第16話:唯一の盾(と思い込んでいる人)が消える日
続きは明日のこの時間くらいにー
――終わった。
今度こそ俺の帝国ライフは、銀鱗魚のムニエルのごとく華麗に皿の上で解体される運命にあるらしい。
「え…マ、マーサさん? 今、なんと…?」
「ですから、姫様。私は本日をもって、カルヴァ王国へ帰還することになりましたわ」
自室でティータイム(今日は焦がしキャラメルのタルトだ。絶品すぎて涙が出た)を楽しんでいた俺の前に、侍女のマーサが冷淡な、しかしどこか晴れ晴れとした顔で立っていた。
「き、帰還!? なんで!? まだ結婚して一ヶ月も経ってないんですよ!? 俺の女装セットの予備とか、コルセットの締め上げの黄金比を知っているのは、あなただけなのに!」
「王国の陛下から『エルゼ王女は重病、あるいは精神に失調をきたしている可能性が高い』という親書が届いたそうですわ。帝国側は『ならば環境を変えるべきだ。見知った顔が側にいるから甘えが出るのだ』と、実にもっともらしい屁理屈を並べて、私を追い出す決定を下しましたの」
マーサは荷物をまとめながら、一切の未練もなさそうに鼻を鳴らした。
「正直、私も助かりましたわ。この野蛮な帝国で、いつ正体がバレて処刑されるかとおびえる日々はもう限界でしたもの。…あ、これはレナート様の私物(胸の詰め物)ですね。置いていきますわよ」
「待ってやめて!! 置いていかないで、俺を一人にしないで!!」
俺は必死にマーサのスカートに縋り付いた。
彼女は俺をいじめていた姉の息がかかった侍女だ。王国では散々冷たくされた。だが、この帝国において、彼女は「俺が男であることを知っている唯一の味方(共犯者)」だったのだ。
彼女がいなくなれば、俺は正真正銘、狼の群れの中に放り出された、女装した羊になってしまう。
「あー、うっとうしい。離してくださいませ。…いいですか、レナート様。あなたは『エルゼ王女』として、このまま死ぬまで帝国を騙し通せばいいのです。…まあ、昨日のあの『喉の筋肉』発言を聞く限り、もう秒読みだとは思いますけれど」
「ひどい!! あれは俺なりの必死の防衛本能だったのに!!」
絶望に打ちひしがれる俺の背後で、部屋の扉が音もなく開いた。
「…随分と賑やかだな、エルゼ」
心臓が口から飛び出るかと思った。
振り返ると、そこには漆黒の軍服を完璧に着こなしたフェルディナンド将軍が立っていた。
その鋭い眼光は、俺と、そして荷物をまとめたマーサを交互に見据える。
「あ…閣下…っ。うふ、ふふふ…。ご機嫌麗しゅう…ですわ。…わたくし、今、マーサさんと……『お別れのハグ』という名の、筋肉のぶつかり稽古を…していたところですのよ…」
「そうか。別れを惜しんでいるのだな。殊勝なことだ」
将軍は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の歩みは静かだが、捕食者が獲物を追い詰めるような圧倒的な威圧感がある。
「マーサを帰すのは、俺の提案だ。カルヴァ王国からの手紙によれば、お前は精神的にかなり参っているようだからな。…王国の息がかかった者は、お前にとって過去の辛い記憶を思い出させる装置でしかない。ならば、すべて排除し、この帝国の色に染めてやったほうが、お前のためだと思ったのだ」
(余計なお世話だよ!!!)
俺は心の中で絶叫した。
違うんだ、将軍。彼女は記憶の装置じゃない、俺の嘘を支えるつっかえ棒なんだ!
「そ、そんな……わたくし、マーサさんがいないと…その…喉のメンテナンスが、上手くできませんの…っ!」
「案ずるな。代わりの侍女は、俺の直属から選りすぐりの精鋭を用意した。…おい、入れ」
将軍が合図を出すと、三人の女性が部屋に入ってきた。
彼女たちは一見、しとやかな侍女に見えるが、その立ち振る舞いや、服の上からでもわかる引き締まった体躯は、間違いなく「戦える側近」のそれだった。
「彼女たちは格闘術、潜入、そして…『対象の健康管理』に長けている。お前がどんなに喉の筋肉を震わせようとも、完璧にサポートするだろう」
「……あ、あは…あはは…。完璧、ですのね…」
俺の頬が引きつる。
選りすぐりの精鋭? 健康管理?
それって、着替えの時に「あれ? この王女、ついてるものついてないし、ついてないはずのものついてるぞ?」って一瞬で看破されるやつじゃないか。
マーサは「では、私はこれで」と、俺の絶望を背に、逃げるように部屋を去っていった。
最後に彼女が俺に送った視線は、「せいぜい頑張りなさい、この哀れな生贄さん」という、慈悲の欠片もないものだった。
部屋に残されたのは、俺と、将軍と、三人の精鋭侍女。
「エルゼ、新しい生活の始まりだ。…まずは、その重そうなドレスを脱いで、楽な格好になるといい。彼女たちが手伝おう」
「えっ、ちょっ、待って、閣下! わたくし、自分でお着替えするのが趣味なんですの! 『セルフ着替え筋肉』を鍛えている最中と言いますか…!」
「遠慮するな。お前は病なのだろう? 無理はいかん。…それとも、俺が手伝ったほうがいいか?」
将軍が、少しだけ楽しげに目を細めた。
その視線が、俺の首元から、胸元の三倍盛りパッドへと向けられる。
「い、いえ…閣下の、お手を煩わせるなんて……そんな、恐れ多いですわ…」
「ならば、彼女たちに任せろ。…ああ、そうだ。今夜の夕食は、南方の特産である『灼熱の赤エビ』の直火焼きだ。殻まで食べられるよう、特別に調理させている。楽しみにしておけ」
赤エビ。
その響きだけで、俺の食欲が恐怖を上回ってピクリと反応した。
帝国特産の、あのプリプリとして甘みが強いという伝説のエビか。
「……赤エビ…直火焼き…」
「そうだ。そのためにも、まずは身軽になることだ」
将軍は満足げに頷くと、執務があると言って部屋を出ていった。
残された三人の精鋭侍女たちが、にっこりと笑顔で、しかしどこか獲物を観察するような目で俺を囲む。
「…王女殿下。失礼いたします」
「待って! 落ち着いて! わたくしの体は、特殊な結界で守られていて、いきなり脱がすと爆発する可能性があるんですのよ!?」
俺の最後の抵抗も虚しく、彼女たちの訓練された手が、手際よくドレスの編み上げにかけられた。
(神様…ムニエルの次は赤エビですか。…俺の命は、本当に献立表一枚で繋がっているんですね…!)
俺は、今にも「ぎゃあ、ついてる!?」という悲鳴が上がるのを覚悟して、ぎゅっと目を閉じた。
しかし。
「…随分と、…厚い詰め物をしておいでですね、殿下」
「あ、いえ、これは……防弾、ですの…」
「なるほど、防弾。……流石は戦時下にある王国の姫君。承知いたしました。…『そういうこと』にしておきましょう」
……え?
今、さらっと流された?
侍女の一人が、明らかに俺の胸から取り出した特大パッドを手にしながら、微笑んでいた。
その目は、まるで可愛い小動物が必死に擬態しているのを温かく見守るような…。
「さあ、お背中を流しますね。…殿下の筋肉、とてもしなやかで素敵ですわ」
「…うふ、ふふふ…。…あ、ありがとうございます……わ…」
何かがおかしい。
この帝国、もしかしてバレてるとかそういうレベルじゃなくて、全員で俺を盛大な茶番の主役として、お膳立てしているんじゃないだろうか。
湯気の中で、俺は赤エビの香りを想像しながら、このぬるま湯のような恐怖に、じわじわと浸かっていくのを感じていた。
王国では『いないもの扱い』だった。
それが帝国では『全員に注目され、全員に正体を知られながら、全員に知らないふりをされる』という、新手の拷問のような、あるいは究極の過保護のような、おかしな状況になってしまっているのかもしれない。
(まあ…いっか。マーサさんがいなくても、エビは美味しいだろうし…)
俺のメンタルは、帝国の美食によって、着実に『思考停止』という名の進化を遂げつつあった。
その夜。
俺は約束通りの赤エビを、殻ごとバリバリと貪り食った。
その様子を、将軍が「いい食べっぷりだ」と目を細めて眺め、侍女たちが「今日も殿下が健やかで何よりです」と頷き合っている、異様な光景がそこにはあった。
――カルヴァ王国のお姉様。
あなたが捨てたこの身代わり、今、世界で一番『居心地の悪い幸せ』の中にいます。
俺はエビのミソを啜りながら、遠い故郷の空を想い……一秒で忘れた。
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