ドレッドの娘達
「あっ、マルシェルさんがいましたね。私はこれを渡しに行ってくるので、ここで待ってて下さいね」
「了解であります!」
探索者ギルドの受付に顔を出したマルシェルさんを見つけて、申込書を持ったアイネスが駆けて行く。
アイネスがマルシェルさんに声をかけると申込書を渡して、何やら談笑を始めだした。
待ってる間は暇なので、皆と長椅子に座りながらボーッとしつつ、待つことにする。
「チッ。うざいのがいやがるぜ。朝から見たくない奴の顔を見つけちまったから、すげぇ気分悪ぃな」
悪魔兜の中から舌打ちが聞こえて、アズーラが見ている視線の先に思わず顔が動く。
アイネスと談笑していたマルシェルさんに、牛人らしき女性が声をかけている。
声をかけられたマルシェルさんが、俺達の方を指差した。
「アレは絶対に、俺のとこに来るんだろうな……うぜぇー」
「アズーラ、知ってる人なのか?」
「さっきアイネスに声をかけたのが、俺の従姉なんだよ」
「従姉?」
アズーラの従姉を含む牛人の女性達と、何やら困惑したような顔のアイネスが会話をしてる。
それにしても、すごく目立つ容姿の集団だな。
さすが牛人というか、遠目から見ても分かるくらいに、他の探索者達と比べても背が高い。
あれって、2mくらいないか?
しばらくすると、アイネスと一緒にこっちへ歩いてくる。
隣にいる悪魔騎士の悪魔兜から、しきりに「うぜぇ」という言葉が耳に入る。
どんだけ嫌ってるの?
「綺麗なお姉さんだな」
「ハヤト、見た目に騙されるなよ」
素直に思ったことを言ったら、なぜか不満そうな答えが返ってきた。
お世辞にも、可愛いとは言えない女性が多い牛人の中でも、珍しく綺麗どころが多いパーティーである。
今まで見た牛人の女性達より痩せてるし、長身の外人モデルみたいな体型だ。
モデルと言っても、ドレッドヘアーみたいな髪型に、頭の左右から牛の角を生やした、不思議なファッションではあるが……。
「牛人ていうのはな、細くて綺麗な顔してる奴ほど、やべぇのが多いんだぞ。特に従妹のヴェラは、この辺りじゃあ大当たりもいいところだ。アレだ、『戦馬鹿』って奴だな」
忌々しげな感じの台詞が、悪魔兜の中から聞こえる。
褐色肌の美女軍団が目の前までやって来た。
巨大な壁で、視界が覆われてしまった……。
ここに褐色肌好きの田中がいれば、大喜びしそうな光景だな。
胸も大きく、ナイスバディな女性達ばかりだしね。
ただし、近づいてよくよく観察してみれば、体中に痛々しい傷跡とかが無数にあり、どう見ても会話より肉体言語の方を好みそうな雰囲気だ。
顔つきもどこか漢らしく、頼りがいのあるワイルドな笑みを浮かべる女性達。
「初めまして、クロミコ。ヴェランジェよ。へ~、珍しいね。人間で黒い目を持ってる奴は、初めて見たよ」
ヴェラさんが、興味深そうな表情で顔を近づける。
ジロジロと俺の顔を眺めると、笑みを深めた。
「私に、もうちょっと見せてよ。ん?」
ふいに俺の顎へ指先を当てると、俺の顔を上げようとする。
しかし、隣から突然に現れた腕が、ヴェラさんの腕を掴んでそれを阻んだ。
「ふ~ん……。私みたいな平民には、お姫様に気安く触るなってことかい?」
笑みを浮かべるヴェラさんだが、その目は明らかに笑ってない。
殺気立った雰囲気を出して、静かに睨み合うヴェラさんと悪魔騎士。
「……お前、面白いね。私って、この街じゃ結構有名なはずなんだけど、全然怖がらないんだね。むしろ、その生意気な態度は、うちの従妹を思い出すよ」
腕を掴まれたヴェラさんが、どこか楽しげな表情で悪魔騎士を見つめる。
「不味いぞ、ヴェラ。シバサクラの連中が、こっちを睨んでる」
「へ?」
後ろから他の牛人が声をかけてきたので、ヴェラさんが後ろを振り返った。
受付のカウンターに座っていた何人かの猫耳受付嬢が立ち上がり、こちらを睨んでいる。
「へー、エメナスもかい。サクラ聖教国の貴族が、探索者の真似事をしてるって噂は、本当だったんだね~」
あっ、副ギルド長が復活してる。
前回会った時と同じく、制服をきっちりと着こなして、書類の束を片手に持ってコチラを睨んでる。
なぜかアクゥアみたいに、苦無の通し穴に人差し指を通して、クルクル回してるのが気になるが……。
「ちょっと、ヴェラ! この街で揉め事は起こさない約束でしょ!」
マルシェルさんが受付のカウンターから身を乗り出して、こちらに向かって怒鳴り散らす。
気づけば、俺達の周りにいた人達がいなくなっていた。
近くに座っていた、探索者が持っていた迷宮蜘蛛の硬皮兜が床に転がってるだけで、俺達とヴェラさんパーティー以外は、部屋の外まで逃げだしてこっちの様子を伺っている。
なんか、ロール嬢が揉め事を起こそうとした時以上に、皆の反応が酷いんですけど!
な、何が始まるんですか!?
野次馬さえいなくなるとか、この人達が揉め事を起こすと、どんな酷い戦場になるのですか!?
「心配するな、マルシェル! 揉め事は起こさないよ!」
特に気にした様子もなく、ヴェラさんがマルシェルさんに向かって声をかける。
何と言うか、アズーラの従姉だけのことはあって、怖いモノ知らずな性格なんだろうな。
ヴェラさんが顔をこちらに戻して、楽しそうな表情で悪魔騎士を再び見つめる。
「悪かったよ。もうクロミコには、手を出さないよ。だから、その手を放してもらって良いかい? じゃないと、受付にいる怖いお姉さん達がやってきそうだからね」
悪魔騎士が掴んでた手を放すと、「ありがとう」とヴェラさんがお礼を言う。
不意に他の探索者が落とした兜を拾うと、それを見つめながら口を開く。
「本当は、噂の黒牛鬼ちゃんとお話をしたかったけど、今日は目立ちゃったから、楽しいお話はまた今度にするよ。君って、すごい才能あるらしいね? 近くに牛人が集まる酒場があるから、もし良かったら顔をだしてよ。お姉さん達は、君の事をいろいろ知りたいんだよねー」
「……」
先程までの態度とは変わって、優しげにヴェラさんがアズーラに話しかける。
でも、うちの黒牛鬼は「お前とは、話すことは無い」とばかりに腕を組んで、黙り込んでいる。
「ふーん、君って無口なんだね。でも、年上には敬意を払おうねー。牛人の女性って、生意気な奴ほど叩かれやすいんだよ。知ってる? 私も昔、すっごく尖がってたから、いろいろ大変だったんだよねー。闘牛祭で大した記録も残してないで、あんまり調子に乗ってるとさ、こんな風にね……」
ヴェラさんの手の中にあった迷宮蜘蛛の硬皮兜が、素敵な音を奏でて変形していく。
どんな握力してるんだよ……。
ワイルドな笑顔を浮かべて、ヴェラさんが兜を握り潰した。
「なっちゃうかもしれないから、気をつけてねー。お姉さんからの忠告だよー」
ケラケラと楽しそうに笑うヴェラさんが、アズーラにゆっくりと顔を近づける。
突然に表情が別人へと変わった彼女を見て、背筋がゾッとする。
アズーラが言った『見た目に騙されるな』の意味を即座に理解した。
口元を大きく歪めて、凶悪な笑みを浮かべた女が、アズーラの耳元で囁く。
「また会おうぜ、黒牛鬼」
低い声でボソリとそう言った後、先程までのワイルドな愛嬌ある笑みへと表情が戻る。
あー、この牛人さん、絶対にやばいタイプの人ですよ……。
「相変わらず、猫を被るのが下手な奴だぜ。アレで周りに本性が隠せてると思ってるから、笑っちまうよな」
フンッと鼻で笑うと、マルシェルさんのもとに向かう牛人パーティーを、腕を組んで睨みつける悪魔騎士。
いや、笑えねーよ。
メチャクチャ怖かったよ。
「悪いね~、マルシェル。ちょっと力加減を間違えて、兜を壊しちゃったよ。これ、落とした人に謝っといてね」
ヴェラさんが手の平から大量の硬貨を兜の中に落とすと、それをマルシェルさんに渡した。
あの数だと、間違いなく本来の兜以上の金額が入ってるのだろう。
ヴェラさんパーティーが立ち去った後で、マルシェルさんがコチラを手招く仕草をする。
「アズーラ、大丈夫なのですか? ドレッドの娘達に睨まれると、厄介な事になると聞いてますけど……」
「大丈夫、大丈夫。大したことねーよ。ああやって、俺がアイツの言う事を聞かないといけないように、ビビらしてるだけさ。加護持ちは、自分の方から手を出すのは駄目だし、心配いらねーよ。あれだ、えーと、セイトー何とかだっけ?」
「正当防衛でありますね」
「それだ、アカネ。それそれ。ちゃんと理由がないと、ドレッドの娘からは絶対に手を出しちゃ駄目だからな。それを知ってたら、全然怖かねーよ」
「アズーラ殿がこの前読んでた、サクラ聖教国の法律にも書いてたでありますね」
アイネスが心配そうな顔で尋ねるが、当の本人は大したことないという口調で答える。
受付に近づくと、マルシェルさんが溜め息を吐いて苦笑する。
「あの子にも、困ったものね。怖いモノ知らずな性格は、母親そっくり」
「前から、あんな感じなのですか?」
「その様子だと、また何か言われたみたいね。アズーラちゃんは分かってると思うけど、あまり気にしなくて良いからね。牛人の女性は、ちょっと気が強い子が多いから、やり方が荒っぽいのが普通なのよ」
「大して気にしてねぇよ。いつも通りのヴェラだし。牛人の女は舐められたら最後だから、あんなの挨拶代わりみたいなもんだしな」
アレでいつも通りかよ。
初対面でメンチのきりあいとか、牛人の女の世界では当たり前の光景なのが恐ろしいよ。
「夏月の闘牛祭が近いからか、強いって噂の子が現れたりすると、特に女の子達は様子を見に来たりするのよね。アズーラちゃんなんて、期待の大型新人なんて騒がれてる上に、素性が分からず、謎も多い子だしね。フフフ、戦奴隷でも参加権はあるから、あの子達も気が気じゃないのよ」
「まあ、そろそろヴェラあたりが、来るとは思ってたよ」
「あの子は、この街の若い子達の取り纏め役みたいなものだからね」
闘牛祭って、アズーラが言ってた牛人の強い奴を決める大会だっけ?
男がやる闘牛祭は観光イベントになるくらい面白いらしいけど、女のやる裏闘牛祭は人目に出せないような、悲惨な状況ばかりが起こるから、見た目が酷過ぎて一般公開してないって言ってたよな。
でも、男と女の優勝者が結婚相手とか、すごい大会だよね。
その際に夫婦になった2人へのご褒美として、戦闘にとても役立つ加護が貰えるらしいけど。
牛人って、どんだけ戦い好きな種族なんだよ。
「むしろ、ヴェラで良かったと思うぜ。母親の方が来たら、強引に連れていかれそうだし……」
ゲンナリしたような台詞がアズーラの口から洩れると、マルシェルさんがクスクスと笑う。
「確かにね。ヴァスだと問答無用で首根っこ捕まえて、根堀葉堀と聞きだそうとしそうよね。むしろ、ヴァスが噂の黒牛鬼のことを聞きに来ないのが、不思議なのよね……あ! そうそう。さっき、言い忘れてたことがあったわ。その事を言おうと思って、呼んだのよ」
「どうしたんですか?」
「最近、また浅層で探索者の行方不明者が増えてるみたいだから、気をつけなさいね。もしかしたら、ゴブリンの亜種とか、下手したら魔狼の亜種とかが出現してるかもしれないから」
「分かりました。十分に気をつけて、探索をするようにします」
ゴブリンや魔狼の亜種程度なら前に倒しているし、たぶん大丈夫だろう。
マルシェルさんの注意事項を耳に入れ、5階層に繋がる転移門を使うため、地下2階へ足を運ぶことにした。
* * *
「おめぇ、馬鹿か? 仲間に魔法を当てるとか、どんだけ下手糞なんだよ。しかも、俺ばっかりに当てやがって」
「しょうがないでしょ。エルレイナの動きが読みにくいし、あれだけ敵味方が激しく入り乱れてたら、アクゥアみたいに訓練をしてない私が、簡単に支援できるわけないでしょ。それに当てたくて、貴方に当ててるわけじゃないわよ」
戦闘を終え、一息つこうと腰を降ろす。
しかし、腰を降ろして早々に、悪魔兜を外して不機嫌そうな顔をしたアズーラが、アイネスと口論を始めた。
魔狼の出にくい6階層で、新しい連携を試そうとしたが、どうにも前衛とアイネスが上手く噛み合わない。
先々を見越して、激しい乱戦を想定してゴブリンウォーリア達と何度か戦ってみたが、アイネスの魔法支援による命中率が少々悪い。
それどころか、アズーラに雷気線を命中させてしまう始末だ。
アズーラは黒鉄の全身鎧に守られてるから、今は大して問題無いようだが、これからアイネスの魔法を強化していった場合には、少し厳しいものがある。
「俺に、何か恨みでもあんのかよ」
「それはあるかもね」
「んだと?」
「2人とも、落ち着くであります。喧嘩は駄目でありますよ」
迷宮灯の明かりに照らされながら、2人の女性が睨みあう。
アイネスも自分自身に問題があると分かってるのか、キツめの言葉をアズーラから言われても、軽めの毒を吐きはするが一応は話を聞く側に回ってる。
動かない的や乱戦になってない魔物に当てる時は、アイネスは割と命中率が良い。
なので、「しばらくは、そっちの方針にすれば良い」とアイネスが意見すると、アズーラが不満そうな顔をする。
「おめぇは安全な後ろで見てるばっかりだから、戦場の空気が読めてねぇんだよ」
「何よ、空気って」
「言葉の分からないエルレイナですら、どんなにグシャグシャになっても、俺達とぶつからないように、上手くやってるっていうのにさ」
「あいあいあ?」
名前を呼ばれたと思ったのか、白ラウネを齧っていたエルレイナがアズーラを見る。
でも呼ばれたわけではないと気づいたのか、再び白ラウネをシャリシャリと齧りだした。
こうやって連携に苦労してる様子を見てると、いかにアクゥアの投擲支援の命中率がすごいのかが理解できる。
どんなに激しい乱戦になっても、その隙間を縫うようにして、確実に狙った敵だけに投擲ナイフを当てるもんな。
投げる時も、アイネスみたいにタイミングを合わせるような迷う動作をせず、いきなり投げるしね。
「命が惜しければ、私の後ろに立たないで下さい」とかアクゥアが言っても、いろんな意味で違和感がないもんな。
さすがに太い眉毛は、似合わないと思うが……。
「おめぇの空気の読めなさは酷いな。たまには前に出て、俺達と混ざって戦えよ。俺達とお前がどうにも合わないのは、お前が俺達と同じ場所で戦うのを、経験してないからだろ。俺達の近くで一緒に戦ってみたら、俺達がどんな気持ちで戦ってるかが分かって、少しは変わると思うぞ?」
「無茶言わないでよ。私は魔法が専門よ? 貴方達の近くになんていたら、命がいくつあっても足りないわよ。兎人だから、体力もあまり無いし……」
「そうやって周りを信じずに、誰にも合わそうとしないから、簡単な連携は上手くいっても、難しい連携は上手くいかねぇんだよ。少しは仲間を信用して、前に出ろ、前に」
「フンッ! 単純に、今は私が経験不足なだけでしょ。数をこなせば、そのうち上手くいくようになるわよ。それに貴方達と一緒に、あんなに激しく走り回ってたら、服が汚れるじゃない。家に戻った時に、侍女の私が見栄え悪いと駄目でしょ?」
「何だよ、服が汚れるって……」
アイネスの言葉に、アズーラが呆れたような表情を見せる。
「私の契約内容を忘れたの? そもそも私は家事が主な仕事で、戦闘に参加してるのは魔法が使えるのと、戦術を考えるのが得意だからよ。そこを忘れないで欲しいわね」
「あん? おめぇって、上手いのはホント口だけだよな」
「何ですって?」
アズーラがボソリと呟いた言葉に、アイネスが目を吊り上げて睨みつける。
んー、段々2人の雰囲気が険悪になってきたぞ。
いつもの事だが、そろそろ止めに入った方が良いだろう。
「もうそのへんで」
『ハヤト様』
『何?』
太眉じゃない、可愛らしい顔の猫耳スナイパーが声をかけてくる。
『すみません、ハヤト様。お2人の口論は止めずに、そのままにしておいてもらえませんか?』
『え? どうして?』
『これから大事なお話をします。私がこれから言うことを聞いても騒がず、頷くだけをお願いしても宜しいですか?』
真剣な表情で俺を見るアクゥアに、何かが起こってることを察知して、一度頷く。
『近くに、山賊がいます』
おおっと、土の中にいるじゃなくて、いきなり声が出そうになりましたぞ。
何かを言いそうになるのをグッとこらえて、頷くだけにする。
『ハヤト様からは、恐らく見えないと思いますが、私の左側、かなり奥の方に人影が2つ見えました』
チラリと見てみたが、真っ暗闇で何も見えない。
この状態で、更に遠くにいる人影なんて分かるはずもない。
迷宮には、探索者を襲う山賊が時々でるとは聞いてたけど、ついに遭遇してしまいましたか。
『見えんな』
『最初は魔狼かと思いましたが、魔狼の皮を剥いで被っているみたいです。おそらく、黒い毛皮を使う事で暗闇で見つかりにくくするためと、犬族対策に人の臭いを気づかれないようにしてるためだと思います。動きや気配の消し方が素人ではないですね、探索者職業が狩人なのかもしれません。こちらを警戒しながら、少しずつ接近しています。魔物を狙うための隠密でなく、明らかに我々を狙った動きですね。探索者であれば普通に声を掛ければ良いですし、山賊なのは確定でしょう』
『アイネス達に、伝えないのか?』
真剣な表情で会話するアクゥアと俺に、何か様子がおかしいと気づいたのか、口論をしながらアズーラとアイネスが俺達をチラチラと見ている。
アイネスは多少のニャン語も理解できるから、もしかしたら山賊が接近してることに気づいたかもしれない。
『ここで私達が騒ぐと、山賊達に気取られて逃げられる恐れがあります。できれば、こちらが捕まえれるところまで近づいて欲しいです。なので、まずはアカネさんを呼んで、伝えてほしい内容をアカネさんに紙へ書いて頂いて、それからアイネスさん達に伝える。という作業を、お願いしたいのですが……』
『分かった』
アイネスの背負い袋から、何も書いてない紙と書く為の道具を取り出す。
「アカネ、ちょっと」
「何でありますか?」
ハラハラした様子で、アズーラとアイネスの口喧嘩を見守るアカネをこちらに手招く。
囁くような声で、アカネにアクゥアの指示を伝えて紙に書かせる。
アカネが書いてるのを覗き込むような体勢で、時々アクゥアの目だけが左に素早く動いては、こっちに戻るを繰り返してる。
『山賊が接近中。アクゥアが監視をしてるので、皆はアクゥアの指示があるまで、何事もないように会話を続けること。できれば、アズーラとアイネスは喧嘩を続けて、周りに警戒をしてないように見える方が良い』と書き終えると、それを口論してる最中のアイネスに、山賊達からの死角になるようにこっそり渡す。
アイネスが受け取った紙にチラリと視線を落とすと、口論をしてるアズーラにその紙を静かに渡す。
その紙を受け取ったアズーラも顔を動かさず、視線だけを下に落として紙に目を通すと、紙を握り潰して足元に隠した。
「……言っとくけど、さっきの俺の行動は間違ってないぜ。あそこでああ動かなければ、エルレイナはアカネを援護にいかなかったからな。エルレイナはおめぇの考えてる通りに、いつも動きゃしねぇよ。俺達がエルレイナの動きに合わせて、その時その時でやり方を変えていかねぇと」
「だからと言って、勝手な行動をされては困ると言ってるのよ。魔法を使って援護をする時に、こちらの想定外の動きをされると、誤って貴方達に当てる可能性もあるって、さっきから言ってるでしょ?」
「何とかしろ」
「何とかできるわけがないから、私が言ってる通りに動きなさいと言ってるのよ!」
目を吊り上げて激昂したアイネスが、迷宮で拾った青ラウネを地面に叩きつけた。
食事中のエルレイナがびっくりしたように目を丸くして、こちらへ振り返る。
アカネが書いた紙を見てアズーラとアイネスが、何事も無かったかのように会話を続ける演技をしてるのだと思うんだが……。
正直な話、この2人の場合は演技なのか、本当に喧嘩をしてるのかよくわからんな。
これが演技じゃなければ、すぐに仲裁に入らないとキャットファイトに突入しそうな、物騒な雰囲気がその場を支配している。
はた目から見れば2人が大喧嘩をして、他の人達が2人を無視して黙々と紙に何かを書いてるのを、覗き込んでるように見えるはずだろう。
『やっぱり、狙いは私達のようですね。アイネスさん達の会話が止まると、警戒して動きを止めました。でも、少しずつですが、またこっちに接近しています。弓矢を持ってるのが見えましたので、もしかしたらそろそろ何か仕掛けて来るかもしれません』
『どうする?』
『これ以上近づくと、アカネさんが魔狼の臭いに気づきそうですね。私が投擲ナイフを投げるのを合図に、皆さんはレイナを追跡するように伝えて下さい。私はもう1匹を追います』
人数でなく匹で山賊を数えるアクゥアに少し違和感を覚えながらも、アクゥアの指示された内容をアカネに伝えようとした瞬間、アカネが突然に立ち上がった。
「む!? この匂いは……」
「ウーッ!」
アカネが立ち上がると、エルレイナも何かに気づいたのか立ち上がり、山賊がいる暗闇に向かって振り返る。
そして続けざまに、獣のように唸り声を出して威嚇を始めた。
「メリョンがいっぱい、来たでありますかぁああああ!」
アカネの咆哮と同時にアクゥアが立ち上がり、素早く腕を振るような仕草をする。
「ギャッ!?」
投擲ナイフが刺さったのか、奇妙な奇声が暗闇から聞こえた。
『レイナ、狩りの時間ですよ!』
『はい、お姉様!』
アクゥアが目にもとまらぬ速さで走りだし、その後を野獣姫が追いかける。
アズーラも、急いで悪魔兜を被り直した。
「糞! 気づいてやがったか!」
「今のはゴブリンじゃねぇな、人間の声だ。やっぱり山賊か!」
「アカネ、エルレイナを追って、うぉお!?」
「キャッ!」
アカネにいきなり担がれて、そのまま凄いスピードで走り出した。
なぜかアイネスも、もう片方の腕に担がれていている。
「メリョンはどこでありますかー!」
「ちょっ、アカネ!?」
「待つでメリョォオオオオン!」
「メリョンじゃねぇよ! 山賊だっつぅの!」
魔狼の毛皮の臭いのせいか、アカネが暴走モードに入ってしまった。
アイネスの叫びやアズーラのツッコミも耳に入ってないようだ。
「でも、こりゃ楽で良いな。ハヤト達を運んで、そのまま山賊を追い詰めてくれ」
「あいあいあー! あいあいあー!」
迷宮の奥から、エルレイナの奇声が聞こえる。
「アズーラ、それですよ!」
「あん?」
「山賊を、行き止まりに誘導するんですよ! アズーラ、山賊は見えますか!」
「山賊は見えなかったけど、エルレイナがさっき見えたから、その先に山賊がいるはずだ」
アカネの肩に担がれて、俺達は後ろしか見えない状態になってるので、アイネスが隣を走るアズーラに状況を確認する。
体力が無い俺達には、確かにこっちの方が都合がいいのかもしれない。
激しく揺れて、ちとしんどいけど……。
「待つでメリョン! ガァアアアア!」
「おお? 魔物が逃げてくぜ。こりゃ便利だな」
耳を塞いでも鼓膜を強く刺激する魔狼亜種並みの咆哮に、魔狼亜種と勘違いしてるのか、逃げる魔物達の後ろ姿が視界に入る。
「アカネ、メリョンが左に移動しました!」
「待つでメリョン!」
「おい! こっちは違うぞ!」
「いえ、こっちで良いんです! 私の記憶が正しければ……。アズーラ、これを持って奥を照らして、山賊を探して下さい!」
「おうよ!」
迷宮灯の底蓋を外し、それをアイネスがアズーラに渡す。
しばらくアカネに揺られながら、1本道を走り続ける。
「いたぞ!」
「糞! 待ち伏せかよ!」
「あいあいあー!」
アズーラの嬉しそうな声と同時に、悪態をつくような台詞が聞こえた。
身体を捻って前を見ると、黒い人影が別の道に方向転換したのが見えた。
その後ろを、2本のシミターを振りまわすエルレイナが、追いかけて行くのも確認できた。
「かかりましたね! この先は、行き止まりのはずです! そこに山賊を追い詰めます!」
「なるほどな!」
「アカネ、右にメリョンが移動しました!」
「待つでメリョン!」
地図と位置関係を把握しているアイネスが機転を利かして、巧みなアカネさばきで、徐々に山賊を行き止まりへと追い詰めて行く。
いくら『豪腕の血』のおかげでアカネに腕力があると言っても、2人を抱えたまま走っているようでは、山賊とエルレイナに追いつくことは不可能だろう。
常に先回りをするように動くというアイネスの待ち伏せ作戦は、なかなか良いアイデアだと思う。
「アズーラはこの先を左に行って、途中にある分かれ道を目指して、そこで待ち伏せをして下さい! アカネの咆哮に警戒してこっちの私達と出会う道では無く、アズーラが行く先の道を選ぶはずです! そこから誰もいない、行き止まりの道へ、皆で誘導して下さい!」
「よっしゃー!」
アイネスの予想通り左へ進む分かれ道が現れたので、アズーラがそっちの道へ入っていく。
「アカネ、奥にメリョンが見えましたよ! メリョンはもう目の前ですよ!」
「メリョォオオオオン!」
口から涎なのか泡なのか分からない物を撒き散らし、俺とアイネスを担いだハラペコ狼娘が更に加速した。
「あいあいあー! あいあいあー!」
アイネスの予想通りこっちの道に警戒して道を曲がったのか、山賊を追いかけていたエルレイナが別の道に入って行くのが一瞬見えた。
そして通せんぼするように待ち構えていたアズーラと合流して、山賊とエルレイナを追いかける。
「ちくしょうが! クソッたれめ!」
「あいあいあー! あいあいあー!」
争う声が耳に入って、身体を捻って迷宮の奥を見る。
行き止まりに誘導された山賊と、エルレイナがお互いの剣を使って、火花を散らしながら戦闘をしている。
でも、剣術の腕はエルレイナの方が上なのか、山賊の方が追い詰められている感じだ。
「あいあいあー!」
「ぐあッ!」
エルレイナの激しい猛攻に、ついには握っていた剣を手放して、山賊が尻餅をついた。
やっと追い詰めたと思った瞬間、突然にアカネが加速した。
「メリョンはどこでありますかぁああああ!」
「ちょっ、アカネ!?」
「ッ!?」
アカネの咆哮に反応して山賊がこちらへ振り返った瞬間、鈍い衝突音が耳に入る。
あっ、山賊が……。
本日一番の加速を見せたアカネの膝蹴りが、山賊の顔面に当たったようだ。
どうみてもこれは、交通事故である。
アカネ自動車に衝突した山賊が、地面を激しく転がっていくのが見えた。
「キャッ!?」
急ブレーキをかけて、乱暴にアイネスと俺を地面へと放り投げると、アカネが仰向けに倒れている山賊に飛び掛かった。
腕に投擲ナイフの刺さった山賊が、完全に気を失っているか大の字になって倒れている。
「これはメリョンじゃないでありますよ!? どういう事でありますかぁああああ!」
「……」
臭い隠しと擬態のためだと思われるが、山賊が着ていた魔狼の毛皮を両手で掴むと、それを素手で左右に引き千切った狼娘。
気を失った山賊の両肩を掴んで起き上がらせると、まるで騙されたと言ったかのような怒り狂った形相で、アカネが山賊を激しく前後に揺さぶる。
山賊をフォローするわけではないが、山賊は別に君を騙してないからね?
騙したのは、う詐欺娘だから……。
「落ち着きなさい、アカネ。それよりも、すぐにアクゥアを探して下さい。アクゥアと合流したら、お昼御飯にしましょう!」
「お昼御飯でありますかぁああああ!」
アカネ、うるさい。
口から涎を垂らした腹ペコ狼娘が、人目というかお嫁に出せないような形相で、こちらに振り返る。
手慣れた様にお昼御飯を餌にして、アイネスがアカネを誘導している。
「ガルルル! ……たぶん、こっちであります!」
未だに怒りが収まらないのか、若干怒ったような表情で耳を澄ますような仕草をすると、暗闇を指差して俺達を誘導し始める。
気絶した山賊の手足を、魔樹の蔦で手際良く縛ったアズーラが、乱暴に首根っこを掴んで引き摺って来る。
「恐らく迷宮に潜んでるのは、2人だけではないはずです。アクゥアと合流次第、尋問して仲間の居場所も吐かせましょう!」
「それと、お昼御飯であります!」
「山賊は捕まえて迷宮騎士団に渡せば、賞金が貰えるからな」
「フフフ……賞金、賞金ですよー!」
「な、なるほど」
腹ペコで目をギラギラと光らさせるアカネと、賞金にありつけるからか目をキラキラと輝かせたアイネスに先導されるようにして、移動を始める。
もう1人の山賊を追ってるアクゥアを探すために、足早に迷宮内を移動することにした。




