表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神子の奴隷  作者: くろぬこ
第6章 進撃の小人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/60

奴隷豹娘の任務(後編)

 

 銀色の体毛と巨体を持つ化け狐が、大きな口を開けて目の前に迫って来る。


『……ッ!』


 気付けば狐人の子供が小さく見えるほどに、後方までさがっていた。

 己の本能を激しく揺り動かす殺気をぶつけられ、おまけに妙な錯覚も見てしまったようだ。

 

『今のは、銀狐?』

 

 無意識のうちに唾を飲み込んだ音で、ようやく自分が何をしていたのか気づく。

 いつの間にか手に持っていた苦無が震えている。

 いや、震えてるのは自分の腕だ。

 ひどく動揺している自分に気づいて、思わず歯を食いしばってしまった。


 私が……。

 ヤミサクラ家の娘である私が……。

 お師匠様や母上でなく、狐人の子供の威圧で怯むとは……。


 獣人の本能に従った、正しい行為ではある。

 相手が未知数の力を秘めているうえに、探索者職業にも転職してない私が、完全解放した『夜叉の血』相手に勝てるわけがない。

 

 自分の身を守るために、撤退するという選択が頭によぎる。

 しかし、己の中に流れるヤミサクラ家の血が、それを許さなかった。


『さすがに、一矢は報いないと駄目でしょうね』


 そもそもこの子をこのまま放置しておけば、どれだけ周りに被害が出るかも分からない。

 お師匠様が来るまで、少しでも私が時間を稼ぐべきでしょうね。

 

 逃走を選択しようとする本能を押し殺し、相手を冷静に見定めようとする。

 先程までの戦いを考えるに、『夜叉の血』を完全解放する前は、私の方が実力は上だったはず。

 武術の型も滅茶苦茶で、どう見ても武術に関しては素人としか思えなかった。


 だとすれば、この子供は本当に素人なのか?

 『古き血』の1つが使えるようになったのは、本当に偶然?

 

 『夜叉の血』が完全解放した状態で、すぐに襲い掛かって来るかと思ったが、相手はその場から動く様子はない。

 歯を食いしばり、何かに耐えているかのような苦悶の表情が見える。

 まだ完全解放には至ってないのか?


 気も徐々に高まっているようだが、やはり不慣れな様子に見える……。

 もし、私の仮説が正しいのなら、まだ間に合う!

 強く握っていた拳を広げると、相手を倒すべき敵と見定め、すぐに戦闘態勢に入る。


『……』

 

 息を整え、視界を遮断する。

 お師匠様の訓練を思い出し、全神経を集中させる。

 秘伝の呼吸法で、気を極限まで高めることに成功すると、己の中の枷が全て外れる感覚が全身を走った。


「あいあいあぁああああ!」

 

 殺気だけで人を殺せそうな、狂気を纏った雄叫びが聞こえる。

 間に合った……。

 どうやらあちらも、完全解放に成功したようですね。


 ゆっくりと目を開けると、先程よりも濃厚に赤く染まった世界が広がっている。

 血が沸騰するような感覚と共に、己の中で何かが荒れ狂うような感情の昂ぶりを覚える。

 獣により近い闘争本能……いや、強い殺意が芽生えた感覚だ。

 先程まで弱腰だった獣人の本能は、今の私の中にはもう存在しない。

 

 相手の殺気が、視覚できるレベルに達したせいだろう。

 『夜叉の血』の完全解放に成功した子供の身体に、炎が纏ったかのような赤い濃霧が見える。


『お師匠様には、素人相手に決して使うなと言われた禁を破ってしまいました。後でお師匠様に、一緒に怒られて下さいね』


 私の笑みを見てつられたのか、狐人の子供が凶悪な笑みを浮かべる。

 随分と余裕ですね?

 こちらも、貴方と同じ土俵に立ったというのに……。


『いけませんね』


 危険な状態にいるはずなのに、先程から喜びの感情が抑えきれない。

 どうやら私も、少しだけ『夜叉の血』に飲み込まれてしまっているようだ。

 普段の私では考えられないくらいに気分が高揚し、好戦的な感情が自分を支配している。


 でも、たまには良いですよね?

 拳を握りしめ、再び闘牛術の構えを作る。

 それを見た相手も身構えた。

 フフフ……さて、最終決戦といきましょうか?


『誇りなさい。その年でこの技を見られることは、そうはないですよ?』


 サクラ無双流奥義・瞬影闘牛術。


 最も得意とする忍体術ではなく、あえてこの技を選択した自分を思わず笑ってしまう。

 お師匠様、ごめんなさい。

 後でお叱りは、いくらでも受けます。

 それでも、『夜叉の血』を完全解放した無手を相手に、正面から正々堂々と、己の全力をぶけてみたくなってしまいました。

 

『アクゥア=ヤミサクラ、参る! いざ尋常に、勝負!』

「あいあいあー!」


 時の流れが急激に遅くなった『紅の世界』で、赤い瞳を持つ獣人だけが真っ直ぐ私に向かってくる。

 同時に私も、相手に向かって駆け出した。

 空にいる鳥でさえも、ゆっくりとした動きで飛んでいる中で、私達2人だけがその干渉を受けない『紅の世界』。


 私の器も、そう長くはもたないでしょう。

 一撃で決めます!

 両者の間合いが重なった瞬間、地を強く蹴って相手に突撃する。


「あいあいあぁああああ!」

『ッ!』


 狐人の形をした、殺意の塊が突き出した爪が迫って来る。

 それを寸前で避けたつもりだったが、相手の爪先が喉の皮膚を抉っていく。

 この状態でも、完全に避けきれませんでしたか……。

 完全解放してない身であれば、今の一撃で確実に喉を貫かれてたでしょう。


『貴方は確かに強い。その年で、夜叉の血を完全解放できる者は、まずいませんよ。ただし……私を除いてという条件が付きますが』


 己の皮膚を裂く感覚と同時に、右膝が相手の懐にめり込んでいく。

 それと相手の骨が砕ける感触が、右膝に走った。


『出会う相手が悪かっただけです。完全解放した夜叉の血と、それを組み合わせた闘牛術の前に、敵はいません』


 信じられらないモノを見たとばかりに、子供の目が大きく開き、膝から崩れ落ちていく。

 どうやら1日の長があったのは、私のようでしたね。


『心技体、全てを究めし者が、本当の夜叉の血の使い手となるのです』


 そのまま地面に倒れようとした子供を、腕で抱き止める。

 子供の目も徐々に赤色から金色へと変化していく。

 どうやらこの子の本能が、私に敗北したことを認めてくれたようだ。

 完全に息の根を止めずに済んだことを、心の底から安堵した。

 

 勝負が決まったようなので、呼吸を整えて己の中で荒れ狂う力を抑えつける。

 まだまだ未熟な私の器では、完全解放は1日1回しか使えない上に、長時間使うと身体に障害が残るというのが難点ですね。

 それと、少々冷静な判断ができなくなるのが困りものです。


「ガフッ……ゴフ……」


 内臓をいくつか損傷したのか、狐人の子供が口から大量の血を吐き出す。

 重傷を負った子供を抱きかかえて、崩れかけた家の1つに入った。

 子供を仰向けに寝かせると、外の様子を素早く確認する。


 これだけ騒げば騎士達がやってきそうなものですが、1人も見当たりませんね。

 周りを警戒しながら、耳を澄ましてみる。

 先ほど私が荷物を置いた場所から、騒がしい声がしている。

 

「うぉおおお! 本当だ! すげぇぞこれ! 金塊が沢山あるぞ!」

「うっひょうー! 金だ金だ!」

「ていうか何だこれ、ぐぉおお!? 純金、糞重てぇえええ!」

「てめぇ、ネコババしてんじゃねぇよ!」


 ヴァルディア語はあまり得意ではないが、唯一『金』という言葉が分かったので、私が置いてきた金塊が入った荷物を迷宮騎士団が見つけたのだろう。

 どちらかというと大勢の男達が、争い合ってるようにも聞こえる。


 あちらは放っておいても、問題なさそうですね。

 邪魔が入らなければ、こちらにとっては好都合。

 本物の純金は1個だけで、後は重鉄の表面を金粉で加工した偽物と気づいたら、彼らはどんな顔をするでしょうか?

 私の訓練用でもあり、山賊を罠にかけるように持ち歩いてたモノが、どうやら役に立ったようだ。

 とりあえず、こっちに騎士の人達がすぐに来ないのであれば問題無いでしょう。


 重症を負った子供の元へ急いで駆けつける。

 顔色が先ほどより悪くなっていた。


『貴方をこのまま、死なすわけにはいかないですね』


 なにより、これほどの才能豊かな子供を見殺しにしたとなれば、お師匠様や母上達に怒られそうです。

 腰に提げた1本の巻物を取り出し、それを広げる。

 今回の修業の際に、お師匠様から唯一渡された治療用の巻物を開き、魔力を流し込む。

 

『貴方は本当に、運が良いですよ。これから使う物は、神獣達が使う超級魔法が収められた物ですからね』


 回復魔法が発動し、眩しいくらいの白い輝きと共に、全身を温かい物に包まれるような感覚がする。

 子供の顔色も、目に見えて良くなっていく。

 私の首元や顔を触ってみても、傷口がなくなっているのが確認できた。

 治療は成功したようですね。

 

『……妙ですね?』


 狐人の子供の身体を調べて見るが、目や鼻等からの出血の跡がない。

 器が完成されてない状態だと見られる症状が、どこにも見当たりません。

 そうなると、この子は既に器を完成させていることになってしまう。

 

 自然のうちに『夜叉の血』を完全解放させる器へ到達したのは、紅豹の一族だけだと聞いてますが。

 狐人になんて、到底無理な話ですし……。

 人工的に成功させる方法も、お師匠様が紅豹の一族の生態を長年研究したもので、我が一族だけにしか伝えられてない秘伝の技術のはずだ。


 ならばこの子供は、どこからその技術を?

 まさか、またヴァルディア教会が……は無いですよね。

 例の施設はお師匠様達が魔物に襲撃されたように偽装して、全て潰したと言ってましたし。

 となると、お師匠様並みに優秀な指導者がいたということでしょうか?


『……!』


 外に人の気配がして立ちあがろうとする。

 しかし、ふとした重みに気づいて立ち上がることができなかった。

 いつの間にか狐人の子供が、服の裾を掴んでいた。


「ヨウコ……」

『……?』


 声を出したので、起きたのかと思ったがそうではないらしい。

 何か悪い夢でも見てるのか、うなされたように眉根を寄せている。

 

『傷は治ってるはずですし、痛みはなくなってるはずですが……』

 

 さてどうしたものかと悩んでいる間に、見覚えのある顔が室内に入って来る。

 着流しの服に、艶のある美しく長い黒髪を持つ、猫人の女性。


『見てたぞ、クゥ。夜叉の血の使い方が、また上手くなってたな』

『すみません、お師匠様。約束を破ってしまって……』

『構わん。夜叉の血を使って暴れる者を捕えるには、夜叉の血を使わないと今のお前には厳しかっただろう。それで、楽しかったか?』

『はい』

『素直でよろしい。お前は年の割に、いろいろと達観し過ぎてるからな。たまには年相応の反応を見せてくれて、私も楽しめたぞ』


 どうやらお師匠様は、事の顛末てんまつをどこかで見ていたようだ。

 私の内心の考えも、全て見透かされていたようです。

 

 年齢不詳ではあるが、妙齢の女性にしか見えないお師匠様が、腰に手を当てて豪快に笑っている。

 私の中に、ふとした疑問がわく。


『お師匠様。もしかして、ここを待ち合わせ場所にしたのは……』

『お前の考えてる通りだ。その子は、たまたまここにいた子ではない。わけあって、私が他所から連れて来た子供だ』

 

 なるほど。

 お師匠様が連れてきた子だったのですね。

 道理でこの幼さで、思わず冷や汗をかいてしまうほどの実力を持ってたわけです。

 未だに苦悶の表情を見せて、うなされる子供を見下ろす。


『なんだ、傷が治りきらなかったのか? ヨウコが愛用してる巻物だから、治らない傷は無いはずだが?』

『いえ、傷は治ってるみたいなのですが。どうやら悪い夢を見て、うなされてるみたいです』

『ふむ。そうだな……。頭でも撫でてやれ』

『……はい』

 

 お師匠様に言われて、頭を撫でてあげる。

 するとなぜか、みるみるとご機嫌な表情に変化していく。

 むしろ服の裾どころか、私の身体にしがみついてきた。

 

『お、お師匠様?』

『ククク……ヨウコの言う通りだな。どうやら、気に入られたみたいだな』


 ヨウコ様?

 思わず気になった言葉を口から出す前に、見慣れぬ人物が目に入る。

 狐人のようなので、この子供の親族かと思って、注意深く下から上へと視線を動かす。

 

『お師匠様、この方は?』

『あー、今回のお前の修業もとい、任務で裏方の手伝いを頼んでいるものだ。名をヴィッシュモント=オゼアルト』


 修業でなく、任務という言葉に身が引き締まる。

 しかし、ヴィッシュモント=オゼアルト?

 確かその名は……そもそも、なぜ豪商の一族であるオゼアルト家がここに?


「『ナンデモアルネ雑貨店』の店長をやっているヴィッシュモント、ネ。モントと呼んでくれて良いネ。これから、いろいろとよろしくネ!」


 ニャン語ではないので言ってることはよく分からないが、おそらく挨拶をしてきたのだろう。

 差し出してきた手を握りしめ、握手を交わす。

 

『宜しくお願いします』

『私の指示でつけ髭をさせたりして、胡散臭い風貌に変装をさせているが、これでも商人ギルドの元会長だ。コレに話を通せば、大抵の物は揃えれるくらいに、いろいろと顔が利く。上手く使え』

『分かりました』

 

 商人ギルドの元会長を連れてくるとは、今回はよっぽど重要な任務らしい。


「あー、それとモント。あっちにある階段の無い建物だが。実は2階に、酔い潰れて寝ている牛人の子供がいるんだ。後で連れて来るから、それも奴隷商人に渡しといてくれ」

「牛人ネ? それは奴隷にしても、大丈夫ネ?」

「心配ない。家族には話をつけてる子供だ。少々厳しい環境に放り込んでも良いから、性根から叩き直して欲しいと言われてな。まあ、ここからどう変わっていくかは、アイツ次第だが。牛人の女なら、喉から手がでる程に欲しがる餌をつける予定だから、真面目に仕事をしてくれるだろう。できればこちらが指定する3人は、一緒に売るようにして欲しい。奴隷商人が渋りそうだったら、多少は安くして売ってくれても良い」

「家族の了解が取れてるなら、問題ないネ! ホーキンズには借しがいっぱいあるから、多少無理言っても引き取ってくれるネ! 髪の砂漠化が少し進むかもしれないけど、たぶん大丈夫ネ!」

「さすがモントだな。頼りになる」


 会話の内容は分からないが、お師匠様がとても楽しそうな表情をしてる。

 あの顔は、悪巧みを企んでる時の顔だ。

 誰のことを言ってるのかは分からないが、その相手に思わず同情してしまう。


「それとこの子達を奴隷として買った者には、私の別荘を借家として紹介してやってくれ」

「あの家だと、家事ができるお手伝いが必要じゃないかネ? サクラ聖教国の者じゃないと、扱いにくい物も多かった気がするネ」

「心配するな。問題があるようなら、うちの冥土メイドを潜り込ませるさ」

「分かったネ。シバサクラ家なら、問題ないネ」


 ヴァルディア語で、何やら会話を繰り広げる2人を見つめながら、狐人の子供の頭を撫で続ける。

 気付けば狐人の子供が、まるで狐のように丸くなって、正座した私の隣でスヤスヤと寝ている。

 本当に、獣に育てられたような子供ですね。

 話を終えたのか、お師匠様がこちらへ振り返る。


『後でお前にも見せるが、牛人の娘とその狐人の娘が、今回の任務で一緒になる予定だ。お前にはその者達と共に、要人の護衛をして欲しい。お前の素性は、いろいろと伏せた上でな』

『要人の護衛任務ですか?』

『そうだ。お前達一族の容姿的に、猫人でも誤魔化せるだろう。まだ探索者ギルドにも登録してないし、ヤミサクラ家の素性を知る者も、この大陸には少ないから問題ないだろう。いつも通り、猫人のアクゥアとして行動してくれ』

『分かりました』

『今回の結果次第で、将来の天界守護者が決まる。心して取り掛かれ』

『……はい』

 

 天界守護者。

 その言葉に、思わず返答が遅くなってしまった。

 

『それとこの任務は、お前達ヤミサクラ家が長い間取り掛かっていた、ヴァルディア教会との問題を終息させる重要な任務になる。それを忘れるな』

『はい。では、例の計画がいよいよ始まるのですね』

『うむ。そうだ』

 

 腕を組んだお師匠様が、力強く頷いた。

 10年も超える長い期間をかけ、ようやく大嫌いなヴァルディア教会に手を出せるかと思うと、胸が喜びでいっぱいになる。

 

『ある意味、その要人の存在がこれから起こる戦争の火種の1つとなるだろう。クゥには、その時までの護衛を頼みたい』

『分かりました』

 

 お師匠様の言葉に、私も力強く頷く。

 

『ちなみにだが、クエンも今回の任務に参加する予定だ』

『クエンがですか?』

『こらこら、殺気を振りまくな』

『すみません』

 

 『夜叉の血』を完全解放したばかりのせいか、どうにも感情が昂ぶりやすくなっている。

 宿敵の名前を聞いて、思わず荒ぶった感情を鎮める。

 クエンには、我等一族の最強の座を奪われた。

 母上の為にも、なんとしても今回の任務を無事成功させ、天界守護者の候補者にも名乗りを上げたい。

 

『将来の天界守護者が決まる任務だ。当然ながら、紅豹の一族にも参加する権利がある。そもそも初めに、相手がお前とクエンのどちらかを選ぶところから始まるのだが……。まあ、選ばれなかった場合は、別の挑戦する機会を設けるから安心しろ』

『はい、それでお師匠様。護衛する要人とは、どのような御方なのでしょうか?』

『フフフ、焦るな焦るな。詳しく説明してやる。まず、特徴としてはだな……』






   *   *   *






「あいあいあー!」

 

 レイナの奇声に瞑想を中断し、目を開ける。

 上下逆転した世界で、レイナがこちらを見上げている。

 天井から足の指を放し、宙返りをしながら畳の上に着地する。

 

『レイナ、書き終わりましたか?』

『はい、お姉様!』

 

 先程まで文字を書く練習をしていた紙を、レイナが見せる。

 紙いっぱい埋め尽くすように、拙い字で『おねえさま』と書かれていた。

 

『レイナ、上手に書けてますよ』

『はい、お姉様!』


 レイナの頭を撫でてあげると、嬉しそうに尻尾を左右に振る。

 初めて出会った時の激戦を終えてから、レイナはすっかり私に懐いてしまった。

 どこに行っても私の傍から離れようとせず、常に私の行動を観察するような仕草を見せる。

 

 都合良くハヤト様にレイナの教育者の任を与えられたので、戦闘能力の高さを買って子供には到底難しいことを教えてきましたが、驚くべき早さで私の技術を習得していきましたね。

 謎の多い子ではあったが、先日のヨウコ様との出会いで、ヨウコ様に育てられた狐人であることが分かったので、レイナの素性を知ることができた。

 ここまで身体能力に優れてるのは、やはりヨウコ様のおかげなのだろう。

 神獣同士は強いつながりがあるので、おそらくお師匠様に秘伝の技術を授かって、レイナを指導していたのでしょうね。

 レイナの性格的に、ヤミサクラ家ではなく紅豹の一族のやり方で、『夜叉の血』に適応する器を作ったと思われる。

 そう考えれば、レイナのこれまで謎めいていた部分がいろいろと納得できます。

 ちゃぶ台に置いていた別の紙を、レイナが持ってくる。


「うしゃぎ! うしゃぎ! あいあいあー!」

『あら、二角兎ですか。ふむ、なかなか味のある絵に仕上がってますね。レイナ、上手ですよ』

『はい、お姉様!』


 字の練習をしている合間に描いたであろう二角兎の絵を、レイナが壁紙に貼ろうとする。

 壁紙に貼ってあるラウネの絵の隣には、拙いながらも皆さんの特徴をよくとらえた、レイナの描いた絵が貼られている。


 兎肉を齧るアカネさん。

 お酒を飲むアズーラさん。

 訓練をしている最中なのか、苦無を持った私とシミターを両手に持つレイナ。

 メイスを持って、笑顔を作るアイネスさん。

 そして、アイネスさんに頬を抓られながら、巫女服を着たハヤト様が困った顔をしてこちらを見ている。

 

 ハヤト=サクラザカ。

 最初は違和感を持っていた名も、今は不思議としっくりくる。

 

 お師匠様には事前に特徴を教えられていたので、初めてお顔を拝見してすぐに分かった。

 同時にクエンが指名されなかったことに、思わず心の中で握り拳を作ってしまったくらいです。

 

 ハヤト様と出会ってすぐの印象は、とにかく謎の多い青年。

 お師匠様は、身体的な特徴しか教えてくれなかったので、ハヤト様がどういった経緯で、今回の任務の要人に選ばれたかは知らなかった。

 サクラ聖教国の貴族の家名らしきモノを名乗った時は、どうしたものかと悩んだものですね。

 護衛の任務として傍にいなければ、即座に締め上げて素性を根堀葉堀と聞き出していたところです。

 

 忘れもしない、ハヤト様との初めてのパーティー申請。

 あの時に、覚えのある感覚が全身を走って、鳥肌が立ったように総毛立ちましたよね。

 以前、加護持ちの方に闘牛術を指導して貰った際に、特別にお師匠様の力でパーティー申請をしてもらって、『戦女神様の加護』の感覚を体験した記憶がある。

 故に人間でありながら、牛人でしか取得することができないはずの『戦女神様の加護』を、ハヤト様が持っていることにすぐ気づいた。

 あの時以来、ハヤト様への興味は尽きない。


 ヴァルディア語は中途半端に修得してるのに、なぜかニャン語は完璧というチグハグな語学力。

 それでいて教養は、どこぞの貴族がガヴァネスから習ったかのようで、決して頭が悪いわけではない。

 むしろ考え方がかなり柔軟で、奴隷から教えられる内容を疑うことなく、貪欲に吸収しようとする。

 人が良過ぎるという問題はありますが、まあそれもハヤト様の良さでもありますでしょう。

 

 しかし、まるでどこかに閉じ込められていたかのように、この世界の常識については全くの無知。

 それと一番の問題は、人間でありながらサクラ聖教国の貴族を名乗っても、サクラ聖教国からの一切のお咎めがこないこと。

 むしろ、突然に新しい教会の設立がされた上に、教皇の候補に名を連ねる人物。

 もし、サクラ聖教国の貴族を詐称しているのが確定したら、袋叩きにして迷宮に埋める予定でしたが、なぜかサクラ聖教国公認になってるようですしね。


 それに、ヴィッシュモント=オゼアルトが、後ろについてるというのも恐ろしい話ですね。

 神託が降りたと言って電撃引退した、商人ギルドの元会長であるヴィッシュモントが直々に出向いての支援。

 彼と個人契約するとなれば、元会長を退いた身とはいえ、商人ギルドに対する影響力は計り知れない。


 ハヤト様に関する判断材料が増えれば増える程、頭の中が混乱してくる。

 ヴァルディア教会の問題を、解決するための布石となる重要任務。

 サクラ聖教国と何らかしらの重要な繋がりを持ち、まるでそのままの姿でこの世界に落ちてきたかのような言動と行動。

 任務の結果次第では、天界守護者の任が与えられるかもしれない状況。

 そして、お師匠様とどこか似た雰囲気を持つ、不思議な人。


 点と点が線となり、1つの解らしきものを導き出そうとする。

 そして、その答えはいつも同じ……。

 

『いけませんね。最近、同じような事ばかりを考えてしまいます。まだ、確定ではないと言うのに……』

「あいあいあ?」


 正座してる私の身体に寄り添って、ラウネを齧るレイナが不思議そうに私を見つめる。

 レイナの頭を撫でてやると、目を細めて気持ち良さそうな表情を見せる。

 もしそうなら、どれだけ嬉しい事か……。

 しかし、お師匠様がいきなり私にそのような大役を任せるでしょうか?

 

『いずれ、真実はお師匠様の口から語ってくれるでしょう』

 

 これよりハヤト様が出会う敵は、魔物や山賊だけでは済まないだろう。

 先日の貴族巫女を使って接触してきた様子から、ヴァルディア教会もハヤト様の存在に気づいてるはずだ。

 これから相手も、組織だった行動を起こして来るでしょうね。

 ヴァルディア教会が目の敵にしているサクラ聖教国の貴族が、敵地で子供だけに護衛されていると知れば、連中がろくでもないことを始めるのは目に見えてます。

 それに対して、限られた戦力しか使えない私は、何を成すべきか。


『1人であればいろいろできますが、守る者達がいる戦いというのが、これほどまでに大変とは……』

 

 慣れないことの連続だった記憶を脳裏に浮かべると、おもわず苦笑いをしてしまう。

 子供とはいえ、皆さんが将来有望な者達であるのが、まだ救いなのかもしれませんね。

 レイナとアズーラさんは元々有望だと分かってましたが、他の方達も予想以上にできるようですしね。


 窓を開け、外を眺める。

 雲ひとつない空に、美しく輝く春月が目に入る。


 これからは、より一層厳しい戦いが待ってるのだろう。

 だがようやく掴み取った機会だ、今回の任務を辞退するわけにはいかない。

 この任務が、将来の天界守護者へとつながるのならなおさらだ。

 

『相手が魔物でなく人になったとしても、私はハヤト様を守るのみ。例え相手が、ヴァルディア教会が放った刺客でも……』

 

 昼間出会った山賊程度なら楽なのですが、ヴァルディア教会が雇った刺客となると、凶賊とかになるでしょうからね。

 なるべくなら、そうならないことを願いたいところですが……。

 

 そういえば、明日はサイクロプスと一戦交えると言ってましたね。

 アイネスさんは、どうしても魔眼を手に入れたいようですが、あの方にも困ったものです。

 まあ、私はハヤト様の安全さえ確保できれば、他の方が何をして頂いても問題ないのですが。

 私が手を出さずにサイクロプスを倒せた方が、皆さんの実力の底上げにもなるでしょうし。

 

「あいあいあ?」

『さあ、レイナも祈りを捧げましょう』

 

 戦女神様の石像が無いので、春月を御神体に見立てると、畳に正座をして両手を握りしめる。

 それを見たレイナも隣に来て、私と同じような姿勢になる。

 

『戦女神様のお導きを』

「あいあいあー!」

 

 明日も無事に1日が終わることを願って、今夜も戦女神様に祈りを捧げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ