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「で、でかしたぞ」青木照彦は安心しきった声で言った。
「特別ボーナスくれるんだよな……ちゃんと寄越せよな……娘も捕まえて、始末屋も殺ったんだから……」隊長格の男はスリングを切り離して完全に銃を奪い取ると、恵美に突き付け直した。苦しげな表情で呻くように言う。「クソッ、痛ぇ……ふざけやがって……治療費も払えよ……」
「あぁ、あぁ……分かってるよ……」青木照彦は何度も小さく頷きながら立ち上がった。もう間もなく死ぬであろう重傷を負っているのは明白なのに、当然生き長らえられると思い込んでいるとは。そう思いながら、隊長格の下へと歩み寄り、恵美の胸倉を掴み上げる。「今度は逃さねぇぞ」
「もう勝った気でいるのね」恵美は諦める気はまるで無いと言わんばかりに睨み付けてきた。始末屋も死に、もう何一つ武器も残っていないくせに、何を強気な。その生意気な目に苛立ち、青木照彦は張り倒してやろうと手を振り上げたが、ふと気付いてやめた。これから思う存分嬲ってやれば、そして今度こそ心をへし折ってやれば、それでいいだろう。商品としての再利用も出来る訳だし、そのほうが得だ。青木照彦は恵美の肘関節を極めるようにして拘束した。これで終わりだ。
青木照彦と隊長格の男は互いに見やるとニヤリと笑い、部屋を立ち去ろうとした。敵を殺して目的を果たした以上、こんな血なまぐさい場所に留まる必要も無い。さっさとおさらばしてシャバに繰り出すだけだ。ただまぁ、一人はそれまでに力尽きて、人の世を去ってしまいそうではあったが、青木照彦にはどうでもいい事だった。
だがそう上手くは行かなかった。突然何かの射出音がしたと思うと、青木照彦の背中に衝撃が走り、力強く掴み上げて来たのだ。思わず彼は姿勢を崩しかけ、一歩踏み出してようやっと堪えた。
「あぁ、逃さないさ……」荒い吐息と共に、ペイルライダーの声がした。「『奥の手』を喰らえ」
隊長格の男がいち早く動いたのが分かった。銃を構えて振り返り、反撃しようとしているのだ。だがそれより早く、もう一度射出音がすると、隣から、ぐえ、と言う呻きにも似た声と、飛沫の散るような音が響いた。視線を巡らせて見やると、隊長格の男の喉元に妙な異物が生えている。
それは手だ。見紛う事無き左の手刀が、血に濡れて突き刺さっている。
取り落とされた銃が硬い音を室内に響かせる。青木照彦はハッとして振り向いた。
ペイルライダーは彼らの背後で、いつの間にやら膝を突いて起き上がっている。右手に握った銃と左手首からワイヤーが繋がっていて、何かのガスだろうか、白い煙が漂っていた。貫手を高速で射出したのだと青木照彦は理解し、同じく何かフックのような物が自分の背中に掴み掛かっているのだと悟った。
隊長格の男の喉元に突き刺さっていた左の手刀が、まるで生命ある生き物かのように首の中で蠢き、形を変えて、頸骨にしがみつく。同時に銃のスイッチが操作される音がすると、ワイヤーが高速で回収され、二人の体が勢い良く引っ張られた。その反動を利用するように、死神は間近に迫ってくる。
青木照彦は驚いて踏ん張ったが、足に集中していて腕の内から意識が逸れていた。無意識の内に力が緩まる。その隙が命取りとなった。
恵美が腕の内で蠢くと、スカートの下から拳銃とカッターナイフを抜いて、彼の両足に向けて攻撃したのだ。両足をほぼ同時に撃たれて刺され、悲鳴を上げて痛みに怯んだ彼を、恵美は蹴りで押しやった。たたらを踏んだそこに、死神が飛び付いた。
「マワすのが好きなんだろう?」勢いのままに、彼は首に腕を絡み付かせ、身を回転させて、そして地面目掛けて叩き付けた。「この回り方はどうだい!?」
スリングブレイドをマトモに喰らい、青木照彦は床に沈んで気を失った。
※
「オイ……ホラ、起きろ」
恵美の前に立ったペイルライダーが、横倒しになっている青木照彦の顔を思い切り蹴り飛ばした。バシンと響く音と共に、その痛みで、彼女の憎む実の父親は目を覚ましたようだ。二人の顔を見るなり、血相を変えて藻掻き暴れようとする。
「オイオイ、起きろとは言ったが動けとは言ってないぞ」ペイルライダーが僅かに痛みに呻きながらも、USPを抜いて両手で構え、頭の間近を撃ちながら言った。「お前さんの考えは分かるぞ? まだ生きてるならどうにかして逃れて武器を拾って、この間抜けな骸骨頭を本物の骸にしてやろうって所か。だが今お前さんを狙っているのはH&K USPと言ってそれなりに強力な弾を吐き出す拳銃だ。お前さんの頭を綺麗に吹き飛ばすだけの威力があるんだぜ? さぁどうだ、それでも試してみるか?」
「な、何を……」
「好きな映画の台詞さ」たじろぐ青木照彦の様子を見て、ペイルライダーは小さく笑い、続ける。「^44^マグナムじゃあないから、ちょっと変えたけど」
ふざけているようなその態度は、痛みを隠す痩せ我慢だけでなく、敵の焦りを加速させる為の芝居の一つなのだろう。そして事実、この場に似つかわしくない言動に、青木照彦は圧倒されているのが分かる。
「とは言え、そもそも動けやしないだろうけどな」
「無様な姿ね、クソ野郎」恵美は皮肉っぽくそう言った。
青木照彦は手足をタイラップで拘束され、芋虫のように身をよじる以外には何も出来なくされている。その上で、ペイルライダーの拳銃が突き付けられているのだ。これから何をされるのかを想像したのだろう、恐怖の表情に顔を歪めていた。
「そうよ、その顔が見たかったの」恵美は心が満たされていく思いだった。怯え、震え、青褪めるその表情……これまで空想でしか無かった姿。全てが望み通りだった。次は苦しみに悶え呻く様を見せてもらわないと。
「さぁて、そろそろ出番だな。……どうぞ、お嬢さん」ペイルライダーが道を開けるように脇へと退く。「存分に楽しめ」
「えぇ」と、彼女は頷き、床に横たわる青木照彦へと詰め寄り、馬乗りになった。「あなたが今までくれた痛みを、全てまとめて返して上げるわ……! あなたが今まで奪ってきた分だけ、全て同じように奪い取ってやるわッ! 全て、全て! 全てッ!」
ナックルグローブに包まれた拳で鼻っ面を殴り、血を流す顔面に、更に何発も連続して打ち込む。鼻骨や頬骨を砕ける感触が心地良く、どんどんと心を昂らせる。狂ったように笑い、怒るように叫びながら、獣のように乱れても尚、恵美は殴るのをやめない。
「私の痛みはこんなもんじゃないわよ!」次にスカート下のホルスターからカッターナイフを抜き出すと、彼女はその刃を突き立てた。腹部を何度も滅多切りにし、刃が肉の間で圧し折れても構わず、突いては抜き、突いては抜きを繰り返す。「切り刻まれて抉られる気持ちも知りなさい!」
恵美の体は返り血によって真っ赤に染まっていたが、それに不快感を抱く事は無かった。むしろその逆で、父親の血に染まる度、彼女は予想以上の幸福と快楽を感じていた。憎しみがドンドンと晴れて、身が軽くなっていく。そんな感覚がしていた。
「奪われる気持ちも教えてあげる」恵美は荒い息のまま立ち上がると、P^99^を抜いて、股間目掛けて三度撃った。青木照彦の絶叫が渡る。恵美は空いた大口に、千切れた陰茎と睾丸を無理矢理詰め込ませた。「どう? もうあなたにも無いのよ?」
「まぁ、そうだよな」痛々しそうにペイルライダーが呟く。「でもそれはちょっと……うん……」
「黙ってて」恵美は彼を一瞥すると短く言い、同時に青木照彦の顎を鋭く力強く蹴り上げた。ボトリと棒状の肉片が飛び散り、落ちる。
「あら、随分と無様ねド畜生。嬲っていた私に甚振られて、見下していた私に嘲られて……」息も絶え絶え、もう間もなく力尽きるであろう父親を前にして、恵美は涙を流した。しかしそれは悲しみからではなく、心の底から感じる喜びの涙である。「悔しかったら抵抗してみなさいな。尤も、出来たらの話だけど」
その時、無線機に連絡が入った。
『お二人とも、車が何台か接近して来ましたよ』
『ありゃ、街に出てた手下のチンピラどもだな』無線に便利屋の声と、抑えられた銃声、そしてボルトの作動音が入り込む。『どうだ?』
『運転手に命中。……あ、今足止めしてますが、急いだほうがいいかと』
『ご丁寧にそれらしくイカ釣り漁船ばりのど派手な装飾をしてくれてるもんで、撃ちやすいったらありゃしない……』
『こちらは出来るだけ引き止めておきます。……先生、後続車が抜け出そうとしてます。狙えますか?』そこで通信が切れた。
「悪いがそろそろ別れの挨拶しないとだな、お嬢さん」MP7を回収していたペイルライダーが言い、恵美は舌打ちをした。「お開きの時間が迫ってる」
「あぁ、名残惜しいわ。もうお仕舞いだなんて」彼女はほとんど刃の残っていないカッターナイフを逆手に持った。「まだ地獄の渡し賃も差し上げてないのに」
そして、迷いもなく青木照彦の喉元に突き立てると、鋸を押し引きするようにしながら真一文字に掻き切った。鮮血が溢れ出て、青木照彦の体がビクビクと震える。
「六文銭代わりにくれてやるわ、このクソ下衆野郎」最後の慈悲のように、恵美はその顔面にP^99^の銃弾をありったけ叩き込んだ。血飛沫と共に、爆ぜた肉片がその辺りに散らばる。弾丸が尽き、引き金が悲しい音を響かせる頃、青木照彦の体の震えは収まり、そして二度と動かなくなっていた。
「これで二度とそのツラ見なくて済むわね」恵美は原形の無い肉塊を見下ろして笑った。
※
「気分はどうだ?」
「最ッ高に晴れやかよ」
早朝のバー・アサイラムにジョウと恵美は居た。始末をつけた後、便利屋達と合流し、彼のバンでここまで帰ってきたのだ。汚れた服や壊れた装備はそのままに、痛みと疲れに任せて深々とカウンター席に腰を下ろす。だが、その顔には清々しさがあった。
「じゃあ、取り敢えず一杯やろうや」カウンターの向かいに立った便利屋がそう言う。片手には既に黒ビールの瓶を開けている。「一仕事終えたんだ、ご褒美がなくっちゃあな」
「はぁ……今日休みで良かった……」と、その隣で弟子が、ロックグラスにバーボンを注ぎながら、血反吐や肉片で汚れた店内を見てウンザリした顔をしていた。
「そうね……私は何か甘くて綺麗な奴を」恵美がサラリと言ってのける。
「オイ、未成年だろうに」ジョウは呆れた。
「あれだけ人殺した後に法律の心配?」逆に彼女が呆れ返す。
「……それもそうか」納得してジョウは苦笑した。それから便利屋に言う。「こっちはウォッカのマティーニを。ステアでなく、シェイクで。そして何より、ヴェスパーではなく、な」
「はいよ、ボンドガールにブロスナン」便利屋が笑い、手早く酒を合わせ始めた。そして間もなく、二つのカクテルがカウンターに並べられた。「さぁ、どうぞ」
彼らは無言でグラスを掲げ、そして口を付けた。
「お陰で自由になれたわ。ありがとう、死神さん」甘い香りの美しい酒を一気に飲み干してから、恵美が晴れやかな笑顔を浮かべて言った。深い吐息をつく赤ら顔には、なんの悔いも残っていないように見えた。
「あぁ」お気に入りのウォッカのマティーニを一口味わってから、ジョウも頷く。それから彼女に言った。「だが、これで目標は無くなった訳だ」
「そうね」中身の無いグラスを弄りながら彼女が答える。
「……これからどうする?」
これまでの彼女の人生には、父親から逃れる事と、その父親を殺す事ぐらいしかなかった。そしてその全てが叶った今、自由と共に空虚さが襲い掛かって来ていてもおかしくはない。生涯の目的を失い、虚しさから自らの命を断つ者だって少なくはないのだ。ジョウは少し不安に思っていた。
だが、恵美の顔に浮かぶ色は、そう言った暗く後ろ向きなものとは無縁のようだった。
「そこでね、ちょっとお願いがあるのよ」恵美はグラスを弄る手を止めると、ニヤリと笑って続けた。「今回の報酬だって払わないといけないじゃない?」
「ここの手伝いで支払うんだろう?」もう一口流し込み、オリーブを口にする。塩味が疲れた体に心地良い。
「あなたにも払わないと、気が済まないわ。でも私、お金無いし……」
「あぁ……うん……」そこまでくると、ジョウにはなんとなく予想が付いていた。
「だから体で返すわ」恵美が真っ直ぐに向き合って言った。
「オイオイ、そりゃあどっちの意味だい?」グラスを置いて彼女を見詰める。
「取り敢えず、変な意味じゃないほうよ」
あぁ、やっぱりな、とジョウは思った。一息ついて、恵美は続けた。
「私に仕事を手伝わせてもらえないかしら」
「……本気で言っているのか?」ジョウも彼女に向き合った。
「本気も本気よ。悪党を殺して、人を救う。そう、私みたいな人達を……正に本望だわ」恵美は不敵な笑み混じりにジョウを見た。
彼女の反骨的で攻撃的な部分、そして何より弱者であったからこその憐れみが、始末屋と言う仕事の魅力に取り憑かれているのだろう。ジョウも今一度、彼女の顔を見詰めた。赤ら顔だが、決して酒の勢いで言っているようには思えない。僅かたりとも逸れる事無く見詰め返す瞳から、彼女が心底そう願っているのだと受け取れる。
「なぁ、いいんじゃないか?」便利屋が気の抜けたような微笑みをたたえながら言った。「お前だっていい歳だ、後継ぎの事を考えなきゃあならんのもある。それに、人手が増えるのは大歓迎だ」
「また呑気に勝手な事を……」とジョウは舌打ち混じりに呟いた。だが事実でもある。近い内に死んでもおかしくない世界だ。いつかペイルライダーがここから居なくなってもいいように、始末屋としての志を受け継ぐ誰かが必要となる。恵美にはそれに足る若さと、そして才能を感じていた。執念と持ち前の身体能力からとは言え、たった二週間かそこらで、ズブの素人から兵士のような戦う力を身に着けられる者など、そうそう居ない。逃すのも惜しい話ではあるだろう。
でも……しかし……だけど……うぅむ……。そう内心で繰り返す。
マティーニのグラスを握って少しの間黙って考えてから、ジョウはそれをあおり、そして呟くように言った。
「相棒になれるかどうかは、訓練次第さねな」
「それってつまり?」恵美が問い返す。
「……あぁ」溜め息にも似た声で応え、ジョウは頷いた。
「そう……!」彼女は子供のような激しい喜びはしなかったものの、まるで静かにその事を噛みしめるように、美しい顔立ちに笑みを浮かべて返した。
「じゃ、新しい名前を考えなきゃな」便利屋が微笑みながら言った。「いつまでも名無しのお嬢ちゃんと言う訳にも行くまい。やりづらいったらありゃしないよ」
「あ、その事なんですけど」弟子がふと思い付いたように声を上げた。「新しい名前は『リン』ってのはどうでしょう? お嬢さんの『凛』とした雰囲気と、首輪の『鈴』から取ってみたんですけど」
「なんだかまるで本当に猫みたいな名付け方ね」恵美はそう言うが、その顔に嫌そうな気配は無かった。むしろその逆で、気に入ってさえいるように見えた。「でも……『リン』……悪くないわね、えぇ」
彼女――リンはそう言い、頷き返した。
「今日から私の名前はリンよ。そう呼んで」
猫か、とジョウは思った。彼も彼女にはずっとそんな雰囲気を感じている。だから発信機付きの首輪を贈ったのだ。納得するように頷き、呟いた。
「まぁ、言い得て妙だな、『キティ(子猫ちゃん)』」




