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「オイオイ、マジかよ……」青木照彦はやれやれとかぶりを振った。「こりゃようやくお出ましかよ」
そう余裕を抱く反面、少し狼狽えている部分もあった。送り出した傭兵達の内の誰かが報告してきた内容が、彼の緊張感を煽っていたのだ。なんせ、いつの間にか見張りが死んでいたと言うのだから、危機感を抱かざるを得ない。確かに退屈せずには済みそうだが、些か危険な雰囲気も感じていた。
「オイ今どう言う状況だお前ら!?」隣で隊長格の男が、苛立ちを隠す事無くあらわにしながら問い掛けていた。先の連絡の後、もう一度回線が通じかけた事もあったが、すぐに途切れて以降は音沙汰無しだった。その間にも騒ぎはまたどんどんと大きく近くなっているように感じたし、よくよく耳を澄ませば、それこそ銃声のような音さえ聞こえる始末だった。「……なんだよクソどもが、報告ぐらいまともに出来んのかよ!」
隊長格の男が黙ると、続いて異様なまでの静けさがやって来た。違和感を覚えて、二人は思わず探るように視線を彷徨わせる。突然何かが変わった。そうだ、先程までの騒がしさがどこかへと行ってしまっているのだ。なんなんだ一体、と二人は思った。解決したのか? 連中が敵を片付けたのか、それとも逆に始末されたのか……。
「あぁもうこうなりゃ俺達で殺るしかねぇかな……」青木照彦は拳銃を抜きながら言った。緊張で僅かに引き攣った笑顔を浮かばせる。「さぁ、来るなら来いや。返り討ちにしてやっからよ」
そう言って立ち上がり、扉に向かおうとした。
「いやいや待てって、とにかくもう一度確認してみる」隊長格がそれを引き止め、無線に再度問いかけた。「オイ、一体何が起きてるんだ? 解決したのか?」
『……お答えしようか』やがてスピーカーの向こうから、聞き覚えの無い声が響いてきた。不気味に低くくぐもった男の声だ。青木照彦も隊長格の男も、何事かと身構えていると、その声は続けて言った。『実はお前さん達に悲しいお知らせがあるんだよ。お友達は皆先に帰ったぞ……土にだがな』
「あぁ? んだテメェふざけやがって!」隊長格の男が問い返すよりも早く、青木照彦は怒鳴り返した。「オイコラボケ!」
「やかましい、ちょっと黙ってろ!」隊長格の男が青木照彦の手から無線機を引き剥がすように取り上げながら、自らのスピーカーマイクに向けて怒鳴った。「異常事態発生だ! 誰でもいい、誰か確認しろ!」
そして少し待つ。だが、矢張り応答はいつまで経っても返ってこない。それがより一層、彼らの空気を張り詰めさせた。
「クソが……オイ、誰か応答しろ!」
「いや、もう応えたろう? 足りなかったのか?」先程の声が再び、しかし今度は肉声として響き、同時にドアが激しい音を立てて開いた。「それじゃあこれでも見てみなよ」
次いで、彼らの足元に何かボールのような物が重たげな音を立てて転がってきた。いや、それはボールではない――人の頭だ。苦悶の表情のまま固まった顔が、光の無い瞳で二人を見やった。
「コイツぁ……!?」隊長格の男がハッとして言った。青木照彦も気が付いた。その顔は、彼が送り出した傭兵の内の一人ではないか。そして、さっきまで命だったモノの口の中に、何かが無理矢理押し込められている事に気付き、青木照彦は思わず手を伸ばした。なんだろう、硬く鈍い光沢を持った筒みたいだ……。
「やめろ!」隊長格の男が叫び、青木照彦を抱えるようにして倒れ込み、ソファの影へと伏せさせた。間も無く、切り落とされた頭の穴と言う穴から煙が吹き上がり、辺りにもうもうと立ち込めた。それがスモークグレネードの爆発的な噴出によるものだと言う事は、青木照彦にも流石に分かった。映画による知識も馬鹿にはならないな、とどこか冷めた部分での理解だったが。
続くように、階下から何かが弾ける音がして、照明が落ちた。恐らくは発電機が壊されたのだろう。差し込む月明かりが辛うじて照らす中、やがて室内は煙に閉ざされた。
「俺達を探させているんだって?」どこからともなく響くように、低い声が言った。その声に、青木照彦は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。近いようで遠いようで、前後左右、上下とも見当の付かないその声は、まるで本当に不明瞭な存在と相対しているかのような気分にさせられる。「ふいにして悪いが、こちらから出向かせてもらったよ」
「髑髏顔め……!」隣で姿勢を整えた隊長格の男が、ライフルを抱え直しながら呻くように声を漏らした。「殺ってやるぞ……!」
青木照彦も、袖で口と鼻とを覆いながら、姿勢を低くして辺りを見回した。どこだ、どこに居やがる? 吹き上がる煙幕の所為で何も見えない。だが見付けたら直ぐ様撃ち殺してやる……。そこで、自らの手から拳銃が失われている事に気が付いた。伏せさせられた時に落としてしまったのだろう。遠くの床にそれらしき影が見えたが、手を伸ばして届くような距離ではなかった。緊張感がどんどんと高まり、次第に余裕が消えていくのを感じる。
「あぁクソッ、見えねぇ……オイ、窓開けろ」隊長格の男が肩を小突いてそう言い、煙の中に消えるようにしてどこかへ行った。恐らくは記憶を頼りに窓際に這いずり寄ったのだろう。確かに煙を掻き消せれば幾分かマシになるかも知れない。青木照彦も同じく動き、なんとか一枚分開ける事に成功した。
彼がソファの影に戻ると、吹き込む外気で薄れゆく煙の中に、何やら人影が二つ、揺らめいて見えた気がした。片方は長身の男のようだが、もう片方は対象的に小柄な少女のもののようだった。人影はどちらも掠れるように消えていったが、青木照彦は目を細め、それを追うように視線を巡らせた。
「随分と怖がってくれてるみたいね、嬉しいわ」冷たく笑う少女の声がした。聞き覚えのある声だ。何故ならそれは、彼の血を分けた実の娘のものだったからだ。
「てめぇか恵美ぃ!」青木照彦はハッとして怒鳴り返した。
「その名前で呼ばないで、クソ野郎」抑えられた銃声がして間近の床が三度爆ぜた。外したのか外れたのかは分からないが、狙われている事には変わりない。悔しげに唸りながら、青木照彦は体を縮こませて隠れた。まるで追うかのように、再び銃弾が辺りにめり込む。
「クソが、殺ってやる!」隣に戻ってきた隊長格の男がなりふり構わず乱射しようとして、ソファの上からライフルを突き出した。引き金を引くが、壁に当たる音はすれど、人の悲鳴は聞こえない。
「やめろ馬鹿、殺すんじゃねぇ!」青木照彦は隊長格の手からライフルを奪い取るように掴んだ。「アイツは生け捕りにするんだよ!」
顔を張り倒し、力任せに何度も引っ手繰ると、銃を繋いでいたバックルが砕けて引き千切れた。そのまま床を滑らすようにして彼方へと投げ捨てる。殺されてしまっては、一体なんの為にここまで追い掛けてきたのか、その意味がなくなってしまうだろうに。手間を掛けさせられた分、あの女には稼げるだけ稼いで貰わなくては困る。
「ざけんな、んな事言ってる場合かよ! こっちが殺られちまうだろ!」
尚も拳銃を抜こうとする隊長格の男を阻止していると、背後に何かの気配を感じた。
「この期に及んで仲間割れとは、正しく悪役の鏡だな」
二人は同時に振り向いた。
「始末屋……ペイルライダー!」隊長格の男が言った。
「そうだよ」
二人は立ち上がるが、飛び掛かるよりも早く、ペイルライダーが隊長格の事を撃ち、そして青木照彦の事を蹴り飛ばした。もんどり打って二人は倒れた。
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胴を撃たれて悶えながらも、姿勢を整えた隊長格の男が、素早くグロックの拳銃を抜いた。だが相手が構えるより早く、ペイルライダーは再び発砲して、銃弾を叩き付けた。胸部の防弾プレートに当たったので出血も無く、死にもしなかったが、またも襲いかかった衝撃に隊長格の男は床に打ち据えられ、拳銃を取り落としていた。ペイルライダーは左腕で喉元を引っ掴んで、無理矢理引き起こした。
「くたばれッ!」至近距離で何度も腹部に銃撃を浴びせる。赤い飛沫が腕に纏わり付き、生暖かい感触に包まれるとともに、一点集中して浴びせ掛けた銃弾が見事に防弾素材を突き破って敵の体へ突き刺さったのだと分かった。
「お仲間が待ってるぞ」無慈悲に、ペイルライダーは男の横っ面を張り倒して突き飛ばした。隊長格の男はダラリと手足を伸ばして床に転がった。「さっさと逝ってやれ」
止めを刺すべく、弾の切れたMP7を左手に抱え、右足からUSPを抜き、構えようとする。だがそこを強い衝撃が襲って薙ぎ倒されてしまった。それは青木照彦のレスリング仕込みの重いタックルだった。弾みで手から拳銃が離れてしまい、床を滑っていく。縺れ込みながら、ペイルライダーと青木照彦は組み合い、最後にはマウントポジションを取られてしまった。
「このクソがぁ!」雄叫びと共にナイフが顔面に迫る。
「鏡見てから言うんだな、この間抜け!」ペイルライダーはそれを反射的にMP7で防いだ。「お前さんよりかは遥かにマシだ、下衆が!」
力任せの刃が深々と突き刺さり、お陰で機関部が壊れ、使い物にならなくなる。ペイルライダーはスリングのバックルを切り離すと共に、MP7だったスクラップを回転させてナイフを手から奪い取ると、諸共彼方に投げ捨てた。
舌打ちしながら青木照彦が右フックを放ってくる。ペイルライダーは左腕でそれを防いだ。硬い音が響き、激痛に青木照彦の顔が歪む。ペイルライダーはお返しに右手の喉輪を放ち、よろめかせた所に鳩尾へ左の貫手を突き入れる。青木照彦が呻いて背を丸めた。刹那、彼の横っ面を小さな影が蹴倒した。恵美だ。体重を乗せた喧嘩仕込みのフロントキックで、実の父親の顔を蹴り飛ばしたのだ。
「私を無視する気?」彼女はMP7を構えて狙いを澄まそうとした。しかし足掻くような蹴りによってMP7を持つ手が薙ぎ払われ、姿勢を崩して倒れる。
「ガキが、邪魔するんじゃねぇ!」青木照彦がむせこみながら叫んだ。彼は素早く起き上がって娘に掴み掛かり、銃を奪おうとしていた。「てめぇは一生俺の道具でいりゃいいんだよ!」
だがその隙があれば、ペイルライダーには充分だった。ペイルライダーも立ち上がり、踏み込む。
「俺も無視するなよ!」誤射を避ける為にも拳銃は使えないし、同じくナイフも危険だった。なので、右手のフリッカージャブで横っ面を張り倒す。ぐるりと回るようにして膝を突く様を見やると、彼は煽るように言った。「どうした? 二人も相手にしたら身が持たないか、ロートル?」
青木照彦が振り返り、血を吐いて、怒り狂った目で睨み返してきた。痛みと挑発が見事に冷静な思考を阻害しているようだ。勢いのままに、彼は鋭く何度も殴り返してくる。ペイルライダーはボクシングスタイルで構えながらステップで間合いを計り、回避した。
元は体育教師だけに運動能力に秀でているのは理解していたが、どうやらいくつかの格闘技も経験しているようだ。その動きは素早く重い。冷静さを失っているとは言え、手慣れた正確さは残っている。兵士ではなくとも戦士ではあるのだ、油断しないに越した事はないだろう。攻め入る隙を探る為にも、もっと我を忘れさせてやるとしよう。
「弱いぞ? 役立たずの、雑魚のクズめ!」体捌きで攻勢を躱しつつ、避けきれないものはブロックやパリィでいなしながら、罵倒を浴びせ掛ける。「老いぼれの、死に損ないめが、この!」
「ふざけんじゃねえぇッ!」
「いいや、大真面目さッ!」
獣のような怒りの声と共に放たれた大振りの一撃、それをダッキングしながら、左拳のカウンターブローを脇腹に入れた。青木照彦は怯むが、すぐに立て直して攻勢に戻った。ジャブ代わりの鋭いキックが迫り、ペイルライダーは左腕でそれを払う。蹴りの勢いを利用したストレートパンチをスウェーバックで一瞬回避した後、戻る勢いに乗せて顎に左拳のフックを入れ込むと、仰け反った隙に、右の足刀を鳩尾に打ち込んで、その身動きを封じた。嘔吐するように身を屈めた青木照彦の頭髪を掴んで顔に膝蹴りを入れようとするが、寸前で防がれてしまう。反撃にボディブローを何発か貰い、その内の一発は打撲の痕に直撃した。ぐぅ、とペイルライダーは呻き、膝を突きそうになった。だが、終の一撃が入れられるのならば構わないと歯を食い縛って耐える。
「墜ちろォッ!」ペイルライダーは雄叫びと共に痛みを振り払いながら、肘を後頭部に数度落とし、両手のハンマーパンチで叩き潰すように青木照彦の顔を地面へ打ち付けた。
「沈めッ!」トドメと言わんばかりに、ペイルライダーは背骨に向けてエルボードロップを落とした。ゴキリと嫌な音がして、青木照彦が激痛に悲鳴を上げ、そうすると遂に抵抗する気力を失ってしまったようだった。
「殺るなら……早く殺れ……」
「そうしたいのは山々なんだがな……いいや、まだだな……」ペイルライダーは荒い呼吸の中で、左手で胸倉を掴んで、無理矢理立ち上がらせながら言った。「残念ながらお前さんを殺すのは俺じゃあないんでね……」
「そうよ。私の手で出来るだけ残酷に殺すのが目的なの」恵美がやって来て、MP7を構え直した。「だから醜く悶えて死んで」
ペイルライダーは壁に向けて青木照彦を叩き付け、その腹部を蹴り込んだ。青木照彦は唸りながら崩れ落ち、ぐったりと座り込んだ。そして恵美がその体に向けて狙いを定める……。
「そうさ、まださ」
突然声が響き、ペイルライダーはバックアップの拳銃に手をやりながら振り向いた。そこには、死んだと思っていた隊長格の男が、よろめきながらも立っているではないか。いや、それだけではない。素早く駆け出して低いタックルと共にペイルライダーの体を跳ね除けると、恵美を人質にするように抱えてMP7を奪い取ろうと掴み掛かっていた。対するペイルライダーの手にはUSPは無かった。姿勢を崩して倒れた際に取り落としてしまっていたのだ。彼はとにかく姿勢を立て直そうとするが、その頃には隊長格が銃口をもたげていた。
「形勢逆転だな、死神」そのまま、隊長格は容赦無く発砲した。ペイルライダーが咄嗟に構えた左腕は間に合いはしたものの、ブチ当たって逸れた弾丸の幾つかは胸板を直撃する形で、防弾ベストを勢い良く殴り付けた。
「ぐ、が……ッ!?」と、醜い呻きを漏らしながら、ペイルライダーは着弾の衝撃に再度床へと叩き付けられた。




