知らぬ罪
「知らなかった」
「解らなかった」
こんな言葉、よく使う。
知らない事は恥ではないという。
だけど、知ろうとしないで知らないことを正当化するのはどうだろうか?
昨今、テレビや新聞で風評被害の記事をよく目にする。
そう、福島第一原発関連だ。
復興支援を目的に様々なイベントを画策するなか、一部の住民の反対によって中止や見直しを迫られている。
そして、そんな反対の声に全国から「風評被害だ」「無責任だ」「自己中心的だ」などの声がでる。
この流れを被災者の方々はどんな気持ちで見られているのだろうか?
恥ずかしながら、私は被災地に一度も足を運んでいない。
そんな私が偉そうにものを語る資格はないのだろう。
しかし、一般の人間としての見識を述べることはできる。
だから、敢えて言いたい。
「知らないことは罪」であると。
どれだけの放射線量がどの程度の人的被害をもたらすのか?
そして周辺環境にどの程度の悪影響を及ぼすのか?
恐らく抗議の声を上げた人の大半は「知らない」はずである。
仮に「知っていて」抗議をしたのならば、確固たる証拠を出すべきである。
ただ単純に「放射能は危ない」「テレビでそう言っていた」といった、いわゆる「知ったか振り」でさもそれが真実で周知の事であるかのようにヒステリックに反応することは愚の骨頂である。
しかも集団心理がそこに働くともう収集がつかない。
バカの一つ覚えで「安全」「安心」を口にしている世の人々よ。
貴方は今、現在進行系で放射能を浴びていることを認識していますか?
健康の為と身体検査でレントゲンを受けている貴方、震災地から運び込まれた花火なんか目じゃない量の放射線を浴びていますよ?
しかも、あの花火は放射能を検出していなかったのですよ?
私は言論は自由であるべきだと思う。
だが、自らが発した言葉に責任と自覚、そして確固たる根拠がないのに批判してはいけないのだ。
そういう無責任な人が風評被害を助長し、必死に復興への道を歩もうとしている方々の足かせとなっているのである。
政治家だけが悪いわけではない。
東京電力だけが悪いわけではない。
私を含めた震災された方の声を生で聞いたことのない人たちの無責任な発言や言動がもっとも悪なのだ。
だからと言って何も放射能の専門知識を全国民が持てというのではない。
知らないことは仕方がないのである。
しかし、知らないことを棚に上げて知ろうとせずに批判だけするということはまさしく「罪」なのだ。
私も普段の生活にかまけて真実を知ろうとしない人間のひとりだ。
だから私は風評にこだわらず食品を、物品を購入している。
べつに何も気にならない。
むしろそういう風評があれば逆らいたくなる性格である。
そして、私は放射能については無知に近い。
だから私は風評を立てるような発言はしない。
知らぬは罪だと思うから。
貴方は殺人を犯した人が「人を殺してはいけないと知らなかった」と言えば許しますか?
貴方は車で事故を起こした人が「運転の仕方を知らなかった」と言えば許しますか?
私は・・・・許しません。