第17話:もう限界だ
続きは明日のこの時間くらいにー
タヴェルニエ帝国の皇帝、マクシミリアンは、黄金の装飾が施された執務机に突っ伏していた。
端から見れば、国務の激務に倒れた偉大なる皇帝の姿に見えるだろう。だが実際は違う。彼は今、これまでに経験したことのない「肉体的な痛み」と戦っていた。
(…腹筋が。腹筋が、千切れる…!)
原因は分かっている。数分前までこの部屋にいた、我が弟フェルディナンドと、自称・王女のせいだ。
マクシミリアンは、震える手で冷めた茶を口に運び、無理やり喉の奥に押し込んだ。そうでもしなければ、噴き出しそうな笑いを抑え込むことができない。
そもそも、この縁談を受け入れたのは、単なる気まぐれだった。
北方の弱小国家、カルヴァ王国から「人質の王女を差し出す」と言われた時、マクシミリアンは正直、一時のご機嫌取りだと鼻で笑ったものだ。
だが、現れた王女は、マクシミリアンの想像を遥かに超えていた。
結婚式の当日。
真っ白なドレスに身を包み、顔中にこれでもかと白粉を塗りたくったレナート王子が、小刻みに震えながらバージンロードを歩いてきた時。マクシミリアンは隣に座る側近と目を合わせないよう必死だった。
首元を隠すための不自然なほど高い襟。
明らかに「詰めすぎ」な胸元の膨らみ。
そして何より、緊張のあまり「うふ、ふふふ…」と壊れた玩具のような声を漏らしながら、ガチガチに固まった挙動で歩くその姿。
(誰がどう見ても、男だろうがッ!!)
玉座の上で、マクシミリアンは叫び出したくなるのを堪え、冷徹な皇帝の仮面を被り続けた。
それから一ヶ月。
マクシミリアンは、自分の決断を深く後悔していた。
最初は「弟が変な遊びを始めた。飽きるまで見ていよう」くらいの軽い気持ちだったのだ。だが、事態は悪化の一途を辿っている。
コンコン、と扉が叩かれる。
「失礼いたします、陛下。フェルディナンド閣下とエルゼ様より、昨晩の晩餐会の報告書が届きました」
入ってきた侍従長の声も、どこか上擦っている。彼はレナートの正体を知る数少ない共犯者の一人だが、最近では報告書を読むたびに「くっ……ふ、ふふ」と不敬な音を漏らすようになっている。
「…読め。ただし、簡潔にな」
マクシミリアンは身構えた。腹筋に力を込め、感情を殺す。
「はっ。…『王女殿下は、供された牛の丸焼きを大変気に入り、骨の髄まで吸い尽くされました。その際、周囲に不審がられないよう、カルヴァ王国には「骨の髄まで吸い尽くさないと、先祖の霊が枕元に立つ」という呪いがあるのだと、実に見事な言い訳をなさいました』とのことです」
マクシミリアンは机を拳で叩いた。
「そんな馬鹿な呪いがあるか!! そもそも吸い尽くす際の吸引力が男のそれだろうが! 淑女の食事風景ではないわ!」
「さらに続きがございます。…フェルディナンド閣下はそれを受け、『なんと敬虔な…。ならば俺も、お前の先祖を敬うために一緒に吸おう』と仰り、二人で無言で骨をしゃぶり続け、会場を静まり返らせたそうで…」
「やめろ!! もういい、読むな!!」
マクシミリアンは頭を抱えた。
弟がおかしい。あの冷徹だったフェルディナンドが、レナートが吐く『鉄板を貫く刺繍』だの『喉の筋肉』だのといった、三歳児でも信じないような嘘をすべて全肯定しているのだ。
それどころか、最近では『いかにレナートに、より独創的で面白い嘘を吐かせるか』を楽しんでいる節さえある。
「陛下。もう一つ、緊急の報告が。…カルヴァ王国から、定期報告への返信が届きました」
侍従長が差し出した手紙を、マクシミリアンはひったくるようにして読んだ。
そこには、『エルゼ王女の病を案じている。将軍の意に沿うよう、くれぐれも言い聞かせている』といった内容の、慇懃無礼な文章が並んでいた。
「…あいつら、本当に何も分かっていないのだな」
マクシミリアンは、怒りを通り越して憐れみすら覚えた。
王国側は、レナートが帝国で拷問を受けているか、あるいは死の恐怖に怯えていると信じ込んでいるらしい。
実際はどうだ。レナートは毎日、魔獣の料理を頬張り、帝国の最高級の寝具で爆睡している。
「……なぜ、私はあの時、この茶番を止めておかなかったんだ…」
マクシミリアンの脳裏に、今後の展開が予想として浮かぶ。
このままではレナートが男だと公にバレる前に、帝国の美食によって「いっそ一生、女装してここで暮らす」と決意しかねない。
「…陛下。フェルディナンド閣下より、伝言がございます。…『明日の茶会には、エルゼと共に陛下のもとへ伺います。新しく身につけた「空中浮遊の刺繍」の腕前を披露したいとのことですので、楽しみにしていてください』と…」
「…………」
マクシミリアンは、静かに立ち上がった。
そして、執務室の窓を開け、帝国の冷たい風を全身に浴びた。
「……侍従長。明日の茶会は、中止だ。…いや、私の体調不良にしろ。原因は『腹筋の断裂』だ。間違いではない…」
「陛下、それは流石に…」
「分かっている! 分かっているが、もう限界なんだ! あいつらが並んで歩いているのを見るだけで、私の胃液が逆流しそうになるんだ! そろそろ勘弁してくれ! 私が笑い死ぬぞ!」
マクシミリアンは叫び、そのまま椅子に崩れ落ちた。
皇帝として、威厳を保たなければならない。
だが、この帝国で最も威厳を破壊しているのは、間違いなく自分の身内であった。
カルヴァ王国。あの愚かな国がこの茶番の真実を知った時、一体どんな顔をするのだろうか。
そして、レナートが「実は男でした!」と告白した際、弟が「知っていたが?」と即答する場面を想像し――マクシミリアンは再び、腹を抱えて床に膝をついた。
「後悔している…。私は、受け入れるべきではなかった。…こんな世界一平和で、世界一頭の悪い国際問題を…ッ!!」
帝国の夜は更けていく。
皇帝の執務室からはその晩、すすり泣くような、あるいは笑い声を必死に押し殺すような、奇妙な呻き声が絶えなかったという。
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