猪肉はラウネ味?
「良い朝だな……」
明らみ出した空を見つめながら、一人呟く。
裏庭に目を移せば、アカネが朝早くから素振りをしてるのが目に入る。
昨日と同じように、アクゥアとエルレイナも投擲の練習をしていた。
後ろを振り返れば、床に転がる3体のラウネ。
しかも齧りかけ。
「フッ。キングラウネが3体に増えるとは、さすがに予想外だったな」
俺は、自嘲気味な笑みを零す。
まさか3体のキングラウネに、おしくらまんじゅうをされる悪夢を見るとは。
当然ながら、キングラウネを操るエルレイナも3人に増えていた。
朝起きた時、お腹の上に3体のラウネが並べられていた事や、昨日閉じてたはずの天井穴が空いてた事から、悪夢の原因はいわずもがな。
エルレイナさん……完全な嫌がらせじゃねえかよ!
思わず床に転がっていたラウネを蹴り上げた。
二度寝する気にもなれず、齧りかけのラウネ達を持って、俺は最悪の気分のまま食堂に降りた。
「あら? 旦那様、今日も早いのですね。なぜ、ラウネを持ってるのですか?」
「悪夢をみたんだ」
「またですか……」
ええ、またですよ。
齧りかけのラウネ達を渡した後、アイネスから水を受け取って喉を潤す。
朝食が出来るまで裏庭に出て、アカネ達の訓練をボーッと眺めながら時間を潰した。
「旦那様。迷宮に行く前に、ロリンちゃんの家に寄りたいのですが、宜しいでしょうか?」
「良いよ。昨日の件?」
「はい」
朝食を食ってると、アイネスがロリン家を訪ねたいということで了承しておいた。
アイネスが昨日考えた妙案というのは、ロリンを侍女教育という名目で家に招くということらしい。
両親を説得できれば、ロリンを家の侍女兼エルレイナのヴァルディア語の先生に迎えられるとのこと。
果たしてその作戦がうまくいくかどうかは分からないが、アイネスに任せることにした。
忌々しい巫女服を睨んで、これは迷宮に潜る為の作業服、俺は変態じゃないと言い聞かせながら出掛ける準備をする。
迷宮に行く途中でロリン家に立ち寄ると、ロリンが何やら大きな水桶のようなものを、うんしょうんしょと持って移動しているのが目に入った。
「ロリン! ロリン! あいあいあー!」
「あっ、レイナちゃん!」
エルレイナがロリン目掛けて走り出した。
向こうもこっちに気付いて、水桶を地面に置いて駆け出してくる。
「ロリン! ロリン!」
「れ、レイナちゃん!? 高いよぉ!」
エルレイナもロリンに会えて嬉しかったのか、ロリンの脇に手を差し込んで身体を持ち上げると、くるくると回りだした。
回る幼女と狐娘。
楽しそうだな。
「ロリンちゃん。ご両親は、家にいますか?」
「あ、はい。まだ出掛ける準備をしてたので、家にいると思います」
エルレイナに身体を持ち上げられて、空中でジタバタしながらロリンがアイネスに答える。
「ご主人様と皆さんは、ここで待っていて下さい。私がロリンちゃんのご両親と、話をしてきますので」
「ういよ。いってらっしゃい」
アズーラに見送られて、アイネスがロリン家に入っていった。
俺達は適当に時間を潰しながら、アイネスが戻ってくるのを待つ事にした。
「これは井戸って言ってね。水を汲むの」
「あいあいあ?」
意味がよく分かってないのか、首を傾げるエルレイナ。
滑車にロープを絡めたタイプの井戸で、カラカラと音を立てながら水の汲み方をエルレイナに見せようとするロリン。
普段からよくやってるのか、幼女の割には手馴れたような仕草でうんしょうんしょとロープを引っ張る。
「こうやって、これを引っ張るとね……ほら、水が入ってる水桶が上がってくるの!」
「あいあいあー!」
何やら向こうは楽しそうですね。
初めて火を見た原始人の如く、ロリンのやること1つ1つに食いついてますよ。
井戸に並々ならぬ興味を持ったウホウホ野生児が、ロリンの真似をして水桶をロープで引いては落としてを繰り返して遊んでいる。
うむ。是非ともロリンには、我が家に来て欲しいね。
6歳のしっかり者の幼女と、精神年齢が幼児レベルのアホ狐娘なら上手くいきそうだしね。
「皆さん、お待たせしました。ロリンちゃん、ご両親が呼んでますよ」
「え? なんだろう?」
「また夕方くらいに、エルレイナと遊びに来ますからね」
よく分かってないのかロリンは首を傾げながらも、またエルレイナが来てくれるという話を聞いて、嬉しそうな表情で家に走っていった。
「レイナちゃん、またね!」
「ロリン、またね!」
ロリンが大きく手を振ると、エルレイナもそれを真似して手を振る。
「説得は上手くいった?」
「大丈夫だと思います。すぐにロリンちゃんの侍女服を、雑貨屋へ注文しに行くと言ってましたから」
それはそれは、問題なさそうだな。
ご両親の説得は、上手くいったようである。
迷宮の受付所に行くと、知らない騎士さんが俺を一瞥した後、ジロジロと上から下へと遠慮ない視線をぶつける。
「おー、本当に黒神子が来たよ」
なんじゃそりゃ。
もう慣れた反応なので、あえてツッコミはしないですよ。
アイネスがギルドカードを渡し、騎士さんが紙に俺達の名前を記入する。
いつも通り転移石を受け取ろうとすると、テントの外から何やら騒がしい声が聞こえる。
「何かあったのでしょうか?」
アイネスと顔を見合わせた後、騎士さんと一緒にテントの外に出る。
おや、知ってる人がいますな。
これはどういう状況かね?
「アズーラ。なぜ、カリアズさんとアクゥアが睨み合ってるのですか?」
「俺に聞くなよ。あの騎士が現れてアクゥアと喋り始めたと思ったら、いきなりアレになったんだよ」
「アズーラ、さっぱり分かりません」
確かに、アズーラのその説明だけではさっぱり分からんな。
『私は貴方に、並々ならぬ興味があります。是非、私と共に参りましょう』
『何度誘われても、貴方について行くつもりはありません』
『強情ですね、アクゥア。私と来れば、新たな世界が開けるというのに』
何やら怪しげな会話が、繰り広げられとりますな。
『私の師匠はとても優秀です。師匠に会えば、貴方もすぐに弟子になりたいと思うでしょう』
『残念ながら、私にはすでに師匠がいます。貴方の師匠にも、まったく興味はありません』
「むむむ、師匠持ちかー。えーと、他にアクゥアちゃんの興味を引きそうな物は……」
苦無を逆手に持って、お互いに距離をとって牽制しつつ、円を描くようにゆっくりと移動する二人。
何だこれ?
「カリアズ! 貴様は見回りもせず、何をやっとるかぁ!」
「げぇええ!? サリッシュ、何でここに……」
怖っ!
どす黒い不機嫌オーラが目に見えそうな様相で、目を吊り上げたサリッシュさんがこっちにやってくる。
あれ? さっき、受付にいた騎士さんがサリッシュさんの隣に。
「あ、コラ! サリッシュにチクッたら駄目じゃないか!」
「何がチクッったら駄目なんだ? カリアズ、貴様は朝一番で、他の者と一緒に中級者迷宮の見回りに行ってるはずだろうが。なぜ、ここにいる?」
「えー、だって僕ならすぐに追いつけるしー。たぶん、そろそろアクゥアちゃんが来るからと思って待ち伏せ、うおっ!?」
カリアズさんの近くまで来たサリッシュさんが、腰に下げた2本のサーベルの1本を抜刀し、剣先をカリアズさんの首元に当てる。
「今すぐ持ち場に戻れ、馬鹿者がッ!」
「ぐぬぬ……」『アクゥア、今日の所はこれで引き上げます。でも、私はまだ諦めてませんからね』
『何度来ても、答えはいいえです。迷宮騎士団に入るつもりも、貴方の師匠に会うつもりもありません』
カリアズさんの誘いをバッサリと断るアクゥア。
もしかしてカリアズさん、まだアクゥアの引き抜きを諦めてなかったりします?
「えー、その辺はもう少し検討しても……て、ちょっ!? サリッシュ! あぶなっ!」
「さっさと行かんか、このサボり魔が!」
不満そうな顔をするカリアズさんに、サーベルによる斬撃の嵐が襲い掛かる。
すげー、剣と苦無が当たるたびに火花が飛び散ってるんですけど。
早送り再生かと思う程に目にも止まらぬ速さでサーベルを振り回してるサリッシュさんもすごいけど、それを平然とした表情で苦無を使って器用に捌いてるカリアズさんもすごい。
サリッシュさんの隣にいた騎士さんなんてすぐに逃げ出して、離れた所から怯えるような表情でこちらの様子を伺ってますよ?
迷宮騎士団の人達はこのレベルが普通なのかと思ったけど、あの騎士さんの様子だとこの2人が異常っぽいな。
「ほう、これでは足りんか。それなら……」
火花を飛び散らせながら攻撃を捌き続けるカリアズさんに痺れを切らせたのか、サリッシュさんがもう1本のサーベルを引き抜く。
さすがにそれは分が悪いと思ったのか、カリアズさんが脱兎の如く逃げ出した。
「貴様は後で反省文だ。逃げたら、晩飯抜きだ!」
「サリッシュの馬鹿ー! 鬼ー! 悪魔ー! 紅銀狼!」
サリッシュさんの悪口らしきものを叫びながら、アッカンベーをしてカリアズさんが走り去っていく。
ひどい言われようですね。
「すまんな、うちの部下が迷惑をかけて。腕は良いんだが、性格があれでな。強い奴を見ると、すぐにちょっかいをかけたがる」
「大変ですね」
「本当に困った奴だ。お前も、持ち場に戻っていいぞ」
「はっ!」
騎士さんが受付に走っていく。
サリッシュさんの困ったような表情からして、カリアズさんってやっぱり問題児なのかな?
今の命令にすぐ従う騎士さんに比べても、態度が不真面目そうだし。
あまり感情を表に出さないアクゥアにしては珍しく、不満そうな表情をしながらこっちにやってくる。
『昔から、あの手の輩は多いのです。子供なのに才能があるからと、自分の弟子にならないかと誘ってくる人達が……』
『そうなんだ。面倒くさいな』
げんなりした顔でアクゥアが呟く。
綺麗な美少女が街で歩いてたら、モデルのスカウトを頻繁にされるみたいなものか?
それはうっとおしいよな。
才能があるってのも困りもんだな。
『はい。正直な話、迷惑してます。お師匠様とこの地で2人旅をしてた時にも、よく遭遇しました。相手の力量を測れずに、横柄な態度を取る人は大抵、未熟者が多いので、お師匠様に言われて叩きのめしてお帰り願ってました』
それはそれは、かわいそうに。
弟子にしようとした子供に叩きのめされた人は、きっと自尊心も何もかも砕かれたでしょうね。
『しかし、困りましたね。カリアズさんには質の良い苦無を貰ってしまってるだけに、手荒な形で断ることもできません』
『良い物だったんだ』
そういえば、お詫びの印だとかで苦無を貰ってましたな。
『はい。業物と呼ばれる類の苦無です。千や2千セシリルでは買えない代物です。おそらく、最低でも十万くらいはするかと……』
『え? そうなの?』
『はい。先日、雑貨屋さんで同じ物を買えるかと聞いたのですが、後でアイネスさんに教えてもらった金額がそれでした。私も軽率でした。カリアズさんが、あまりにも簡単に差し出してきましたので、安い物だと思ってたのです。使い込んでいて、銘が削れて気付きませんでした』
『前から、切れ味が良過ぎるなとは思ってました……』とアクゥアが大きくため息をつく。
ありゃりゃ。そりゃあ、そんな良い物をタダで貰った後だと、断るのも一苦労するな。
もしかしたら、それを見越してアクゥアに苦無をあげたかも知れんな。
意外と策士だな。
そうだとしても、カリアズさんは太っ腹だなあ。
きっと相当稼いでるんだろうな。
「あんた、紅銀狼なのか?」
アズーラが、カリアズさんが叫んでた悪口の紅銀狼に食いついた。
「そうだ。昔の2つ名だがな」
カリアズさんとの剣劇で乱れた髪をかきあげると、サーベルを鞘に収めながらサリッシュさんが答える。
で、紅銀狼って何?
「紅銀狼……あっ! あの『紅の騎士団』の紅銀狼殿でありますか!?」
なんか知らんが、アカネも食いついた。
サリッシュさんは有名人なの?
「『紅の騎士団』という探索者パーティーの噂は、聞いたことがあります。なんでも探索者パーティーの中で、最も山賊や盗賊達を屠った獣人達だとか。いくつもの上級者迷宮を踏破してる、凄腕の実力派集団とも聞いてます」
「すごいであります! 本物であります!」
「昔の話だ。今は、この街に派遣されている第13騎士団の副団長というだけだ」
サリッシュさんが、両手を広げて肩を竦める。
アカネが芸能人を見つけた一般人の如く、目を輝かせてサリッシュさんを見つめている。
何かよく分かんないけど、皆の反応からしてすごい人なんだな。
「貴方が、オーズガルド第13騎士団の副団長様でしたか。そちらの噂もよく聞きますね」
「悪い噂だろ。女ばかりの生意気な騎士団とかな」
「そんなことないですよ。姫様も頼りになる騎士団と言ってましたし」
「姫様?」
「あ……」
アイネスが口元に手を当て、余計な事を言ってしまったという顔をする。
「えっと……私は以前、侍女をしてましたので。貴族の方のお話で、噂をよく耳にしてたのです」
「ほう、なるほどな。侍女となると、たしかギルドカードに家内奴隷の兎人がいたな。名前は……アイネスだったか?」
「はい。耳と尻尾を隠して人間のフリをしてますが、兎人です」
「賢明だな。荒くれ者の多い探索者に兎人だとバレると、面倒くさいことになるからな。まあ、お前たちのパーティーには、優秀な血を引いてる牛人がいるから問題無いと思うがな」
サリッシュさんがアズーラを見ると、口の端を吊り上げて意地悪そうな笑みを浮かべる。
「アズーラという名も知ってるぞ。『紅の騎士団』にいた頃に、仲が良かったヴァスニアから、最近お前の事を聞かれたしな。姪と連絡が、つかなくなったとか」
「げっ!? やっぱり、伯母さんの知り合いかよ……」
「その鎧姿だと気付かなかっただろうが、ギルドカードで名前を確認したからな」
アズーラが兜を取り、ばつの悪そうな表情を見せる。
「悪いんだけどさ。伯母さんには、黙っといてくれないか?」
「感心はせんな。全身鎧で隠しても、いずれバレると思うがな」
「頼む、この通り! 伯母さんに、俺が奴隷になったことがバレたら、袋叩きにされて土に埋められちまうよ!」
アズーラが両手を合わせて、サリッシュさんに頼み込む。
しばらくサリッシュさんが考え込むような仕草をした後、大きくため息をつく。
「仕方ないな。ヴァスニアには、今は黙っておいてやる」
「助かるよ……」
あらら、アズーラは奴隷になったらやばかった人なの?
いつもの怖い物無しな態度と違って、怯えたようなアズーラの様子から、その伯母さんとやらはよっぽど怖い人なんだな。
アズーラの伯母さんってことは、やっぱり牛人なのかな?
受付所での騒がしいイベントが終わり、いつものように迷宮で晩御飯確保と経験値稼ぎを始める。
「待つであります、晩御飯!」
昨日と同じように目を血走らせて、一角兎を追いかけるアカネ。
「あいあいあー!」
でも、やっぱりエルレイナに追い抜かれて、先に一角兎を捕まえられてしまう。
へこむなアカネ。
それとな、1つ言わせてくれ。
一角兎を追いかける時くらいは、クーラーボックスを置け!
魔物が現れたらクーラーボックスを置いて、戦闘に参加するくせに……。
まったく、飯が絡むと途端に周りが見えなくなるハラペコ狼娘である。
「今日から従業員が増える予定なので、後4匹一角兎を取っておきましょう」
ロリン家から借りてきた小さなクーラーボックスを、なぜかアカネに渡すアイネス。
大小2つのクーラーボックスを両肩にかけて、一角兎を追いかけるアカネ。
だから、一角兎を追いかける時はクーラーボックスを置けと何度言えば……。
「大丈夫ですよ、旦那様。これはアカネの筋力を増やす為の訓練ですから」
「アカネが、ぜーぜー言ってるぞ?」
「大丈夫ですよ」
お前は鬼か。
でも、確かに最初の頃に比べると、足のふらつきは少し減ったように見えるな。
筋力が増えたのか、晩御飯にかける情熱がすざましいのか、判断に迷うところではあるがな。
午前中の晩御飯確保を終え、午後は3階層へ移動した。
いつもより広い範囲を探索していたら、妙な光景に出くわした。
歩く白カブもどきのラウネ達が食い散らかされて地面に転がっている。
葉っぱだけでなく、実まで半分以上齧られている。
犯人は、まさか……。
あの糞不味いラウネの実が齧られた惨状を見て、俺は思わず後ろを振り返る。
「あい?」
さっき、アカネが葉を刈った時に捕まえたラウネの実を齧るエルレイナ。
まさか、エルレイナが他にも?
朝に見た悪夢は、これの予知夢だったということか?
『私は、たぶん3人目のレイナだから……』
俺の脳内に現れた、白い謎のスーツを着たもう1人のエルレイナが、悲しげな表情でそう呟く。
「お前は、3人目のエルレイナだったのか……」
「やめて下さい、旦那様。想像したら、ひどい頭痛を覚えましたよ。このパーティーに、3人もエルレイナがいたら収拾がつかなくなります。これは、ボアが齧った後ですよ」
俺の異世界ネタ発言を、さりげなくアイネスが否定する。
ですよねー。
俺も想像して身震いしたよ。
「「「あいあいあー!」」」って一斉に3人が動き出したら、さすがのアクゥアも制御しきれんだろ。
学級崩壊ならぬ、パーティー崩壊が始まるな。
そんなことよりも……。
「ボア?」
「山猪の気性が、更に荒くなった魔物です。食欲も増したのが、迷宮に潜り込んだのでしょう。近くにいる可能性がありますね」
アイネスに言われて、警戒しながら先を進む。
先導していたアカネが何かに気付いた。
俺達に待ての合図をしてクーラーボックスを置くと、忍び足で迷宮の奥の方に移動する。
『アカネさんが、来るように言ってますね』
闇夜でも昼間並みに見えるというアクゥアの言葉に従い、皆で移動する。
「あれが、ボアか?」
「そうです」
壁際から覗き込むと、地面に鼻を埋めてモゾモゾと何かをしている動物が目に入る。
ふむ、そこそこ大きい猪だな。
体当たりされたら、人一人くらいは跳ね飛ばしそうだな。
「食事中のようですね。ちょうど良いです。それでは、ボアを倒すための作戦を説明します」
ボアに気付かれないように少し離れた所に移動して、円陣を組んで作戦会議をする。
アイネスの作戦とは、まずはアクゥアとエルレイナが背後から忍び寄って、不意打ちをしてダメージを与える。
負傷したボアが怒って突進して来るはずなので、足の速いアクゥアとエルレイナがボアの突進を避けつつ、更にダメージを与える。
「ボアは直線上の突進しかできないはずなので、反射神経の良いアクゥアとエルレイナなら、問題無く避けられると思います。壁際に誘導して壁に衝突させることができれば、かなりの傷を負わす事ができると思いますが、無理そうなら壁への誘導はしなくていいです」
アイネスの話だと、ボアは攻撃され続けると怒り狂って判断能力が鈍るらしい。
上手くいけば岩壁への衝突で、致命傷を負わす事が可能とのこと。
「ボアの足が遅くなったと判断すれば、アズーラが2人に合流して止めを刺すということで、皆さん宜しいですね?」
壁に衝突させることが出来なかった場合は、ダメージを重ねることにより、弱って足が遅くなった頃を見計らってアズーラが参戦。
ボアの突進に対して、アズーラの棘メイスによるフルスイングで、カウンター狙いの一撃をボアの顔面に食らわすと。
なかなか、良い作戦ではないのかね?
「こっちに来られたら、貧弱な旦那様では跳ね飛ばされて、すぐに死んでしまいます。絶対に、こちらへは来させないように、皆さんで上手く誘導して下さい」
貧弱なご主人様なので、アイネスの作戦に異論は一切無い。
アイネスの指示をアクゥアに訳して伝えると、アクゥアが頷く。
『不意打ちをすれば、良いのですね? 承知しました。行きますよ、レイナ。喋っては駄目です』
『は、むぐぉ!?』と返事をしようとしたエルレイナが、いきなり口を塞がれて驚いた表情を見せる。
しかし、アクゥアの意図が伝わったのか、すぐにおとなしくなる。
『この靴ですと、音がうるさいですね』
アクゥアがおもむろに革ブーツを脱ぎ始める。
すると、エルレイナもそれを真似して革ブーツを脱ぎ始めた。
雑貨屋で買った安い中古ブーツだから、機能性はあまりよくない。
裸足よりはマシだっていう程度だ。
裸足で地面を歩くのは、自分の感覚だと足が痛いんじゃないかと思うが、獣人は足裏が人間に比べて丈夫らしい。
もともとアイネス以外の皆は奴隷商会で購入した時に裸足だったし、獣人奴隷には靴を履かせないご主人様もいるみたいだしな。
雑貨屋で靴を買うかと話をしたら、「え? 買ってくれんの?」って反応されたしね。
エルレイナなんて靴を渡された時にブーツの中を覗いたり、齧ったりして遊んでたらしいからな。
間違いなく靴を履くという習慣がなかったのが容易に想像できる。
アクゥアのおかげで、外出時には靴を履く習慣は身に着いたみたいだけど。
泥だらけの足で、家の中をうろつかれたら堪らんからな。
アクゥアが、そろりそろりと音を立てないように忍び足で歩き始める。
それを真似するように、エルレイナも忍び足でアクゥアの後を追う。
エルレイナは、特技の忍び足を覚えた!
「エルレイナが、忍び足をしているぞ」
「素晴らしいですね」
野獣姫らしからぬ行動に、俺もアイネスも思わず感動してしまった。
ラウネを齧るのに夢中なのか、アクゥア達が近づいてもボアは一向に気づく気配が無い。
何やらエルレイナに指示を与えた後、アクゥアがシミターを鞘から抜いてボアの至近距離まで近づく。
アクゥアが剣を両手で握り締めると、振り下ろしてボアの頭を貫いた。
「「え?」」
思わず、アイネスとハモッてしまった。
ボアの頭にシミターが貫通し、しばらく悶絶した後に身動き1つ取らなくなった。
「……死んだのか?」
「死にましたね」
「あれ? 俺の出番は?」
アズーラ先生の出番はありませんでした。
俺達が近づくと、アクゥアがシミターをボアの頭から引き抜いて、剣に付いた血糊を布でふき取る。
こちらに気づくと、さらりと一言。
『倒せそうだったので、倒しました』
だそうです。
『ボアは食事に夢中になると、周りが見えなくなる癖があります。気配さえ殺して近づけば、意外と隙がつけるです。頭の骨も、割と柔らかいですから、シミターでも貫けます』
その話を、そのままアイネス達に伝える。
「はあ……。食事に夢中になっていたとはいえ、あそこまで近づけるのも凄いと思うのですが。アカネはできますか?」
「ちょっと、自信が無いであります」
確かに、軽装備とはいえ足音一つ立てずに移動してたからな。
それを即座に模倣できるエルレイナも、すごいと思うがな。
その後、食事中のボアに2回ほど遭遇する。
さっきと同じようにアクゥアとエルレイナが忍び足で近づき、アクゥアがボアの頭をシミターで貫くだけで終わってしまった。
『レイナの忍び足の練習に、ちょうど良いですね』
『はい、お姉様!』
ボアを淡々と倒しながら楽しそうに会話する2人に、アイネスが何とも言えない表情をする。
アイネスは、ボア対策にいろいろな作戦を事前に考えてたらしく、こうもあっけなく倒されるとは予想してなかったようで若干不満そうだ。
まあ、簡単に倒せてるんだから良いんじゃないのか?
「猪肉か……」
地面にゴロリと横たわるボアを見下ろして呟く。
向こうの世界にいた時は、猪肉はそこそこ美味しかったような気がするが、こっちはどうなんだろう?
「一応、旦那様に断わっておきますが、ボアの主食はラウネです。ラウネの味についてはとてもお詳しい旦那様が、どうしてもボアの肉を召し上がりと言うのであれば、肉を割いて持って帰りますが、どうしますか?」
ニコニコと意地の悪い笑みを浮かべながら、アイネスが俺に近づいてくる。
『とてもお詳しい』や『どうしても』の部分をわざわざ強調しなくて良いです。
もう結果が見えてる事には、挑戦しませんよ。
「遠慮するよ」
「あら、そうですか。それは残念ですね」
何が残念なんだよ。
「冗談はそのくらいにしておいて。ボアも倒せるとなると、次の段階に進んでいいかもしれませんね。様子見で、今日はもう1階層降りてみますか?」
皆との話し合いの末、4階層に足を踏み入れてみることにした。
いよいよ狼戦ですか。
まあ、いずれは挑戦しなければいけないんだから、様子見も兼ねて降りてみるのもいいだろう。
3階層までは気にならなかったが、4階層に入ってからすぐ違和感に気づいた。
何と言うか、空気に痛みを感じる。
この感覚に気付けたのは、アイネスによる朝のメイスドッキリで鍛えられたおかげだろうか?
光苔の微弱な灯りだけだと、薄暗くて迷宮の奥の方が見えないが、確実に何かがいる気配がする。
俺たちが移動しているうちに、その妙な気配がどんどん強くなってきた。
「ウーッ!」
横にとても広い空間に着いた途端、エルレイナが唸り声を上げて暗闇に向かって威嚇する。
「見られてますね」
「囲まれてるであります!」
「薄暗くて見えねぇが、かなりの数がいるぞ」
『レイナ、動かないで』
アクゥアがエルレイナの腕を掴み、苦無を逆手に持って構え直すと周りを見渡す。
『皆さんに見える範囲だと、10頭はいますね。奥の方ですと、それ以上の……来ます!』
暗闇の中から、複数の足音が近づいてくる。
俺とアイネスを中心にして、他の4人が俺達を守るように密集隊形をとる。
暗闇から現れた、複数の瞳が俺達を睨む。
なるほど、こいつらが狼か。




