サクラ聖教国<狼>
「あー、やっと終わったー!」
ルイネスの嬉しそうな声に目を移すと、万歳するように両腕を上げたのか、書類の山の上から手が見えた。
「お疲れ様です」
隣で作業をしていたセレイム大隊長が腰を上げると、ルイネスを労うように声を掛け、机の上に大きな鉄の箱をのせる。
執務机の上を占領していた山から紙の束を持ち上げ、鉄箱の中に書類を移動し始めた。
凝った肩をほぐすように腕を回しながら、オーズガルド第13騎士団の団長であるルイネスが、こっちへやって来る。
「悪いわねー、エンジェ。待たせちゃって。うちの大隊長が、今日中に終わらせろってうるさくてねー」
「期限が決まってるのですから、それまでに終わらすのは当然です」
第1大隊長であるセレイム=ファルシリアンがこちらに顔を向けると、心外だとばかりにルイネスを睨む。
「私は大して待ってませんよ。約束の時間より早く来たのは、私の方ですしね」
そのやり取りに申し訳なく思いながら、『日本茶』と書かれた湯のみに、急須からお茶を入れる。
ルイネスが長椅子に腰を下ろし、湯のみを手にとって口へ運んだ。
「はぁー。やっぱり、エンジェの淹れたお茶は美味しいねー」
「まるで私が入れたら、不味いみたいな言い方ですね」
「そんなこと言ってないわよー。レイムのも、充分美味しいわよ。でも、本家の冥土が淹れたお茶となるとねー?」
「確かに、それは私に分が悪そうですね」
神経質なまでに、綺麗に切り揃えた金色の髪を手でかきあげると、目を細めてこちらを横目でチラリと見る。
セレイム大隊長は、普段から鋭い瞳で相手を観察する癖があるとルイネスに聞かされてるので、あまり私は気にしてないが、人によっては怒って睨んでるようにも見えるだろう。
積み上げられて塔のようになった書類の山を、セレイム大隊長が軽々と持ち上げた。
アレを持てたとしても、普通の人だったら間違いなく腰を痛めるでしょうね。
ルイネスは「腕の力だけで持てば、腰なんて痛めないわよ?」と言うが、その言い回しができるのは、流石ファルシリアン家の女性騎士だと思う。
「開けますね」
「ありがとうございます」
私が扉を開けると、セレイム大隊長が頭を軽く下げた。
「この書類を置いて来るついでに、副団長とツアング大隊長も呼んできますね」
「よろしく~」
手を振ってるつもりなのか、ルイネスが金色の狼耳を器用に動かす。
私も席に着くと、応接机に置いてある湯呑を手に取った。
「さっきから気になってたのですが、随分とその……思いきった髪の切り方をしてるのですね?」
「あー、これでしょ? 昨日ね、自分でハサミを持ってきて、髪を適当に切っちゃったのよ。雑に切り過ぎだって、レイムにも怒られたんだけどねー。店へ切りに行く暇もなくてねー」
「忙しそうですね」
「そうねー。まあ、レイムには自業自得だって言われてるんだけどねー。だってしょうがないわよね。美味しい御飯がいっぱい食べれるくらい、お給料が沢山貰える仕事って聞いたら、私に飛びつくなって方が無理あるのよ」
「貴方の性格らしいですね」
不満そうに頬を膨らましたルイネスを見て、思わず笑みが漏れてしまう。
「それに、モモイ様との約束もあるしね……」
「え?」
「なんでもないわ。それはそうと、エンジェも珍しいわよね。シズニア様の子守りが忙しくて、国を出れないんじゃなかったの? 最近、毎日のようにカリアズの稽古をつけに、街に顔を出してるって聞いてるけど?」
「ええ、まあ。最近、暇を貰いまして、折角なのでカリアにも稽古をつけてあげようと思いましてね」
「ふーん。そうなんだー」
ファルシリアン家には珍しく、青い瞳を持つルイネスが目を細めて私を見てくる。
まあ、今日の件も含めてここまで露骨に私が動いていると、いろいろと疑われるのは仕方ないですよね。
「サクラ聖教国も最近何かと騒がしいみたいだし、それと関係してるのかな? そう言えば、サクラザカ聖教会の教皇が決まったから、モモイ様からそのうち招待するって聞いたんだけど、新しい教会が設立したって話を聞いてから随分決まるの早かったねー。いろんな国を跨った候補者がいっぱいいたはずだけど、よくこんな短期間で決まったわよね?」
「評議会が、とても頑張ってくれましたから」
「へー。昔エンジェに聞いた時は、頭は確かに良いけど、無駄に賢くて細かいことをネチネチと指摘して、なかなか新しい法案が通らないことが多いって、聞いた覚えがあるんだけど。随分、評議会は変わったんだねー」
「ええ。確かに、随分変わりましたね」
「……」
「……」
笑みを交し合ったまま、長い無言の時が過ぎる。
「お互いに、偉くなるって大変だよねー」
「それには同意します。余計なことを口走ると、外交問題だ機密情報の漏洩だと騒ぐ人が多くて困ります」
「すまんな、遅くなって……ん? 取り込み中か?」
「ううん。エンジェとお茶してただけだよ。ねー」
「はい、その通りです」
執務室の扉を開けたサリッシュが眉根を寄せるが、すぐに表情を変えて気にした様子もなく部屋に入って来る。
その後しばらくして、セレイム大隊長達も執務室に顔を出した。
「さ~て、皆揃った所だし、ちょっと私の昔話をしちゃおうかなー」
「……? サリッシュ、カリアはどうしたのですか?」
「ん? ああ。カリアズにも声をかけたが、『たぶん寝るからやめとく』だとさ。昼寝をしてサボリそうな雰囲気があったから、尻を蹴り上げて見回りに行かせた」
「それは、ご苦労様です」
あの子も相変わらずですね。
昨日も厳しく深夜まで特訓に付き合ってあげたから、寝不足なのは間違いないでしょうし、確かにサボって昼寝をしてそうですね。
視界の端で、ツアング大隊長が苦笑いをしてるのが見えた。
長身のツアング大隊長とセレイム大隊長は、横に並ぶと相変わらず圧倒されるものがありますね。
蒼狼の一族の血が濃く出てるルイネスは、あまり背が伸びなかったらしく私と似たような身長だが、ファルシリアン家は男女関係なく身体が大きい者が多い。
やはり食べる量が、身体の大きさに比例するのでしょうか?
執務机に戻ったルイネスが席に着くと、湯呑のお茶をゆっくりと飲み干した。
「あー、お茶が美味しい。ふー……。どこから話そうかしら?」
「では、アドルとの馴れ初めからで」
「……」
ルイネスの額に皺が寄り、鋭く細くなった瞳が発言者を捉えた。
セレイム大隊長の一言で、室内が一気に張り詰めた空気に変わる。
いきなり核心をついたことを言えるのは、ルイネスの従妹とはいえ凄いですね。
ルイネスの右目が赤くなり始めてることからして、思わず怒りを覚えるくらいに嫌いな話題なのは、間違いないのだろう。
「……」
目を瞑って椅子に深く腰掛けると、しばしの無言を貫く。
肩を落として息を吐くと、再び開かれた右目はいつもの青い瞳へと戻っていた。
「アドルと最初に話したのは、彼が迷宮騎士団に入団した時だったわね。父にも紹介されたけど、最初はよくいるファルシリアン家の男性くらいの印象だったかしらね」
執務机に肘を置くと頬杖を突き、不機嫌そうな顔で口を開く。
当時のアドルの印象をルイネスが話すが、あまり強い印象はもってなかったようだ。
「あの頃の私は、自分の武術の才能がどこまでいけるか、それだけにしか興味がなかったからね」
「お嬢が、お転婆姫と言われてた頃の話か?」
「そうよ。サリッシュと同じで、下手に若いうちに『夜叉の血』に目覚めちゃったもんだからねー。『豪腕の血』の合わせ技で、もう強くなることしか頭になかったわ」
ルイネスもサリッシュと同じく、10歳の時に『夜叉の血』が目覚めたという話でしたよね。
成人する前に獣戦士から騎士に転職して、優秀な家臣と一緒に、中級者迷宮へ潜っていたと聞いた記憶がある。
武家の貴族ともなると、才能がある子供であれば、家臣と一緒に迷宮へ潜るのが普通ですしね。
「14の時だったわ……」
ルイネスが眉間にしわを寄せると、険しい表情を見せる。
「魔が差してしまったのね……。上級者迷宮に入れる転移門の鍵を、偶然手に入れることができた私は、お供を連れずに軽い気持ちで中に入ってしまったの」
「偶然手に入れたのではなく、迷宮騎士団が管理してた部屋に忍び込んで、盗んだと私は聞いてますが?」
「だから、魔が差したって言ってるでしょ?」
訂正するように口を挟んだセレイム大隊長を、ルイネスが睨む。
「15歳の誕生日会を間近に控えて、皆を少し驚かしてやろうというつもりもあったわ。でも、天罰が降ったのかしらね。私が訪れた場所には、なぜかどこにも魔物がおらず、恐ろしいくらいに静かな場所だったわ。魔物がいない原因に気づいた時には、全てが遅かった。獲物の匂いに気づいたアイツが、目覚めてしまったの」
「アイツ?」
「土竜の成体よ。正確には、幼体から成体になろうとして、鋼繭から顔を出した土竜ね」
ルイネスの話に、全員が目に見えて嫌な顔をした。
おそらく皆が、その状況を想像してしまったのだろう。
成体となった土竜は、『土の中を泳ぐ竜』と呼ばれるくらいに、強靭な竜鱗を活かして土壁を削りながら迷宮内を走り回る。
それ故に、土竜の成体と迷宮内で会うのは危険だとされているが、実は真に危険なのは成熟した成体ではない。
本当に危険なのは、幼体から成体へと変わる正にその瞬間。
土竜は成体になる際に、鋼蜘蛛から飲み干した体液を吐き出して、鋼繭と呼ばれる鋼黒鉄をも超える強固な殻を作り出す。
そして、そこから今度は自らの力で、何日もかけて鋼繭を内側から破壊しようとする。
成体になるための儀式と言われているが、鋼繭から出るまでに体力を異常に使うため、そこからでてきた土竜はとても腹を減らしており、成熟した成体以上に強暴な竜となっている。
魔物図鑑を読んだ際の記憶を掘り起こし、その場に自分がいた場合を想定して、私も思わず露骨に嫌な表情を顔に出してしまった。
「鋼繭から顔を出した巨大な顔と目が合った瞬間、私は不覚にも足がすくんでしまったの。今まで当てられたことのない強烈な殺気に、今の私にはアレに勝てないと、本能的に悟ったのね。土竜の大きな口が迫って来るを、呆然と見つめていたわ……。それでね、その後の記憶がないの」
「記憶がない?」
「そうなの。たぶん、記憶を自ら封印してしまったのね。気づいたら、アドルに担がれて転移門へ向かっていたわ」
記憶を封印?
どういうことでしょうか?
「助かった、ということですか?」
「ええ、助かったわよ……」
私の問いかけにルイネスが頷く。
しかし、その表情はとても暗い。
「アドルはね、鍵がなくなっていることに気づいた者に教えられて、慌てて私がいた所にやって来たらしいわ。転移門に行くまでの道中を、私を担いで逃げるのに苦労したって話を聞かされてね。申し訳ない気持ちでいっぱいになった私は、何も言えなかったの」
「よく逃げ切ったものだな」
「本当よね。でもね、私が記憶を失くしたいくらいにつらい現実は、その後に訪れた……」
アドルが『豪隻腕』と呼ばれるようになった逸話は、サクラ聖教国でも有名な話だ。
そして、左腕を失くした理由も……。
「転移門に到着した時にね、アドルがなぜか私を地面に降ろしたの。私も馬鹿よね……。私を担いでた右腕で、鍵を嵌めようとするアドルに、なんで左腕を使わないの? って尋ねたのよ」
「……」
ルイネスが苦笑すると、しばしの沈黙の間が訪れる。
その話の結末が予想できても、あえて口を挟む者はいない。
「私の問い掛けに、アドルが困ったような顔で言ったの。『お嬢、すまん……左腕は、失くしちまった』ってね。全てを悟った瞬間、私の記憶がまた飛んで、私は寝室で目が覚めたの。まるで悪夢から覚めたように、ひどい寝汗を体中にまとってね……。それが夢だったら、どんなに良かったかと思ったわ」
記憶を封印したくなる気持ちも分かりますね。
若気の至りとは言え、ルイネスは己の過失で、ファルシリアン家の者にとって、とても大切な腕をなくさせてしまった。
他者から聞けば英雄譚の1つとして語られるが、救われた本人からすれば忘れたい過去なのだろう。
ルイネスの性格から考ると、そのことを思い出す度に、強い怒りを己に覚えるのかもしれない。
「でも、現実は非情だった……。父に尋ねて行った先には、やっぱり左腕をなくしたアドルが、私を迎えてくれたわ。彼ね、私を見て何と言ったと思う?」
「……分かりませんね」
「『お嬢、夜叉の血に目覚めたぞ!』て、嬉しそうな顔で私に言うのよ。信じられないでしょ?」
ルイネスが笑みを浮かべるが、その表情からは痛々しさしか感じない。
「『お前のせいで、俺は大切な腕を失った』と罵られる覚悟で行ったのに、アドルは私を右腕で抱き上げて、子供のようにはしゃぐのよ。私に気を遣って、そう演じてるのかと最初は思ってたけど、彼って昔からそんな感じだったみたいね」
その光景を、思い出しているのだろうか。
どこか遠くを見るような目で、ルイネスがその時の記憶を淡々と告げていく。
「一目惚れをしたのは、その時じゃないかしら? どんな苦境を前にしても、決して立ち止まらない。真っ直ぐ前だけを見る、彼の意思の強さに……」
恋する乙女のように、はにかむような表情をルイネスが見せる。
だがそれは一瞬だけ見せた表情で、すぐにいつもの表情に戻ってしまった。
「馴れ初めと言われて思い出すのは、その話くらいね……。これで満足、エンジェ?」
「……」
確かに今日ここへ来た目的は、ルイネスの昔話を聞くためである。
しかし、私が本当に聞きたい話はそれではない。
「大変興味深い話でした。ですが、私がルイネスに聞きたかった話は、それではありません」
「ふーん。じゃあ、何かしら?」
「ルイネス……。カネリアという名を、ご存知ですか?」
「……」
ルイネスが静かに目を閉じる。
過去の記憶を手繰り寄せてるのかと思ったが、大きな間違いだった。
私の視界が赤く染まり出すと同時に、ルイネスが再び両瞼を開く。
「ねぇ、エンジェ……。その名前は、どこで聞いたのかしら? 父にも、言った記憶はないんだけど」
どうやらルイネスも、よく知ってる名前のようですね。
それこそ土竜の成体がいる部屋に放り込まれたと錯覚するような状況で、サリッシュを除いた2人が後ずさる音が耳に入った。
執務机に両肘を置くと両手で頬杖を突いて、可愛らしい笑顔を作ったルイネスが、血のように紅い両目で私を見ている。
2つ名に相応しい『紅騎士』の顔を覗かせたルイネスが、優しい口調で尋ねてきた。
ルイネスの魔力に反応してるのか、部屋の隅に飾られている『竜殺し』の異名を持つ彼女専用の特大剣が、不気味な音を出しながら震えている。
私の『夜叉の血』が、無意識に反応する程の殺気を当てられたのは、『紅の騎士団』として初めて顔合わせをして以来ですかね?
「ルイネス。昔話を聞かせて頂くための条件を、忘れたのですか? こちらは、アドルの墓を見つけました。その時に、同じ墓に埋葬された者の名が、カネリアでした」
「今回の話を、私にわざわざ聞きに来たのは、サクラ聖教国の意思かしら? それとも、貴方の個人的な趣味? お互い、触れて欲しくない過去には、干渉しない約束じゃなかったかしら?」
どうやらルイネスがここまで怒ってる理由は、昔の約束を破ったと誤解されているからのようだ。
彼女の誤解を否定する為に、首を左右に振った。
「どちらでもありませんよ、ルイネス。モモイ様から、直接本人に聞くよう言われただけです。文句があるようでしたら、後でお師匠様にその旨を、一言一句正確に伝えますが、どうしますか?」
「……」
私が満面の笑みを作ってルイネスに尋ねると、室内に充満していた殺気が嘘のように消える。
目の前には、両目を青い瞳に戻したルイネスが、両頬を目一杯に膨らませてこちらを睨んでいる。
『夜叉の血』を完全解放された時に比べれば、遥かに可愛らしい怒った意思表示ですね。
「モモイ様の名を出すのは、ずるくないかしら?」
「『尋ねるのは今回きりにするし、どうしても正確な情報が欲しいから、教えろ』、だそうですよ?」
「……」
そんな顔で見ないで下さい。
気持ちはすごく分かりますよ。
お互いに、あの御方にだけは逆らうことができませんからね。
「初恋は上手くいかないってよく聞くけど、本当よねー」
頬杖を突いたルイネスが、どこか不貞腐れたように呟く。
「モモイ様絡みなら、どうせある程度の情報は集めきってると思うけど……。私の婚約が破棄になった原因が、蒼狼の一族のカネリアよ」
「差し出がましいことを聞きますが、どのような経緯で別れたのですか?」
「はぁー。簡単に言うと、アドルがカネリアに一目惚れして、私がフラレたのよ。今になって思うと、あの時のアドルには、私以上に彼女の中に眠る才能に、一目見て気づいたんじゃないかしらね?」
「『夜叉の血』が、完全解放できるまでになったお嬢より、すごい奴だったのか?」
サリッシュが驚いたような表情で、ルイネスに尋ねる。
才能を一目見て気づくと言う感覚は、何となく理解できますね。
私がカリアを弟子にしようとした経緯も、似たようなものですしね。
「うん。私も薄々、感づいてたんだけどねー。モモイ様の受け売りじゃないけど、世の中には埋もれた才能っているのよ? 『夜叉の血』に早く目覚めた私達だからこそ、気づけた違和感だと思うんだけどね」
カネリアの才能を、ルイネスがあっけなく認めて頷いた。
「その後、親族とはいろいろ揉めたんだけどねー。本人同士が長い間話し合って、一応は両者が納得して、円満に婚約破棄したのよ」
「円満……ですか?」
「なによレイム、その顔は」
セレイム大隊長から疑わしげな眼差しを向けられて、ルイネスが頬を膨らまして見つめ返す。
カネリアの話の時に、さっきまでの過剰な反応を見たら、ルイネスの中にしこりが残ってるのは間違いないですからね。
「私がさっき怒ったのは、エンジェが誤解を招くようなことをしたせいだからね。勘違いしないでよね」
「分かりました。そういうことにしておきましょう」
紫色の石を、ルイネスが胸元から取り出す。
竜の髭が通された絆石を、指でつまみながら、無言で見つめている。
「確かに、当時はいろいろ思うところはあったわよ。もともと、私はアドルのなくした腕の責任を取るつもりで、家族の反対を押し切って婚約しちゃったからね。もしかしたらアドルにも、私が責任を感じて婚約をしてると思われたのかもしれないけど、私は本気で好きだったわ。本気で好きだったからこそ、彼が心から望むことを、反対することができなったのよ」
「難しい話ですね……」
「そうねー。アドルにも、言ってたのよ。子供が産まれたら、2人の名前から取った名にしようって……。もし私達に子供が産まれてたら、アネスって名前をつけてたかもねー」
寂しそうな顔で絆石を再び胸元に仕舞うと、ルイネスが私を見つめる。
「さあ、エンジェ。こちらは思い出したくもない記憶を話したわ。約束通り、アドルの墓の場所を教えてくれるんでしょうね?」
組んだ手の上に顎をのせて、ルイネスが私を見据える。
持っていた背負い袋の中から、目的のモノを取り出すと机の上に置き、とある場所の地図が描かれた紙を広げる。
「アドルとカネリアの墓の場所は、ここです。ただし、遺骨は墓守が厳重に保管してます」
「墓守?」
「この村に嫁いだ蒼狼の一族の者が、墓守をしてるのです。なかなか頑固な方でして、アドルのことを話してもらうのに、かなり苦労したらしいです。アドルの娘が、冤罪で奴隷になってるので、その冤罪を証明するための物を探してると言えば、あっさりと遺骨を見せて貰えたそうです」
「なるほどね」
ルイネスが、地図の書かれた書類をツアング大隊長に渡す。
「ツアング大隊長、これを持ってすぐに本家へ向かって頂戴。我が一族の英雄を、本来のあるべき場所へ連れて行ってあげなさい」
「はっ!」
「それに、いの一番で貴方が報告すれば、うちとのいろいろなわだかまりも、少しは和らぐでしょ?」
「団長……」
「過去にいろいろあったけど、私の命を救ってくれたアドルは、本家にとっても恩人なのは間違いないからね。義を重んじないような、どこぞの馬鹿な貴族達と一緒にしないで頂戴」
そういえば、ツアング大隊長は……。
驚いた顔から一転して真剣な表情に戻ると、ツアング大隊長が頭を下げる。
「団長、恩にきります」
「早く行きなさい」
「はっ! 失礼します!」
退出を促すように、ルイネスが手を振った。
ツアング大隊長が敬礼をすると、慌ただしく執務室を出て行く。
「それで、セレイム大隊長。アドルのありもしないことを、吹聴して回った馬鹿貴族は、まだ見つからないのかしら?」
先程までの優しげな表情はどこへやら、怒気のこもった声色と鋭い瞳で、ルイネスがセレイム大隊長を睨む。
普段の愛称ではなく役職で呼ばれたセレイム大隊長が、まるでそれを聞かれるのを予想していたように、用意していた資料を広げる。
「はっ! では、報告をさせて頂きます。彼は例の件以降、狼人の子供に一撃で沈められたという噂が広まって、どこかへ行方をくらましたようです。冤罪の可能性を一部の貴族からも指摘され、どうやら武家の名に恥じた行為ということで、家からも勘当されたようです。それにより、街に居場所をなくしたみたいですね」
「ふむ。因果応報というやつだな」
セレイム大隊長の報告に、サリッシュが納得したように頷いた。
一部の貴族というのは、サクラ聖教国が介入した件のことだろう。
彼の過去については、叩けば叩くほどホコリが出たきたらしいですしね。
アカネのことも含めて、お師匠様に目を付けられたのが運の尽き。
背負い袋から別の資料を取り出すと、それをルイネスに渡す。
「彼については、サクラ聖教国でも追跡調査をしてます。最近捕まえた凶賊から、闇ギルドでそれらしい人物を見かけたという報告が上がってます。どうやら今は、裏稼業に精を出してるようですね。最近、大きな仕事を依頼されて、懐が温かくなってるらしいという情報が入ってます」
「そうですか。それなら、そのうち尻尾を出すでしょう。本件は、ファルシリアン家の一族全てに通知してます。彼の所持品も回収して、臭いも把握済みです。捕まえ次第、団長のもとへ即座に連れて来るように言ってます」
「それは結構」
私が渡した資料を読みながら、ルイネスが頷く。
とても鼻が利く犬族な上に、優秀な騎士を輩出するファルシリアン家は、様々な国から支援を依頼されて活躍してる者が多い。
彼の命運が尽きるのも、そう遅くはないかもしれませんね。
「こちらでも、彼には聞きたいことがあります。その後でも良いのですが、サクラ聖教国にも身柄を渡して頂けると嬉しいのですが」
「そうねえ……。生きてたら、そっちにも渡してあげるわよ」
読んでいた資料から顔を上げたルイネスが、可愛らしい笑みを浮かべながら酷い事を言う。
これは相当、ご立腹のようですね。
それを見たセレイム大隊長が一度ため息を吐くと、口を開く。
「申し訳ないですが、本国に身柄を渡すのが先かと。ただし、しばらく時間がかかると思いますので、サクラ聖教国への身柄引き渡しは、更に後になるかと……」
「アドルはファルシリアン家では、英雄のような扱いだからな。その分だと、そいつはいろんな所を巡るはめになりそうだな」
「ご愁傷様ですね。本国に戻って、彼の受け渡しは時間が掛かりそうですと、素直に報告しておきます」
互いに持ってる情報を交換し終えると、ようやく皆が一息つけた。
他愛の無い雑談としばしのお茶会を楽しんでいると、扉を叩く音が聞こえる。
ルイネスが入室を促すと、女性騎士が顔を出した。
「団長。ベリモンド宰相が、『合同訓練の件』で打合せをしたいと」
「……そう、分かったわ。すぐに行くと伝えて」
「はっ!」
敬礼をして退室する女性騎士を見送ると、ルイネスが申し訳なさそうな顔でこちらへ振り返る。
「ごめんなさいね。別の仕事が入ってしまったわ」
「いえ、こちらの用事も終わりましたので、お気になさらず」
「サリッシュ、後は宜しくね」
「うむ。分かった」
サリッシュと部屋を退室する。
街にあるサクラ聖教国の教会聖堂に行く用事があったので、途中まで同行すると言うサリッシュと一緒にそちらへ向かう。
「そういえば。昨日、クロミコの周りに不審人物が現れたそうだぞ」
「不審人物?」
不審人物と言われても、クロミコ様にはアクゥアがついてるので、凶賊でもない限りは問題ないはず。
サリッシュの顔を覗き見ると、口の端を吊り上げていつもの意味深な笑みを浮かべていた。
なぜでしょう……。
嫌な予感がします。
「クロミコには危害が加えられなかったようだが、白昼堂々と人攫いをしながら、サクラ聖教国出身の優秀な戦奴隷にも犯行を悟らせないような、凄腕の誘拐犯だそうだ」
「誘拐犯なのに、えらく楽しそうな顔ですね」
「うむ。クロミコに特徴を聞いてな。まだ街にいるようなら、私が直接捕まえてみようと思ってるんだがな」
「副団長、自らですか?」
それってかなりの大事では?
というかその口ぶりだと犯人の目星がついてるようですが、サリッシュの楽しそうな表情から、何とも言えない奇妙な違和感を覚える。
「たぶん、捕まえられないと思うがな」
「え?」
「ああ。そういえば最近、師匠と外で会ってな」
「……? サリッシュの師匠と外で、ですか? 珍しいですね」
「うむ。上級者迷宮に引きこもっていたと思ったら、珍しく外に顔を出してな。『娘を宜しくね』と言われたよ。どうやら師匠達に、一杯喰わされたようだ」
「あー……」
それに対する返答がすぐできず、何とも言えない表情が出てしまう。
あのお方にその事実を、突然に告げられた時のサリッシュの心情が、理解できるだけに……。
サリッシュが苦笑いを浮かべて私を見る。
「その様子だと、やはりお前もこの件には、1枚噛んでるんだな?」
「はぁー……。サリッシュには白状しますが、お師匠様達が何やら悪巧みを計画してると知ったのは、ここ最近です。私も全てを知ってるわけではないですが、近いうちにいろいろと派手にやるらしいですよ」
「派手にか……。うちの師匠も似たようなことを言っていたな。師匠達が派手にやるとなると、どうせろくでもないことだろうな」
「ですね……」
同じ規格外の師匠を持つ者同士故か、思わず2人して遠くを見てしまう。
『紅の騎士団』とかいろいろな2つ名を貰ってしまった私達ですが、あの方達の前ではそれも霞んでしまいますよね……。
「気を引き締めた方が良いな。師匠達が何かやると分かってれば、それはそれで心構えができる。それに厄介事が起こる場合の関係者は、もう当たりがついてるから、その分まだマシだろう?」
「前向きですね……」
「国が1つ、地図から消えなければ良いがな」
「……否定できないところが、怖いですね」
互いに苦笑し合うと、その場で別れる。
目的の場所である小聖堂に到着すると、中へ入る。
全身を雪で包まれたような純白の身なりの戦巫女が、いつも通りの『表面上は』優しげな笑みで私を出迎えた。
「いらっしゃ~い」
「カルディア、モモイ様から聞いたわよ。貴方、本気なの? 彼女を弟子に取りたいだなんて」
「そうだよ~ん」
単刀直入に聞いたが、カルディアが間を空けず返答した。
「今度は、どんな悪巧みを考えてるの? まあ、貴方とは付き合いが長いから、だいたい察しはついてるけど……。なにしろ、『例の計画』を最初から知ってた人物ですからね」
「……」
オーズガルト国内での問題ごとを、円滑に対処できる権限を持つ、大司教カルディアが嬉しそうに黒い笑みを見せた。
まあ、考えれば分かる事ですよね。
この街にいるサクラ聖教国側の幹部が、今回の件に絡んでるからこそ、お師匠様も裏でいろいろやれたわけですし……。
「彼女の件については、私が補佐することになりました。弟子も育てたことのない貴方に、彼女を壊されてもたまりませんからね」
「そっか~。一緒に、頑張ろうね~」
「はぁー……」
シズニア様のお守り役から解放されたと思ったら、次はこれですか……。
もう何度目か分からない溜め息を吐きながら、カルディアと打ち合わせをすることにした。




