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第25話:私の努力を返して

続きは明日のこの時間くらいにー

 ――思考が、停止した。

 正確には、俺の脳内にある『完璧な淑女計画・実行委員会』が、全員一致で辞表を提出し、窓から身を投げたような衝撃だった。


「……えっ?」


 俺の口から漏れたのは、淑女の「うふふ」でも、王女の「あら」でもない、ただの、間の抜けた少年の声だった。

 現在進行形で、俺は将軍の逞しい膝の上に座らされている。将軍の腕は俺の腰にしっかりと回され、その掌の熱が、コルセットのないドレス越しにダイレクトに伝わってくる。


「…あ、あの……閣下? いま、何と仰いましたの? わたくしの耳の細胞が、ちょっと幻聴を聞いてしまったようですわ」


 俺は必死に、震える声で確認した。まだだ。まだ、あきらめるなレナート。これは将軍なりの高度な冗談かもしれない。


「幻聴ではない。俺は、お前が男であることを、最初から知っていたと言ったのだ」


 将軍は俺の耳元で、ささやくように、だが断定的に言った。

 その声には一切の迷いも、驚きも、怒りもなかった。あるのは、ただ、深い満足感と――獲物を完全に捕らえた猟師のような、不敵な愉悦だけだ。


「さ、最初から…? 結婚式の、あの日から……ですの…?」

「厳密に言えば、お前が馬車から降り、一歩目を踏み出した瞬間にだ。あの不自然な内股、重心の置き方、そして俺と目が合った瞬間に喉を鳴らしたあの音。…軍人として、あれを『か弱い姫君』だと解釈するのは、不可能に近い」


 将軍の手が、俺の首元…喉仏のあたりを、親指でゆっくりと撫でた。


「お前は、この喉の筋肉を震わせないために、随分と努力していたようだがな。……俺にとっては、その健気さこそが最高の娯楽だった」

「…っ!!」


 俺は、顔から火が出るのを通り越して、全身が発火して灰になるかと思った。

 最初から。最初からだったのか。

 あの日、俺が必死に「防弾ですの!」と言い張ったあのパッドも。

 「宇宙を縫っているのですの!」と強弁した、あの地獄のような刺繍も。

 「細胞が歓喜していますわ!」と叫びながら、骨の髄まで貪り食ったあの猪肉も。

 

 ……全部。全部、知られていたのか。

 

 俺が「バレたら処刑だ、死ぬ気で隠せ!」と冷や汗を流しながら演じていたあの必死な姿を、この男はどんな気持ちで眺めていたというのか。

 「面白い生き物が来た」? 「小動物が擬態しようとしている」?

 

 俺は……俺は帝国の権力者の前で、一ヶ月以上もかけて、世界一滑稽な一人芝居を演じ続けていた、ただのピエロだったじゃないか!


「ああ、レナート。そんなに絶望した顔をするな」


 突然、横から楽しそうな、それでいて呼吸困難気味の声が聞こえた。

 皇帝マクシミリアンだ。彼は椅子からずり落ちんばかりに肩を震わせ、ハンカチで涙を拭っている。


「私も謝ろう。…正直、お前が現れたあの日、私は閣議を中止してでも爆笑したかった。だが、フェルディナンドがお前を気に入ったようだったから、見守ることに決めたのだ。おかげで私は、この一ヶ月、腹筋を鋼鉄のように鍛え上げる羽目になったよ。お前のあの『空中浮遊の刺繍』…あれは反則だ。思い出すだけで胃液が逆流する…ッ!」

「陛下までっ!!」


 俺は、視線を侍女たちに向けた。いつも優しく、俺の防弾魔力の嘘に付き合ってくれた、俺の味方だと思っていた彼女たち。

 カミラは、さも当然のように、美しい礼をした。


「殿下…いえ、若様。私たちの主はフェルディナンド閣下です。閣下が『知らないふりをしろ』と仰れば、私たちはプロとして、どんなに殿下の股間に『ナニか』の気配を感じようとも、無の境地で着替えをお手伝いいたしますわ」

「な…『ナニか』の気配…ッ!!」

「ええ。むしろ最近では、若様が次はどんな支離滅裂な言い訳を吐き出すのか、侍女たちの間で賭けが行われていたほどです。…ちなみに昨日の『細胞が太陽に向かって飛び立ちましたわ』は、配当金が三倍でした。ありがとうございます、若様」


 リサがにっこりと微笑む。

 ……もうだめだ。この国に、俺の味方なんて一人もいなかった。

 全員だ。全員が、俺が男であることを知った上で、俺が「バレてない、バレてないぞ!」と必死に小細工を弄する姿を、ニヤニヤしながら、あるいはプルプル震えながら、特等席で観劇していたのだ。


 なんという。なんという屈辱。

 

 王国では「いないもの」として無視されていた。

 帝国では「変な生き物」として、国を挙げて観察されていた。

 

 どっちも地獄じゃないか! 質の違う地獄なだけじゃないか!


「……ううっ…。ひどい。ひどすぎますわ…いいえ、ひどすぎるぞ、あんたたち!!」


 俺はついに、作り声を捨てて、地声で叫んだ。

 少し低めの、十代後半の少年らしい声が、部屋に響き渡る。

 

「俺がどんな気持ちで…! 毎日、首を絞められるような思いでコルセットを巻いて、バレたら殺される、ムニエルにされるって怯えながらメシを食っていたと思ってるんだ! 知ってたなら、最初に言えよ! 『お前、男だろ』って突っ込めよ!!」


 俺の咆哮を聞いて、将軍は…フェルディナンド閣下は、さらに愛おしそうな目で俺を見つめた。


「言ったら、お前はあんなに必死な顔を見せてくれなかっただろう? 俺は、お前が『バレまい』と知恵を絞り、俺の顔色を窺い、そして…俺が与えた食事を、あんなにも幸せそうに頬張る姿を、独占したかった」

「変態だ…!! この将軍、ド変態だ!!」

「ほう。…ようやく本音が出たな、レナート。その威勢の良い声も、悪くない」


 閣下の腕に、さらに力がこもる。

 俺は逃げ出そうとしたが、鋼鉄のような筋肉に阻まれて、びくともしない。


「…さて。正体が公になった以上、もはや王女エルゼとして振舞う必要はない。これからは、帝国の『レナート』として、堂々と俺の隣にいろ」

「いやいや、俺は王国からの人質なんだぞ! 国際問題だろ!!」

「問題ない」


 口を挟んだのは、皇帝マクシミリアンだった。彼はようやく笑いの波をやり過ごし、皇帝としての鋭い眼光を取り戻していた。


「王国側が身代わりを送り込んできた事実は、不変だ。これは重大な国際詐欺であり、不可侵条約の明白な違反である。…つまり我ら帝国には、王国を地図から消し去る正当な権利が与えられたということだ」


 皇帝の言葉に、広間の隅で固まっていた王国の視察団が、悲鳴を上げてひれ伏した。ベルツァー卿は既に白目を剥いて泡を吹いている。


「レナート。お前はもはや人質ではない。我が弟が執着した、帝国の身内だ。…お前を虐げ、捨て駒にしたカルヴァ王国。…あんなゴミのような国、もう必要ないだろう?」


 皇帝の問いに、俺は言葉を失った。

 俺をゴミのように扱い、いないものとして扱い、挙句の果てに地獄へ放り込んだ故郷。

 一方、俺の正体を知りながら、面白がり、甘やかし、最高級の肉を食わせてくれた、この異常なほど過保護な帝国。

 

 ……比べるまでもない。


「…王国なんて、どうなってもいいです。あんな国、ステーキの付け合わせのパセリ以下の価値もありません」


 俺が地声で吐き捨てると、閣下は満足げに俺の髪を掻き上げた。


「…いい返事だ。ならば、まずはあそこで泥を啜っている『お姉様』から、片付けるとしよう」


 視線の先には、衛兵に組み伏せられ、髪を振り乱して「そんな……こんなはずじゃ……」と呟き続けるエルゼの姿があった。

 彼女は、俺の正体をバラせば俺が死ぬと信じて疑わなかった。だがその暴露こそが、帝国による王国侵攻という、最悪のカードを切るための合図になってしまったのだ。


「レナート。お前はもう、何も隠さなくていい。これからは、その首筋も、その男らしい手指も、すべて俺だけに見せていればいい」

「…閣下。一つだけ、確認してもいいですか」

「何だ」

「……男だってバレた後でも、今日の朝飯…鴨肉のローストは、出ますよね?」


 俺の問いに、この日一番の、温かく、そして呆れ果てた笑いに包まれた。


「ああ。もちろん、三倍の量を用意させよう。…お前のその逞しい胃袋を満たすのは、俺の義務だからな」

「……閣下。あんた、性格悪いけど…やっぱり、大好きだ!!」


 俺はついに開き直った。

 女装の嘘は終わった。だが、俺の『帝国のメシに釣られる生活』は、これからが本番のようだった。

 

 ――お姉様。見てるか?

 あんたがバラしてくれたおかげで、俺はもう、コルセットを巻かずに鴨肉が食えるんだ。

 

 俺は地獄に落ちていく姉に、本日最高の「ざまぁ」な笑みを向けてやった。

\\\ドッキリ///

もうちょっとだけ続くんじゃ



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