第7話「では、お願いしようかしら」
同じ頃、こちらは建設途中のビルの一角。
不動産バブルに隠れる形で東京湾の埋立地に建てられているこのビルは、外観はほとんど完成しているのですが、内装には手がつけられていない。
壁はなく、柱だけが並び、天井からは裸の蛍光灯、床はコンクリート剥き出しで。
そんなフロアの一角に背丈を超えるほどの大型モニターが設置され、前には長机がずらりと並び、20人ほどの若者が自席のディスプレイと睨めっこしていました。
「は〜い、全員ちゅうも〜く」
若い男が大型モニターの前で手を挙げる。
男の名前は陈庆彩。
取引先に行くわけでもないのにスーツを身につけ、耳にはインカム、左手にはモニターのリモコンを持っている。
「はい、ちゅうもーく」
二度目のかけ声で20人の若い男女は顔を上げる。
「今日は〝新事業〟の記念すべき 1日目だ。今日の出来栄え次第で君たちは天国にも行けるし、地獄にだって行ける。もちろん、俺は君たちに地獄になんて行ってほしくない。だから、まず俺が手本を見せる。よぉく見ておくように」
そして一番前に座っている男を指さすと
「繋いでくれ」
男がエンターキーを叩く。
「もしもし?」
高齢女性の声がフロア全体に響いた。
そう、絵色の声です。
* * *
「はい。こちら、日本データグループ特別相談窓口、担当のタナカでございます」
「あぁ、やっと繋がったわ。なんかパソコンに急に変な文字が出ちゃって……」
「すぐにご案内ができず申し訳ございません。たくさんの方からお問合せをいただいておりまして……。ですが、ご安心ください。私が問題解決のために全力を尽くしましょう」
「まぁ、ありがとう。心強いわ」
「では、まずお客様の身元確認のためにお客様のお名前と生年月日、それと住所もお伺いしてもよろしいですか?」
「はい。絵色一葉、19XX年YY月ZZ日。住所は東京都世田谷区ほにゃほにゃ……」
「ありがとうございます。ご本人様確認が取れました。絵色様の画面に出ましたのは、当社のセキュリティソフトが作動したことによります。パソコンをご購入された際にインストールされたと思うのですが、覚えておられませんか?」
「あぁ……私、パソコンには疎くて……、準備も全部息子にやってもらっていて……」
「そうなんですね。その警告文が出るということは、お客様のソフトウェアバージョンが古いために起こります。ですので、ソフトウェアのアンインストールとリインストールをしてください」
「ごめんなさい、カタカナで何が何やら……」
「そのままにしてもいいのですが、放っておきますと数日以内にパソコンのデータが全て消えてしまいます。それでもよろしいですか?」
「……それは困るわ。……ど、どうすればいいんででしょう」
「では、こういうのはどうでしょう。今から私どもの方でお客様のパソコンに遠隔で作業をさせていただくというのは」
「そんなことができるの?」
「はい。我々は常に最新の技術を使ってお客様にサービスを提供しております。もちろん、費用は全て無料です」
「では、お願いしようかしら」
「ありがとうございます。では、まず今から言うサイトにアクセスしてください。friendlyfriend.com。綴りも言いましょうか」
「いえ、綴りはわかるんだけど……このまま操作しても大丈夫? データが消えたりしない?」
「問題ございません。ですが、急いでください。データは今にも消えるかもしれませんので」
「わかったわ……。あっ、このサイトでいいかしら」
「そこにインストールと書かれたボタンがあると思います。それをクリックしてください」
「……クリックしました」
「ありがとうございます。では、今から私どもの方でインストールの作業を行います。たくさんのウィンドウが出たり消えたりしますが、作業によるものですので、決してパソコンにはお手を触れずにお待ちください」
* * *
「よぉし、お前ら。仕事の時間だ。ケツの皮をひん剥くくらい探し回れ!」
陈庆彩が声を張り上げると、瞬く間に大型モニターに口座番号、名義、そして預金残高がずらりと表示される。
陈庆彩が絵色にインストールさせたのは、ご想像のとおりパソコンを乗っ取るソフトです。
彼らはネットバンキングや金融機関のアクセス履歴を検索、1分も経たないうちに絵色の財産は全て陈庆彩の知るところとなりました。
「え〜とぉ、どれどれ」
品定めするような物言いで陈庆彩は資産一覧を眺める。
「老後資金に2000万、クレジットの上限は400万。まぁ、普通だな。株や証券は……あぁ、持ってねぇのかぁ。んで、あとは?」
ある画面を見て陈庆彩の口角が上がる。
「おぉい、見ろよこれ。2億1000万の預金だ! うわ、すげぇ、スッゲェぞぉ。めったに見れるもんじゃねぇ。名義は、あ〜なんかどっかの慈善団体っぽいけど。まっ、俺たちには関係ねぇ。物竞天择ってやつさ」
学校に通えない子供達を支援する団体を「どっかの慈善団体」よわばり。アァ、「外道」っていうのは、こういう奴らを言い表すためにあるんでしょうなァ。
人の道を外れたことに気づかない陈庆彩。ますます感情が昂ってくる。
「じゃあ、お前ら。最後の仕上げだ!」




