第15話:一方、王国では
続きは明日くらいにー
タヴェルニエ帝国が、美食と小動物の観察に沸いている頃。
北方の弱小国家、カルヴァ王国の王宮では重苦しい、というよりは、どこか間の抜けた空気の中、緊急の御前会議が開かれていた。
玉座にふんぞり返る国王の前に、一通の手紙が差し出される。
それは和平の生贄として帝国へ嫁いだ第二王女、エルゼの身代わりであるレナートからの、初めての公的な定期報告書だった。
「何だ、これは」
国王が眉をひそめて手紙を広げた。
そこに並んでいたのは、優雅な王女の筆致とは程遠い、まるで幼子が震える手で無理やり泥を塗りたくったような、凄まじい悪筆だった。
「陛下、これは…。…おそらく、帝国での生活があまりにも過酷なため、王女殿下は指の自由を奪われているのでは…。あるいは精神的に追い詰められ、まともな文字すら書けぬ状態にあると推測されます」
宰相が、深刻な顔で眼鏡を押し上げた。
彼らには『身代わりを送り込んだ』という自覚がある。だからこそ、その身代りが帝国で無惨に扱われているはずだ、という先入観が強固に存在していた。
「読んでみろ。何と書いてある」
「はっ。…『毎日、肉を、たくさん、食べています。…将軍様は、わたしの、首を、いつも、見ています。…指が、熱いです。…お姉様、ありがとう。…ここは、天国、です』とのことです」
しんと、広間が静まり返った。
王国側の人々の脳内では、このレナートの「素直な喜び」が、高度な「暗号」として変換されていった。
(…肉をたくさん食べている? 恐ろしい…。あの『死神』は、か弱い王女に無理やり魔獣の生肉でも食わせているのか。あるいは、他に食べるものがない極限状態なのか…!)
(将軍が首をいつも見ている? …やはりな。いつ、どのタイミングで首を飛ばそうかと、常に死神の鎌を突きつけられているような状況なのだ…)
(…ここは天国? ああ、なんということだ。身代わりはあまりの恐怖に、死後の世界を夢見るほど精神が崩壊してしまったのか!)
国王は、忌々しそうに鼻を鳴らした。
「ふん。まあ、身代わりの小僧がどうなろうと知ったことではないが。…あの死神にバレて、即座に宣戦布告されないことだけが救いだな。文字が書けないほどの病気、あるいは精神疾患だと思わせておけば、多少の粗相も、祖国から離れたことによる気の迷いで片付くだろう」
「左様でございますな。…しかし、この『お姉様、ありがとう』という一文は、復讐の念を感じますな。自分が死ぬ間際に、本物の王女を引きずり出そうという呪詛の類か…」
彼らは、レナートが心から「肉が旨いから身代わりにしてくれてありがとう」と感謝しているとは、欠片も思っていなかった。
この王国において、帝国とは恐ろしい場所であり、そこへ行くことは死と同義だったからだ。
一方その頃。
王宮の片隅、かつてレナートが押し込められていた離れでは、もう一つの地獄が展開されていた。
「なによ、これっ! こんなの、人間が食べるものじゃないわ!!」
キンキンと響く金切り声を上げたのは、ボロ布のような服を纏い、顔をすすで汚したエルゼ、本物の第二王女だった。
彼女の前には、木の板に乗った『カビを削り取った後の、石のように硬いパン』と『塩をお湯で割っただけのスープ』が置かれている。
「…姫様。いえ、レナート様。この離れでは、これが通常の食事でございます。…文句を言うと、明日はお湯すら出なくなりますわよ」
かつてレナートを洗脳した侍女マーサの後任である、やる気のない老侍女が冷たく言い放った。
エルゼは、レナートと入れ替わり、この「透明人間」の立場を手に入れた。
最初の数日は「誰にも干渉されずに昼まで寝られるなんて最高!」と喜んでいたが、三日目にして限界が来た。
誰も、自分の名前を呼ばない。
誰も、自分の美しさを称えない。
それどころか、かつての自分の取り巻きだった貴族たちと廊下ですれ違っても、ゴミを見るような目で見られるか、あるいは完全に視界に入っていないかのような扱いを受ける。
(なんで!? 私は王女なのよ! エルゼ・フォン・カルヴァなのよ!!)
そう叫びたくても、叫べば不敬罪として処刑されるか、あるいは『気が狂った王子』とされるのがオチだ。
彼女をここへ押し込めたのは他ならぬ国王であり、彼女自身が画策した身代わり計画の結果なのだから。
「…お腹、空いた。……お肉……柔らかいパン…」
エルゼは、震える手でパンをスープに浸した。
しかしレナートのように、ふやけるまで待つ忍耐力がない彼女は、硬いパンを無理やり噛み砕こうとして、大事な前歯が折れそうな音を立てた。
「痛いっ! …レナートのやつ、今頃は帝国の地下牢で冷たい石畳を舐めているはずよ…。そうじゃなきゃ、割に合わないわっ!」
エルゼは自分だけが不幸であると信じ込み、レナートの境遇を想像して、辛うじて正気を保っていた。
まさか自分がレナートとして扱われているせいで、王宮中の人々から無視され、粗末な扱いを受けているとは。
「身代わりにすればいい」という自分の提案が、そのまま自分への呪いとなって返ってきていることに、彼女はまだ気づかないふりをしていた。
数日後。王宮では、レナートによる帝国からの報告を聞きつけた貴族たちが、密かに噂し合っていた。
「…聞いたか? 帝国に嫁いだ王女殿下、あまりの恐怖に『首を絞められる』話ばかりしているそうだ」
「恐ろしい…。やはり帝国は、蛮族の巣窟。我らカルヴァ王国の誇る王女殿下が、そんな陵辱を受けておられるとは」
「しかし、代わりに行ったのがあの『いないもの扱い』の王子だったのは、国王陛下の英断でしたな。…おかげで、我々の美しい王女殿下は、公務を離れ、今もこの城のどこかで平和に暮らしていらっしゃる」
皮肉にも王国中の人々が、本物の王女を守ったと満足している間に、その守られたはずの王女は、カビ臭い離れで空腹に耐えかね、庭に生えている雑草が食べられるかどうかを真剣に検討し始めていた。
国王は、満足げにワインを煽りながら、宰相に命じた。
「返事を出せ。『病を押し切っての定期報告、実に見事である。今後も帝国の習慣に従い、将軍の意に沿うよう励め』とな」
「はっ。文面は、あくまで『エルゼ王女』を労う体裁にいたします」
「ああ、そうしろ。…身代わりの小僧、せいぜい長生きして、帝国を繋ぎ止めておけよ」
王国側の冷酷な思惑が、一通の手紙となって帝国へと送られる。
彼らは知らない。
この手紙を受け取ったレナートが、「病気!? 本気か、俺、健康すぎて体重増えたんだけど!」と焦りながら、さらに大量の魔獣肉を頬張ることになる未来を。
そして、この手紙に書かれた『将軍の意に沿え』という言葉を、フェルディナンド将軍が「ほう、王国の公式な許可が出たか」と、さらにレナートを甘やかし、堕落させるための免罪符にするということを。
カルヴァ王国の崩壊への道は、彼ら自身の傲慢な思い込みによって、着実に進んでいた。
(…お肉…おのれ、レナート…恨んでやる……)
離れの闇の中で、エルゼの虚しい呻きが、今日も月夜に消えていった。
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