蜘蛛の巣(前編)
『いました』
アズーラ達がゴブリンウォーリアと戦闘をしている最中に、アクゥアが何かを見つけたらしい。
ナイフホルダーから投擲ナイフを1つ取り出し、暗闇の奥に向かって投擲ナイフを投げた。
「キャイン!」
「あいあいあー! あいあいあー!」
おそらく投擲ナイフが刺さったのだろう。
犬のような悲鳴に反応した誰かさんが、そっちに向かって駆け出した。
迷宮灯の光が届かない薄い暗闇の中を、狐耳を生やした野獣姫が飛び跳ねている。
『アイネスさん、コボルトスリング、です』
「分かったわ、ありがとう。アクゥアがいると、本当に助かるわね」
2人の会話のやり取りに耳を傾けながら、さっきコボルトスリングを倒した時に拾ったスリングとやらに視線を落とす。
石を載せるための皮をなめした物に、魔樹とやらを使ったと思われる2つの細長い紐がついている。
片方の紐の先には輪が作られており、これに指を通して振り回した後に、輪が無い方の紐を指から放して石を投げる原理のようだ。
理屈は何となく分かるが、いざ自分がやってみると意外と難しい。
さっきやったら、予想通り明後日の方向に石が飛んで行った。
修得は難しそうだから、家に帰ったらもう少し練習してみようと思ってるが、皆の反応はあまりよろしくない。
アイネスに「旦那様がそれを使うと、後ろからいつ石が飛んでくるか予測がつかなくて危ないですから、家で玩具として使う程度にしてくださいね」と笑顔で言われた。
これが使えるようになったら皆の役に立つかなと思ったが、実戦投入はしばらく無理そうだな。
『終わったみたいです』
アクゥアに言われて視線を前に移すと、アズーラ達がゴブリンウォーリア達を倒してこっちに戻ってきていた。
俺達もアズーラ達に合流しながら、再びスリングに目線を落とす。
スリングも修得さえできれば、弓矢のように距離のある所から狙い撃ちできるので、かなりの脅威となる。
頭に当たると打ち所が悪ければ死ぬので、この階層から兜を被ったりするのは基本だ。
でも俺達の場合は、コボルトスリングがスリングを使おうとする前に、夜目の利くアクゥア先生が先に投擲ナイフで投げさせないように邪魔をするので問題無い。
本来、ゴブリンウォーリアとコボルトスリングは危険な組み合わせだが、我がパーティーにはアクゥア先生がいるので、ゴブリンウォーリアのみに集中できるので楽に見えてるだけだ。
コボルトスリングは物理防御の薄い魔法職泣かせな魔物なので、アイネスがアクゥアにありがたみを感じるのも分かる気がする。
「お腹が空いたでありますぅー」
「はいはい。アカネのお腹も空いたみたいなので、一度5階層に上がって昼休憩をしましょう」
「了解であります!」
「おっしゃー。昼寝の時間だ」
『昼飯にするから、5階層に移動するって』
『はい、分かりました。レイナ、行きますよ』
『はい、お姉様!』
アカネの腹時計が鳴り始めたようなので、安全な場所を確保しやすい5階層に戻ることにした。
移動中にさっきエルレイナが仕留めた、コボルトスリングの屍が目に入る。
相変らず犬の頭なのだが、初級者迷宮のような子供サイズではなく、大人サイズに大きく成長している。
ただし、ゴブリンのような肉付きの良い身体ではなく、格闘は苦手そうな細身な体型だ。
基本的にゴブリンウォーリアの舎弟のような感じで集団に付き従って、ゴブリンウォーリア達の戦闘の支援をする役目を担ってるみたいだな。
5階層に移動すると適当な小部屋を見つけ、ゴブリン亜種のミイラ首を入口前に置くと昼食が始まる。
お昼御飯を食べ終えれば、アカネやアズーラは思い思いに昼寝を始めた。
エルレイナとアクゥアは、ゴブリン狩りをする為に近くの部屋に出かける。
「お茶のお代わりは要りますか?」
「うん、いる」
ご機嫌な様子のアイネスに、携帯水筒のお茶を注いでもらう。
まあ、昨日の午後から6階層の攻略を始めたけど、アイネスが予想してた以上に順調みたいだし、機嫌も良くなるか。
アズーラの話だと、5階層のゴブリンは後先考えずに皆が一斉に突っ込んできたり掴みかかったりするから、意外としんどいと文句をたれていた。
数で来られるとすぐに身動きが取れなくなる恐れもあって、それを警戒して激しく動き続けるからだそうだ。
逆にゴブリンウォーリアは、手に持った武器で倒すことを優先するから、全身鎧で適当にうろついても問題無いらしい。
黒鉄製の全身鎧だと、硬さが普通の鉄にも劣る迷宮蜘蛛の剣の斬撃をいくら受けても、傷つきはするがまだまだ壊れる気配は無いようだ。
昨日、アクゥアが念入りにチェックしてたけど、アズーラが囮になってあえて攻撃を受ける戦法をしばらく続けても、問題無いだろうと言ってたし。
アズーラが囮役でゴブリンウォーリアの注目を惹いてるうちに、アカネが各個撃破していけば良いしね。
ツアングさんの鍛え方が良いのか、対ゴブリンウォーリア戦に関する戦術をいろいろ仕込まれてるようだしな。
大人ゴブリンは、正式にはホブゴブリンと呼ばれる180cmの大きなゴブリンだが、アカネは大して脅威に感じてないみたいだ。
「ゴブリンウォーリアより、ツアング殿の方が怖いであります」とアカネに言われて、確かになと思った。
大剣を軽々と振り回して、騎士鎧に身を包んだ狼人のツアングさんに追いかけられたら、ホブゴブリンでも全力で逃げだしそうである。
剣を杖代わりにしてヨロヨロとお婆ちゃんみたいに歩きながら、逃げる一角兎を「早すぎるでありますぅ~」と見送ってた頃に比べれば、アカネは驚異的な成長をしたよな。
最初の頃は、皆の戦闘を俺と一緒に見てただけの戦闘は役立たず組にいたくせに、いつの間にやら役立たずは俺のみになってしまっている。
でも、このスリングさえ使えるようになって、アイネスの苦手なコボルトスリングをアクゥアみたいに華麗に撃退できれば、もしかしたら……。
「旦那様、素敵! 抱いて!」とか、ネット小説でチョロインと言われるような、すぐにデレる兎娘が現れたりしませんか?
「何か言いましたか?」
「アイネス、俺がスリングを使えるようになったら嬉しい?」
「え? まだそんなことを言ってるんですか? このパーティーにはアクゥアがいますので、旦那様がその玩具を使うことは一生ありませんよ? 旦那様はそんな玩具で遊ぶことばかり考えずに、教皇になることだけを考えてくださいね」
しませんでしたー。
この異世界には、御主人様に優しいオッパイ兎娘はいないようです。
常に現実だけを見てる御主人様にも厳しい鬼兎娘でした。
素敵な笑顔で嫌味付きの台詞を言われて、心で泣きながらスリングを見つめる。
「それにしても、ゴブリンウォーリアの装備を見た時にも思ったが、武具を作る魔物がいるっていうのも恐ろしいな」
「インプは厄介ですね」
そう言ってアイネスが溜め息をつく。
6階層にいる危険な魔物は主に3種類。
剣や盾を使った戦法を得意とするゴブリンウォーリア。
スリングを使った投擲支援を得意とするコボルトスリング。
未だその姿を見たことはないが、魔物達の鍛冶師的ポジションであり、生産支援を得意とするインプと呼ばれる小賢しく、臆病者な赤い小悪魔。
この3種類がお互いをうまく支援し合うことで、総合的なレベルを上げてるようだ。
1匹1匹は大したことないが、魔物達が協力し合って迷宮内でチームを作ってるようなので、6階層以降の難易度がぐんと上がってるみたいだな。
「ゴブリンとは違うのだよ。ゴブリンとは!」とゴブリンウォーリアの3倍くらいの動きで避け、『紅銀狼』仕込みの二刀流剣術を使う野獣姫。
「好きなだけ攻撃して来い。効かないけどね?」と我が物顔で斬撃の嵐を歩く、闘牛術も使える黒鉄製全身鎧の悪魔騎士。
サリッシュさん曰く「アカネはその辺の若い中級探索者より、腕力があるぞ」と褒められた、痩せた身体に似合わぬ腕力を持つハラペコ狼娘。
闇に隠れてこちらを狙うコボルトスリング達を、命中率100%の投擲ナイフで撃ち落とし、格闘苦手な狩人なのに闘牛術で不良牛娘にも勝り、遊撃もできる『なんでもできるニャー!』な黒猫忍者娘。
元侍女なのに貴族がするようなガヴァネスの語学教育を受け、魔法使いへ転職することに成功した、魔法攻撃支援や作戦参謀もできる兎耳魔法使い。
と、我がパーティーの優秀な5人を見てるから、大したことないように見えるけどね。
帯鎧の軽装備で、一般的な戦士のみの探索者パーティーからすると、かなりしんどい戦いになりそうだよな。
もしかしたら、他の中級探索者達はもっと苦労してるのかもしれないね。
多少性格に難ありな所を除けば、探索者生活を想定した戦奴隷としては、ある意味ハズレ無しだよな。
彼女達を薦めてくれたホーキンズさんには、感謝してもしきれないな。
俺の役立たず具合が、ますます際立って行くぜ!
喜びが日に日に増していくのに、哀しみも日に日に増していく不思議!
「ゴブリンウォーリア達も問題無いようなので、午後は少し足を延ばして7階層に挑戦してみましょう。1分隊のゴブリンウォーリアの数も少し増えるらしいですが、投擲支援が得意なアクゥアもいますし、私も魔法が使えますから、たぶん問題ないでしょう」
「ふーん。分かった」
「この調子でいけば、もしかしたら今旬月中には10階層を踏破できるかもしれませんね」
悪魔騎士鎧の借金を早く返したいのか、アイネスは早く下層へ下層へと潜りたがる。
深層に近づくほど稼ぎがよくなるからと、嬉しそうに語るアイネスに先導されながら6階層を移動していると、見慣れない光景が目に入る。
迷宮内の地面や壁から、大きな筍のような赤黒い石の塊が生えている。
「アイネス。さっきから気になったんだけど、この赤いのは何?」
「え? えーと、これは……」
「鉄鉱石だよ。鉄の道具を作るのに使うやつだ」
アイネスが答える前に、珍しくアズーラから質問の返答がやってきた。
へー、こっちの鉄鉱石って地面から生えてくるんだ。
「むー」
「ウシシシシ」
「私は中級者迷宮に潜ったことが無いですし、実物を見るのは初めてですから、少し答えるのが遅くなっただけですよ」
悪魔騎士の兜の中から勝ち誇ったような笑い声が聞こえると、兎娘が頬を膨らませて悪魔騎士を睨む。
しかし今日は機嫌が良いからか、すぐに気を取り直したような表情に戻る。
「でも、鉄鉱石の話ならマルシェルさんの日記に書かれてましたから、少し知ってますよ。旦那様、これを主食にする魔物をご存知ですか?」
「さあ、分からんな」
「迷宮蜘蛛だろ?」
「もー、先に答えないで下さい」
本当は自分がうんちく自慢をしたかったのか、アズーラが勝手に答えたのでアイネスが再び頬を膨らませて睨む。
気を取り直したような表情に戻ると、再びアイネスが口を開く。
「迷宮蜘蛛という魔物は、一角兎やラウネのように迷宮内で産まれる魔物です。迷宮蜘蛛の特徴の1つに、アズーラが言ったように鉄鉱石を食べることで、体内に黒鉄と呼ばれる特殊な鉄を作るというのがあります。アズーラが装備しているこの鎧がそうですね」
そう言ってアイネスが、アズーラの全身鎧をメイスでコンコンと小突く。
「迷宮蜘蛛は人を襲いませんが、放置していると厄介な事をします」
「厄介な事って言うと、ゴブリンウォーリアの剣を落としたり、脱皮した古皮が盾や胸当ての材料にされるって話?」
「そうです。旦那様にしては、よく覚えてましたね」
若干上から目線な言われ方が気になるが、正解したのでまあ良しとしよう。
アイネス曰く、迷宮蜘蛛は腹いっぱい鉄鉱石を食べると、ケツから剣のような物を捻りだして落とすらしい。
超硬いアレみたいな物か。
人を斬ることができるアレで殺されるとか……死んでも死にきれんな。
まあ、そんなことは置いといて。
迷宮蜘蛛が生み出す『迷宮蜘蛛の剣』と言うのは、剣の形で硬質化させる為に特殊な物質を混ぜ合わせているらしい。
そのため、不純物が多くて黒鉄製までの頑丈さは無いとのこと。
せいぜい通常の鉄剣程度の硬さで、黒鉄製の武器と激しくやりあってるとすぐに刃こぼれが発生するみたいだ。
そういえばゴブリンウォーリアを倒した後にじっくり剣を見た時、刃が欠けてるなーとは思った。
しかも、柄も鞘も鍔もない刀身が剥き出しの剣なので、魔物専門の鍛冶師であるインプが加工して、持つ所の刃を潰さなければ持つこともできない、扱いずらい剣みたいだな。
鍛冶師が剣を持ちやすいような柄を作ったりをしてくれてないので、普通の剣に扱い慣れている探索者からすれば使えない剣らしい。
拾えばタダで剣が手に入るじゃんと思ったが、そこはそんなに甘くないようだ。
「鉄鉱石が多いな、これは早く抜けた方が良いかもしれないぞ?」
「アズーラ、なぜです?」
アイネスがうんちくを自慢げに語ってると、アズーラが落ち着きなく周りをキョロキョロと見回していた。
よく見ればアクゥアも周りを警戒するように、しきりに視線を動かしている。
「そりゃあ、おめぇ……」
「何か来るであります!」
アズーラが何かを言い終わる前に、アカネが突然に叫ぶ。
それと同時に、黒い大きな影が天井をものすごい早さで横切った。
「な、何ですか……」
アイネスが恐る恐る迷宮灯の底を外して、懐中電灯のようにした迷宮灯で天井にいる何かに光を当てる。
そこにいたのは大きな黒い蜘蛛。
大蜘蛛は天井にへばりついて、何やらガリガリと岩を削るような音を立てている。
「迷宮蜘蛛だ。鉄鉱石を見つけて、やっぱりこっちにやってきやがったか……」
「また何か来るであります! 今度は沢山いるであります!」
狼耳をピンッと立てたアカネが、パニック状態になったように周りをキョロキョロしている。
まるで四方八方から魔物達がやって来るようなアカネの仕草に、一気に空気が張りつめたような緊張が走る。
「チッ、ツイてねぇぜ。『蜘蛛の巣』に当たっちまったか……」
『ハヤト様! アイネスさんに、迷宮灯をすぐに消すように言って下さい!』
珍しくアクゥアの焦ったような表情から、ただ事ではないと感じたのですぐさまアイネスに伝える。
アイネスが慌てて迷宮灯の光が漏れないように弄ると、辺り一面が光苔の薄暗い光のみになり、ほぼ真っ暗な状態になる。
横に広い大部屋の中で、息を潜める俺達の頭上で、ゴリゴリと迷宮蜘蛛が鉄鉱石を食らう音だけが耳に入る。
しばらくすると暗闇のいろんな所から、沢山の魔物達の奇声や走り回るような音が聞こえ始めた。
今は遠いが、段々と音がこっちに近づいてきてるのが分かる。
「ハヤト、アクゥアに言って皆を安全な所に連れて行くように言え。アカネ、俺はしばらく皆と離れるから、後で俺の匂いを嗅いで探してくれるか?」
「りょ、了解であります」
「アズーラ、何をする気ですか?」
「決まってんだろ。こういう時こそ、俺の役目を果たせねぇとな」
「クキャキャキャキャー!」
ゴブリンともコボルトとも違う独特の甲高い鳴き声が聞こえると、突然に暗闇の中に1つ明りが灯る。
アレがインプか?
生意気にも火球の魔法が使えるインプが灯した火の明りによって、赤い肌を持つ醜悪な顔を持った魔物が現れる。
木の棒のような物に火を付けると、突然にそれをこっちに投げてきた。
「早く行け。俺と一緒にいれば、良い的になっちまう」
「でも、アズーラ……」
「グチグチうるせぇぞ、アイネス! 奴隷は替えがきくが、御主人様は死んじまえば皆おさらばだぞ? 早く行け!」
アズーラもあまり余裕が無いのか、少し乱暴な口調でアイネスを黙らせると、しっしっと手で追い払うような仕草を見せる。
俺達が何か言おうとする前に、アズーラがインプの投げてきた松明を拾い、俺達から離れるように移動し始めた。
『ハヤト様、皆さんもこちらへ。魔物が少ない方へ案内します』
切迫した状況だけは理解できるので、大人しくアクゥアの指示に従う。
皆で手を繋ぎ合いながら、夜目の利くアクゥアに先導されて、暗闇を静かに移動する。
「オルァ! 早く俺を倒さねぇと、おめぇ達の大事な蜘蛛が死んじまうぞ!」
松明を握りしめ、地面に落ちた石を拾うと、天井に貼り付いて食事する迷宮蜘蛛に投げつけるアズーラ。
アズーラの行動に反応したように、暗闇の中に潜む魔物達が興奮したように奇声を上げて騒ぎ出す。
俺達の周りを、沢山の魔物と思われる影が横切っているのが分かる。
どうやら魔物達の興味対象は、蜘蛛を倒そうとしているアズーラへ完全に向いているらしく、俺達のことなど無視して素通りしているようだ。
魔物達が移動した先に視線を移すと、暗闇の中で松明を持つ悪魔騎士に向かって、沢山の石や火の玉が投げつけられている。
松明の明りに照らされて、コボルトスリングだけでなくゴブリンウォーリアの影もチラホラ見えており、かなりの数の魔物がいるのが分かる。
「ハーハッハッハッ! 今日は大量で困っちまうぜ!」
ヤケくそのように高笑いする声に思わず振り返ると、ひどく興奮したゴブリンウォーリア達に囲まれて、棘メイスを果敢に振るう悪魔騎士の姿がそこにあった。




