第6話「じゃあ、またね」
「おばさん、待っててね!」
飛び出したのが朝霧万里子でした。
通学途中だった彼女は、学生服にもかかわらず陸上選手顔負けのスピードで走り出す。
自転車との距離はみるみる近づきまして、ついには追いついてしまう。
これには二人組のひったくりも目が飛び出るほど驚きまして、かと思えば、
万里子が飛び蹴りを喰らわせる。
長い足から繰り出された蹴りは、二人に見事命中。ひったくり犯は自転車から横転し、その場にいた人たちに取り押さえられ、お縄と相成りました。
「大丈夫でしたか? カバン、取り返しておきましたよ」
「あぁ、ありがとう……ありがとう……」
カバンを渡す万里子に、絵色は涙を流しながら礼を言いました。このとき受け取った「ありがとう」が万里子の心をポカポカと温め、のちの進路選択にも繋がってくるのです。
「万里子ちゃん、最近テレビに出ててすごいわぁ。あなたが出てくるたびに私、お茶のお友達に自慢するの。『あの子が私を助けてくれたのよ』って」
「そんな……」恐縮する万里子ですが、その胸中は複雑で目を伏せてしまう。
絵色は変わらない調子で続ける。
「あ、そうだ。これ、万里子ちゃんにあげようと思ってたの」
彼女は着物と同じ柄のハンドバックから一つのお守りを取り出しました。橙の生地に紅葉の模様があしらわれており、真ん中には金糸で「御守」と書かれている。どこにでもありそうなお守りです。
「これ、万里子ちゃんにあげるわ」
「いえ、こんな……」
「いいから、ほら、もらって?」
なかば無理やり絵色はお守りを万里子の手に押し込めました。
「昔、私がひったくりにあったとき助けてくれたことがあったでしょう。それね、そのときカバンについていたものなの。京都の清水寺で買ったご利益も忘れちゃったものなんだけど、あのとき万里子ちゃんが助けてくれたのって、もしかしたらこのお守りがあったからじゃないかって最近思うようになって。それで、今度会ったときに渡そうと思ってたの」
「そんな大事なもの、余計受け取れません」
突き返そうとする万里子の手を、絵色は優しく包み込む。
「私はもう余生を楽しむだけだから。それよりほら、万里子ちゃんの方が大変でしょ。きっと、このお守りが必要になるはずよ」
さすがは五十年、中学で教鞭をとってきただけあり、若いものを説得するのはお手のもの。万里子は渋々これを受け取りました。
「じゃあ、またね」と足早に遠ざかる絵色を見送りながら、万里子はかつて感じた心がポカポカする感覚を思い出していました。
(そうだ。アタシが警察に入ったのって、周りにいる人たちを守りたいからだった。世間から注目されなかったからってなんだ、美貌とコネで這い上がったと言われたからってなんだ。アタシは、アタシのできることをやればいいんだ!)
しかし、運命というのは残酷なもので、この再会が縁となったのかはわかりませんが、
先ほど出会ったこの絵色という女性が、
次の被害者になるのです。
* * *
万里子と別れた絵色、まっすぐ自宅に帰る。
彼女の家は二階建ての一軒家で、五年前に夫が他界し、息子は地方に勤務しているもんですから、いまはここに一人で暮らしています。
着物から部屋着に着替え、リビングに置いてあるパソコンを起動する。お茶の稽古から戻った絵色の日課です。
絵色は茶を嗜むかたわら、「あおぞら育英会」という貧困層への教育支援を行うNGOの理事をしていました。彼女の元には毎日のように請求のハガキが届く。絵色はそれらの中身を確認し、団体の口座から送金をしていたのです。
立ち上がったパソコンの前に座り、ブラウザを開く。いつものようにネットバンキングにアクセスしようとすると、
『警告! お客様のパソコンで異常が検知されました。すぐにサポートに問い合わせてください』
フッとそんな画面が表示された。
パソコンに多少長けている方であれば、すぐに気づけるでしょう。
しかし、絵色は根っからのアナログ人間でして、満足にローマ字を打つことすらできません。件の文字が現れたら動揺してしまうのも必定。
「あら、どうしましょう」
すぐ別のページに移動すればいいものを、彼女は律儀にパソコンから手を離して警告文を熟読する。何が異常かわからないが、とりあえずサポートセンターに問い合わせれば大丈夫だろう。
そんな甘い思考で、指は表示された番号をダイヤルしていました。
* * *
同じ頃、こちらは建設途中のビルの一角。
「は〜い、全員ちゅうも〜く」
若い男が大型モニターの前で手を挙げる。




