第八話乙
明晰夢という言葉を知っていますか? 私は知りません。
ついさっきベッドに横になったまでは覚えているが、どういった経緯でこんな状況に置かれているのか。とりあえずここは冷静に、順を追って考えるとしよう。
カウンターのおっさんから部屋の場所を聞いた後、俺は寄り道をせずにまっすぐ部屋へと向かった。この宿、造りが質素な割に中が広い。もの凄い部屋数で、言われた部屋番号の桁数には恐怖すら憶えた程だ。そう言えば相方はここに泊まるのは3回目だそうだが、番号を聞くと引きつった顔で苦笑していた。
途中、相方とは何も話していない。終始無言で、床の軋む音を聞きながら、言われた通りに二階へ上がり、また少し歩くと目的の部屋へたどり着いた。恐らく20分は歩いていただろう。もう大分疲れていたので、この程度でもかなり堪えた。
部屋の中に入ると、埃っぽい匂いとやけに簡素なベッドがお出迎えしてくれた。二人とも堪らず咳込む。金銭面の都合上、二つ部屋をとることはできないので結局相部屋することになっていた。
「そうだフェイクス、あのベッドどうする?」
と言ってみたものの相方は何も言わずに俺の横を過ぎ、その勢いのままベッドに飛び込んだ。
その後の事は言わずもがなだが、ベッドの修理代を請求されることになりそうだ。
「嵌めたな……アステル!」
おう、喋った。もちろんそんなつもりは無い。
「嫌な予感はしたけど、まさか壊れるとは」
思っていなかった。口調からして、あまり怒ってはいないようだ。
「まあいい。俺が悪かった。しかし、酷いベッドだな……」
「あの主人に文句でも言ってくるか?」
ベッド代払えとか何とか言われそうだから本当は行きたくない。
「まさか、行くわけないだろ。こんな張り紙もしてあるし」
と言ってその張り紙を俺に投げた。開くと文字が書いてあるのが分かった。読めないが。
フェイクスは思い出すように言う。
「そうか、字が読めないか」
「へ? だ、誰がそんなことを……」
俺はそんなこと言った憶えはない。しかし、今日の俺を見て予想できなくもないか。
「眉間にもの凄く皺をよせてたが、違うか? お前ここの者じゃないんだろう?」
「あ、そうか。そんなこと言ったなあ……」
しかしこの文字、日本語のそれとは全然違う。こんなものただのしがない高校生だった俺に読めるはずない。
「実はその紙にはこのベッドの値段が書いて」
「数字かこれ! こんな複雑な数字初めて見た」
そういえば、文句言いに行かないのとこれと、何か関係があるのかな。
「まあ、値札だな」
馬鹿な。こんな代物が市場に出回っていてたまるか。
「下に店名も書いてあるぞ」
「なッ!……」
店名と値段の区別が付かないのだが……どうしよう、この世界で生活していける自信が全く持てない。
「この店もしかして」
と言ったところで詰る。眼を見開いているところを見ると、何かマズイことでも思い出したようだ。
5秒くらいすると、次は呟き始める。どうやら大変な事になってしまったらしい。
「大丈夫か?」
流石に心配なので声を掛けたが、聞こえてない。
「アステル! お前は来るな、ここで待ってろ!」
「な」
「出掛けて来る。用事を思い出した。」
そう言い残して、すぐ飛び立った。この部屋には結構大きな窓があるのだが、そこから出ていった。床には木とガラスの破片が散乱している。
フェイクスは窓の修理代も払いたいらしい。