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始末屋 The Pale Rider  作者: 西 光太郎


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1-3

挿絵(By みてみん)

 ジョウが目を覚ますと、その視界は全てがぼやけていた。寝惚けたままに辺りを見回すと、そこはどうやら屋敷の二階にある自分の部屋らしく、薄らボンヤリながらも見覚えのある家具が視界に入り込んでくる。ならばと感覚を頼りにベッド脇のテーブルを探ると、飲みかけの水のボトルと処方薬の入ったオレンジのボトルの傍に、愛用している眼鏡を見付けた。身に着けて、やおらと毛布を押し退けて起き上がる。そして疲れた息をついて、半ばクセのように痛み止めの錠剤に手を伸ばし……そこでようやく自分の状態に気が付いた。

「あれ、装備が……」全身はいつの間にか再び部屋着姿になっており、濡れた服も、血塗れの装備も、一切身に着けられてはいなかった。だが本人には着替えた覚えが無かった。そもそも二人の男達を始末した後くらいから記憶がおぼろげだ。疲れの所為か照準が上手く定まらなかったので、確実にトドメを刺す為にと飛び降りて蹴倒した訳だが、それが原因で限界を迎えて倒れてしまったのだろう。

「……便利屋だな」ボンヤリとしたまま呟く。恐らくはその後、彼の手によって着替えさせられたのだろうと思った。

「そうよ」声が掛けられて、ジョウはふとそちらを見やった。いつから居たのだろうか、開いた扉の前に、あの追われていた少女が立っていた。「風邪を引いたら行けないって、甲斐甲斐しく世話を焼いてたわ」

 シャワーを浴びて着替えたのだろう少女は、破れと泥だらけの姿から一転して身綺麗な格好になっており、その事でより一層彼女の持つ可憐さが理解出来た。年は十代半ばから終わりに差し掛かるくらいだろうか。どこか幼さが残るが、大人びて目鼻立ちの整った顔に、自分とは違った意味で透き通るような白い肌をしている。艷やかで長い黒髪がブラウスとロングのスカートの組み合わせと相まって、古めかしいながらも静かに凛とした雰囲気をより際立たせている。下卑た男達の欲望の的にされるのも納得が行く魅力があった。

「これはこれは、可愛らしいお嬢さん」寝惚け声のまま、欠伸混じりにジョウは言った。「野郎の部屋に上がり込むとは大胆な事で」

「便利屋さんに頼まれて見に来ただけよ。それにこんな格好してるけど、生憎と箱入り娘でもご令嬢でもないもんでね。男の部屋なんて慣れてるわ」

 その皮肉ったような言い回しが、ジョウは少し愉快に思えた。どことなく親しみを抱ける。だがすぐに凍りつく事になった。

「どうでもいいけど……青褪めた騎士って言うのは、マスクの事だけじゃなかったのね」少女が呟くように言った。「青褪めたような肌」

「あ……」と間の抜けた声を漏らして、ジョウはハタと気付いた。眼鏡も装備も外されていたと言う事は、当然もう一つの顔であるスカルバラクラバも外されているに決まっているではないか。詰まる所、今の自分は素顔を――正体をあらわにしたまま、彼女と向き合っている訳だ。念の為、顔に触れて確かめてみると、未だ寝惚けていた部分の意識が一気に覚醒にしていく。

「あぁ、しまったな……畜生」ジョウは今更遅いと分かっていながらも、悪態を吐かざるにはいられなかった。全ては気を失ってしまった自分が悪いのだが、便利屋の親切心に苛立ちを抱いてしまう。恐らく彼はそこまで気にせずにいるのだろう。ジョウが師である先代とは違い、バラクラバを被って正体を隠す事にした時だって、その必要性に懐疑的だった。敵は全員殺すし証拠を隠滅する伝手もあるのだから気にしすぎだと、面と向かってそう言ってのけた程度には呑気な所がある。正直な所、ジョウは時折それに不満を抱く事があった。「こんな事なら風邪を引いたほうがマシだったな」

 そして同時に、もう一つの不安が胸に生まれた。もしやと思い、ジョウは長い袖に隠された左腕に目を落とす。少し色の違う肌を見やり、彼は決して忘れ去れない嫌な記憶に顔を歪めた。この腕は戦闘にこそ使えども、人目には触れさせたくはない。それこそ素顔と同じかそれ以上にだ。

「ちょっと、そんなに怒らないでよ」少女が呆れるように言った。「心配しなくても、誰かに言い触らすような真似なんてしないから」

 目を向けると、彼女は顔を示しているだけだった。左腕には触れない辺り、特に気付いてはいないようだ。もしかしたら便利屋は、こちらにだけは気を利かせて、見せないようにしてくれたのかも知れない。きっとそうだろう。あの男にだって、『これ』にどんな思いを抱いているかくらいは分かっているはずだ。そう思い込むようにしている部分もあったが、それは少しだけジョウの心を軽くしてくれた。

「そうかい」とジョウは一度頷き、それから怪訝な顔を見せて言った。「本当にそうかい?」

「これからまた依頼しようってのに、わざわざ機嫌を損ねそうな真似をする訳無いでしょう? 学は無くとも馬鹿じゃないわ」

 そう言えば、とジョウは思い返した。意識を失う前、彼女は便利屋に新たな依頼を持ちかけていたらしい。ならば彼女の言う通り、口の堅さについても信用出来そうだ。最初から欺く意図でも無ければ、もしくは余程の間抜けでも無ければ、誰も自分の味方になってくれるはずの存在を裏切るような真似などしないだろう。そして十中八九、彼女はそう言う意図を持ち合わせてはいないと思えた。でなければ、あの寄り縋るような目は出来ないし、仮にそれが全てを騙くらかす演技派女優の芝居であったとしても、便利屋の裏付け調査でとっくに暴かれていてもおかしくないので、今頃はこの屋敷から――もっと言えばこの世からも――姿を消しているはずだ。そうでないと言う事は、つまり信用するに足ると判断してもいい証拠だった。ジョウは彼女の言葉に納得するように小さく頷いた。

「それで、その依頼についてだけど」少女が言った。「便利屋さんから話があるみたいよ。起きたのなら降りてきて」

「分かった、今行くよ」寝癖のついた髪をかき上げながら、ジョウはベッドから抜け出した。「朝食も摂らないといけないしな」

「いや、もう夕方よ」少女が少し愉快そうに苦笑した。「これじゃまるで始末屋さんって言うより、のんびり屋さんね」


 屋敷のリビングで、少女は始末屋の男と共に、テーブルセットを囲んで座っていた。今は食事も済み、便利屋が空の食器を全て下げ終えた所だ。

「さて、今回はお前好みの依頼になるぞ、ジョウ」台を拭き終えた後、便利屋が始末屋の男――ジョウと言うらしい――に向かって言った。

「オイ、名前まで言いやがって……」と呆れるように呟くジョウを尻目に、便利屋は続ける。

「なんせ相手は下衆中の下衆な上に、報酬は無い……タダ働きだからな」それから便利屋は、皮肉げに笑いながら彼女を見た。「お嬢ちゃんも運が良かったな。コイツがそう言う物好きで」

 少女はその呑気な言い方に少し苛立ちを覚えたが、それが事実なのは変わらなかった。今の彼女は正しく無一文になってしまっているのだから。それでも依頼せずにはいられなかった。正直な所、このまま追われて逃げ続けていても、人生を奴の好きにされているのには変わらないだろう。それは我慢ならない。そう思うと、彼が物好きである事はむしろ本当に助かる話だった。

「それはそれは、興味深いな。一体全体どんな下衆がお相手なんで?」ジョウがどこか捻くれた物言いで尋ねた。「この物好きしか取り合わないような相手なんだろう?」

「コイツだ」便利屋が自分の鞄からラップトップPCを取り出しがてら、クリップで纏めた紙の束を差し出した。それは今朝の騒動の後、依頼についての話をしていた際に、彼が集めた情報を纏めた物だった。受け取ったジョウがそれを見詰める。

「さてさて……青木照彦、四十五歳……高校の体育教師か」

「元、よ」少女は付け加えた。「今は全国指名手配の逃亡犯」

「元教師……ね。罪状は生徒を使った売春の斡旋に、強盗、暴行、脅迫……容疑も含めるなら麻薬密売と殺人教唆及び幇助もかい。なるほど、随分と手広くやっていたんだなこの野郎。どこの組織のキングピンだよ」

「お前が寝てる間に、現地の警察と新聞社の情報を漁ってみた」便利屋が補足するように口を開き、別の紙を示す。「昨年の初めに家屋が全焼する程の放火被害に遭って妻を亡くし、警察が怨恨の線で捜査した所、その悪行の数々が表沙汰になった。なんと夫婦揃って地元の売春ネットワークを牛耳っていたらしい。その規模はちょっとした犯罪組織とも言える程だったんだとさ」

「……なんだよ畜生め、全然洒落になってなかったか」少し唖然とした様子でジョウが返す。それから呆れと嘆きの混じったような声で小さく呟いた。「よくもまぁ、こんな輩を野放しに……警察もクライムファイターどもも、一体何を呑気してるんだ……」

「とまぁ、哀れな被害者から一転、大物犯罪者として御用……となるはずだったんだが、いざ直前になって突如失踪。全国的に指名手配されるものの、手掛かりは全く無く、以来今日まで行方知れずだった」

 ジョウが紙を捲り、直近の写真や運転免許証の画像と言った記録が載ったページを見詰める。少女はそこに写っている姿を目にして、胸の内に深い怒りが生まれるのを感じ、平静を保つように心掛けた。奴の顔を見る度に――いや、思い返すだけでも、狂おしい程の憎悪に支配されそうになる。今朝に至ってはそれに耐えきれずに取り乱してしまい、不憫に思ったのだろう便利屋になだめられもしたのを覚えている。

「このお嬢ちゃんは被害者の一人だ」便利屋が少女を示して言った。

「ほぉう……いや待て、どれのだ? 奴さんの罪状が多すぎる」ジョウが紙束を何度も捲り返しながら便利屋に尋ねた。「と言うより、そもそもお嬢さんの情報が載ってないんだよな。抜けたんだとしたらお前さんらしくないな、便利屋。まずは名前くらい教えてくれよ」

「あぁ、うん……それはだな……」便利屋が言い、目配せする。彼は一応ながら彼女の心を案じているのだ。少女は自分の名前を心底嫌っていた。何しろ彼女の名前を付けたのは……。その事も、今朝彼女が取り乱してしまった原因の一つだった。

「どうでもいいじゃないの」少女は平静を装いながらジョウへ向けて言った。「あなたが重視してるのは、被害者の憎悪と正当性なんでしょう? そう聞いてるけど?」

「まぁ、そうだけど」ジョウは頷き返しながら言った。それから少し冗談めかすように続ける。「いつまでも名無しのお嬢さんでいいのかい?」

「別に構わないわよ、そんな事。好きに呼んでちょうだい」

 そのほうがむしろ助かる、とまで少女は思った。名乗らなくて済むのならなんだっていい。これまでの逃亡生活中に使ってきた適当な偽名を名乗る事も考えたが、それらにだっていい思いは抱いていない。出来る事なら全て纏めて忘却の彼方へ振り払ってしまいたいくらいだったので、このまま名無しで通せるのなら都合が良かった。それから少女は、この身に募る想いを伝える為に、やおらと続けた。

「私は奴の元生徒で、売春を強制させられていたのよ。『商品』の中じゃ一番の古株で売れ筋、稼ぎ頭だったらしいわよ。お陰で奴と死んだ女房にいいようにされて、何年も好きでもない連中と寝る羽目になったわ」

 ジョウがいたたまれないように眉をひそめながら、便利屋へと目配せした。確認をしているようだ。視線を受けて、便利屋は頷いて返す。

「そうかい、そいつは……」ジョウが視線を向けた。険しい目元に憐れみの色を浮かべて、掛ける言葉を探しているように言い淀んでいた。

「まぁ、別にもう、誰かと寝るの自体はどうでもいいわ」少女は吐き捨てるように答えた。「そうでなければ生きて来られなかったしね」

 売春を強制されていた頃は、少しでも反抗すれば手酷く痛めつけられて、諦めたほうがいいのではないかと思わされる事もあった。追手から逃れる為の路銀を稼ぐ方法も、まともに働く事なんて出来ないので、大抵は男――たまに好き者の女とも――と寝るか、その懐から持ち逃げるかしかなかった。そんな中では……悲しいかな、身を売る事への抵抗感は、決して消え失せずとも幾らか軽くはなってしまっていた。だが、かつての憎悪と嫌悪感は、ずっと強く胸の内に刻まれ、今も変わらずに深く重く――むしろ日に日に濃くなるように激しく渦を巻いている。

「あのクズどもの所為で、好きでもない奴らに好き放題されるがまま、無理矢理ヤラされるのが嫌だったのよ。何年も耐えてきて、それである時プツリと来てね。夜中に奴らの家に火を着けて逃げ出したのよね」

「すると、この放火の犯人はお嬢さんかい」ジョウが少し唖然として言った。

「えぇ、全て焼き払って何もかも帳消しに出来ればと思ってね」

「中々大胆な事をするもんだな」

「悶え苦しみながら派手に焼け死んでくれたら、気も晴れるかなって」

「……なるほど、怨恨の線ってのは大当たりな訳だ。この街と違って、向こうの警察はまともらしい」ジョウは納得するように頷いて言った。

「でも消し炭に出来たのは片割れだけ。もう片方にはとんでもなく恨まれてるみたいで、今じゃ日本全国どこへ行っても付き纏われてるのよ」

「そう言えば、今朝の連中……」ジョウは思い返すようにしながら尋ねた。「奴さんら、ボスがどうのとか言っていたが、もしかしてこの野郎がかい?」

「そうよ、あれは奴の雇った下っ端ども。ああ言う雑魚を大群で従えて捕らえに来るのよ。また自分の元で使う為に、ってね」

「なるほど……いや、どうしてそんな力がある? 売春組織のボスとは言え、この野郎は所詮ただの教師……」

「元、ね」

「元教師、で元締めだろう? 幅を利かせるにしたって限度があるだろうに」

「奴の顧客が問題なのよ」少女は苛立ちながら言った。「元顧客なのかは知らないけれど」

 少女はかつての日々を思い返した。脳裏に、相手をさせられていた連中の顔が浮かび上がる。老若男女問わず、下卑た笑みを浮かべる下衆どもの顔だ。その中には、どう見ても闇稼業や裏社会と関わっているようには見えない者や、日頃の報道等でも見かけるような顔もあった。

「客の中には、地元のヤクザや不良教師とか汚職警官だけでなく、大企業の重役や政界に関係している連中も多く含まれていたのよ。わざわざ別の地域から来た連中も居たわ。お陰で資金は潤沢、コネも豊富……取引や脅しに使う弱みにも事欠かないって訳ね」

「それを使って全国を、か」ジョウは唸った。「本当に手広くやっていたんだな、この畜生め」

「街の情報屋達から仕入れてみたんだが」便利屋が低い声で言った。「どうもチンピラ連中に妙な動きがあるらしい。聞く所によると、どいつも同じマフィアが元締めのクスリの売人達って話だ。恐らくは今朝の奴らもその手合いだろう」

「そうかい、この街にも伝手はあった訳だな」ジョウは皮肉っぽく返すが、決して舐めて掛かっているようでは無かった。少女にはむしろ、その目は警戒するように細まっているように見えた。ふんと唸ると、彼は紙束を幾つか捲って尋ねた。「……で、このクズの居場所がここか」

「あぁ、新歓楽街裏手のドヤ街にある古いホテル」便利屋がラップトップに映した衛星写真による街の地図を示して言った。今朝もそれを使って確認したのを少女は思い返す。「ここだ、五十二番通りと六一六号線の角を少し行った所」

「五階だったかしらね」少女も画面を眺めながら、記憶を呼び起こして言った。「ギャングどもを護衛につけて、散々嬲ってくれたわ、あの畜生め」

「まだ居るのか、確認は?」ジョウが便利屋に尋ねた。

「それも仕入れてみた。一日そこらじゃ時間が足りなくて細かい事までは分からなかったが、似た特徴の男がやたらと取り巻きや商売女達を連れて出入りしているらしい。まだそこに居る可能性は高いって話だ」

「そうかい」ジョウは頷いた。それからやれやれと続ける。「これで報酬無しな訳か。まぁ確かに、他の連中じゃあ割に合わんと言って相手にしないかもな」

「だがお前好みだろう」便利屋が皮肉るように笑った。「こう言う外道は」

「流石、よくご存知で」ジョウは口の端をもたげて笑ったが、少女はその笑みに怒りと憎しみが滲んでいる事に気付いた。その顔には覚えがある。何故なら、鏡を見る度に同じ表情が返ってくるのだから。少女は彼に親近感を抱いた。

「で……どうするんだ?」今度は便利屋が尋ねた。だが、どこか既に分かっているような気配が感じられた。対するジョウはしばし資料と地図を見やり、それから時計を確認すると、彼に向けて言った。

「それじゃあ、早速今晩にでも出歯亀になって来るかね」

「それは受けてくれるって事でいいのね?」思わず少女は聞き返した。

「そのつもりで言ったんだけどな」ジョウは頷いて答える。「あぁ、この依頼受けるよ。まずは偵察からだが、もしも護衛の布陣や規模次第で支障が無いようなら、その場で始末して来るよ」

「そう」と頷き、少女は小さく安堵の息をついた。始末自体は引き受けてくれた。これで願いの半分は叶うだろう。後は残るもう一つのほうも引き受けてもらわなければならない。そうでなければ、きっと満足の行く結果とは呼べないままに終わる事となるだろう。

「始末の確認については聞いたかい? 普通は奴さんの死体の写真か、ニュースか新聞の死亡記事欄でとなるが、どれがいい? お好みなら首を叩き落として持って来るのもあるが……」

「待って、その前にもう一つのお願いがあるの」少女は遮って言った。「それが確認も兼ねると思うから」

「何? それはどう言う事だ?」ジョウは首を傾げる。

 少女は呼吸を整えて、努めて真摯な声色で続けた。

「私も連れて行ってくれないかしら?」

「……オイオイお嬢さん、なんだって?」ジョウが目を丸くして聞き返した。

 傍らの便利屋は黙っていたが、困ったように顔をしかめた。やれやれとかぶりを振るのが見える。今朝も同じような反応をしていたのを覚えている。彼には断られたが、実行役の始末屋本人に直訴すれば、或いは……。少女は淀み無く返す。

「始末する所が見たいのよ。いえ、正確には『奴がくたばる所が』だけど」

「正気か?」ジョウは信じられないと言った様子で問い返す。

「何よ? 始末の確認に死体見せるつもりの人が、殺人の現場を生で見せる事には抵抗があるだなんて言わないわよね? なんなら今朝は二つ並べて転がしておいた訳だし」

「あぁ、いやまぁ、そう言う訳じゃあないが……」ジョウは少し戸惑いながらも答えた。「もしかしたら、銃弾が飛び交うかも知れないんだぞ。そうなれば、そこら中穴だらけで、カートゥーンのチーズよりも酷い有り様になる訳だ。危険なのは……余程の馬鹿でも無い限り、分かるだろう?」

「そうね、それは承知の上よ」少女は真っ直ぐにその目を見詰め返して答えた。そして出来うる限りの熱意を込めて続けた。「それでも私は、奴が息絶える瞬間をこの目で見たいの。ずっと夢見てきたの、その光景を。あのクズが苦痛と恐怖に悶え狂い、慈悲を請いながらも這いつくばってくたばる様を、間近で直接じっくり見詰めて……そして思う存分嘲り笑って、踏み躙ってやりたいのよ」

 それは、もう何年も前から抱き続けてきた、大いなる怒りと恨みと憎しみだった。彼女は言葉と表情、そして身振り手振り――纏う気配全てで表し、伝えたつもりだった。

「ふむ……」と、ジョウは興味深げな表情の中に僅かな驚きを忍ばせて、唸った。それは悩んでいるようにも聞こえたし、味わっているようにも、そしてどこか懐かしんでいるようにも聞こえた。

 それからしばしの間、二人は視線を交わしたまま黙った。静かな駆け引きをしている気分だと少女は思った。沈黙に耐えられず先に破れば、にべもなく切り捨てられてしまいそうな、そんな重苦しさを感じた。ただジッとして、互いに相手の目を睨み付けるように見詰め続ける。逸らす事すら負けになるような緊張感があった。

 そしてやがて、溜め息を吐いて、彼が言った。

「気持ちは分かるが……駄目だ、連れては行けないよ」

「どうし……」

「どうして、だなんて言うなよ? もう理由は言ったはずだし、もっと言うなら足手纏いになるからだ。俺は護衛って言うのが苦手なんてもんじゃあなくてね。狙撃と並んで、例え依頼であっても絶対にやりたくない内の一つなんだよ」それから少女が口を挟む暇も与えず、彼は便利屋のほうを見て言った。「分かってるよな? 今回はふざけたホテルなんて使うなよ?」

「あぁ、心配するな。ウチの店で匿うさ」便利屋が頷いて言った。「ま、どうせ報酬代わりにしばらく働いてもらう約束なんでな」


「まぁ、思ってたよりも素敵な店ね」少女は苛立ち混じりに皮肉げに言った。「聞いてた感じだと、ゴミクズと虫けらの巣窟みたいな汚泥の腐りきった掃き溜めを想像してたけど、コレなら随分とマシだわ」

 便利屋の営むダイニングバー・アサイラム。夜も更け、開店時間の迫るこの場所に、彼女は居た。

 旧商店通りと呼ばれるシャッター街――都市開発計画の煽りをモロに食らって寂れてしまった通りの一角に、その店はあった。辺りが醸す退廃的な空気は、この場所に一般人がもう滅多と寄り付かず、闇に生きる始末屋や情報屋、仲介屋の逃げ場所となっている事を納得させるには充分な気配を纏っている。しかし、店内に入ればそこまで悪い印象は受けない。むしろ、清潔感が漂う欧米風の洒落た調度品と内装は、決して高級とは言わないまでも、それなりに値が張る店を思わせた。

「一応、毎日俺が綺麗にしてますから」便利屋の弟子である青年が言った。「お陰でいつも大変なんですけどね」

 ジョウよりも遥かに若く、ともすれば自らと同じかそれよりも幼くすら見える彼は、癖のある柔らかい髪の向こう側で、少し疲労感のある困ったような笑顔を浮かべている。少女は一目で、彼は苦労人なんだなと理解した。きっと、ジョウと便利屋の生み出した皺寄せを、一手に引き受けているのだろう。弟子とは呼ばれているが、その様は正しく手の掛かる父兄に参っている末息子のように見えた。

「先生とジョウさんから聞きましたけど、報酬代わりにしばらくの間、店を手伝ってくれるんですって?」

「そう言う約束にはなってるけど……」少女は小さく唸り、自嘲するように続ける。「言っとくけど、『こう言う接客』は未経験だから、あんまり当てにはしないでちょうだいね?」

「それでも助かります」弟子は、伝わっているのかどうか分からないような笑みを浮かべてそう言いながら、新しいボトルを棚に追加して行く。「なんせこの店、人手が足りてないもんで」

 十人程が座れるカウンター席にテーブル席が三つのこの店で働くのは、便利屋と弟子、そして時折手伝いに来るだけのジョウ――この三人しかいないのだ。更に言えば、始末の依頼がある時はジョウの手は借りられず、むしろ彼に危機や非常事態があれば、例え営業中であろうと便利屋はその言葉通りに呼び出されると言う。余程の場合は、常連の始末屋や情報屋がツケの支払い代わりに手伝ってくれる事があるとは言え、少女は正直聞いていてかなりキツそうだなと思った。これが巷で流行りのブラックバイトか、と苦笑する。まかないは出ても給料は出ないのだから尚更か。いや、まかないが出るだけマシなのだろうか?

「そろそろ店を開けないとな」厨房から、作業中の便利屋の声がした。「だが、今夜は忙しくなるかも知れん」

 それは営業についてだけでは無いのだろう、と少女は思った。今頃はペイルライダーの姿となったジョウが、新歓楽街とやらの裏手通りに着いて、敵性勢力の調査や標的の捜索を始めている頃だろうからだ。もしも必要があれば呼び出す、と彼が便利屋に言っていたのを覚えている。便利屋も弟子もその可能性に対して備えているのだと、雰囲気で伝わって来た。

「分かりました、先生」弟子がやれやれと答え、それから少女を見た。「一緒に頑張りましょうね……えっと、お嬢さん、でいいんでしたっけ?」

「本当にそう呼ぶつもりなのね……」少女は呆れながらも、ここでも本名を使わずに済む事に安堵した。そして出来る事なら、これで完全に名前を捨てて、全く新しい何か、これまでとは違う誰かになってしまいたいと思った。そうすれば、少しは憎悪と嫌悪だらけの気分から抜け出せるのではないだろうか。仄かな希望を胸に抱き、彼女は弟子へと言った。「何か他にいい呼び名を思い付いたら教えてちょうだい、お弟子さん?」

「そうですね……考えときます」

「楽しみだわ、素敵なのをお願いね」それからふと悪戯心のままに、少し弄ぶような声色で念を押す。「あぁ、可愛いすぎても駄目、格好良すぎても駄目、だからね? 可愛くて格好良くて、素敵な奴を、よ」

「うーん、難しい事を……まぁ、頑張ります」弟子が困ったように苦笑して答える。その様子のほうが似合うと思えるのは、ジョウと便利屋の影響で苦労人の文字が彼の全身に刻み付けられるように馴染んでしまっているからなのだろうと少女は思った。

 やれやれとかぶりを振りながら、弟子が入り口へと向かった。表に掛けられている札を、準備中の表記から開店へと変えに行ったのだ。彼が戻ってきて定位置らしきカウンターの向こう側に立つと、間もなく一組目の客が入店した。

 少女はそれを見やり、弟子の指示に従いながらも、思考は別の事へと切り替えていた。それは如何にして彼らの目を盗み、この店を抜け出すかだった。

 結局あの後何度頼んでも、ジョウは頑なに同行を許してはくれなかった。ならば許可など求めないままに実行すればいい。彼女はそう考えたのだ。件の裏手通りまでは、地図で見た感じ、徒歩だと十分か十五分くらい南へ下った所とそれなりに離れていたが、決して行けない距離では無かった。幸い、こちらが抜け出す機を窺う必要があるように、始末屋にも攻め入る機を窺う時間が必要になる。全力で向かえば、きっと始末を始めるか、もしくは終えるまでには間に合うだろうと思えた。もしも運が良くて早々に抜け出せたなら、その時はまだ偵察の最中に辿り着けるかも知れない。ならば行かない理由も無いだろう。奴の無様な死に様を目にする事が出来るのなら、何を捨て置いてでも、どうしてでも行かなければ。その思いが彼女の胸を支配していた。

 例え身の危険が迫ろうが構うものか、本懐が遂げられるのなら……と、その事についての考えは敢えて隅にやるようにしておいた。迷いや恐怖が微塵でもあれば、動きが鈍りかねないからだ。確かに今朝はほとんど失敗したと言えるが、それでも今度は人混みの多い街中を行くのだ。所変われば、きっと上手くやれるはずだ。

 実行の時を怪しまれずに見計らう為にも、彼女はそれなりに真面目に業務をこなしていった。その姿を、何人かの客が獲物を見つけた狩人のように目で追っていた事には、まるで気付いていなかった。


 拳銃を腰に携えたチンピラ達が、数人の年若い娼婦とともに部屋の中へと消えて行く。扉が閉まり、品の無い嬌声が漏れ聞こえてくると、その小さな円盤状のマシンは静かに踊り場の影から姿を現した。三つの回転翼で宙に浮かぶ掌大のそれは、便利屋と弟子とで作り上げた小型の偵察用ドローンだった。軍用規格を遥かに超える高い静音性を持ち、機体中央上下に備えられた鉤爪状の多脚を展開すればあらゆる角度の地形を這い回る事が出来る優れもので、高性能カメラと指向性マイクで捉えた情報をコントローラーに送信、記録する。操っているのは無論、ペイルライダーである。

「さぁ慎重にだ、ピーピング・トム……」屋上に吹き込む風を浴びながら、彼は独り言ちた。「また壊したら何言われるか分からんぞ」

 そこは、ざわめくドヤ街の一画にある七階建ての古いホテルだった。全ての窓は薄汚れ、堅くカーテンが閉ざされている。塗装も剥げて地味な外観は、安さの他にも治安の悪さと不穏な気配を漂わせていた。その実それは的を射ていて、この建物はほとんど売春宿として運営されているようだった。付近の路上で客引きをする娼婦達の、艶めかしくも姦しい声が絶えず聞こえてくる。

 屋上管理用の扉の脇に屈みながら、ペイルライダーはモニター付きコントローラーを操作していた。一通り周囲を観察した結果、外から内部を窺い知る事は出来ないと判断して、こうして直接潜入の上で偵察に乗り出しているのだ。

「あぁ、全く……慣れないな」画面を見詰め、インカムとは逆の耳に装着したイヤホンに送信されてくる音声を聞きながら、舌打ちをする。実のところ、長くやってきても尚、こう言うのは得意ではないのだ。だが自ら乗り込むにしてもまだ早い。まずはこれで敵の居所と布陣の下見といかねばならないだろう。

「やっぱりダクトか天井裏使えば良かったかな……」ポーチに仕舞ったままの便利屋が寄越した見取り図を思い返し、唸る。「でも、手間だしな……」

 確かに天井裏やダクトを通れば、周りを気にせずに進んで行けはするのだろう。だがそれにはまず室外機に細工をしなければならなかったし、その上で防火素材やファンの位置と言った構造次第では足止めや迂回をさせられたり、送電設備を弄って機能を停止させる必要があったりと、諸々面倒が多すぎた。更にはカメラやマイクを向けられる角度も限られる為に、映像や音声を捉えきれなくなる可能性も高い。そうなればまた別ルートへ迂回をしなくてはならないので、初手から行うにはあまり気乗りがしなかった。同じ二度手間でも、まずは通路から様子を探り、必要があれば隙をついて室内に侵入するか送り込み直すかを選ぶほうが、得られる情報が幾分かマシだろうと考えたのだ。

 ペイルライダーは警戒しながらゆっくりと偵察ドローンを進めた。ドローンは小型の円盤らしく、人間に比べて接触と発見のリスクがかなり減る。発する騒音も余程接近しない限りは気取られない程度だ。とは言え、決して無くなる訳ではないので、油断は出来なかった。見付かって叩き落される可能性もあるし、過去には実際にその経験もあった。機体には非常時に際しての自壊機能を備えている為、解析されてこちらの情報が漏れる事は無いにせよ、避けられるのなら避けるに越した事はない。それに全損すれば、一機の金額で始末二、三回分の報酬が消し飛びかねない。なので、映像だけでなく周囲の音声にも最大限注意を払いながら操縦した。その警戒と、安宿故に各所に設置されたカメラが配線の無いダミーである事が幸いして、機体はなんの支障も無く階下へ降りる事が出来た。

 六階までやってくると、廊下側から近付く声を感じて、ペイルライダーはドローンを上昇させて隠しつつ、カメラを向けた。何人かの男女が歩いて来るのが見える。展開した多脚で天井に張り付き、様子を窺うと、その徒党は隅の部屋のほうへと向かった。娼婦達の事を振り返った男達の上着の内に、スリングで吊るされたMAC11サブマシンガンが垣間見える。男達は下卑た笑顔で娼婦を囲み、そのまま中へと入って行った。

 扉が閉まると、こちらに来なかった事に安堵しながらも、ふむと彼は唸った。

 一ブロック北の路地裏にオートバイを隠してから、立ち並ぶビルの屋上を通ってこの建物に来るまでの道すがら、地上の様子を眺めてきたが、今日はいつにも増して、これ見よがしに武装したギャングの集団が多く感じた。鳴海市のドヤ街では普段からチンピラ達が娼婦を連れ込む姿がよく見られるのだが、それでもいつもなら誰もが切り札を持つように得物を隠している。そもそもこの街は汚職と腐敗によって無法地帯に近いが、一応日本国内の街なのだ。要らぬトラブルを避ける為の選択をするのが常だろう。だが、今はまるでその逆だった。こうして牽制のようにその存在を主張しているのは、己の力の誇示と言うだけでは無いのだろう。矢張り情報通りに、標的はまだこの建物内にいるのかも知れない。あの連中は警護の休憩かサボりがてらにお溢れを貰ってお楽しみの最中なのか。

 再びドローンを降下させる。やがて五階に辿り着いた。

「さてさて、どうかね」少女の話によれば囚えられていたのはこの階で、標的も同じくここに居たと言うが、果たして……。

 廊下に出る角の手前で、もう一度機体の多脚を展開して天井に接地させ、静かに進めて先を覗き込む。

 片側に五つの扉が並ぶ通路の、ちょうど中央にある部屋の前で、暇そうにたむろする男達の姿が見えた。数は二人。片手には火の着いた煙草、もう片手には黒光りするベレッタ系列のような拳銃があり、どちらも手持ち無沙汰に弄んでいる。どうにもギャングどもがやりそうな、あからさまな護衛の姿だった。

 突き当りにあるエレベーターが到着の表示を光らせた。扉が開くと、何やらいかめしい雰囲気の二人組が姿を現す。同時に、苛立つような話し声が聞こえてきた。

「……けたら電話しろってったの誰だってんだよふざけやがって」

「金くれるってもこんな小間使いかよなぁ」

 不穏な気配を感じて、ペイルライダーは集音機能を調整する。周辺の部屋から漏れ聞こえていた耳障りな喘ぎ声も増すが、なんとか集中する。

「ったくよぉ、ボスの昔なじみたぁ言うけどよ、随分なご身分なこって……」

「いやマジ、ナニ楽しんでやがんのかね。オラ開けろ、急ぎだ」

 上がって来た二人の男が頷きかけると、護衛らしき連中は扉をノックし、それから少し待って、返答が無い事にうんざりした様子で開けた。悲鳴に近い嬌声が更に大きくなる。しかしこの物々しさは、単にお盛んなだけの部屋ではないだろう。そして普通、この街で護衛を付ける程の地位にいる連中ならば、こんな安い売春宿と女など使わない。となれば、市外から来たお客人――それも余り好ましく思われていないような関係の――がそこに居ると言うのが有力な流れだった。事前の情報と照らし合わせても、標的はまず間違いなくここに居るのだろう。後は確実に始末する為にも、室内を覗いて青木照彦の姿と位置を確認するだけだ。

 だが、どうしたものか。あれだけあからさまな護衛がついていると、隙を突いて機体を天井伝いに扉から送り込むだなんてのは少々困難だった。面倒だが、ここは仕切り直して見取り図と睨み合いをする頃合いだろうか。そう思っていると、ふと違和感に気付いた。……部屋からの喘ぎ声が消えている?

 代わりにマイクは、何やら話し声を拾った。

「あぁ? 見付けたのか!」威圧的な大声が問う。

「へぇ、情報屋から連絡受けた連中が追ってやす」先程入っていった片割れらしき声がする。ペイルライダーは集音機能を更に上げた。混じり込む雑音を必死に無視する。

「どこだ?」威圧的な声がまた問い掛ける。

「待ってくだせぇ……おぉ今どこだ?」もう片割れが答えた。まるで電話をしているような受け答えだった。「あぁ……五十四をだな、分かった。……へぇ、こっからだと北に……」

 そこで、突然インカムに入った通信が全てを遮った。

『ジョウ、聞こえるか! 問題発生だ!』便利屋の声が耳を打つ。運転中だろうか、エンジン音のようなものが混じっている。

「なんだよ、便利屋?」PTTスイッチを押して応答する。「今忙しいんだ」

『お嬢ちゃんだ! 彼女が居なくなった!』

「……何?」思わず、素っ頓狂な声が漏れ出る。

 同時に、扉を開け放つ音と、何事か話す声が聞こえた。画面に意識を戻して見やる。

「ったくよ、早くしろよオラ」と急かす威圧的な声がして、部屋の中からぞろぞろと数人の男が姿を現した。拳銃を腰に差したガタイのいい男達に囲まれるようにして、標的である青木照彦の姿が見える。彼らは服を着込み直す為にもぞもぞと身動ぎしては、面倒そうに顔をしかめていた。或いはお楽しみを邪魔されて不機嫌になっているのだろうか。

 見付ける事は出来た。だがこれでは、今すぐ向かって射撃を浴びせ掛けたとしても仕留めきれないだろう。MP7の銃弾は軽いボディアーマー程度ならそれ諸共肉体を容易く引き裂きズタボロに打ちのめす威力を持つが、これだけの肉の壁があっては逃げられる可能性のほうが高かった。貫通させた弾を当てるにしても、肉や骨の影響を受けた弾道は不確定要素が多すぎるので、些か厳しい。意外に大所帯を前にして、思わず唸る。

「おぉ、オメェら車用意しろ。あと何人か連れてこい。今から行くぞ」青木照彦が扉の脇に立っていた男達の肩を叩いて、矢継ぎ早に言った。

「あい」歩き去ろうとした男の片割れがハタとして言った。「……って、どこにすか?」

「あー、どこってった?」青木照彦は室内を振り返る。

「今どこだ? ……あぁ、五十三に抜ける?」先程入っていった内の一人が傍らに寄るのが見えた。矢張り携帯電話を耳に当てていた。頷いて答える。「分かった。……へぇ、八ブロック向こうの裏路地で追い付いたと」

「そう慌てなくても、着く頃には囲んでやすよ」もう片割れも駆け寄り、機嫌を取るような声で続けた。

「ハッ、そいつぁ楽なこった。お前らもやるじゃねぇか」青木照彦が一転して上機嫌な声で言った。それから歩き出す。「オラ、行くぞ」

 男達の塊が悠然とエレベーターを目指して動き出した。だがそれを見送るまでもなく、ペイルライダーはドローンを屋上目掛けて戻し始めていた。

「慌てるな、焦らず急いで丁寧に、だ。それが一番の近道って知ってるだろう?」素早く操作しながら、睨むように画面を見詰める。「だからこのポンコツめ、さっさと戻って来いよさぁほら早く……!」

 万が一にも降りてくる誰かにぶつからないように、天井間近を飛ばし、上へ上へと昇って行く。その最中にも、焦る思考は巡っていた。

 便利屋からの通信と連中の動きが重なったのは、どう考えても偶然ではない。それにこの街で青木照彦が探し、追いかけている者など、一人しか居ないだろう。それから頭の中に地図を浮かべて思い返す。連中の言っていた場所は便利屋のバーからこちらへ向かう途中にある。旧商店通りとこの裏手通りの間は、徒歩で移動するには些か面倒な距離があるはずなのだが、あの少女はそれを歯牙にも掛けない執念を持っていたのだろう。

 いや、とっくに分かっていたはずだろうに。ペイルライダーは髑髏の模様が歪むほどに顔を顰めた。少女の全てを支配する強くおぞましい感情の重さは、もう充分受け取れていたはずなのだ。だからこそ便利屋の店に匿われているのなら、護衛にも監視にもなって、要らぬ心配をせずに済むと思えたのに……。

 いやそれも違う、悪いのは自分だ。全ては己の見立ての甘さが原因さ、死神気取りのクソ間抜けめ。ペイルライダーは八つ当たりにコントローラーを叩き付けてしまいたくなる気持ちを必死に抑えた。そうさ、全部自分が前もって対策も出来ない阿呆で、クソの役にも立たないのが悪いんだろうよ、甘ちゃんのクズめ。他人に任せたりなんだのとするからいけないんだ。だから依頼人が、弱い善人が、本懐も成し遂げられずに悪党に襲われて、挙げ句の果てには死んでいくのさ。

 彼女の身に何かあれば、今度こそは耐えられないかも知れない。心のどこかでは、きっと攫われるだけだろうとも楽観的に思いたかったが、その果てに命を落としては殺されるも同義だ。もしも依頼人の命を奪われたら――それも二度も続けて――最早、助けを求める弱い善人の為に悪党を始末すると言う信条も見境も何もかもかなぐり捨てた、今以上の外道の殺戮者に身を落としかねない。それは悪夢以外の何物でもなかった。冷や汗がバラクラバにジットリ染み込んで、嫌な感触を生む。

 乱暴に扉を開け放つと、飛び込んできた機体を強引に鷲掴みにして機材と纏めて仕舞い、ペイルライダーはインカムに向けて叫んだ。

「便利屋、お嬢さんの居場所はここから北に八ブロックの路地裏、五十三と五十四の間らしい!」

『本当か!?』

「あぁ、連中が言ってたんだ、確かだろうよ!」駆け出して、通りのほうを見下ろす。ホテルの入口の前に並んで停まった三台の厳つい車に、ぞろぞろと連中が集まり、乗り込む所だった。青木照彦はその内の先頭車両、左の後部座席に乗り込んでいた。「お前さんは先に向かってくれ! 俺は……」

 動き出した車列にMP7を構え、発砲しようとして、逡巡してしまう。MP7は到底ロングガンとは言えないが、それでも有効射程圏内ではあるので、撃てばきっと足止め以上の威力を発揮してくれるだろう。だが、少なからず集弾性は落ちる。周りには客引きの娼婦や三下ギャングのみならず、無関係の人間も多く、撃ち合いになれば流れ弾で傷付けてしまったり、最悪死なせてしまう可能性が高かった。それに、既に危機に陥っている依頼人を放り出して、その結果攫われたり殺されたりだのしては元も子もない。迷いと嫌な緊張から心臓が早鐘を打ち、余裕の無くなった荒い吐息として外へ漏れ出す。

「あぁクソッ……いや、僕もすぐに向かう!」遠退く車が通りから出てしまう前に、ペイルライダーは駆け出した。MP7の安全装置を掛けてウェポンキャッチで止めると、ワイヤーショットを使ってビルの谷間を飛び降り、斜めに打ち出してまた飛び上がる。そうして跳ね跳ぶ要領で移動し、一ブロック隣にある陰気な路地裏にまで辿り着くと、隠しておいたクルーザーに跨った。

「出遅れた? いいや、まだだ。まだ間に合うって、大丈夫さ……!」そう言い聞かせるように呟きながら、マシンに火を入れ、勢い良く走らせる。「さぁ、走れ風のように、ブルズアイ!」

 知る限りの裏道を駆使して、出来る限り直線距離で形振り構わず飛ばせば、奴らよりも先に着ける可能性だって僅かにだが残されている。それを掴む為に今は、全力を注ぐのだ。


 迂闊だったか、と少女は思った。決して予期していなかった訳ではないが、それ以上に胸の内に渦巻く執念に駆られ過ぎ、全速力で走り続けていて、周りが見えていなかったのだ。

 常連達の巻き起こした乱痴気騒ぎに乗じて店を抜け出した後、大通りを横切った彼女は、ふと近道の為に、地図で見たこの路地に逸れた。表通りだけを使うのなら人混みを武器に出来るが、矢張り時間が掛かり過ぎる。それに比べて裏路地も使えば、距離も含めて幾らかは短縮出来る。襲われたら回避の術が減ると言う危険は付き纏うが、彼女は時間を取る事にした。そうして少しばかり喧騒から離れたお陰で、彼女は迫り来る不穏な気配を察知したのだが、その頃には時既に遅しと言わざるを得ない状況にまで陥っていた。

 気付くと、六人程の屈強な男達が彼女の周囲に現れて、威圧するように立ち塞がっていた。いつから見付かっていたのかは分からないが、敵の寄越した手下達であるのは間違い無い。ただの野盗や通り魔だとかなら、とっくにナイフだの拳銃だので襲い掛かって来ていてもおかしくないからだ。そうではなく、取り押さえて連れ去る事を目的としているからこそ、その懐に見え隠れする凶器の類は出さずに徒手空拳のままなのだろう。

 さて、どうするか……と少女は冷や汗混じりに思った。もしここに入る前であれば、今だ活気付く人混みの中で小回りを活かし、撹乱して逃れる事も出来たろうに。残念ながらこの辺りには、どこかの商店が使っているのだろう満杯のゴミ箱や解体された段ボールの山、空になった組み立て式の台車だとかが室外機と並べられるように隅に纏められているだけで、そう言った荒事からの回避に利用出来そうな障害物は無い。

 路地は、少女から見て左手の真ん中辺りで建物が分かれて広い隙間があり、それが脇道となって丁字路の形をしている。男達はその全てを塞ぐように三方に立ち、彼女の退路を奪っていた。正面からでは何も無しに彼らの脇を潜り抜けるのは些か厳しい。一瞬たりとも見逃さないと言うように睨みつけながらも、何を考えているのかがすぐに分かるニヤけ面で、ジリジリと迫ってくる。今朝の奴らと同じく、既に勝った気でいて、今はこの嬲るような状況を楽しんでもいるのだ。

 少女はポケットから血錆の浮いたカッターナイフを取り出した。刃を伸ばし、身構える。だがこの人数差だ、きっと捕まるほうが早いだろう。勿論全力で抵抗はするが、どこまで倒せるだろうか。いや、今はとにかく、出来るだけ多くを傷付け、ぶちのめす事に集中するしかない。

 男達の内の一人が掴み掛かってくる。それを屈んで躱し、お返しとばかりにナイフを振る。前腕部を深々と斬り付ける事には成功したが、それで終わりだった。背中から別の男に掴み掛かられ、彼女の自由は奪われた。

「クソっ!」羽交い締められるように両腕を拘束され、少女は悔しげに唸った。逆手に持ち直したカッターナイフを突き立てようにも、肘を動けなくされているので、空を切るだけで役に立たなかった。踵で爪先か足の甲でも踏み付けてやろうとしたが、体格差から強引に持ち上げられて失敗する。

「畜生ッ!」彼女は悪態を吐いて藻掻き、せめてもの抵抗として、前から掴み掛かろうとした男のみぞおちを思い切り蹴飛ばした。その男が悶絶して後じさると、続いて入れ替わるように現れた別の男には鼻っ面へ蹴りを入れる。「寄るな、このクズどもが!」

 仰け反った男が姿勢を立て直し、血と怒りに赤面しながら殴らんと迫る。体格差を考えれば、当たれば無事ではすまないだろう。蹴りをもう一度繰り出すが、力任せに振り払われてしまう。これで避ける術も防ぐ術も、彼女の手の内には何一つ無くなった。拳が振りかぶられて、数秒もすれば体か顔に突き刺さるだろう……。

 その時、突然脇道のほうから低いエンジン音が近付いて来たかと思うと、眩い光が照射され、辺りを真っ白に染め上げた。少女を含めて全員が思わず目を向け、怯む。どうやら大型の車がヘッドライトをハイビームにしているようだ。急ブレーキの音がして、その車は停まったのが分かった。

 ――今度は何!?

 彼女はそう思ったが、次の瞬間には思考を遮るように、新たな音が鳴り響いていた。別のエンジン音と、くぐもった射出音――それは今朝も聞いたような、抑えられた銃声だった。大型の車とは違って、それらは五十三番通りに抜けるほうから聞こえてきた。そして少女の目の前で、次々と男達が悲鳴を上げ、血飛沫と共に倒れていった。直後、急に体が軽くなったのが分かった。恐らく不意を突かれて力が抜けたのだろう、羽交い締めにされていた腕が緩んだのだ。そのまま開放されると、彼女は爪先が地面に着くと同時にしゃがみ込んだ。なんであれ、撃たれたくはない。まだ死にたくはないし、死ぬ訳にはいかない。やや遅れて、背中に熱い液体が掛かるのを感じ、ドサリと倒れる音が後ろから聞こえてきた。

 後から聞こえたエンジン音が迫り、彼女の目の前にアメリカンクルーザータイプのオートバイが姿を現した。男達の内の一人、まだ呻いていた輩の頭を轢き潰し、その首をグルリと明後日の方向へ捻じ曲げてから、停まる。

「オイオイ、誤射はしてないはずだぞ……!」眩しい輝きに包まれる世界の中、ペイルライダーの声がした。少女は声のするほうに目を向ける。クルーザーから降りた彼は、銃で男達に止めを刺しながら彼女へと駆け寄ると、左腕の剛力で無理矢理その身を引き起こした。「さぁほら立て、行くぞ!」

 彼がここに居ると言う事は、もしや……?

「始末したの!?」少女は問い掛けた。「ねぇ! 奴は殺ったの!?」

「お前さんのほうが先だ!」ペイルライダーは緊張感と怒気を孕んだ声で返した。

 一瞬どう言う意味か分からなくなったが、少女は直ぐに理解した。彼は放り出してきたのだ。それは間違いなく自分を守りに来たが為だろうと悟った。まだあの男が死んではいない事に落胆と安堵の入り交じるような気持ちを抱きながら、少女は髑髏の顔を見た。ペイルライダーは彼女の体を小脇に抱えるようにしながら素早く走り、丁字路で眩く光るヘッドライトの元へと向かう。

「乗れ! 早く!」彼に押し込まれるままに、少女は車の後部座席に乗り込んだ。その薄汚れた大柄なバンには見覚えがあったし、仄かに酒と油と血の臭いが混じる車内にも覚えがあった。これは便利屋のものだ。彼の店へと移動する際にも乗ったので記憶にも新しい。

「行け、便利屋!」ペイルライダーは言うと、スライドドアを閉め、二度強く叩いた。それは彼らの中での合図らしかった。

「出すぞ、掴まれ!」運転席の便利屋が言い、直後にバンは急発進した。少女は素直に座席にしがみつく。車はゴトゴトと死体の上に乗り上げながら、勢いのままに角を曲がって、路地を抜け出して行く。

 少女は背後を振り返った。視界の中で、ペイルライダーが何かに向けて激しく射撃をしていた。あれは、何台かの車だろうか?


 便利屋のバンと入れ違うように姿を現した車列を見て、ペイルライダーは素早くMP7を構えた。見紛う事なく、その車は青木照彦とその取り巻きの乗った車だったからだ。便利屋のバンは角を曲がって消えて行く所だが、このまま一緒に逃げたのではすぐに見つかって追いつかれてしまうだろう。救出に間に合ったのだから、退却も間に合ってくれてれば良かったのに。そう思いながらも、思考を足止めへと切り替えて、逆光の中、運転席の辺り目掛けて銃弾を浴びせ掛ける。

 急ブレーキして止まった車両に対して、その弾丸は見事命中し、窓ガラスの内にベッタリと血が付着したのが見えた。だが直後には全てのドアが開き、銃を握った男達が続々と降りて来た。後ろに続いていた車両からも同じように、徒党を組んだ男達が降りて駆け寄ってきている。何にも身を隠していない状況では、とてもでないが正面からまともには撃ち合えない。

「いやいや洒落にならんての……!」反射的に、ペイルライダーは踵を返して走り出した。

「おぉ撃て撃て、撃ち殺せッ!」青木照彦のものと思える声がして、男達がそれぞれ手にした銃を発砲したのが分かった。激しい銃声の嵐――拳銃の単発だけでなく、サブマシンガンの乱射も聞こえる。

「オイオイオイオイ、不味いってそりゃあよぉ!」ペイルライダーはオートバイの上を飛び越すようにしてその影に隠れ、正に間一髪、辛うじて銃弾の雨を回避した。金属同士のぶつかる音が響き、地面や壁で弾け、あちこちで弾が爆ぜているのが分かる。危なかったと荒い吐息を漏らすが、まだまだ到底安心出来る状況ではないのは明白だ。

「あぁ、クソッ……畜生! 数だけ揃えた下衆どもが一丁前に張り切りやがって……! 調子に乗ってんじゃあないよこのクズどもが……ッ!」悪態を吐きながらも、どうにか打開せねばと、ペイルライダーはMP7を抱え直した。

 車体を盾にしたまま銃口だけを覗かせて指切り撃ちで反撃し、逆光の源であるヘッドライトを狙う。だが、向こうからの発砲を受けていては中々上手くは行かない。ボンネットやフェンダーに罅が入る音はすれど、ライトには当たらず、一向に光は消えない。

 ならばとまずは隙を作るべく、狙いを青木照彦に変え、記憶を頼りに立っていたであろうその辺りへと銃弾を浴びせかける。だが、傍のガラスやドア、隣で射撃していた別の男に当たるだけで、肝心の標的に命中した様子は見られない。ただのチンピラ一人が倒れただけでは戦闘に興奮する敵もそう動揺はせず、射撃の勢いに止む気配も無かった。

 やがてMP7の弾が切れ、引き金が悲しい音を立てた。舌打ちしながらも素早く弾倉を交換して応射を続けるが、先程の奇襲から一転して、追いやられているのはペイルライダーのほうだった。

 銃撃を代わりに引き受けてくれているオートバイが、見るも無残に破壊されていく。メーターやミラーは吹き飛び、シートも破けて弾け、ハンドルは明後日の方向に折れ曲がって歪んでしまっている。便利屋の手によって防弾仕様に加工されているお陰で、銃弾は追加装甲等で弾けたり止まったりしていて、まだ車体を貫通してはいないが、それが破られるのも時間の問題だろう。

「あぁ畜生、これはまた何か言われるぞ……」と、溜息混じりの声が漏れた。今までにも始末の最中に車両を破壊されたり、足が付かないようにと爆破処理した事は数え切れないくらいにあるが、その度に便利屋から文句や嫌味を聞かされてきた。正直勘弁願いたい話だ。確かに車体の手配から整備やら改良を行うのは便利屋だろうが、乗り回しているこっちにだってそれなりに思う所はあるのだ。まるで嬉々として行っていると思われるのも腹立たしいと言うか苛立つと言うか……。

 とは言え、最早このマシンに未来は無い。そしてこのままではライダーも含めて人馬一体にあの世行きだ。如何に死の騎士の名を掲げてはいても、そんなツーリングは真っ平御免としか言えない。

「もう道が無いってか? まぁ、そうだよな……クソッ、仕方無いか……!」ペイルライダーは再び弾の切れたMP7をウェポンキャッチで留めると、腹部のポーチからスモークグレネードを取り出した。煙幕を張るだけの非殺傷手榴弾なので敵対存在に対する完全無力化には効果が薄いが、一時的な目眩ましとして攻撃能力を低下させる事は可能だ。それを二つ、ピンを抜いてレバーを飛ばし、マシンの向こう側に投げると、腰部のホルスターから抜いたワイヤーショットに持ち替えた。周囲に白く濃い煙が漂い、敵との間に隔たりが出来たのを確認してから、ガジェットを頭上に構え、ビルの屋上付近の壁面に目掛けて撃ち放つ。最早リロードや拳銃へのスイッチを挟んでまで、この場で応戦する必要も無い。留まっていれば、ジリジリと追い詰められて負ける――殺されるのは目に見えている。ならば、動く事で状況を変えて、打開を図らねば。フックが壁面に食らいつくと、左腕を盾にするようにして構えながら、ワイヤーの巻取りに身を任せ、ペイルライダーは空の闇へと舞い上がった。

「上だ! 撃て!」すぐに怒号が聞こえ、一瞬遅れて後を追うように、銃弾の雨が空気を裂いて飛び、ビルのコンクリート製の外壁を穿つ。大半は反応に遅れて足先にすら及ばぬ遙か下方に着弾している。しかし、決して全てでは無い。油断は出来ない。

 そう思った僅か数瞬の後に、一発、銃弾が左腕に命中した。ガキンと金属質な音を立てて逸れた弾丸は、そのままMP7とポーチに収めていた弾倉の脇を掠めて腹部に命中、ケブラー製のベストの生地を裂いて防弾プレートに深く突き刺さった。

「ぐぁ……ッ! こ、の……クソが……ッ!」ペイルライダーは思わず力が抜けてワイヤーショットを離してしまいそうになったが、歯を食い縛って堪えた。転落すれば全身が砕けて死ぬか、良くて重傷だろうが、どうせその後に連中の手で確実にトドメを刺されてお終いだ。結局は死ぬ。

 どうにか屋上に転がり込むと、腹部を押さえ、呻いた。身悶えするような痛みが走って絶叫を上げそうになり、それを必死に抑え込む。場所が場所だけにターニケットは使えないし、止血剤を含んだパッチを当てる必要がありそうか。そう思いながらタクティカルグローブに包まれた掌を見やると、幸いにもそこに赤い物が付いていない辺り、どうやら出血は無いようだった。拳銃の弾倉やMP7のボディが凹んでいたので、それらによっても幾らか緩和されたようだが、何より防弾素材と『左腕』のお陰だと思った。だが打撲か骨折か、吐き気を催すほどの酷い激痛が腹部から響き、絶えず彼を襲っている。

「やって、くれたな……この、ゴミクズどもが……ッ!」ペイルライダーは意地の力だけで身を起こし、膝を突いた。

 未だに銃弾がビルの縁を削って爆ぜている。角度的には絶対に当たりようも無いが、怒れるギャングどもにはそれも関係無いのだろう。とは言え、本能的にこれ以上の被弾を抑える為にと姿勢を低くして影に隠れながら、ペイルライダーは胸元のポーチから取り出したリモートキーのスイッチを押した。

「お返しだ、クソッタレ……くれてやるから、ありがたく……喰らいやがれッ!」

 マシンが派手な爆発と共に辺りに吹き飛んだ。ややあって静かになった階下を覗き込むと、煙幕の掻き消えた中で倒れ込む大勢の人影が見えた。死んだ者も居れば、爆風に煽られたかそれを避ける為に地面に伏して呻いている者も居る。散らばっている手足は、オートバイの間近に倒れていた死体が爆ぜたものだろうか。

 少し探すと、残念ながら青木照彦は死体にはなっていなかった。彼も仰向けに倒れ、他の面々と同じように地面の上で蠢いていたが、まだ車両の影に居たので、飛散した破片の直撃を喰らわずには済んだようだ。

 これは好機だろう――但し、こちらが万全でさえあれば。

 射撃姿勢を取れなくもないが、地上まではかなりの距離があるので、短機関銃で命中させるには狙いの精度が必要だった。それには痛みの震えを堪えなければならない。残念ながら自力では少しばかり難しい。軍で使用するような強い鎮痛剤でも打てればすぐにでも抑えられるのだろうが、それは同時に意識が朦朧とする副作用がある。戦闘など到底継続は出来ないので、そもそも携行していなかった。周辺への巻き添え被害が大きすぎるので、普段から破片手榴弾の類も装備しておらず、では降りて格闘戦に持ち込めるかと言えば、当然そんな訳も無い。

「クソッ……!」と吐き捨てて、拳を握り締めた。だが今のままではどうしようも無く、状況も悪いままだ。ここは一旦体勢を立て直すしかない。彼は荒い吐息のままに無理矢理立ち上がった。戦わないのであれば、集中すればまだ幾分かは堪えられる。今はとにかく戻って手当てを受けて、次の機会に備えるしかない。

「絶対に、許さんからな……次は撃ち殺してやる……全員この手で引き裂いて、親ですら生ゴミと見間違えるような姿にしてやるよ……ッ!」

 ペイルライダーはワイヤーショットを握り直し、屋上を必死で駆けて行った。髑髏の顔の中で歯噛みする。こんなはずでは無かったのに……!



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