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第十四話 聖女の暴走。深海に響く不敬な足音

「どういうことなの……! 私がこんなに祈っているのに、どうして花が咲かないのよ!」

フロレスタ王国の王宮庭園。アリシアは額に汗を浮かべ、必死に『アリア』を唱えていた。

だが、かつて彼女が手をかざせば一瞬で蕾が開いたはずの庭園は、今や見る影もなく茶色く枯れ果てている。

アリシアは知らない。

この国の豊かな自然を支えていたのは、彼女の華やかな祈りではなく、その傍らで「皆様が健やかに過ごせますように」と無意識に願っていたセレスティアラの加護『アビス・グレイス(深淵の慈愛)』であったことを。

地脈を伝い、目に見えぬ「潤い」として大地を抱擁していたセレスティアラの力が、彼女の「出奔しゅっぽん」と共に、この国から完全に消え去ったのだ。

今のアリシアの祈りは、水のない枯れ井戸に向かって叫んでいるようなものだった。

「……もういいわ! きっとオーシャノス様がマリナマスに帰っちゃったから、海のバランスが崩れたせいよ。私が連れ戻してあげれば、全部元通りになるんだわ!」

アリシアはスカイフォールに何も告げず、独断でマリナマスへと向かった。その胸の内には、どす黒い独占欲が渦巻いている。

(「アリシア、君がいないと僕は何もできない」……そう言って縋っていたじゃない! 三ヶ月に一度の留学のたび、体調を崩すあの人を看病してあげるのが心地よかった。琥珀色の瞳に見つめられるのは気分が良かったわ。……私の隣に立つのに相応しくない「弱虫」だと思って、好意に気づかないフリをしてあげていただけなのに!)

セレスティアラを絶望に落とすためにスカイフォールを奪った。けれど、オーシャノスだけは自分を一途に想い続けるスペアであるはずだった。

(あの女が海に消えた時期と、オーシャノス様が姿を消した時期が重なるなんて……嫌な予感がするわ。私以外の女を見るなんて、絶対に許さない)

アリシアの狙いはオーシャノスの自室ではなく、彼と折り合いが悪いと噂のマリナマス国王だった。

(オーシャノス様がノーと言えないように、まずは国王を私の美貌と『アリア』で手なずけてやるわ。そうすれば、スカイフォールも、オーシャノスも、マリナマスも……全部、私のものよ!)

***

一方で、マリナマス王国深部。オーシャノスの自室という名の、幻想的な温室プール。

セレスティアラは、真珠貝をあしらった柔らかなベッドの上でゆっくりと目を覚ました。

「ん……?」

ふと横を見ると、そこには至近距離で眠るオーシャノスの寝顔があった。

驚いて飛び起きそうになるが、自分の手が、彼の温かく大きな手にそっと包み込まれていることに気づいて動きが止まる。

(……殿下?)

眠っている時のオーシャノスは、あまりにも無防備で、幸せそうだ。

成り行きで彼に助けられ、ここで暮らすようになって数週間。彼はセレスティアラが嫌がることは何一つせず、ただ溢れんばかりの愛と、安全な場所を与えてくれた。

(殿下、そしてこの国の人々が、どうか健やかで楽しく過ごせますように……)

そう心から願うと、セレスティアラの体から無意識に柔らかな蒼い光『アビス・グレイス』が溢れ出し、部屋の海水を清らかに輝かせた。

ふふっ、とセレスティアラは小さく笑みをこぼす。

彼の海色の髪を、壊れ物を扱うように優しく「よしよし」と撫でた。そして、衝動に突き動かされるように、彼の額へとそっと唇を落とす。

(……私、多分。自分が思っているよりもずっと、オーシャノス殿下に惚れているのかもしれませんわ)

「推し」として眺めるだけの対象ではなく、この温かな手に、この真っ直ぐな瞳に、一生を捧げたい。

その自覚は、冷え切っていた彼女の心に、アビス・グレイスよりも温かな熱を灯した。

だが、二人の愛が深まるそのすぐ外側で、強欲な聖女の足音が、確実に近づいていた。

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