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第14話:死神の執務室

続きは明日の8時くらいにー

 タヴェルニエ帝国の軍人として、俺は常に効率を重んじて生きてきた。

 無駄な会話、無駄な儀礼、無駄な感情。戦場においてそれらは死に直結する。


 だが、最近の俺は、自分でも驚くほど無駄な時間を慈しんでいる。

 その中心にいるのは言うまでもない。カルヴァ王国から送られてきた偽物の王女、レナートだ。


 奴は今日も、自身の三倍はあろうかという綿を胸に詰め込み、首元を必死に隠しながら、俺の執務室にやってきた。


(…今日は、一段と動きがぎこちないな。また何か新しい言い訳でも考えてきたのか?)


 俺は内心の愉悦を隠し、冷徹な将軍の面を被って奴を机の前に座らせた。

 今日の目的は、書類へのサイン…の練習だ。

 

 昨日、結婚関係の事務書類を奴に渡した際、奴はあからさまに動揺して「…わたくし、王国の聖なる呪いで、ペンを持つと腕が爆発しますの」という、昨日までの設定を忘れたような酷い嘘を吐いた。

 結局、カルヴァ王国の『いないもの扱い』されていた王子に、まともな教育など施されていなかったのだろう。文字の読み書きすら怪しいというのは、想定内だった。


「…エルゼ。呪いは解けたようだな。さあ持て、ペンだ」

「ひ、ひゃい…。うふ、ふ…。昨晩、神官様に…除霊していただきましたの……」


 相変わらずのカラス声。そのハスキーな響きが、最近では妙に耳に心地よい。

 奴は震える手で羽根ペンを握った。


 その手だ。

 白粉を塗りたくってはいるが、隠しきれない指の長さ。

 女性のそれよりもしっかりとした関節。そして、不遇な環境を生き抜いてきた証か、剣ダコとは違うが、何らかの作業でついたであろう逞しい手の平。


(…実に、いい手だ)


 俺は背後から奴を包み込むようにして立ち、その右手に自分の手を重ねた。

 奴の体が、猫のように跳ね上がる。


「か、閣下!? ち、近いですわ! わたくし、心臓の筋肉まで、意思疎通を始めてしまいますの…っ!」

「構わん。…お前は筆圧が不安定だ。俺が支えてやろう」


 重ねた手から、奴の熱が伝わってくる。

 小刻みに震えているが、その骨格はやはり男のものだ。俺の手の中にすっぽりと収まりつつも、確かな硬さがある。

 

「…いいか、ここはこう流す。……エルゼ、お前は随分と…頼もしい手指をしているのだな。この節くれ立ち方は、王女でありながら、何か…魔獣でも素手で絞め殺していたのか?」


(きた! と言わんばかりの顔をしているな、お前は)


 奴は目に見えてうろたえ、激しく緊張しながら即座に新しいデタラメをつむぎ出した。


「そ、それは……! わたくし、王国の…『刺繍で鉄板を貫く一族』の末裔ですの! 針を強く押し込みすぎて、指の筋肉が、このように発達してしまいましたの…うふ、ふ、ふ……」


 刺繍で、鉄板を、貫く。

 

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、俺は危うく吹き出しそうになった。

 横で見ている侍従長が、必死に窓の外を眺めて「あれは雲だな、綺麗な雲だ」と自己暗示をかけているのが分かる。


「…ほう。鉄板を貫く刺繍か。…カルヴァ王国の文化は、実に攻撃的で素晴らしい。……ならば、その頼もしい手で、俺の軍服のボタンでも付け直してもらおうか。…千切れないように気をつけてな」

「ひっ! …が、頑張りますわ…っ」


 奴の反応が面白すぎて、ついからかいたくなる。

 俺は重ねた手に力を込め、ゆっくりとペンの先を走らせた。

 

 奴は俺の接近に怯えながらも、次第に文字が形作られていく様子に目を輝かせ始めた。

 

(…ああ、そうだ。この目だ)

 

 食い物を前にした時と同じ、純粋で、飢えたような光。

 学ぶことに、あるいは生きることに、この少年は今までどれほど飢えてきたのか。

 

 しばらく無言で、手を取り合って文字をつづる。

 室内に響くのは、ペン先が紙を引っ掻く音と、奴の緊張した、しかし一生懸命な呼吸音だけだ。


「…よく書けた。…エルゼ、お前は飲み込みが早いな」

「ほ、本当ですか? …あ、いえ。……うふふ、嬉しいですわ…」


 奴が、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 それは恐怖によるものではなく、褒められたことに対する、年相応の少年の照れに見えた。

 

「…指先が熱いな。刺繍のしすぎで摩擦熱でも出ているのか?」

「あ、えっと、わたくしの指は、常に燃えていますのよ、うふふ!」


 どこまでも女性であることを演じ通そうとする、その無駄なまでの矜持きょうじ

 俺が気づいていることを、奴はまだ夢にも思っていない。

 

 ――いつか、こいつが自分の正体を明かす時。

 あるいは、俺が逃げ道をすべて塞ぎ、こちらから正体を告げる時。

 一体、どんな顔をして、どんな顔を見せるのだろうか。


「…閣下。…あの、手が、まだ重なってますの…」


 奴が控えめに、しかし力強い動きで、俺の手から自分の手を引き抜こうとした。


「…すまん。……名残惜しくてな」

「名残…? …うふふ、閣下は…寂しがり屋さん、なんですのね」


 奴のその天然な一言に、後ろで控えていた騎士団長が、ついに堪えきれずに吹き出し盛大な音を立てた。

 

「…騎士団長。外の訓練場まで、往復十キロ走ってこい。…鎧を二枚重ねにしてな」

「は、はっ! 失礼いたしましたぁぁ!」


 騎士団長が逃げるように去っていく。

 奴は「まあ、帝国の方は…体育会系ですのね」と間の抜けた感想を漏らしていた。


 寂しがり屋か。

 あながち、間違いではないのかもしれない。

 俺はこの小さな、必死に嘘を吐き続ける偽物の妻を、ずっと手元に置いておきたいと、本気で思い始めている。


「…エルゼ。明日は、その指を休めるため、マッサージの専門家でも呼ぼうか。…もちろん、俺が監督する。存分に、癒やされるがいい」

「マッ、マッサージ!? …ひ、ひゃい…ありがとうございます、わ…」


 青ざめる奴を眺めながら、俺は次の餌の内容を検討し始めた。

 恐怖と快楽、そして絶品のご馳走。

 それらを織り交ぜて、俺はこの小動物を一歩も動けないほどに甘やかし、堕落させてやるつもりだ。


「…今日の夕食は、魔獣のシチューでも出そうか。…精をつけて、明日に備えろ」

「シ、シチュー! …うふふ、喜んで、いただきますわ!」


 結局、食い物に釣られるその単純さが、何よりも愛おしい。

 俺は執務室を去る奴の、少しガニ股気味な後ろ姿を見送りながら、静かに酒を煽った。


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


「今後どうなるの!!」


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