第二十八話 仮面舞踏会。水に消える幻と女神の嘲笑
仮面舞踏会当日。フロレスタ王城の大広間は、贅を尽くした装飾と、欲望を仮面の裏に隠した貴族たちの熱気に包まれていた。
その中で、一際目を引く謎の貴婦人がいた。最高級の絹を纏い、精巧な仮面で顔を隠したセレスティアラだ。彼女は優雅に会釈を返しながらも、その瞳は冷徹に周囲を分析していた。
(騎士の数、護衛兵の配置、そしてシャノ様がいる水槽の位置……すべて把握完了ですわ)
セレスティアラは自然な動作で水槽の付近へと歩み寄る。扇に忍ばせた、強力な加護を込めた香炉から、微かに甘い香りが漂った。
「あら、少し疲れが溜まっているのかしら……」
警護の騎士たちが、抗いがたい睡魔に襲われ、次々と膝をついていく。
その一瞬の隙を逃さず、セレスティアラは指先を弾いた。昨日仕込んだヒビが砕け散り、溢れ出す海水と共に、自由を取り戻したオーシャノスが滑り出る。
「ティア……!」
「シャノ様、持てる加護のすべてを貴方に。どうか、無事にマリナマスへ……!」
共に逃げようと手を伸ばすオーシャノスに、セレスティアラは静かに首を振った。
「マリナマスで皆が貴方を待っていますわ。だから、先に戻ってください。……必ず、後を追いますから」
その凛とした瞳に、オーシャノスは今の彼女を止めることはできないと悟った。
「……待っている。愛しているよ、ティア」
彼が零した最後の一粒の涙が、カラン、と真珠になって床を転がる。彼はそのまま、隠し通路から地下水路へとその姿を消した。
セレスティアラは残された海水の塊に『アビス・グレイス』を注ぎ込み、一瞬だけ「人魚の彫像」へと形を固定した。
「あとは加護でガラスを修復して……よし、完璧ですわ!」
***
何食わぬ顔で広場に戻ったセレスティアラ。
やがて、真紅のドレスで着飾ったアリシアが、勝ち誇った顔で檀上に現れた。
「皆様! 私が手に入れた、世界で唯一の奇跡をご覧なさい!」
アリシアが意気揚々と幕を跳ね上げる。だが、そこに現れたのは――。
「……? ただの、水の塊……?」
「これが人魚か? 期待外れもいいところだぞ」
ざわつく会場。そこにあったのは、見るも無惨に形が崩れゆく、ただの水の塊だった。
「なっ、何よこれ! 私の人魚はどこへ行ったの!?」
「あら、随分と水っぽい人魚ですこと。アリシア姫、貴方の審美眼もずいぶんと枯れ果てましたのね?」
静まり返った広間に、鈴を転がすような嘲笑が響き渡った。
セレスティアラは、ゆっくりと仮面を脱ぎ捨てる。
「セ、セレスティアラ!? 死んだはずでは……!」
「幽霊か!? 幽霊が出たぞ!」
「ふふっ。そうなのですわ。私、一度死んで幽霊になったのです。私の愛する方をこの泥棒猫さんが奪って行かれたので、取り返しに来たまでですわ」
セレスティアラは「悪女」としての顔をこれでもかと作り込み、顔を青ざめさせるアリシアを挑発した。
「知っています? 幽霊の呪いは、恐ろしいのですわよ……?」
「捕まえなさい! その女を今すぐ捕らえなさい!」
激昂するアリシアの命令で、騎士たちが一斉に動き出す。
(よし、これでシャノ様が逃げる時間は稼げるはず!)
「おや失礼! 幽霊が通りますわよ!」
前世の社畜時代、終電に間に合わせるために駅の階段を駆け上がったあの全力ダッシュ。その経験が今、ドレスを翻して城内を疾走する驚異的な逃走術として開花していた。
激怒するアリシアを背後に置き去りにし、セレスティアラは笑いながら迷路のような城内を駆け巡る。




