第八話 潮が穏やかな日は、変な知識が舞い込む日
「……殿下、あの。そろそろバスタブから出たいですわ。指がふやけて、もうイワシの開きみたいになってしまいますわ!」
宇宙猫状態からようやく帰還したセレスティアラが、必死の抵抗を試みていた。
ところが、人魚姿のオーシャノスは彼女の腰を抱いたまま、琥珀色の瞳を蕩けさせて離さない。
「だめだよ。君が乾いてしまう。……ずっとこうして、僕の腕の中で潤してあげたいんだ」
(物理的にも心情的にも、オーシャノス殿下の愛がマリアナ海溝より深い!!)
もがくセレスティアラの脳裏に、ふと前世の記憶がフラッシュバックした。
それは、社畜時代のオタ友とファミレスでドリンクバーをキメながら語り明かした夜のこと。
『オーシャノス様、絶世の美男子なのにサブヒーローだからって報われなさすぎじゃない!? アリシアとスカイフォールが結ばれた絶望で、国ごと海に沈むバッドエンドは切なすぎて無理! 運営、慈悲って言葉知ってる!?』
『最後の方で明かされる設定で「実は人魚だった」って判明するけど、その最期があまりに「人魚姫」に似てて……無償の愛をテーマに作られた悲劇のキャラなのよね。……ああ、いつか彼にも、心から愛し愛される人が現れたらいいのに!』
(……そうだ。オーシャノス殿下って……公式公認の「悲恋・薄幸・バッドエンド担当」の人魚王子様だったわ!)
目の前で自分を愛おしげに見つめるこの美男子が、将来、悲しみのあまり国を滅ぼして消えてしまう。そんな残酷な未来、オタクとして……いや、一人の人間として、絶対に見過ごせない!
(イワシになりかけた、私を助けてくれた命の恩人ですし…よし、彼の悲しい未来を阻止しましょう! それが私にできる「恩返し」ですわ!)
「殿下! 私、決めましたわ。あなたの悲恋……じゃなくて、悲しい未来は私が全力で叩き潰します! 幸せになりましょう!」
「えっ……? ああ、よく分からないけど、嬉しいよ。君と一緒ならどこまでも幸せだ」
決意を新たにするセレスティアラ。だが、彼女は気づいていなかった。
「悲恋を阻止する=自分が彼のそばに永住する」という事実に、この段階で合意してしまっていることに。
そこへ、ピチャピチャと軽快な水音と共に、一人の男性人魚が現れた。
「おやおや、殿下。今日はまた一段と潮が穏やかだと思いましたが……なるほど、そういうことでしたか。女神様を独り占め中でしたか♪」
現れたのは、オーシャノスの幼少期からの忠臣、カスピアンだ。
「カスピアンか。……見ての通りだ。彼女、僕の尾鰭を褒めてくれたんだよ」
「ほう! それは素晴らしい! オーシャノス様が初めて自分を肯定できた記念すべき日ですね。いやぁ、アリシア様の時はいつも引き潮のようなお顔をされていましたから、私も一安心です♪」
サラッと過去の傷を抉るカスピアン。セレスティアラは「この人、意外と毒舌系?」と目を丸くする。
「ところで殿下。陸の『恋愛指南書(※カスピアンが勝手に拾ってきた漂流物)』によりますと、女性は【三歩下がってついてくる】のが美徳とされていますが……海国では逆です」
「逆?」
カスピアンはキリッとした顔で、とんでもない知識を披露した。
「はい。海国では【三周巻き付いて離さない】のが真の溺愛だと記されております。さあ殿下、今こそその立派な尾鰭を、セレスティアラ様の足に巻き付けるのです!」
「なるほど、それはいい。……こうかな?」
「ぎゃああああ! 殿下、信じないで! 物理的に拘束されてますわ! 捕食されてますわ私!!」
「ふふっ、潮が穏やかですねぇ。明日には王宮が砂糖菓子のように甘くなっていそうですな♪」
セレスティアラの悲鳴をBGMに、カスピアンは満足げに去っていった。
(……この国、王子も部下もキャラが濃すぎますわ!?でも、オーシャノス殿下が幸せなら、まあいい……のかしら!?)
セレスティアラの「恩返し(勘違い)」と、オーシャノスの「捕食(溺愛)」の共同生活は、こうして波乱の幕を開けたのであった。




