となりのラウネ
「マルシェルがおかしいんじゃねぇよ。おかしいのは、アクゥアの方だ。あんな離れ技を、俺達みたいな子供がやれるとは思わねぇだろ?」
「確かにな」
アズーラに言われて俺が視線を移動させると、桜の木の近くで投擲練習をしている黒猫娘と狐娘が目に入る。
昨日のアクゥアの離れ技に刺激を受けたのか、いつも以上に真剣な表情でエルレイナが投擲ナイフを投げている。
『レイナ、力み過ぎですよ。慌てることは無いのです。貴方はできる子なのですから、技を1つ1つ確実に修得していきなさい』
『はい、お姉様!』
そう言うと、アクゥアが突然に走り出した。
手に持っていた複数の投擲ナイフを、走りざまに次々と投げていく。
投げたナイフは、見事に的板の中心に綺麗に刺さっている。
それを食い入るように見つめるエルレイナ。
『さあ、次はレイナの番ですよ』
『はい、お姉様!』
エルレイナもアクゥアの真似をして走り出し、投擲ナイフを投げる。
投げたナイフは的板に刺さったが、アクゥア先生のようには中心に刺さらない。
今日から修業のレベルが上がって、激しく動きながらでも投擲ナイフを狙った的に当てる練習を始めだしたが、さすがのエルレイナも修得に苦労しているようだ。
「アレを見りゃあ、分かるだろ? エルレイナも才能がある方だが、アクゥアは桁違いだ。普段のアクゥアを知らなきゃ、誰だって信じねぇよ」
「アクゥア殿は、すご過ぎるであります。あむ、んぐ」
腕立て伏せをしているアズーラの背中に座って、アクゥアの投擲技術に感心するアカネ。
ツアングさん達の早朝訓練も終わって、アイネスが用意してくれた朝食のパンをモシャモシャと食べている。
4本同時投げで、見事に迷宮蜘蛛を倒したアクゥアの話を信じてもらえなければ、俺達は迷宮蜘蛛に何度も挑んだことになる。
普通に投げて的に当てるのでも難しいのに、天井に向かって投げて迷宮蜘蛛の目に当てるのは、更に難しいからね。
アズーラの話によれば1つ目の迷宮蜘蛛になると、俺達が戦った魔物の倍以上の数になるらしいから、他のパーティーと小隊を組んで戦ったと説明しない限りは、絶対に信じてもらえないとのこと。
背中にアカネを乗せ、俺に説明をしてくれながら腕立て伏せを繰り返すアズーラ。
アズーラの顎のラインを伝わって、大粒の汗が地面にポタポタと落ちている。
「それに俺達は、転職したばかりでレベルも低かった。普通に考えれば、1つ目になった蜘蛛の巣と正面から喧嘩するなんて、自殺しに行くようなもんだぞ。あの時アイネスが、ゴブリンウォーリアと戦うのに必要なレベルを言ってただろ? あの時の俺達に、そんなレベルの奴はいたか?」
「……いないね」
アイネスの話を思い出して1つ頷く。
なるほどな。
そりゃあ、今の俺達が蜘蛛の巣と戦ったと言えば、どう考えてもマルシェルさんを怒らせる状況にしかならないな。
「アカネ、あんがと。もう良いよ」
「了解であります!」
アズーラの背中から飛び降りると、模擬剣が立て掛けられているテーブルに駆け寄る。
ツアングさんが置いていった、アカネの身長もある大剣の模擬剣を2本持つアカネ。
投擲の練習をしているアクゥアとエルレイナに駆け寄る。
「アクゥア殿、1本お手合わせをお願いするであります!」
『良いですよ』
会話ができないので、いつものように指を1本立てるような仕草をするアカネを見て、アクゥアが1つ頷く。
アカネから模擬剣を1本受け取ると、アカネとアクゥアの訓練が始まった。
狼娘より小さな体の猫娘なのに、アカネに負けないくらいの激しさで斬撃を繰り出すアクゥア。
不良牛娘並みのパワーで大剣を振り回し、本気を出すと野獣姫以上の素早い動きで移動するので、アカネが苦労しながら剣撃を捌いてる。
「蜘蛛の巣と喧嘩して勝った理由を作るなら、俺達が加護持ちだったから勝てたくらいの話じゃないと、納得はしてくれないだろうな。いよっと!」
「そうか、それは厳しいな」
しばらく横になって、アカネ達の訓練を眺めて休憩していたアズーラが、おもむろに逆立ちをする。
逆立ちをすると、その状態で腕立て伏せを始めた。
器用な奴だな。
俺も後で、筋トレをしないとな。
部屋に戻ろうにも、久しぶりの休みなのでアイネスとロリンが家中を大掃除している。
今は部屋に入ると邪魔だと怒られるから、家に入ることもできない。
しばらく手持無沙汰なために、修業熱心な女性達をボーッと眺めつつ、アイネスが作ってくれたヴァルディア語の書き取りの宿題に目を通す。
アイネスが受け取った報酬金から最近の収支を計算して、このペースの稼ぎなら問題無いだろうということで、今日はせっかくのお休みを取ったのにみんな頑張るよな~。
まあ、仮にも戦奴隷と呼ばれるような獣人達だから、常日頃から身体を鍛えて魔物と戦える状態にしておこうとする意識が強いのかもしれないけど。
うちは働いて稼げた分、奴隷達の衣食住にも還元させるというやり方にしてるから、皆が張り切るのも仕方ないのかもしれないね。
「お! 面白いことを思いついたぜ」
逆立ちした状態で、突然にニタァ~と悪戯を思い付いたような笑みを見せる不良牛娘。
ひょいと身体を元の状態に戻すと、悪魔騎士鎧の籠手のみを装備する。
そしてなぜか、テーブルに立て掛けていた2本の木刀を持ち歩く。
「おい、エルレイナ。手を貸せ」
「あいあいあ?」
投擲の練習をしてるエルレイナに、2本の木刀を投げる。
木刀を受け止めると、エルレイナが不思議そうに首を傾げる。
「たまには、アクゥアを負かしてやろうぜ。3対1なら、さすがに勝てるだろう!」
そう言うといきなり走り出し、アカネと模擬訓練をしている死角を突くように、飛び回し蹴りを食らわす。
しかし、後ろに目でもあるのかその蹴りをしゃがんで避けたどころか、お返しとばかりに勢いよく蹴りが返ってきた。
「ぬお!?」
『不意討ちですか?』
『アズーラが、3対1だったらアクゥアに勝てるんじゃないかって』
『……なるほど』
俺がそう言ったら、何やら納得したように頷く。
アズーラ、アカネ、エルレイナと順番に視線を移す黒猫娘。
状況のよく分かってないアカネに、アズーラが説明をしている。
『苦無ならまだしも、私の苦手とする剣を使い、3人相手と言う不利な状況。……ふむ、悪くないかもしれませんね。良いでしょう、お相手しましょう。ただし……』
大剣の模擬剣を正眼に構えると、楽しそうな笑みを見せる黒猫娘。
あー、アクゥアが尻尾を左右に振ってやがる。
あの顔は不味いぞ~。
『私も、少し本気を出しますので、多少骨が折れても許して下さいね。大丈夫です。ハヤト様が治してくれますから』
可愛らしい顔で、恐ろしいことを宣言するアクゥア先生。
俺がその言葉を皆に伝えた瞬間、アズーラとアカネの小さな悲鳴と共に、裏庭が地獄の戦場と化した。
* * *
『アクゥア、お疲れ』
『あっ……ありがとうございます。久しぶりに、良い汗をかいた気がします』
アクゥアにタオルを渡してやると、顔に流れる汗を拭い始める黒猫娘。
かなり機嫌が良いなのか、腰から生えた黒い尻尾も楽しそうにパタパタと揺れている。
『さっき片方の目を瞑って戦ってたけど、よくそんなんで戦えるな』
『え? あー、アレはちょっとした理由があるんです。少し本気を出した時に片目を瞑って死角を作らないと、皆さんと力の差がつきすぎて勝負にならなくなるというのもあるんですが……』
ちなみに以前、狼の集団を蹴散らすために両足を一刀両断した時も同じことをしてたらしい。
アレで少し本気なら、全力のアクゥアはどこまで強くなるんでしょうね。
「アカネ? アジュ? あいあいあ?」
裏庭で屍の如く倒れているアカネとアズーラの頬を、エルレイナが指でぷにぷにと突く。
「アクゥア殿……強過ぎで……ありますぅ~」
「くっそー、絶対いつか……負かしてやる……」
ハァハァと荒い息遣いをしながらも、何とか絞り出したかのような声がしてるので、一応は生きているのだろう。
やっぱり骨を折られるのは嫌だったのか、2人とも死に物狂いでアクゥアの猛攻を捌いてたからな。
まあ、アクゥア先生がそんなひどいことをするとは思えないので、2人のやる気を出させる為に言ったんだと思うが。
エルレイナだけはいつもと違う状況に、楽しそうな表情で混ざってたけど。
さすが野獣姫である。
ぶっちゃけ、アクゥアには苦無を持たせた方が安全だったかも。
アクゥアが回ってるのか、大剣が回ってるのか判断がつきかねるような状態だったからな。
『私も修業中の身とは言え、まだまだ皆さんには負けませんよ。でも、このような修業もたまには良いかもしれませんね。レイナの連携訓練にもなりますし……。レイナ、またやりましょうね』
『はい、お姉様!』
エルレイナの頭をアクゥアが撫でると、狐娘が嬉しそうに尻尾を左右に振る。
どうやらアズーラの悪巧みは見事に失敗し、アクゥアの修行メニューに消化されてしまったようだ。
素人目から見ても、アクゥア先生は修羅場の数が違うような動きをしてますからね。
「皆さん、お昼御飯ですよ~」
「!? お昼御飯でありますかぁああああ!」
裏庭のテーブルに料理を並べ終えたアイネスが声をかけると、予想通りアカネが勢いよく立ち上がる。
口から涎を垂らしながら、物凄い形相でハラペコ狼娘が走って行った。
皆が席に着くと、俺の「いただきます」の言葉と共に皆が食事を始める。
「午後は予定通り、雑貨屋に行こうと思います」
「ほいほい。迷宮蜘蛛が、高く買って貰えると良いね」
「そうですね」
アイネスも楽しみにしているのか、ご機嫌な笑みを浮かべている。
昼食が終わると、ロリンも一緒に連れてアイヤー店長のいる雑貨屋に足を運ぶ。
「これでようやく、アズーラの鎧代の借金が返済できましたね」
アイヤー店長から借金返済済みの証明書を受け取ると、アイネスが満面の笑みを見せる。
俺達の希望通りに迷宮蜘蛛も20万セシリルで買い取ってくれることになったので、そのお金を迷宮探索で稼いだお金に足して無事に返済することができた。
「さすが、シャッチョーさんネ! これからも、もっともっと迷宮蜘蛛を取ってくるネ!」
「えーと。うーん、そうですねぇ……」
「どうしたネ?」
アイネスと俺が互いに見やって困ったような表情を見せると、アイヤー店長が不思議そうな顔をする。
とりあえずは、マルシェルさんの言い訳対策にサリッシュさんとツアングさんの協力は約束してもらえた。
代償として、我が家のお風呂入浴にもう1分隊を増やす事を約束されたがね。
「良いじゃないか、ツアング。協力してやれ。その代わり、明日からの風呂は1分隊追加だがな」
「なるほど。それはアリですね」
とアイコンタクトでやりとりをした後に、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべる2人に、アイネスは渋々頷くしかなかったからな。
また迷宮蜘蛛を倒しに行こうとしたら、その度に我が家に来る迷宮騎士団の数が増えるから、しばらくはこの手は使えなくなったんですよね~。
マルシェルさんの雷が落ちないくらいのレベルになったら、また倒しに行きますと事の顛末を話したら、アイヤー店長も「それはしょうがないネ」と納得してくれた。
「うわぁ~。アクゥアさん、真っ黒になっちゃったね」
「アクゥア殿、格好良いであります!」
『レイナ、どうですか? 似合いますか?』
『はい、お姉様! はい、お姉様! はい、お姉様!』
アカネ達の会話が耳に入ったので振り向くと、新装備に着替えたアクゥアが目に付く。
黒猫娘の周りを、楽しそうにピョンピョンと飛び跳ねる狐娘。
ロリンが言うように、そこには全身を黒に包まれた忍者娘が、新装備の着心地を確認していた。
「ちゃんとサクラ聖教国に頼んで作ってもらった、サクラ聖教国製の忍装束ネ! 仕事は完璧ネ!」
自分は注文しただけなのに、まるで自分が作ったかのように自慢気に胸を張る狐店長。
前回この店に寄った時に、忍装束が置かれているのをアクゥアが見つけて、すごく欲しがってたんだよな。
自分のお小遣いで払うからと言って、特注サイズをアクゥアが店長にお願いしてたんだっけ?
『今は家計が苦しいのですから、私のお小遣いを使って下さい』と言って、惜しみなく装備代に充てるとは何て良い子なんでしょう。
『ようやく、私らしい装備が手に入りましたね』
1万セシリルもかけて作っただけに、服の素材もデザインも中々に良さげだ。
ただし防御力は0なので、代わりにアカネ達と同じく迷宮蜘蛛の硬い皮でできた胸当てや籠手等を、忍装束の上に着ている。
ようやく普通の皮装備から卒業できましたね。
まあ、基本的にアクゥアは魔物の攻撃が当たらない子なので、紙装甲でも全然問題無いと思うが。
獣耳が出せる目出し帽を頭に被ると、目元以外は黒に包まれた忍者猫娘が完成した。
「これで迷宮に潜ったら、アクゥアを完全に見失いそうですね」
「本当だな」
隠密の能力が高くなる狩人に転職したせいか、ただでさえ意識してなければアクゥアを見失うことが多いのに。
この装備で忍び寄られたら、魔物の暗殺がやりたい放題な気がするぞ。
ふと誰かがいないことに気づいて、俺達の話の輪に加わってないアズーラを探してみれば、店の棚に陳列された高い酒達をどれにしようかなーと楽しそうに眺めていた。
アイネスから、1万セシリルのお小遣いを貰う権利を手に入れているから、不良牛娘がそうなるのは仕方ないか。
アクゥアの迷宮蜘蛛の装備と投擲ナイフを20本買って、何とか予算内で装備を買い終えることができた。
家に帰り着くと、祝勝会に向けて気合い十分なロリンと一緒に、アイネスが台所に入って行った。
俺も筋トレをして、良い汗をかいた後は風呂に入って、祝勝会が始まるまでを居間でヴァルディア語の勉強をして過ごす。
日が暮れ出した頃には、テーブルに料理が次々と並び始める。
「これはまた種類が多いな」
「フフフ。今回は前回ほどの稼ぎが無いので、あまり食費には充てれませんでしたが、その代わりに違う物を作りました」
さすが、侍女時代には厨房が忙しい時に、助っ人としてヘルプを頼まれていただけのことはあるな。
限られた食材を使って、違う料理ができるのは素直に凄いと思う。
俺の「いただきます」の合図と共に、賑やかな祝勝会が始まる。
「アカネ、あいあいあー」
相変わらず腹ペコ狼娘は、大皿から肉の海を飲み干すかの如く、一心不乱に食べている。
顔中に肉汁を付けて行儀の悪い食べ方をするアカネを、エルレイナが呆れたように見ている。
「ふむ、少し出遅れたか。ほら、土産だ」
「よっしゃー! 待ってました!」
「仕事がいつ終わるか分からないから、先に始めてくれ」と言っていたサリッシュさんが、祝勝会に顔を出す。
サリッシュさんから渡された酒を、嬉しそうに受け取る不良牛娘。
ツアングさんは「用事があるから」と、風呂に入って幸せそうな表情になってる騎士達と一緒に、寮へ戻って行った。
「マルシェルの件は、上手く誤魔化しておいたぞ」
「ありがとうございます。助かります」
「気にするな。こちらも風呂に入れる人数が増えたから、喜んでる者が沢山いるからな」
副団長であるサリッシュさんの話によると、うちの風呂に入る権利を得る抽選会は、1日で一番盛り上がるイベントになってるらしい。
急な人事異動のせいで落ちていた部下達の士気が、日に日に上がってきてるということで、かなりご機嫌な表情で語ってくれる。
「さて、昨日も軽く教えてもらったが、今日はもう少し詳しく教えてもらおうか。マルシェルにも聞いたが、感情的に喋るからどうにも要領を得なかったからな」
酒の肴にとばかりに、最近の俺達が迷宮でしてきたことを詳細にアイネスが語り始める。
アクゥアの投擲ナイフ4本同時投げの件については、予想通りかなり驚かれた。
でも、ゴブリン亜種を討伐した日に、多少なりとアクゥアの投擲技術を見てるからか、感心した様子で頷いていた。
当の本人は、食後のデザートである高級メリョンを食べ終え、お茶の入った湯のみを静かに飲んでいる。
俺の隣で座布団の上に正座をして、相変わらず姿勢が良いことで。
「あいあいあー、あいあいあー、あい、あい、あー」
謎の歌をご機嫌に唄う狐娘に目を向ければ、まっしろしろすけならぬ白ラウネ達を畳の上に並べていた。
ラウネ畑の中心で、眠るように仰向けの状態に倒れている狼娘。
高級メリョンによる痛恨の一撃を胃袋に受けて、前回と同じく白目に半笑いの状態で、天国へ旅立ってしまった。
天国にいる俺の親父とお袋に、「ハヤトは異世界で、元気にやってる」とよろしく言っといてくれよ。
正直な話、コレにキスをして目覚めさせろと言われても、迷うことなく断る自信がある。
どんなに可愛くても白目に半笑いの状態で、涎を垂らしながら眠っている女性がいたら、ドン引きするのが普通だと思うし。
もしコレに口づけできる猛者がいるのなら、勇者と呼んでやってもよい。
俺なら間違いなく、糞不味いラウネの実を千切って口に運んで、優しく起こしてあげる選択を選ぶだろう。
ラウネ畑の中心で眠る白ラウネ姫は放置して、女性達の賑やかな祝勝会は、今回も夜遅くまで続きそうだ。




