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神子の奴隷  作者: くろぬこ
第4章 中級者迷宮攻略<蜘蛛の巣編>

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あいあいあーと緑の海

 

「あー、きっつ!」


 腕立て伏せが15回を超えたあたりで腕がプルプルと震えて限界を迎えたので、体勢を崩して畳の上に大の字になる。

 今まで筋トレなんかしてなかったから、急にやろうと思っても予想通りなかなかできないな。

 

 一息ついたら、腹筋と背筋、それにスクワットもそれぞれ15回やっておくか。

 アイネスには、そんなことしても無駄じゃない? 的な事を言われてるが、最近の日課になってる筋トレを再開する。

 エルレイナ以外の3人は、俺はそのままで良いと思うぞ的な事を言って優しくフォローしてくれるが、この辺はやはり男の意地と言うものがある!

 まあ、結果がでそうな気配が全くこないがね……。

 俺もアカネみたいに、素振りでも始めるべきか?

 

「でもさー、戦士職に転職できないのはなんとなく分かるんだけど、神子には転職できて、魔法使いには転職できないというのもおかしな話だよな」


 自分の手の平を見つめながら、思わず愚痴のようなものを呟いてしまう。

 一応、ヴァルディア語を話したり読むことはできるから魔導書は読めるはずだし、魔法使いにはなれそうなものなんだけどね。

 やっぱり異世界人というのが、そのあたりの転職をするための問題事項になってるのかなー?


「ヴァルディア語を書く事が魔法使いの転職条件だと、ちょっと詰む可能性が高いよな……」


 部屋にあるちゃぶ台に置かれてる紙へ目を移す。

 昨日の勉強会でアイネスが書いていた英語の筆記体のような、紙の上にミミズがのたくった文章に目を通す。

 アイネスが正しく書いてくれてた文章は理解できるが、文章が完成されてなければ何を書いてるのかさっぱり分からない。


「どうせ翻訳する能力をくれるなら、書く方もヴァルディア語をスラスラ書けるようにしてくれれば良いのに。中途半端な翻訳能力だな。英語とか超苦手なんだよなー」


 紙にへのへのもへじを書きながらブツブツと呟いてると、扉をノックする音が耳に入る。


「どうぞ」

「旦那様、朝食ができました」

「うい、行くよ」


 俺が書いてる紙をアイネスが覗きこむと溜め息を吐いた。


「まだ諦めてないのですか? 代筆くらいでしたら、私やアカネがしますのに……」

「一応ね。もしかしたらこれを条件に魔法使いにも転職できるかもしれないし、ヴァルディア語を書けないよりは書けた方が良いだろ?」

「そうですけど……。もしかして、今日も身体を鍛えてたのですか?」

「やってるよ。どうした?」


 俺の予想では筋トレが100回できることになるのが、戦士職に転職できる条件とみてるがね。

 この調子で少しずつ回数を増やしていけば、1年後くらいには戦士に転職してるだろう。

 まあ、根拠はまったくないが……。

 

 裏庭に出れば、大量に汗をかきながらアカネを背中に乗せて、片腕で腕立て伏せをするアズーラや、地面に手を置いて逆立ちで器用に腕立て伏せをするアクゥアを見てると、いろいろ自信を失くしそうにはなるがね。

 俺も獣人とかだったらなー。


「正直な話、今から努力したとしてもかなり時間はかかると思いますよ? 探索者ギルドの適正検査で、魔法使いの適正が出てないのですから、文字を書けれるようになったら魔法使いに転職できるという旦那様の予想には、私は少々疑問を感じますね。もう諦めて、素直に神子の道を進んだ方が宜しいのでは無いですか? 幸い、私達のパーティーには巫女に転職をしてる者がいませんし」


 いちいち正論なことを言って、俺の心を鋭利な刃物でグサグサと傷つける兎娘。

 『幸い』という言い方が、地味に傷つくのですが……。

 俺には神子の道しか無いと言いたいのかね?

 確かに、今の俺が考えているのは「こうだったら良いなー」って言う希望的な推理であって、魔法使いの道はほとんど諦めかけてるんだけどねー。


 マルシェルさんに相談した時は、「親が魔法使いの場合は子供も魔法使いになってる人が多いから、親から引き継いだ適正の相性もあるかも?」と言ってたし。

 迷宮探索の経験が長いサリッシュさんに相談した時は、「魔素の濃い迷宮の深層に潜り続ければ、自分のように魔剣士の適正が現れる者も偶にいるから、ハヤトも同じ事をすれば魔法職の適正が出る身体になるかもしれないな」とは言ってたが。

 でも、かなり危険なやり方なので、素人には決してお勧めできないとも釘を刺されましたがね。

 今の所、生活費さえ稼げれば、あえて危険な深層に潜る予定も無いしな。

 魔法職の適正が無かったサリッシュさんが、後で魔法使いの適正が出たという例もあるし、魔法使いへの転職は長い目で見た方が良いのかなー。

 そうなると、やっぱり戦士職の道を模索した方が早いような気もするが……。


「でも、もしかしたら俺も一緒に戦った方が、良い時もあるかもしれないじゃないか?」

「え? 無いと思いますよ。だって皆さん未成年の女性ですが、貧弱な旦那様と違って、予想以上にできる獣人達ばかりですからね。人間の旦那様が奇跡的に戦士職へ転職することができても、皆さんの邪魔になってる状況しか思い浮かばないので、神子の上位職である僧正や大僧正を目指した方が、良いのではないですか?」

「ぐぬぅ……」


 全否定かよ。

 俺がせっかく皆の負担を軽くしてあげようと努力してるのに、君はどうしてそんな心をへし折るようなことを言うのかね?

 いや、アイネスの言ってることはもっともだから、反論の余地は無いんだけどな。

 でも、俺が戦闘に参加すればもしかしたら、もしかしたら……。

 

「ハヤト、ぶっちゃけ邪魔だ。おめぇは後ろに下がってろ」

「ハヤト殿。魔物は私達が倒すでありますから、後ろにいてくれた方がすごくありがたいであります」

『ハヤト様。大変申し訳ないのですが、皆さんの意見に従った方が……アイネスさんと一緒にいて頂けると、私もその……護衛がしやすいので……』

「かいしょうなし! かいしょうなし! あいあいあー!」

 

 あれれ?

 数年後に戦闘へ参加しても、もたつく俺を見た皆が、俺を邪魔者扱いしている未来しかイメージできないぞ?

 しまいには、お姉様に迷惑をかけてる俺にブチ切れたエルレイナに、ラウネを投げつけられるオチまではっきりとイメージができてしまった。

 

 ……やっぱり最悪のことも想定して、神子として一生を生きる選択肢も考えとかないといけないのだろうか?


 いやいや、まだ分からないぞ!

 戦士にさえ転職できてレベルさえ上がれば、初級者迷宮の魔物も何とかなりそうな気がするし、まだ行ってないがきっと中級者迷宮でも活躍できるはずだ。

 うむ、前向きに考えよう。


「はぁー、無駄だと思いますけどね」


 あーあー、聞こえなーい。

 アイネスが隣で何か言ってるが、俺は全然聞こえないもんねー。


 用意された朝食を食べていると、裏庭に皆を呼びに行ったアイネスが皆と一緒に戻ってくる。

 しかし、エルレイナ達の早朝稽古をつけてくれていたはずのサリッシュさんの姿が見えない。

 

「あれ? サリッシュさんは?」

「朝食は食べてきたそうなので、いらないと言われました。エルレイナ達の特訓に毎朝付き合って頂いてるので、せめて朝食はと思ったのですが……」


 サリッシュさんが所属する迷宮騎士団の部下達にお風呂を貸してあげる条件として、今日からサリッシュさんがエルレイナ達の訓練の為に毎朝顔を出してくれるのはとてもありがたい。

 しかし、副団長と言う役職の人を毎朝拘束するのは申し訳ないので、せめて朝食ぐらいはとアイネスが用意していたのだが、断られてしまったみたいだ。

 まあ、1人分くらい余ってもアカネが食べてくれると思うけども。


「さっき話をした時に、アカネの訓練に良さそうな指導者を、そのうち連れてくると言われました。ここまでいろいろしてもらうと、流石に気が引けますね」

「そうだなー。石鹸も買ってもらうようにしてもらったしなー」

「少し、欲張りすぎましたかね?」


 予想以上に、こちらに好条件な内容ばかりを了承してもらったので、さすがのアイネスも気が引けてしまってる感じだ。

 「うちの高級石鹸を使うのでしたら、石鹸の代金はそちらで払って頂くという条件も追加したいのですが」とアイネスが言えば、2つ返事でOKも貰えたしね。

 1つ1万セシリルするサクラ聖教国製の貴族用高級石鹸だから、流石にそれの支払いは嫌がると思ったが、「あの嫌な臭いを消してくれる石鹸を使えないと少し困るな。ふむ、ではうちの迷宮騎士団に請求しておいてくれ。心配ない、それは団長に払わせるから」と意地の悪い笑みを浮かべていた。

 異動された件で、根に持っているのかもしれんな……。

 女性ばかりの迷宮騎士団なので、それだけお風呂を使えるという条件に魅力を感じてるのかもねー。


 サリッシュさんがいないので余ってしまった白パンに、サクラ聖教国製の苺をジャム状にした物を付けて、美味しそうに頬張る狼娘。

 幸せそうな表情をして朝食を食べるアカネを見ていると、メイド服を着た小さなお人形が踏み台を持って、とてとてと歩いてるのが目につく。

 昨日ようやく雑貨屋に届いたメイド服をロリンが着ているが、子供がメイドごっこをしているみたいで可愛らしい。

 踏み台を置くとその上に上がり、いつものように壁に飾ってる日めくりカレンダーをめくった。

 日めくりカレンダーの日付が、春月の73日に変わったのを見て、こっちに来てもう13日も経ったことに気づく。


 朝食を終え、迷宮に潜る準備を済ますとロリンを両親に預けて、いつもの初級者迷宮では無く探索者ギルドへ向かう。


「ご飯代を、いっぱい稼ぐであります!」


 今の食生活レベルを落としたくないアカネは、鼻息を荒くして鞘に入ったロングソードを素振りしながら歩いている。

 ヤル気満々なのは良いが、迷宮に潜るまでにバテるなよ?


「アカネじゃないが、今の食事から前のやつに戻されるのはちと困るから、少しは頑張ろうかねー」

「皆さんの稼ぎ次第では、誰かさんのお酒も今より良い物が、食卓に並ぶかもしれませんね」

「おい、アイネス。今の話は本当だろうな?」

「稼ぎ次第、という条件があるのをお忘れなく」


 アズーラのやる気を出させるために話したつもりなのか、アイネスの台詞を聞いた不良牛娘が身体の具合を確認するように、腕を回し始める。

 魔物より人を狩りそうな悪魔騎士装備なので、そんな殺る気満々な雰囲気を出されたら、傍目から見てかなり怖いんですがね。


『今日から中級者迷宮に挑戦しますので、魔物が少し強くなりますが、レイナなら大丈夫です。皆さんの美味しい御飯を食べるために、頑張って魔物を倒しましょうね』

『はい、お姉様!』


 姉妹のように仲の良い二人組に先導されながら探索者ギルドに到着すると、まずは銀行の窓口に足を運ぶ。

 今日から必要になりそうな分の通行料をおろすと、今度は探索者ギルドの地下へと向かう。


「中級者迷宮の転移門は、地下2階にあるんだっけ?」

「そうですね。マルシェルさんの話だと、例の事件のせいで1階層から4階層は商人ギルドが貸し切ってしまってるので、探索者が足の踏み場も無い状態らしいですからね」

「えーと、迷宮の心臓が盗まれた事件だっけ?」

「はい、そうですね」

「えーと……」


 マルシェルさんとの雑談の中にあった話を思い出そうと云々唸っていると、溜息をついたアイネスが雑談の内容をもう一度話してくれる。


 もともと中級者迷宮に入るための入口は、初級者迷宮のように街の中にあるようだ。

 しかし、基本的に探索者はその入口を使わない。

 

 なぜかと言うと、3つある中級者迷宮の1階層から2階層は商人ギルドが国から土地を借りて、開墾した後に魔樹農園として利用したり、市場でも流通している二角兎とかを狩っているから。

 街の外に繋がる入口は全て封鎖しているので、経験値稼ぎになる魔物はいないらしい。

 なので探索者は通行料を払って、探索者ギルドの地下2階にある転移門から5階層へ移動してから迷宮探索をするのが一般的みたいだな。

 

 ちなみに通行料は5階層の場合だと片道500セシリル。

 往復料金となると、1000セシリルを払わないといけないらしい……。

 

「往復で1人1000セシリルとして、奴隷だと半額になるから……」

「6人で3500セシリルですね」

「地味に高いな……」

「1人分だとそうでもないですが、これだけの人数分となると高く感じますね。そもそも誰かさんが、奴隷のことも考えて始めから計画的に……」

 

 アイネスの説教なのか愚痴なのかよく分からない、耳が痛くなるような話をネチネチと聞かされながら、地下2階をうろついていると見慣れた人物に出会う。

 

「来たか、待っていたぞ」

「サリッシュさん。すみません、お待たせしてしまいましたか?」

「いや、言うほどは大して待っていない。お前達はこっちだ」

 

 サリッシュさんに案内されながら、通路を奥の方へと進む。

 『迷宮騎士団以外立ち入り禁止』と書かれてる札が壁に掛けられた通路も素通りして、更に奥の部屋に移動する。

 

「ここから先には、迷宮騎士団が専用で使ってる転移門があるんだ。お前達は、しばらくこっちを使え」

「迷宮騎士団が使ってる所を、私達が使っても良いのでしょうか?」

「心配するな。団長にも許可は取ってある。お前達は目立つから、うちの迷宮騎士団にでも伝えとけばそれとすぐ分かるから、この辺りをうろついても特に問題ない。それに……」


 サリッシュさんがなぜか俺の方を見て、口の端を吊り上げるように意味深な笑みを浮かべる。


女性探索者・・・・・が、うちの迷宮騎士団と臨時パーティーを組む時はこっちの転移門を使う。特に問題は無い」

「なるほど」


 アイネスが納得したように頷く。

 なるほど……なのか?

 

 転移門があると思われる部屋に入ると、受付にいる騎士にアイネスが通行料を支払う。

 紙に名前が書かれると、鍵と呼ばれる転移石に似たような物を渡されてアイネスが受け取った。

 

 扉を開けて中に入るともう1つ部屋が有り、魔導書を読む部屋と構造が同じなのか、奥にまた扉がある。

 机や椅子がいくつも置かれてる待合室に入ると、座っていた6人組の女性騎士達が立ち上がった。


「今日のお前達の探索に立ち会う者達だ」

 

 サリッシュさんがそう言うと、騎士の人達が気持ち俺の方に向き直って、姿勢を正すように背筋を伸ばす。

 なんかロリンが初めて俺を見た時みたいに、緊張してるように見えるが気のせいか?

 

「そんなに硬くなるな。ハヤトは貴族だが、この街では探索者として活動している。周りに気を遣わせたくないらしいから、お前達もここでは平民の探索者として扱ってやれ。……と、マルシェルが言っていた」

「はっ!」


 いや、正確には貴族じゃないんですけど。

 しかも、マルシェルさん経由の話かよ。

 

「子供達ばかりのパーティーが中級者迷宮に挑戦すると聞いてな、部下達が心配しているのだ。大丈夫だと安心させるためにしばらく同行をさせるが、問題は無いな? お前達が死ぬと、こいつらが風呂に入れないと怒り出すからな」

「ふ、副団長!」

「冗談だ。そんなに慌てるな」


 なるほどね。

 どうやら、我が家のお風呂の入浴権を手に入れた分隊の人達のようだ。

 サリッシュさんにからかわれたと分かったのか、騎士の人達が顔を赤くする。

 兜から獣人を象徴するような三角の大きな角が突き出ているが、たぶん耳が見えてればアカネみたいにしゅんと伏せ状態になってたのが容易に想像できる。

 からかい癖のある副団長が相手だと、部下の人達も大変そうだね。


 奥の扉が開いてるから転移門は使用可能だということで、奥の部屋に入った。

 床の一部が6畳くらいの正方形に盛り上がっており、表面には不思議な紋様と黒い魔法陣のようなものが描かれている。

 これが転移門なのかな?

 

「私が先に行くぞ」

 

 サリッシュさんが魔法陣の中心に進むと、受付で貰った鍵に魔力を流し込むような仕草をする。

 腰くらいの高さにある台座の窪みに、蒼白く光る鍵を嵌め込んだ。

 すると黒かった魔法陣が蒼く輝き出し、蒼い光の奔流にサリッシュさんが包まれるとその場から姿を消した。

 

 ふむ、正にファンタジーだな!

 

 さて、どうしたものかと6人組の騎士達を見ると「お先にどうぞ」と言った仕草をされたので、今度は俺達が転移門の中に入る。

 サリッシュさんと同じようなことをアイネスがすると、転移石を使った時と同じ不思議な浮遊感と共に、周りの景色が変化した。

 部屋の出口付近にサリッシュさんが立っており、台座に嵌めていた鍵を回収すると転移門から離れる。

 しばらくすると、6人組の女性騎士達もこっちに転移してきた。

 

「全員揃ったな。ようこそ、ルレリオ・イルザリス迷宮へ。では、行くか」

 

 部屋の外にでると、初級者迷宮と似たような光景が広がる。

 蟻の巣のように狭かったり広かったりと不規則な構造の道を作っており、壁には光苔と思われる物が淡く光って迷宮内を薄暗く照らしている。

 サリッシュさんに先導されながら先へ進むと、奥の方から何やら騒がしい声が聞こえる。

 まるで大勢の何かが争いあってるような……。

 通路を抜けて広い場所に辿り着くとアイネスが迷宮灯を前にかざす。

 

「噂には聞いてましたが、これは……」

 

 アイネスが迷宮灯に照らされたその光景に、あんぐりと口を開けて呆然とした表情を見せる。

 うん、俺もアイネスと同じ気持ちだ。

 その光景を一言で表すなら、『緑の海』と言うのが正しいのだろうか?

 

 迷宮内を埋め尽くすように、大量のゴブリンが走り回っている。

 10匹とか20匹とかの可愛らしいレベルでは無く、見える範囲でも余裕で100匹はいるだろう。

 奥の方にも、更に沢山のゴブリンがいそうな雰囲気で、最早何百匹いるのか分からない。

 しかも、初級者迷宮の子供サイズのゴブリンとは違い、180cmくらいのがっしりした体格の大人サイズのゴブリンが大暴れしている。

 こっちのことなどお構いなしに目を血走らせたゴブリン達が、なぜか同族同士で血生臭い争いを繰り広げている。

 

「グギャー!」

「グギャギャギャギャギャー!」

「グギャ! グギャ! グ、ギャボォ!?」

 

 激しい殴り合いは当たり前で、おもいっきり首に噛みついてる奴がいたり、取っ組み合いのレスリングのようなものをしてたりと、ルール無しの場外乱闘のような無法地帯となっている。

 中には組み敷いたゴブリンを顔面崩壊する程に殴り続けている奴とか、そのゴブリンへ更に飛びかかるゴブリンとか、もう完全にカオスと化している。

 

「ゴブリン達が、戦争してるでありますか?」

 

 アカネの困惑する台詞が耳に入るが、予想の斜め上の状況に俺も思考が停止しかけている。

 よし、帰ろう!

 俺達がこの中に飛び込むのは、どう考えても無理だ。


「こりゃあ、先に進むのだけで一苦労しそうだなぁ」


 いやいやいや。

 アズーラさん、一苦労なんてレベルじゃないですよ!

 見て下さいよ、この見渡す限りのゴブリンの大群を。

 右から見ても左から見ても、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、エルレイナ、ゴブリン、ゴブリン、ゴブ……あれ?

 ちょっと待て、今おかしなやつがいたぞ!


「あいあいあー! あいあいあー! あい、あい、あぁあああああ!」


 「私も、混ぜろやぁあああああ!」と言わんばかりに、両手に握りしめたシミターを振り回しながら、大絶叫する野獣姫。

 さっきまで俺の後ろにいたはずの誰かさんが、勝手に大勢のゴブリン軍団へ突撃をしている。


 お馬鹿ぁあああああ!


 成人サイズの筋肉質なゴブリン達を、次々と手当たり次第に斬り裂いていく野獣姫。

 あまりにも獲物が多過ぎて、いつも以上に大興奮な状態になっているのか、フサフサの大きな尻尾をプロペラのように円回転させて、そのままゴブリンの海の中に吸い込まれるように入って行ったアホ狐娘。

 えーと……。

 

『もう、困った子ですね』

『だ、大丈夫か?』

『おそらく初めて見る光景に、いつもみたいに興奮してるんだと思います。飽きたら、たぶん帰ってくるでしょう』


 いやいやいや。

 「お腹が空いたら、帰ってくるでしょう」みたいな言い方で送り出してますけど、結構ヤバクないですか?

 俺があの中に入ったら、5秒も持たずにボロ雑巾のようにボコボコにされて、死ぬ自信がありますよ?


『レイナの楽しそうな声が聞こえてるので、大丈夫でしょう』


 たしかに、ゴブリン達の怒号交じりの奇声の中に、際立って誰の声かすぐ分かる奇声が混じっている。

 まあ、中級者迷宮に潜った経験のあるアクゥア先生が大丈夫だと言うのなら、大丈夫だと思うけども……。


「ふ、副団長!」


 俺達の後ろにいた騎士達が慌てて前に出てくる。

 しかしそれを制止するかのように、サリッシュさんが手を横に差し出した。


「心配するな。エルレイナは、その辺の中級探索者になりたての新人のような、へまをする奴では無い」

「し、しかし! 私達と違ってあのような、小さな子供だと危険では……」


 まあ確かに、エルレイナは小っちゃいからなー。

 悪魔騎士装備のアズーラに比べると、見た目だけで判断すると見劣りするしね。

 知らない人が見たら、なんで子供が2本も黒鉄製シミターを持ってるの? と思うくらいの感じだしな。

 アカネですら「あの訓練は、私にはまだ無理であります」と言うくらいに、サリッシュさんと真剣を使った訓練を当たり前のようにしてる野獣姫だと知ったら、この女性騎士達はきっとビックリするだろうね。

 実はアズーラやアカネも認めるくらいに、戦闘力に関してはうちのナンバー2なんですよ、これが。


「危険だと判断すれば、すぐに私が出る。それに言っておくが、エルレイナはああ見えて、既に剣士へ転職済みだぞ。獣人の探索者職業から飛び級するくらいに、優秀な剣士だ」

「え? そうなのですか?」

「ちなみに、エルレイナは私の弟子だ」

「副団長、弟子がいたのですか!?」

「うむ」


 腕を組んだサリッシュさんが「エルレイナは、私が育てた」と言わんばかりに大きく頷く。

 えーと、初耳なんですが……。

 サリッシュさんが女性騎士達の死角になるように顔をこちらに向けると、人差し指を口に当て「何も言うな」というサインを送ってくる。

 アイネスが俺の傍に寄って来ると、こっそりと俺に耳打ちをする。

 

「たぶん、エルレイナが問題無いという理由を付ける為に、弟子だと嘘を付いてくれたんだと思います。エルレイナが戦闘だけは優秀なのを私達は知ってますが、初めてエルレイナを見るあの方達は知らないと思いますので」


 なるほど。

 それじゃあ、こちらも口裏を合わせときますか。


 ゴブリンの中心であいあいあーを叫ぶ狐娘を眺めながら、サリッシュさんがなぜこれほどまでに、ゴブリンが大量発生したかを説明し始めた。


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