切り捨てるんじゃなくて、それをどうやって上手く使うかを常に考えてる気がする。
文句を言いながらも、なんだかんだで俺に丁寧な説明をしてくれる辺りが、それっぽいよね。
吐く毒がきついし、二人きりになってもデレないから、属性的にはツンデレというよりはツンドラな気がするけどね。
でも、学校で集団行動とかすれば個人個人に目が行き届いて、面倒見が良い素敵なリーダーになれそうな気がする。
まあ、本当はそれって俺の役目なんだけどね。
お? 目を開けた。
どうやらアイネス講義が始まるようです。
今回のテーマは、迷宮かな?
「ちなみに旦那様は、なぜ国が積極的に迷宮を管理しようとしているのか、ご存知ですか?」
「知らんな。魔物から金になる素材が取れるから?」
「それもありますが、一番の理由が外にいる魔物を減らしてくれるからです」
「どういうこと?」
アイネスが道端に落ちていた木の棒を拾い、地面にガリガリと図を描く。
「例えばこれを街として、ここに迷宮の入口があったとします。ここを入口として、地下に蟻の巣のように、道ができていると思って下さい」
街と見立てた円を書いた図の中に、ポツンと迷宮の点があり、そこから外に向かって網目のような線が数本追加される。
「迷宮に入るための入り口は街の中にもありますが、実は街の外にも複数あるのです」
「え? なぜに?」
「まあ、待って下さい。ちゃんと説明します。迷宮というのは生き物に近いです」
アイネスが円の外に複数の大きな点を描き、それが街から出た線に繋がる。
「迷宮は、侵入してきた生き物を食べます」
「怖っ!? それって俺達が入って大丈夫なのか?」
「大丈夫です。迷宮自体が生き物を捕食するわけでは無いのです。正確には、迷宮の中で死んだ死骸を食べます。外で死んだ動物の死肉や体液が、土に吸収されるのを想像してみて下さい。そのようなものです」
なるほど。
俺達を捕食しないのなら大丈夫だな。
「迷宮は、街の外の入り口から魔物を呼び込むために、餌となる魔物を産みます。迷宮の中に卵ができて、その中から餌用の魔物が出てきます。お腹を空かした魔物達はそれを求めて迷宮に潜り、迷宮内で死んだ魔物を迷宮が食べるのです」
「なるほど。でも、餌用になる魔物ってことは弱いんだろ? 餌もあって餓死する必要もなければ、魔物の死体はなかなか迷宮にできないんじゃないの? あっ! でも、魔物同士が餌の取り合いで喧嘩した場合に、その死体を吸収するってのもありか?」
「おっしゃるとおりです。でも、魔物の死体を食べるのに、更に効率の良い存在がいます」
ふふん。
さすがに、頭の良くない俺でも話が見えてきたぜ。
「俺達、探索者だな」
「そうです。さすがに、それには気付きましたか。すぐに答えれない場合は、メイスで殴ろうかと思いましたが、及第点です」
おい!
さりげなく罰ゲームを仕込むな。
アイネスの講義は、聞く方はおちおち油断できんな。
「我々探索者が、レベルを上げるための経験値を稼ぐために、魔物を倒すことによって、その死骸を迷宮が吸収するのです。また、迷宮を潜る時に探索者が必須とする物があります。コレです。魔吸石です」
そう言って、アイネスが腕につけた腕輪についてる石を指差す。
昨日、皆とのパーティー申請の為に探索者ギルドへ寄った時に、アイネスが受付の人からもらったやつだな。
自分の腕にも着けられた腕輪に目を移す。
「これは迷宮に潜る時に、探索者ギルドから無料で貸し出してくれる物です。魔物を倒した時に放たれる魔素を、吸収してくれる特殊な魔道具です。迷宮から帰ってきた時に、これを探索者ギルドの受付に渡すと、溜まった魔素分のお金をもらえます」
「へー。俺たちにとっては貴重な収入源ってやつだな。ちなみに探索者ギルドは、それを買い取ってどうするんだ?」
「錬金術師や魔道具を作る職人に、売ります」
「なるほどね」
いろいろなことが迷宮を中心に、循環してるわけね。
外でウロウロしてる魔物達が迷宮に入るから、外の危険も少なくなると。
国が迷宮を管理しようとするわけだ。
「1つ質問。街の外に入口ができるって言ってたけど、街道とかの近くに入口ができたりすると危険じゃないの?」
「確かに、入り口が人の往来する道の近くにできる場合もあります。そのような場合はすぐに入口を埋めます」
「えっ? 埋めるの?」
「はい。その場合、迷宮は別の入口を違う場所に作りますので、埋めても問題ありません」
なんか本当に生き物みたいだな。
街道から離れた所に入口さえ作らしとけば、街道の警備はあまり人を割かなくてすむよな。
よくできてるな。
「さて、お喋りをしている間に目的の入口についたようですね。今日から、この初級者用迷宮であるキルリナ・イルザリス迷宮を攻略します」
アイネスといろいろ駄弁りながら歩いてるうちに、目的地についたようである。
石造りの祠がありますな。
人が入れそうなくらいの大きさはあるみたいだけど、あれが入口かい?
頑丈そうな柵で囲まれた入口の前に、いかにも騎士ですと言った感じの全身鎧を着た人達が立ってますな。
「あの人達は?」
「彼らは、国から派遣された迷宮騎士団です」
入口の近くにあるテントに、人が入ったり出たりしとりますね。
「先に受付に行きましょう」
アイネスに促されて、俺達もテントの中に入っていく。
中に入ると、騎士鎧を着た女性が机の上に書類を広げ、何やら紙に記入している。
「探索者か? ギルドカードを」
「こちらです」
アイネスが、胸の谷間から取り出したギルドカードを女性騎士に渡す。
俺もいつかその胸の中に手を突っ込んで、ギルドカードを取り出すのが夢であります!
「……ッ!?」
馬鹿なことを考えてたら、アイネスに勢いよく足を踏まれた。
ぬぐぐ、なぜ俺の考えてることがバレたし。
「ハヤト? ミコ?」
ギルドカードに登録された情報に目を通していた女性騎士が、俺の名を呼んだところで視線が俺に移る。
涙目の俺を、女性騎士が訝しげな様子で見つめる。
じーっと俺を見た後、周りにいる女性達にも視線を移す。
しばらく何かを考えるような仕草をした後、「あー、そういうことか」と言ってアイネスにギルドカードを返し、書類に何やら書き始める。
これは俺達の名前か?
「最近、迷宮内を荒らす者や、初心者の探索者を狙う山賊が出たりといろいろ物騒だ。警備の者が迷宮内を巡回しているとはいえ、油断は禁物。君達のような……お嬢さんばかりのパーティーは、特にな」
口の端を吊り上げて意味深な笑みを俺に向けた後、女性騎士が机の上にある小箱の中から何かを取り出す。
「これは緊急用の転移石だ。場所は、この受付所の近くにある召喚陣を指定してある。万が一の場合は、その石に魔力を流せばパーティー全員を転移してくれる。特に何もなければ、迷宮から出る時にそれを受付に返しに来るように」
女性騎士から渡された蒼いペンダントのような物をアイネスが受け取り、首にかける。
チラっと見たが、装飾品に不思議な文様が描かれていた。
「もう行っても良いぞ」
女性騎士に退出を促されたので、テントの外に出る。
「あれは俺が男だってバレてるな」
「ギルドカードのパーティー情報を見てるので当然でしょう。ただ、こちらの思惑も理解してるので、特に突っ込んだ話をしてこなかっただけでしょうね」
「優秀な騎士さんなんだな」
君は何で女装をしてるの? 趣味なの? 変態なの? 馬鹿なの? 死ぬの?
とか言われた日には、何て言い訳しようかと思ってたが理解のある人で良かったわー。
「もしかしたら、女装癖のある変態かと思われてるかもしれませんけどね」
ひどい!
考えないようにしてたのに、あえて口に出すとわ。
意地の悪い笑みを浮かべてやがりますよ。
この腹黒兎め!
「お嬢さん、ププププー」
アズーラ。
そこは分かってても笑わない。