第六話 深海に灯る、琥珀色の誓い
マリナリス王宮、最深部。
そこは、海国の王族にしか立ち入りを許されない聖域である。
オーシャノスは、腕の中で意識を失っているセレスティアラを、真珠色に輝く美しい貝殻のベッドへとそっと横たえた。
陸の服は、魔法で柔らかな海国の衣へと変えてある。
月光を反射する群青の髪、長い睫毛に縁取られた瞼。
彼はその白い頬を、壊れ物を扱うような手つきで愛おしげになぞった。
「……もう、誰にも渡さない。君は、僕だけのものだ」
琥珀色の瞳が、昏い情熱を帯びて細められる。
ずっと昔から、僕は「余り物」だった。
エリアル王国のスカイフォール、フロレスタのアリシア。幼馴染だった三人の仲で、水のない陸の生活に馴染めず、いつも体調を崩していたのは僕だ。
アリシアは優しく看病してくれた。彼女は僕の光だった。
けれど、スカイフォールは僕を「体の弱い哀れな王子」と見下すようになり、二人は僕を置いて恋の駆け引きに耽るようになった。
二人の幸せのために身を引こう。そう決めてマリナリスへ一時帰還していた間に、二人の仲は決定的なものになっていた。
(胸が張り裂けそうだった。……あの日、彼女に会うまでは)
セレスティアラ・オーシャンブルー。
高飛車でプライドが高く、人を見下す悪女。それが巷の噂だった。
だが、僕には分かっていた。彼女の瞳の奥に、僕と同じ「孤独の匂い」が混じっていることを。
彼女は優秀すぎた。
スカイフォールが王太子として恥ずかしくないよう、厳しい妃教育も淡々とこなし、彼に苦言を呈した。アリシアに対しても、一国の姫としての礼儀作法を厳しく説いた。
スカイフォールは彼女を「嫉妬に狂った悪女」と呼び、アリシアは泣いて僕に助けを求めた。
けれど、僕は彼女を責める気にはなれなかった。彼女の言っていることは常に正論で、そこには誰かを貶めようとする悪意など微塵もなかったからだ。
むしろ、彼女が二人の恋の「壁」になったことで、スカイフォールたちは悲劇の主人公気取りで燃え上がった。
婚約者がいる身で他の女に溺れる男と、それを承知で突き進む女。
そんな醜い恋のために、なぜ彼女が犠牲にならなければならないのか。
あの日、僕が死にかけていた時……君が命を繋いでくれた瞬間、僕の中の海が叫んだんだ。『この人だ』と。君こそが、僕の運命の人だと。
それからというもの、僕の目に映るのはアリシアではなく、セレスティアラ、君だけになった。
スカイフォールに振り向いてもらおうと不器用に頑張る君が、たまらなく愛おしかった。
彼が君の香り袋を払いのけた時、僕は怒りでその顔を殴り飛ばしたい衝動を、必死で抑え込んだ。
君が僕のために作ってくれた香り袋。
ハマナスの香りとブルースターの刺繍。君に頭を撫でられた時、今まで否定され続けてきた自分の存在すべてが肯定されたような気がして……不覚にも、心臓が跳ねた。
なのに、あの人たちは君を泣かせた。
スカイフォールとアリシアが口づけを交わすのを見て、君が流した真珠のような涙。
「……僕なら、君を泣かせたりしないのに」
あの時、決めたんだ。
君を奪い去り、自由にしてあげようと。
案の定、君は謂れのない罪を着せられ、すべてを失った。
けれど君は絶望の中でも、生きるために走った。あんなに高い崖から、海へ飛び込むほどに。
「おかえり、セレスティアラ。ここはもう、君を傷つけるものは誰もいない」
オーシャノスは、眠る彼女の額にそっと唇を落とした。
幸せになるために生まれてきたはずの君が、これ以上一滴の涙も流さなくていいように。
これから君が綴る物語のすべてを、僕が幸せだけで満たしてみせる。
「愛しているよ。僕の、唯一の女神様……」
静かな王宮に、主の歓喜に呼応するように穏やかな潮騒が満ちていった。




