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第9話:勘違い

続きは10時くらいにー

 目が覚めた瞬間、俺は自分が天国に召されたのだと確信した。


 頬に触れるのは、カビ臭いわらの感触ではなく、吸い付くようなシルクの枕。

 鼻をくすぐるのは、埃の匂いではなく、洗練された香油と…そして何より、どこからか漂ってくる、香ばしくも力強い食事の香り。


「…ふわぁぁ……。寝心地、最高…」


 思わず地声で伸びをして、俺はハッと正気に戻った。

 ここは帝国。俺は女。俺は王女。

 慌てて周囲を見渡すが、幸いなことに寝室にはまだ誰もいなかった。


(……バレてない。昨日の夜、将軍に首筋をガン見された時は寿命が三百年くらい縮まったけど、結局何事もなく朝を迎えられた。…ということは、帝国の『死神』も、俺の完璧な王女ムーブに騙されたってことだよな?)


 そうだ、そうに違いない。

 俺が鏡の前で「うふふ、おはようございます、お姉様」と裏声の練習をしていると、絶妙なタイミングで扉がノックされた。


「エルゼ姫様、お目覚めでしょうか。お召し替えと朝食の準備に参りました」

 

 入ってきたのは、マーサと数人の帝国の侍女たちだ。

 俺はすぐさま、王女モードに切り替え、しおらしくベッドの上に座り直した。


「…ええ、おはよう。…コホン。…おはようございます」


 カラスを飲み込んだようなハスキーな裏声。

 だが、帝国の侍女たちは顔色一つ変えず、うやうやしく頭を下げた。


「よくお休みになれたようで何よりです。さあ、まずはお顔を拭きましょう。…あら、姫様。随分と、…その、活気のある寝癖ですこと。やはり王国の方は、生命力に溢れていらっしゃるのですね」


 侍女の一人が、俺の頭からピョンと飛び出した、およそ王女らしからぬアホ毛を見て微笑んだ。

 俺は内心で冷や汗をかきながらも、必死に誤魔化す。


「そ、そうですの。王国の伝統的な…寝相、ですわ。うふふ」


 苦しすぎる言い訳だが、侍女たちは「まあ、伝統的な!」「素晴らしいですわ!」と何故か感心しきりだ。

 …帝国の人、意外と素直っていうか、ちょろい?


 それからの身支度は、驚きの連続だった。

 昨日と同じくコルセットで締め上げられるのは覚悟していたのだが、用意された下着はどれも驚くほど肌触りが良く、締め付けも絶妙に計算されている。


「昨日はお疲れのようでしたので、本日は少し余裕を持たせた仕立てにしております。その分、こちらの厚手のパッドで…その、王女殿下らしい『豊かさ』を演出させていただきますね」

 

 侍女たちはテキパキと、俺の胸元にどんどん綿を詰めていく。

 …これ、盛りすぎじゃないか?

 鏡の中の自分は、胸元だけが不自然に盛り上がった冬場の鳩のようになっていたが、侍女たちが「完璧ですわ!」「これぞ王女の風格!」と拍手喝采するので、俺も「そ、そうかしら。うふふ」と同調するしかなかった。


 そして、待ちに待った朝食の時間がやってきた。


 部屋の円卓に並べられたのは、昨日の粥を遥かに凌駕する光景だった。

 厚切りにされたベーコンがジュージューと音を立て、スパイスの効いたソーセージからは肉汁が滴っている。

 さらには、見たこともないほど黄色く輝くオムレツに、焼きたての白いパンが山盛りだ。


(…肉。肉だ。朝から肉だ!!)


 俺の目は、完全に理性を失った。

 だが、背後にはマーサの厳しい視線がある。

 俺は震える手でフォークを持ち、豆粒を扱うような慎重さでソーセージの端っこを切り取った。


「……うふ、ふ……美味しい、ですわ……」


 上品に、優雅に。

 そう自分に言い聞かせながら、俺は一口ずつ肉を口に運んだ。

 …旨い。暴力的に旨い。

 噛みしめるたびに、王宮で出されたカビパンの思い出が消し飛んでいく。


 すると、一人の侍女が心配そうに口を開いた。


「姫様、そんなに少しずつでよろしいのですか? 帝国の女性は、戦う男たちを支えるために、朝からしっかりお肉を召し上がりますのよ。さあ、こちらの特製ステーキもどうぞ。料理長が『王女様の立派な骨格(肩幅)を維持するために必要だ』と張り切って焼いたものですの」


 ……えっ、いいの?

 そんなにガツガツ食っていいの!?


 俺はマーサを振り返った。

 彼女は一瞬、眉をひそめたが、「帝国の習慣に合わせるのも…王女の務め、かもしれません」と、自分でも何を言っているのか分からないような顔で頷いた。


 許可は出た。

 俺は上品な振りをかなぐり捨て、ステーキにナイフを突き立てた。

 

 旨い。旨すぎる。

 口いっぱいに広がる肉の旨味。飲み込むのがもったいないほどの幸福。

 気づけば俺は、皿の上の肉をあっという間に平らげていた。


「ぷふぁぁぁぁ……! 食った食った! …あ、じゃなかった。……おほほ。……とっても、お腹がいっぱいになりましたわ」


 危うく地声でゲップをするところだったが、ギリギリで淑女の微笑みに戻した。

 侍女たちは「まあ、生命力に溢れていますわ!」「見事な食べっぷり!」「お皿が鏡のように綺麗ですね!」と、何故か感激して涙ぐんでいる。

 …本当に、帝国の人たちは優しい。

 


 食後の腹ごなしに、俺は城の庭園を散歩することにした。

 もちろん、マーサを連れてお淑やかな足取りで、だ。

 帝国の庭園は、王国とは比べ物にならないほど広大で、珍しい植物や噴水が並んでいる。


(…最高だな、帝国。バレなきゃこれほどいい場所はない。お姉様は今頃、離れでカビパンと格闘してるんだろうな。悪いな、お姉様。こっちは朝からステーキだ)


 鼻歌を歌いそうになりながら歩いていると、前方のガゼボ(東屋)に、見覚えのある大きな人影を見つけた。


 フェルディナンド将軍だ。

 黒い軍服を隙なく着こなした彼は、書類を広げて仕事をしていたようだが、俺の姿を見つけると、ゆっくりと立ち上がった。


(げっ、死神だ。…落ち着け、俺。今の俺は『ステーキ三枚を平らげた可憐な王女』だ。バレる要素なんて一つもない!)


「…おはよう、エルゼ。気分は、もういいのか」

 

 将軍の低く響く声。

 俺は精一杯の裏声を捻り出し、膝を折ってカーテシーをした。


「ええ、おかげさまで。…うふふ、昨晩の、お粥、とても、美味しかったですわ…閣下」

「そうか。……朝食も、随分と楽しんだようだな。頬に、ソースがついているぞ」

「ひっ!?」


 将軍が、指先で俺の頬をそっと拭った。

 その指が、一瞬だけ俺の唇に触れる。

 至近距離で見る彼の瞳は、獲物を値踏みするような冷徹さと、どこか熱っぽい光が混じり合っていて、心臓が爆発しそうになる。


「…たくさん食べる女は、嫌いではない。お前は、見ているだけで飽きないな」

「そ、そうですか。うふ、ふ…。帝国の方は、皆様お優しい、ですね」

 

 俺が震えながら答えると、将軍は不敵に目を細めた。


「優しい、か。そう見えるなら、それでいい。…ところで、エルゼ。その、…胸元の盛り上がりは、昨日よりも増していないか? 帝国の空気は、女性の体を成長させる魔法でもあるらしい」


 やばい。詰め込みすぎたパッドを突っ込まれた!


「…こ、これは、王国の、秘密の…成長期、ですわ! うふふ!!」

「ほう。秘密の成長期、か。…実に見事なものだ」


 将軍は、俺の必死な言い訳を鼻で笑うこともなく、むしろ感心したように頷いた。

 ……絶対にバレたと思ったのに、この人も意外とちょろいのだろうか?


「では、俺は訓練に戻る。…エルゼ。昼は、カルヴァ王国では手に入らない貴重な『魔獣のグリル』を用意させよう。楽しみに待っていろ」

「まじ…あ、いえ。…とっても、楽しみにしておりますわ!」


 将軍の背中を見送りながら、俺は心の中で勝利のポーズを決めた。


(勝った。…完全に勝った。死神将軍すら、俺の王女の仕草と詰め物で完璧に騙されている! しかも昼は魔獣の肉だ。…帝国ライフ、最高すぎるだろ!)


 俺は、自分が世界の中心にいるような全能感に包まれていた。

 周囲の侍女たちが「(閣下、あんなに楽しそうに笑って。あの王女(?)様、本当に面白いわね)」と小声で囁き合っていることにも。

 将軍が去り際に、俺のガニ股になりかけた足首を凝視していたことにも。

 そして、城のバルコニーから皇帝が望遠鏡で俺を見て、笑い転げていたことにも。


 全く、気づいていなかったのである。


「肉…魔獣の肉……うふふ、うふふふふ……」


 幸せな裏声が、帝国の青い空に響き渡っていた。


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


「今後どうなるの!!」


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