第三十話 深海の守護者。愛を呼ぶ叫び
オーシャノスは、セレスティアラが命懸けで与えてくれた加護のおかげで、無事マリナマスへと辿り着いた。しかし、その身体はアリシアの呪毒と執拗な捕縛によって傷だらけだった。カスピアンは主の姿を見て顔色を変え、直ちに禁忌の治癒術を施した。
深すぎる疲労と安堵により、オーシャノスは深い眠りに落ちた。だが、その夢はあまりにも残酷だった。
夢の中で、オーシャノスはセレスティアラを見つける。
「ティア……!」
愛おしさに胸を詰まらせ、彼女を強く抱きしめようと腕を伸ばす。しかし、指先が触れる直前、彼女の姿は陽炎のように揺らぎ、消えてしまう。
「どこだ、ティア! どこにいるんだ!」
暗い海中、いくつもの彼女の幻影が浮かんであざ笑うように消えていく。
「ティア……っ!!」
飛び起きたオーシャノスの額には、びっしょりと冷や汗が流れていた。
背中から肩にかけて厚い包帯が巻かれ、激痛が走る。
「……ティアは。ティアは戻ったのか、カスピアン」
傍らに控えていたカスピアンは、沈痛な面持ちで首を横に振るばかりだった。
翌朝も、その次の日も。
窓の外(海中)を眺め、待てど暮らせど、愛する女性がその扉を叩くことはなかった。
(なぜだ……。君は必ず戻ると言った。僕を先に帰してまで、君は何を……!)
耐え難い恐怖と苦痛がオーシャノスを蝕んでいく。もし彼女が、あの傲慢な陸の人間たちに捕まり、二度と会えない場所へ連れ去られていたとしたら。あるいは、あの冷たい断崖から再び――。
考えただけで、心臓を直接握り潰されるような絶望に襲われる。
「今すぐ探しに行く……!」
「なりませぬ、殿下! そのお体で泳げば、傷が開き命に関わります!」
カスピアンたちの制止を振り切る力さえ、今の彼には残っていなかった。拳を床に打ち付け、血が滲むほど唇を噛み締める。
「ティア……っ! 君がいない海に、何の意味があるというんだ! 君のいない世界なんて、僕にはただの地獄だ……!!」
王太子が放った魂の咆哮。それは海流を震わせ、マリナマス全域に響き渡った。
その叫びに、奇跡が呼応する。
遠く深い闇の底。意識を失い沈んでいたセレスティアラの内で、オーシャノスへの「愛」という名の加護が最後に一度だけ、強く脈打った。
彼女の身体をやさしい光の膜が包み込み、傷ついた背中を癒しながら、潮の流れに乗せて彼女を「愛する者の元」へと運び始める。
***
それから数時間後。オーシャノスは医者の制止を完全に無視し、ふらつく足取りで王宮を飛び出した。
「殿下! お止まりください!」
「うるさい! 彼女が僕を見つけ出してくれたんだ……今度は僕が、死んでも君を見つけ出す!」
血を吐くような思いで、彼は重い身体を海へと投じた。傷口が海水に沁みて激痛を放つが、そんなものは彼女を失う恐怖に比べれば微々たるものだ。
深く、より深く。暗い岩影も、砂の底も、狂ったように探し回る。
(どこだ、どこにいるんだティア! 僕を置いていかないでくれ……!)
視界が涙と海水で滲み、絶望が彼を呑み込もうとしたその時だった。
マリナマスの入り口付近、薄暗い水の底に、ぷかぷかと揺れる柔らかな光の球体を見つけた。
「……あ」
心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響く。
オーシャノスはなりふり構わずその膜へ泳ぎ寄った。
そこには、群青の髪をゆらゆらと漂わせ、静かに目を閉じたセレスティアラが横たわっていた。
「ティア……! ティア、ああ……ティア!!」
彼が震える手で彼女に触れた瞬間、役目を終えた光の膜は、泡となって消え去った。
オーシャノスは、冷たくなった彼女の身体を壊れ物を扱うように抱きしめた。
彼女の胸に耳を押し当てる。微かに、だが確かな鼓動が聞こえた瞬間、オーシャノスは海中で声を上げて泣いた。
傷が開こうが、二度と泳げなくなろうが構わない。
彼は最愛の半身を二度と離さないように固く抱き抱え、光差す王宮へと泳ぎだした。
「二度と、一人にはさせない。……何があっても、もう君を離さないから……」
海底に、彼が流した安堵の涙が、いくつもの真珠となって零れ落ちていった。




