第12話:鋼の自己暗示
続きは19時くらいにー
――俺は女。俺は可憐な王女エルゼ。
――俺の喉にあるのは喉仏ではなく、歌声を奏でるための神秘の宝玉。
――俺の肩幅が広いのは、王族としての威厳が物理的に溢れ出した結果。
「……よし。いける。まだいけるぞ、レナート」
翌朝。鏡の前で三倍盛りパッドの位置をミリ単位で調整しながら、俺は自分に強力な催眠術をかけていた。
昨晩、将軍の書庫で聞いたミミック・リザードの話。あれはただの自然界の神秘についての講義だ。将軍が俺の指を熱心に触っていたのも、単に帝国の軍人にとって『王国の骨格』が珍しかっただけだ。
そう。深読みは毒だ。
もし本当に正体がバレているのなら、今頃俺は冷たい地下牢で削る前のカビパンをかじっているはず。こうして最高級のシルクの衣服を身につけていられることこそが、バレていないという何よりの証明なのだ。
「姫様、お顔の色が少々…その、悲壮感に満ちておりますわ。もう少し『おほほ』という余裕をお持ちください」
マーサが冷たく言い放ちながら、俺のウィッグを整える。
「……マーサさん。俺、昨日気づいちゃったんです。…もしかして将軍様って、ものすごく『目が悪い』んじゃないでしょうか」
「……はい?」
「だって、どう見ても俺、男じゃないですか。それを『可愛らしい小鳥』とか言っちゃうあたり、視力に重大な問題を抱えているか、あるいは脳が肉の食べ過ぎでバグってるかのどちらかだと思うんです」
俺が真面目に推論を披露すると、マーサは一瞬だけ憐れみの視線を俺に向け、すぐに逸らした。
「……そうですね。閣下の目が悪いのか、あるいは姫様の『化けの皮』が厚すぎるのか。……どちらにせよ、今日は野外での昼食会だそうですわ。太陽の下では、室内よりも粗が目立ちます。気合を入れなさい」
(野外!? 太陽光!? やばい、青髭とかバレたらどうするんだよ!)
俺は慌てて、侍女たちが持ってきた特製の白粉を三度塗りした。
ここまで塗ったら、もはや顔というより『壁』に近い。だが、これくらいしなければ帝国の鋭い日差しには勝てない。
案内されたのは、城の広大な中庭にある東屋だった。
そこには巨大な鉄板が用意され、シェフたちが忙しなく立ち働いていた。
「…エルゼ、来たか。今日は一段と、顔が…白いな」
先に座っていたフェルディナンド将軍が、俺の塗り固められた顔を見て、一瞬絶句した。
「…うふ、ふ……。わたくし、日光に弱いのです。…王国のバラは、日陰でこそ美しく咲くものですわ。…閣下」
「…そうか。ならば、俺の影に入っているがいい」
将軍はそう言うと、俺を自分の隣の席に引き寄せた。
距離が近い。近すぎる。
将軍の放つ、鉄と香水の入り混じった男らしい香りが鼻を突く。
俺の心臓は再び「バレる、バレる」と激しい警告音を鳴らし始めたが――。
ジュゥゥゥゥゥッ!
鉄板の上で、暴力的なまでの厚切りにされた魔獣の骨付き肉が躍った。
滴る脂が火に触れ、鼻腔を狂わせるような香ばしい匂いが立ち上る。
(!!!)
警告音、消失。
俺の脳内は一瞬で『肉』という一文字に占拠された。
不安? 恐怖? そんなものは、この素晴らしい匂いの前ではカビパン以下の価値しかない。
「今日は、『岩塊牛』のスペアリブだ。岩のように固い外皮を持つ魔獣だが、その中の肉は驚くほど柔らかく、滋養に富んでいる」
将軍が自らナイフを執り、切り分けられた肉が俺の皿に置かれた。
骨の周りの一番旨そうな部分だ。
「……さあ、食べろ。…昨晩は、知恵熱が出そうだと弱音を吐いていたからな。体力をつけねば、俺の趣味に付き合わせることもできん」
(趣味…? やっぱり小動物の観察か? まあいい。今は肉だ!)
俺は淑女の皮をギリギリで繋ぎ止めながら、肉を一口食べた。
「!!!」
あまりの旨さに、白粉を塗った顔がヒビ割れるかと思った。
口の中で肉が解け、濃厚なコクのある脂が喉を通っていく。噛めば噛むほど溢れ出す旨味の洪水。
(生きてて良かった…! 身代わり万歳! カルヴァ王国のクソ姉貴、俺をここに行かせてくれてありがとう!)
思わず裏声で「美味しい、ですわ…」と漏らしたが、その声はもはや歓喜に震えていた。
将軍は俺のその様子を、まるで宝物でも眺めるような、どこか毒のある慈しみを湛えた目で見つめている。
「…エルゼ、口元に骨の破片がついているぞ」
「ひっ!?」
将軍の手が、またしても俺の顔に伸びてきた。
彼は大きな親指で、俺の唇の端をゆっくりと、指の腹の感触を教え込むようになぞった。
その瞬間、俺の喉が極限の緊張で大きく上下した。
「…お前の首筋は、動くたびに実に雄弁だな。…まるで、何かを必死にたえている戦士ようだ」
(戦士! 王女に対して戦士って、それもうアウトだろ! 気づいてるだろ!)
俺はパニックになりかけ、咄嗟に昨日以上の無茶な言い訳を捻り出した。
「……そ、それは……わたくし、王国の……『喉の筋肉で意思疎通をする一族』の末裔ですの! ……今の動きは、『幸せです』という意味の動きですわ! うふ、ふ、ふ…!」
自分でも何を言っているのか分からない。
しかし、将軍は一瞬の沈黙の後――。
「……ク。…クククク!」
低く、地を這うような笑い声を上げた。
彼は腹を抱えて笑うような男ではないが、その瞳には明らかに愉悦の色が浮かんでいる。
「……そうか。『幸せ』の合図か。……ならば、これからもたくさんその動きを見せてくれ。……お前が喉を動かすたびに、俺も『幸せ』を感じられそうだ」
(…笑ってる。死神が笑ってる。…これ、信じられたのか? こんなデタラメすぎる言い訳が、帝国の常識では通じちゃうのか!?)
俺は確信した。
帝国の人々は、軍事的才能はズバ抜けているが、女性というか、人間一般の生態に関しては驚くほど純粋無垢なのだ。
そうでなければ、今の説明で納得するはずがない。
(チョロい…! 将軍、まじでチョロい! 俺の適当な設定まで受け入れてくれるなんて、なんておめでたい男なんだ!)
一度そう思い込むと、俺の全能感は不死鳥のごとく蘇った。
昼食会の後、俺はすっかり上機嫌で城内を歩いていた。
すれ違う騎士たちが、俺の顔を見て「(うわ、今日、王女様の顔、白粉で真っ白だぞ)」「(しっ、あれは王国の『日陰のバラ』の伝統儀式だぞ。陛下からの通達を忘れたか)」「(そうだった。…でも、歩き方が完全に獲物を狙う猟師なのはどう説明すれば…)」「(あれは……『獲物を自ら仕留める強い母性』の表現、とかじゃないか?)」とヒソヒソ話しているのも。
遠くのバルコニーから皇帝マクシミリアンが、「喉で意思疎通…! ぶっ、ははは! フェルディナンドのやつ、あんなデタラメを真に受けるふりをして…性格が歪みすぎているぞ!」と、腹を抱えて崩れ落ちているのも。
俺の耳には、「さすが姫様!」「神秘的ですわ!」という、都合の良い幻聴に変換されて届いていた。
(よし。バレてない。完璧だ。…明日も肉、肉が食べられる。…この生活を維持するためなら、俺はどんな設定でも生やしてみせるぞ!)
俺は、自分が『崖っぷちのピエロ』であることにも気づかず、重いドレスをひるがえして、次の食事メニューを考えるべく自室へと戻っていった。
その背中を見つめる将軍フェルディナンドの目は、獲物が罠の奥深くで「ここは安全だ」と思い込み、丸々と太り始めたのを見届ける、残酷な飼い主のそれだった。
「…喉の筋肉で意思疎通、か。……次は何と言い訳するか、楽しみで仕方ないな」
死神の呟きは、柔らかな日差しに溶け、誰にも届くことはなかった。
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