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神子の奴隷  作者: くろぬこ
第2章 初級者迷宮攻略

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剣客少女

 

 なるほど、確かに狼だな。


 山犬と同じ灰色の体毛に覆われているが、顔つきも迫力も違う。

 線が細い山犬に比べると身体が一回り大きくて、引き締まった身体をしている。

 多少は知性があるのか、いきなり飛びかかってくる訳でもなく、ゆっくりと俺達を囲むように移動している。


 俺達の今いる所はドーム型に広い空間になっていて、光苔もほとんど無いから奥の方がよく見えない。

 でも、まだ奥に沢山いる気配がする。

 もしかしたら、このタイミングを狙って大勢で待ち伏せしていたのかもしれない。

 

「グルルルル」

 

 白い牙をチラつかせて、俺達を威嚇する狼達。

 重みのありそうな足をゆっくりと移動させ、少しずつ距離を縮めてきているような気がする。

 前も横も後ろも狼だらけ。

 視認できる範囲でも10匹を軽く超えている。

 

 怖ぇー。

 野生の狼、超怖ぇー。

 直視する勇気が無いので、頼りがいのある背中を持つ牛娘のアズーラの後ろにぴったりとくっついて、安全を確保する。

 女性達に守ってもらうという男として情けない状況だが、この狼達を相手にするのは俺には絶対無理だ!

 

 これが一斉に飛びかかって来ると、かなりやばいんじゃないかと思って隣にいるアイネスを見ると、明らかに顔色の悪い表情でしきりに周りをキョロキョロと見ていた。

 当初の予定では、狼はだいたい4、5匹くらいで群れを作って狩りをしてるから、このパーティーでも問題ないだろうというアイネス予想だったのだが。

 今回の場合は予想の倍どころか、明らかにまだ暗闇に沢山潜んでる気配があるから、正直何十匹いるのかも検討がつかない。

 完全に予想外の事態だ。

 

「どうすんだ、リーダー?」

 

 狼達を警戒しながらアズーラが後ろを振り返り、アイネスを一瞥した後になぜか俺の方に顔を向ける。

 いつもならすぐにアイネスの指示が出る所だが、今のアイネスだとすぐに指示が出せそうに無いから、俺にどうするか決めろと言うのだろう。

 自分以上にパニックになってる人を見ると、意外と自分の方が冷静になってくる。

 今はアズーラの背中に隠れて少しだけ冷静な思考ができる俺が、アイネスの代わりにこの場を何とかしないといけないのだろう。

 

 ついに俺の出番か。

 今までアイネスがやってきたことを思い出して、俺が作戦を練るしかないな。

 緊張するな。

 

 とりあえずは、そうだな……逃げよう。

 

「アイネス、アイネス!」

「は、はい!」

 

 狼達を刺激しないように、アイネスの耳元で囁く。

 やっぱり少し冷静さを失ってるのか、慌てた様子でアイネスが俺に振り向く。

 

「転移石って使える?」

「へ?」

「受付で預かった転移石を使って、逃げることは可能?」

 

 万が一の場合はサリッシュさんが使えと言ってたし、アイネスが特に作戦も思いつかないのなら、むしろ今がそれを使う時なんだろう。

 アイネスが目を丸くして俺をしばらく見つめた後、なぜかため息をついた。

 

「旦那様に心配されてしまうとは、私も弱気になったものですね。心配しなくても、逃げるという選択肢は考えてます! 今はその最終手段を使わずに、この場をどう切り抜けるかを考えてただけです。少し待ってなさい!」

 

 怒り口調で俺に囁くと、先程までの狼狽してた表情とは一転して狼達を睨み返す。

 

「そうです、転移石はあるんですよね。それに、このくらいのことを乗り越えなければ、あの借金は到底返せません!」


 転移石を拳で握り締めてブツブツと何かを呟くと、いつも通りの真剣な表情に変わった。

 不安そうな表情で視線を彷徨わすのではなく、冷静に相手を分析するような視線に変わったから、たぶん大丈夫だろう。

 なぜ怒られたのかはよく分からんが、アイネスが何か作戦を考えてくれるなら、とりあえず任せるしかない。

 最悪もし何も作戦が浮かばなかったら、最終手段で転移石を使えば良いんだしな。

 

『レイナ、ここにいなさい』

『はい、お姉様!』

 

 あれ?

 アクゥアさん、どちらに?

 

 唐突に、黒猫娘のアクゥアが前に出る。

 円を描くように俺達を囲んでいる数えきれない程の狼の群れに、怯える事も無く1歩1歩ゆっくりと足を進めるアクゥア。

 

「グルルル……」


 唸り声を出しながら、鋭い眼光でアクゥアを警戒するように威嚇する狼達。

 シミターを鞘から抜き、アクゥアが一番距離の近い狼に向かって行くと目の前で立ち止まった。


『来なさい』

「ガァアアア!」


 シミターを構えたアクゥアの台詞と同時に、1匹の狼がアクゥアに向かって勢いよく飛びかかった。

 刹那、アクゥアに衝突するはずだった狼は、アクゥアの横をすり抜けて宙を1回転した後、地面に激突した。

 

 俺達の前へゴロゴロと転がってきた狼。

 なぜか全ての足が、無くなった(・・・・・)状態で。


「「は?」」


 俺とアイネスの呆けた声が重なる。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、シミターを振り抜いた状態のアクゥアの後姿を見て、脳がゆっくりと状況を理解する。

 

 まじかよ……。

 この黒猫娘、シミターで狼の両足を切り飛ばしやがったぞ。

 

『どうしたのですか? もう来ないのですか?』

 

 シミターを振り抜いた状態で、他の狼達に睨みをきかすアクゥア。

 俺達に飛びかかろうと狙ってた狼達もアクゥアに恐れをなしたのか、ゆっくりと後退して逃げていった。

 

 何が起こったのか分からない雰囲気に、その場を沈黙が支配する。

 

「ガァアアア!」

 

 口から泡を吹きながら、芋虫のように悶える狼の声に皆が我に返った。

 アズーラとアカネが、慌てて狼のもとに駆け寄る。

 足を失くした狼をアズーラが棘メイスを使い、アカネもシミターを使って止めを刺した。


「……いなくなったみたいですね」


 アイネスが様子を窺うように周りを見渡した後、ホッと一息をつく。

 俺に視線を移すと三角帽子を外して、申し訳なさそうな表情で俺のもとにやってきた。

 三角帽子を外した状態なので、探索中は見ることができなかったいつもの強気な様子で立っている兎耳が、その心情を表しているかのように萎れて倒れている。

 

「旦那様、先程は怒鳴ってしまって申し訳ありませんでした。あれ程の数の狼は、想定してませんでしたので、少し冷静さに欠けてしまいました」

「アイネスは、元々侍女をやってたんだろ? ずっと戦奴隷をやってたわけじゃないんだから、しょうがないだろ。気にしなくて良いよ」


 アイネスにしては珍しくしおらしくなっていて、からかう気にもならなかったので素直に思ったことを話す。

 あの狼の大群には俺ですらビビってたのに、それに慣れてない人がすぐに不足の事態に対応できるわけがない。

 むしろあの状況から作戦を立て直そうと思うだけ、俺以上に肝が据わってると思う。

 俺がそう言うと、一瞬驚いた表情をした後にアイネスが微笑む。

 

「旦那様のおかげで、すぐに立ち直れました。ありがとうございます」

 

 おっ?

 この流れは好感度フラグが立ったか?

 

「いやー、それほどでも……」

「誰かさんみたいに、すぐに逃げ出すような選択肢しか浮かばない、ヘタレで甲斐性無しがまともな作戦を思いつくわけはないので、すごく助かりました」

 

 えーと、褒めてるんですよね?

 アイネス的には、照れ隠しなのかな?

 まあ確かにあの絶望的な雰囲気で、俺がすぐにまともな作戦を思いつくわけが無いから、真っ先に逃げる一択だったんですけどね。

 

「それと、アクゥアにもお礼を言わないといけませんね」

「おー、そう言えば」

 

 俺達は、今回の窮地を救ってくれたスーパーガールの元に向かう。


『少し、本気を出しすぎました……』


 かっけぇ。

 何その一生に一度くらいは言ってみたい台詞は。


『皆さんが、狼達に呑まれていたみたいでしたので、相手の士気を落とすために派手にやったのですが、逃げられてしまいました。これでは、経験値が稼げません。すみませんでした』


 アクゥアが申し訳なさそうな顔で頭を下げるが、アレをさらりとやってのけるアクゥアも充分にすごいんですけど。

 シミターの血糊を布でふき取り、刃こぼれを確認してるのか、刃先をじっと見つめるアクゥア。


『これをすると負担がかかるので、あまり多用はできませんね』


 負担? ああ、アクゥアは体が小さいから負担がかかるよな。

 確かに狼の足をぶった切るなんて、アズーラみたいに体格が良い人ならまだしも、アクゥアだとね。


『多用し過ぎると、シミターが折れてしまいます』

『負担って、そっちかよ』

『骨ごと切ることを目的とした両手剣、もしくは業物の剣で無いと、本来は使えない技です。お金の無い私達のパーティーでは、剣が折れるのは死活問題です』


 たしかにな。

 貴重な武器であるシミターを折った日には、アイネス大魔神のお怒りメイスが振り下ろされるだろうな。

 一応、まだエルレイナ用と折れた時用の2本が家にあるけど、シミターは1本1万セシリルはするから、地味に高いんだよな。

 

 でも、両手剣を持たせてくれるなら、もっと沢山の狼の足を切断できそうな言い方もどうかと思うんだが。

 その小さな体のどこに、そんなパワーがあるの?

 アクゥアとの会話をアイネス達に訳す。


「お前は牛人かよ」

「今日のアクゥアには、驚いてばかりですね」


 アズーラのツッコミが入りました。

 アイネスも呆れたような表情をしている。

 だよなー。

 どう見てもさっきの技は、アズーラみたいなタイプがやるような必殺技だよな。


「アクゥア殿! 凄過ぎであります!」

「あいあいあー! あいあいあー!」


 興奮状態のアカネとエルレイナが、アクゥアの元に駆け寄る。

 エルレイナも興奮しすぎて、いつもは左右に振ってる尻尾が円回転している。

 そんな動かし方もできるのね。

 たぶん、エルレイナの中でのアクゥアの尊敬メーターが振り切ってるんだろうな。


「アクゥア殿! 私に、剣術を教えて欲しいであります!」


 何やらアカネが、アクゥアに剣術の指導を頼み込んでいる。

 アカネって、飯以外のことでも興味を持つことがあったのね。

 

『私はお師匠様に教わるばかりで、人に教えたことがありません。それでも宜しければ、指導をしましょう』


 アカネの話を翻訳してやると、アクゥアが頷いた。


『はい、お姉様! はい、お姉様! はい、お姉様!』

『分かってますよ。レイナにも、ちゃんと指導しますよ』

 

 アクゥアとアカネの間にエルレイナが割り込んで、両手を挙げながらピョンピョンとジャンプして、私も私もとアピールする。

 アレを見せられたら、やっぱりエルレイナも刺激を受けるよな。

 ナイフの次は、剣ですか。

 エルレイナも、どんどんパワーアップしていくな。

 

 今日の探索については、さっきのように10匹以上の狼がでると、今の俺達のパーティーではさすがに相手するのが厳しいというのが皆の結論となった。

 アイネスの話だと迷宮騎士団にさっきの事を話しておけば、この階層へ見回りに来た時に数を減らしてくれると思うとのこと。

 今日は早めに切り上げて、明日に仕切り直すことにした。

 迷宮騎士団に狼が大勢いたことを話すと、「その数は、初級探索者にはきついだろうから、間引いておこう」との返答が貰えた。

 ひとまずは、これで安心だな。

 午後は剣の訓練をする方針にして、家路につく事にする。


 帰り道にロリン家に寄ると、ロリン一家が出迎えてくれた。

 なぜかマリンもいたが、どうやらご両親にロリンが侍女になるという連絡を受けて、見送りのために慌てて帰ってきたらしい。

 そんな大したことでもないのに、なんだか大げさな雰囲気になっとりますな。

 基本的には夜だけアイネスのもとで侍女の勉強をして、迷宮に潜る為に家を空ける昼間はご両親のもとに、ちゃんと帰すのに。


「ロリン、しっかりやってくるのだぞ」

「アイネスさんの言うことを、ちゃんと聞くのですよ」

「ロリン、ミコ様のご迷惑にならないようにね」

「はい、頑張ってきます!」


 皆に泣きながら見送られるロリン。

 相変わらず、涙もろい一家である。

 なんだか、今生の別れみたいな雰囲気なっとりますな。


 家に到着すると「夕食の準備をしてから、剣の訓練をしなさい」というアイネスお母さんの台詞に、アカネが兎の皮剥ぎをする為に大急ぎで走って行った。

 

 基本的に我が家では、アカネやアズーラが兎肉の皮剥ぎや血抜きと内臓の取り出しをやってるよな。

 後、兎肉が焦げないように涎を垂らしながら監視するのがアカネの役目だが、今日からそれはロリンになるのかな?

 クーラーボックス内に付いた兎の血の掃除も、ロリンがやるのだろうか?


 姿が見えなくなったアクゥアは、たぶん武器と防具の手入れに向かったのだろう。

 血糊の掃除や油差しは、いつの間にかアクゥアの役目になってるしな。

 エルレイナは大抵、アクゥアのやってることをじーっと見てるだけなんだけどな。

 

「旦那様は、家ではいつもどおりにして下さい。ロリンは、既に私が洗脳済みなので問題無いです」

「洗脳!?」

「冗談ですよ。きちんと旦那様の事は説明してます。こちらの事情は分かってますから、安心して下さい」

「よ、宜しくお願いします。ご主人様」


 雑貨屋に注文した侍女服は数日後に届く予定なので、今日はエプロン姿のロリン。

 えらく俺に対して緊張した様子に見えるのですが、何を話したのかね?


「ご両親達には、旦那様はやんごとなき高貴な血筋の者だと言ってます。おそらく、旦那様のことは貴族と思われてるでしょうね。私が元侍女だと言ってますから、高い確率で信じてますでしょうね。なので、女装が趣味な変態であろうとも、ロリンからすれば貴族という雲の上の存在の人なので、文句なんか言えない状況なのです」


 俺の耳元で、状況説明をしてくれるアイネス。

 いやいやいや、女装は趣味じゃないから!

 アイネスが皆の安全を守る為にコレを着ろと言ったから、着てるだけだから!


 ぐぬぬ。

 貴族疑惑がありそうな設定はどうかと思うが、それでいろいろな厄介毎が片付くなら今回も黙認しておいてやるか。

 これでエルレイナの教育が捗るなら、俺が涙を飲むべきなのだろう……。

 人任せな俺がやれる事と言えば、アイネス参謀長の作戦に従うしかないからな。


「ロリンに対する報酬は、調理済みの一角兎肉4匹となってます」

「安すぎないか?」

「この歳で貴族の侍女としての教育を受けられるのですから、ご両親からすれば報酬はいらないと言うくらいですよ。将来を見越せば、数年後にはどこの貴族に奉公しても教育いらずな、完璧な侍女ができますからね。というか、私がそうしますから」


 何という自信満々な発言だ。

 さすがアイネスさん!

 お任せします。


「アイネスさん」

「侍女長です。この家にいる時は、私の事は侍女長と呼びなさい」

「は、はい! ……じ、侍女長。私は、何をすれば良いのですか?」

「そうですね。まずは、この家の部屋から案内しましょう。ついてきなさい」

「は、はい!」


 アイネスが、侍女長に就任したようです。

 声がいつもより弾んでる気がするから、侍女長と言われて嬉しかったんだろうな。

 兎耳も片耳下がったら片耳が上がるとかいう、あんなパタパタする不思議な動きは初めて見たぞ。

 そんなこともできるんだな。

 アイネスが楽しそうなら、それで良いか。


 ロリンが泊まる部屋については、エルレイナの部屋を使いたいという相談をアイネスから受ける。

 もともと、エルレイナはアクゥアの部屋で一緒に寝てたらしい。

 実質空き部屋になってるみたいなので、そこを使ってもらう事にした。

 「部屋掃除の勉強をするのにも、丁度良いですしね」とのこと。

 それにしても寝る布団も一緒とは、相変わらず二人とも仲が良いな。

 マンツーマンで武術を指導してもらって、寝食も共にするとか、まるで内弟子のようだな。


 家の中をバタバタと走り回る音とアカネ達の声が聞こえる。

 居間から廊下に顔を出すと、雑貨屋で買った木刀を持ったアクゥアと遭遇する。

 

『訓練か?』

『はい。私も装備の手入れが終わりましたので、アカネさんとレイナの剣術指導をしようかと』

 

 晩飯には時間がまだあるし、暇なのでに見学することにした。

 裏庭に行ってみると、既に木刀を使って素振りを始めてるアカネが目に入る。

 エルレイナも木刀を振って遊んでいる。

 

「アクゥア殿! 剣術指導を」

「あいあいあー!」

「エルレイナ殿……」

 

 アカネがお願いするよりも先に、エルレイナが前に出てくる。

 不承不承な様子で、アカネがエルレイナに先を譲った。

 

『しょうがないですね。レイナ、来なさい』

『はい、お姉様!』

 

 アクゥアが正眼で構えると同時に、エルレイナがアクゥアに飛び掛かった。

 さすが野獣姫というか、「型ぁ? 剣術ぅ? そんなの関係ねー!」と言わんばかりに、滅茶苦茶な剣筋を見せる。

 サリッシュさんの目で追えない速さに比べると遅いように見えるが、俺からすると絶対に受けきれない攻撃だ。

 生来の素早さを生かした手数が多い攻撃なので、一般人なら滅多打ちにされている所だろう。

 一般人ならね。

 

 残念ながらアクゥア先生は一般人とは程遠い猫娘なので、流れるような動作ですべての剣撃を受け流す。

 一見すると防戦一方にも見えるが、表情は涼しげであり、好きなだけ先手を譲ってあげますよという余裕が見える。

 

『隙有り』

「ッ!?」


 竹刀が肌に殴打したような派手な音と共に、エルレイナが木刀を落とす。

 相当痛かったのだろう。

 ふーふーと息を吹いて手首を冷ますエルレイナ。


『私の勝ちですね。次はアカネさんの番です。指導をする前に、まずは一手交えてみましょう。どうぞ』


 アクゥアの台詞を訳してアカネに伝えると、アカネがアクゥアの前にやって来る。


「宜しくお願いするであります!」

『はい。宜しくお願いします』


 お互いに軽く一礼すると、木刀を正眼に構える。

 エルレイナの時とは違い、いきなり攻めようとはせず様子を伺うアカネ。

 しばしお互いが睨みあった後、アカネが前に出て木刀を振り下ろす。


 木刀と木刀が打ち合う音が、裏庭に響き渡る。

 アカネは誰かに剣術を教わったのか、素人目に見ても分かるくらいに剣筋が綺麗だ。

 ただ、剣筋が綺麗だからと言ってアクゥアに勝てるはずも無く、数度打ち合うとすぐにアクゥアが手首を叩いた。


『隙有り』

「あいだっ!」

『隙有り』

「あぐっ!?」

 

 エルレイナとは違って痛みに強いのか、手首を1度や2度叩かれても木刀を落とす事はしない。

 しかし、その後もアクゥアにバシバシと叩かれて、ついには木刀を地面に落とした。


 アカネが退くと、待ってましたとばかりにエルレイナが木刀を持って、アクゥアに再挑戦をする。

 激しい剣劇の応酬をする様子を横目に、叩かれて青く腫れた患部を回復魔法で治してやる。


「アカネは、剣術を誰かに教わってたのか?」

「剣術は以前、父殿に教わったであります。父殿は、聖騎士をやってたであります」

「迷宮も、お父さんと潜ってたのか?」

「初級者迷宮には、訓練で父殿と一緒に潜ってたであります」


 自己流で覚えたにしては綺麗な剣筋だと思ったら、やっぱり剣術指南を受けてた人がいたんだな。

 それとやっぱり迷宮にも潜ってたのか。

 山犬を上手く木の盾で捌いて、シミターで切りつけてたからそんな気はしてたんだけどね。

 アカネの身体が全盛期に戻れば、パーティーもかなりの戦力アップになりそうだな。


「奴隷になる前の身体であれば、もう少し早く動けたのでありますが……」


 激やせ姿の自分を見て、大きくため息をつくアカネ。

 まあ、それは仕方が無いさ。

 これからゆっくり肉をつけていきましょう。

 大食いのアカネなら、すぐに元の状態になりますよ。


『隙有り』

「ッ!?」


 アクゥアの一言と同時に、聞くだけで痛そうな音とエルレイナの木剣が地面に転がる音が耳に入る。

 さっきと同じように、ふーふーと息を吹いて手首を冷ますエルレイナ。


『レイナは避けるのが得意なので、強い痛みには慣れて無いようですね。これからは、痛みにも耐えれる丈夫な身体を作っていきましょう。剣をたくさん振って腕も鍛えたら、更に剣が早くなりそうですね』


 たしかに、エルレイナは反射神経がものすごく良いから、何があっても避けれそうだよな。

 逆にそのせいで、意外と強い痛みには弱いと。

 まあ、そのエルレイナの反射神経を超えるスピードを持つ忍者娘が目の前に現れたから、痛みを知る事になったわけですが。


 エルレイナが自分の木刀を拾うと、キョロキョロと何かを探す仕草をする。

 目的の物を見つけると駆け寄り、地面に落ちていたアカネの木刀を拾う。

 

『なるほど、今度は二刀流ですか。剣が増えれば、私に勝てるとでも? いいでしょう、来なさい』

「あいあいあー!」


 アカネが落とした木刀を持って、エルレイナが三度アクゥアに挑む。

 結局、アクゥアにすべて弾かれて一度も当てれずに終わってしまったが。


 その後も負けず嫌いの性格に火が点いたのか、2人が交代交代でアクゥアに挑み続けた。

 俺は風呂に入るために途中で抜けたが、日が暮れるまで木刀を使った模擬戦は続いたらしい。

 夕食が始まる頃に、アズーラにおんぶされたアカネとアクゥア達がようやく家に帰ってきた。


 いつもどおりの夕食が始まるが、今日はいつもと違ってアカネがいつもいる席にロリンが、アイネスがいつもいる席にはアカネが座っている。

 

 アカネの席にはなぜか皿でなく鍋が置かれており、その中に食べやすく切られた兎肉7匹分が、鍋から溢れそうなぐらいに盛られている。

 夕食が始まるまではぐったりとした様子で畳に寝転んでたアカネだが、食卓に兎肉が並びだした途端に飛び起きて、席について涎を垂らしながら鍋を睨んでいた。

 フォークをなぜか2本持ち、まるでエルレイナのように二刀流の構えを見せるアカネ。

 

「侍女長、席が……」


 席が無く、テーブルから離れて座っているアイネスに、ロリンが困惑したような表情を見せる。

 お盆に自分の食事分の皿を載せて床に置いているから、傍目から見ると虐めてるようにも見えるな。


「心配しなくても大丈夫ですよ。すぐに席は空きますから」

「……?」


 ロリンが不思議そうな顔をするが、すぐにその意味が理解できるだろう。

 最近、夕食時の決まりごとになった食事の挨拶をする。

 

 両手を合わせて俺が「いただきます」を言うと、皆が「いただきます」と復唱をして食事に手をつけ始める。

 若干一名は、「いただきますであります!」を言ったかどうか怪しいフライング気味だったが、よっぽど腹ペコだったみたいなので今日の所は見逃してやる。


 鍋の中にある兎肉達にフォークを突き刺し、昼間の剣術以上の高速スピードで次々と口の中に肉を放り込むアカネ。

 アカネの異常なスピードの食べっぷりに、ロリンが目を丸くしている。

 今日は身体をたくさん動かしたせいか、いつも以上に食うスピードが速いな。

 鍋から溢れだす程に山盛りになった肉があっという間に消え、最後には鍋を掴んで残り汁をゴクゴクと飲み干す狼娘。


 お前は大食い芸能人か。

 「兎肉は、飲み物であります!」とかそのうち言い出しそうだな。

 

「ぷはぁーっ! ごちそうさまであります!」

 

 まるでアズーラが酒を飲んだ時のような、気持ちいい飲みっぷりをした後、畳にゴロリと横になる。

 そして、そのままゴロゴロと横に転がりながら部屋の隅へ退場する大食姫。

 部屋の隅に到着すると、仰向け寝転んで満足そうにお腹をさすってますよ。

 ロリンもあんぐりと口を開けて、その様子を呆然と見ている。

 

 アイネスがアカネの鍋をのけると、自分の食事を用意する。

 空いた席に、アイネスが着席した。

 

「ほら、空きましたね」

「はぁ……」

 

 何事もなかったかのように食事に手をつけ始めたアイネスに、ロリンは何とも言えない表情を浮かべる。


 その後、兎肉を口にしたロリンがその美味しさに感動していた。

 しきりにアイネスに質問をしていたが、質問の内容から調理器具にその秘密があるのかと思ってるみたいだが、残念ながらこれが違うんだな。

 その兎肉の美味しさの秘密は、アイネスの秘伝のたれにあるのだよ。

 明日の朝にも同じ物を料理して3人前を渡すから、家に持って行きなさいとアイネスに言われてすごく喜んでたな。


 兎肉を食べた後に、まだ食べたりなかったのか、食後のラウネをモリモリと食べるエルレイナ。

 袋いっぱいに入ったラウネを部屋の隅に置いてたのは、そういうことなのか?

 エルレイナは、肉よりもラウネの方が好きなのかね。

 野獣姫のくせに、意外とベジタリアンなのは驚きである。

 

 アイネスの話だと、ラウネは糞不味いが栄養はかなりあると言ってたよな。

 エルレイナの強さの秘密は、意外とラウネにあるのかな?


 ロリンも加わって賑やかな食事を終えた後、最近の恒例になっている勉強会を俺の部屋でする。

 俺とアイネスは、いつも通りにアイネスが尋ねた単語を俺がニャン語で答え、それをアイネスが紙にメモしていく。

 アイネスがメモをしている間に、畳に絵本を広げてそれを読んでる3人組へ視線を移す。


 ロリンの両親にアイネスがお願いして、家にある使い古しの絵本を持ってきたらしい。

 ロリン先生が絵本を読みながら、エルレイナ達とヴァルディア語の勉強会をしている。

 アクゥア達には幼児がやる教育レベルから始めた方が、言葉を覚えやすいだろうとのアイネス案から始まったもう1つの勉強会だ。

 

『これは、何でしょうか?』

「あいあいあ?」

「これは兎だよ。う・さ・ぎ!」

「うしゃぎ!」


 何その言い方。

 うさぎちゃんが、ぺちゃんこに潰れたみたいじゃないか!

 

 エルレイナさん、惜しいです。

 でも、その舌足らずな所がちょっと可愛いかったり。


『これが兎と……』


 ロリンがヴァルディア語で発音した単語を、アイネスがやってる事を真似して、アクゥアがニャン語で紙にメモする。

 ゆっくりなペースでやっていけば、アクゥアもいずれはヴァルディア語を習得できるかもね。


 問題があるとすれば、エルレイナの勉強の為に家に連れて来られたロリンの侍女教育なんだけど、6歳時がそんなに大層な事ができるのかねとアイネスに尋ねたら、その辺は上手くやるとのこと。

 ロリンの侍女教育については、本当に簡単なことからアイネスが教えていくらしい。

 料理の盛り付けとか、自分の部屋の掃除の仕方とか、洗濯物を運ぶとか、周りに迷惑をかけない範囲の作業をさせるそうだ。

 

 ロリンが興味を持ったことから、ゆっくり教えていくらしい。

 確かに嫌々教わるよりは、自分が興味を持ったことから教わった方が覚えが早くなるかも知れんな。

 おそらく、最初は料理だろうな。

 夕食の兎肉の件もあって、料理についてはすごく興味を持ってるみたいだったし。

 アイネス先生の指導もあれば、未来の料理長も目指せるかもしれんな。


 今日は皆のいろんな一面が見れて、盛り沢山な1日だったな。


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