第10話「ここですね」
「そんなこと言わずに、ちょっとこれを見てくださいよ」
松立は持ってたタブレットを张芷瑜の前に置く。张芷瑜は最初の方こそ目をつぶっていましたが、出されたものは見てしまいたくなるもの。次第に画面に目をやる。
「あんたたちがアジトを置く根拠は風水でしょう。だから、都内で有力な候補を絞ってきたんです。今からその場所を指さしますね」
そうして候補地に一つずつ
「ここ……、
ここ……、
ここ……」と指を置いていく。
张芷瑜は全く動じる様子を見せませんでしたが、最後に————
「……ここ」
反応を示した。
それはマジックミラー越しでことの経緯を見守っていた万里子でもかろうじてわかるほどの変化でした。
この张芷瑜という男、体格は大きいのですが瞬きを一秒間に五回はしてるんじゃないかというくらい目をしばたたかせていました。
ところが、松立が最後の地点を指さしたとき、彼の瞬きがフッと止まったのです。
思わず見落としてしまいそうなわずかな変化ですが、万里子は確信しました。
(そこだ!)
松立も同じことを思ったのでしょう。
「ここですね」
「……いや、ちがう」
张芷瑜は一度揺さぶられるとあとが弱いらしく、声が上擦っている。
「わかりました。ありがとうございます」
松立は取調室をあとにしますが、その表情は曇っている。
「なにか問題でもあるの?」
出迎える万里子に松立は最後に指さした場所を見せました。
そこは東京湾の竹芝埠頭と月島埠頭の間にある人工島。西には首都高一号線、東には朝潮運河、北には浜離宮庭園の富士見山、そして南には東京湾と四神相応を満たしている。
問題は、この島です。
「ここは『大陸埠頭』————事実上の、中国領です」
* * *
話は遡りまして15年前。
竹芝埠頭と月島埠頭の間に妙な建造物があると、伊豆諸島へ向かうフェリーの乗員から警察へ通報がありました。
その後、警察が捜査を進めていると、なぜか外務省から捜査うち止めの要請が。
これはなんらかの政治的圧力がかかっているに違いない。そんな憶測も飛び交いましたが、この世界で長生きしたけりゃ目をつぶらなきゃいけないこともあるってもの。事件は幕を閉じようかと思われましたが、
当時の読物新聞社会部記者であった好田華和が、裏に日本政府黙認の中国国有企業による開発が行われていることを暴露したのです。
これには反中勢力含め多くの国民が憤り、当時の八代醍内閣の支持率は急落。最終的には総理の職を辞することになりました。
その後、総理が変わり解散総選挙を経ると、忘れっぽいのがこの国の国民性とでもいうのでしょうか。今では「大陸埠頭」と揶揄されながらもその存在は黙認され、一部の弁護士団体を除いて説明責任を追及する者はいなくなってしまいました。
* * *
「とりあえず裁判所に令状請求はするとして、あとすべきは警察庁への報告。あと外務省と内閣官房、海上保安庁への連絡よね」
「海上自衛隊まで応援を求めなくて大丈夫ですか?」
「そんなことしたら〝相手側〟が黙ってないわ。最悪のケースだって考えられる。外交的にも国内の出来事であることをアピールしないと……」
「しかし、主任。裁判所が素直に応じますかねぇ」
「証拠と言ったって张芷瑜の証言だけでしょう」
「もっと念入りに捜査したほうがいいと思いますけど!」
* * *
年上部下からの慎重意見も相まって紛糾した緊急捜査会議を終え、万里子が向かったのは警視庁記者クラブでした。
「主任だ」
「深夜でも美しい……」
「どうしてこの時間に?」
各社の記者たちが万里子に注目するなか、彼女は
「読物の松立記者はいる?」
「えぇ、読物の人らなら、1時間前からあそこに立てこもってますぜ」
記者の1人が指さした場所は、記事の執筆や内密の連絡をする際に使用される個室の扉で、扉の前には2人の記者と(そのうちの1人は万里子に松立の正体を明かした新人だった)、編集長の好田が仁王立ちしていた。
「彼はこのなか?」
扉を開けようとする万里子を吉田が止める。
「主任さん、邪魔しないでくれますか。アイツはいま、記者として大切な〝裏どり〟をしてるんです」
確かに、誰かと話しているのか、扉の奥からはブツブツブツブツと松立の声が聞こえてくる。
「裏どり? どこに」
好田は鋭い眼光で万里子を睨むと、
「まぁ、あんたには話してもいいか」と、残りの2人に見張りを任せて万里子を外へ連れ出しました。
* * *
警視庁本部庁舎から出て桜田通を渡り、桜田門の前まで来る。
深夜の時分ですから、周囲に人影はなく、誰かが盗み聞こうと思えばすぐに見つかってしまいそうな場所でした。
「えっ? いまなんて?」
読物新聞編集長の好田の言葉に我が耳を疑った万里子。もう一度、尋ねる。
「ですから、アイツが電話してるところですよ。おそらく、
中国国家安全部です」




