第5楽章【蛍の光】
「この駄菓子屋、閉店するのか」
聞き慣れた声が聞こえたので、私はそちらを見る。するとそこには、春松さんの姿があった。
「どうしたんですか?」
「ん? ああ、海歌ちゃん。……ほら、この張り紙」
指を差されたその先を見る。するとそこには確かに、「閉店のお知らせ」と書かれてあった。
私はこの駄菓子屋にあまり馴染みはないが、どうやら閉店してしまうらしい。理由を見ると、年齢的に店主の体調がいつ崩れるか分からず、運営し続けるうえで不安だから。ということらしい。まあ、年齢なら仕方ないよな。
「寂しくなるなぁ。よくお世話になってたから」
「そうなんですか?」
「うん、実幸が『100円しか持ってないけど、あのお菓子もこのお菓子も食べるの~!』って泣き喚いたことがあってな。特別にちょっと値段を下げて売ってもらったことが……」
「おねぇ……本当恥ずかしい」
「ははは、ほんとになぁ」
そう言いつつ、春松さんはどこか楽しそうに笑っている。流石、余裕だ。
「で、そんなこの店のお別れパーティーが開催されるんだってさ」
「へぇ……」
「皆で『蛍の光』歌うらしくて、俺も参加するんだけど」
「……」
なんか、嫌な予感。
「海歌ちゃん、良ければ伴奏してみない?」
小学生の頃だ。学校では毎年秋頃に合唱祭が開催されているのだが、私はそこで伴奏者に選ばれたのだ。クラスでピアノが出来るのは私だけだったし、全会一致だった。
そこで私は……まあ、伴奏者以上のことをしてしまったんだと思う。皆の歌が気になって、色々意見を言ってしまったのだ。そして……私の言葉に傷ついたらしく、とある女の子が泣いてしまった。
そこからは早かった。私は周りの子から責め立てられ、当然合唱なんて出来るはずもなく。結局先生たちが間に入り、私は伴奏を外れた。「小波さんは皆といい合唱がしたかっただけなのよね」と先生に理解されたことだけが学校内の救いだった。
もちろんその騒動は家族にも伝わり、合唱祭の日は学校を休んだ。まあ私が居たら他の子もやりづらいと思うし。その日は家族で出かけて、楽しかったな。
私は学んだ。音楽にはレベルがある。そして中程度で満足する人の方が多い。だけど私はそれを許せない。許せないのなら、関わらなければいい。私が満足いくくらいの上手さになることを望んでいない相手とは、初めからやらない方が良い。
……私は、1人で良い。
そのはず、だったんだけどな。
最近の私はおかしい。バンドに交じって、バイオリンと演奏をして、音痴の子に歌を教えて……自分から誰かに、演奏をしたいと伝えて。
「おねぇ」
私が声を掛けると、彼女は振り返る。いつも通り人懐っこい笑みを浮かべる、私と対極の場所にいる、私の姉。
「なぁに?」
「いつまでも昔のことを気にする私は、馬鹿だと思う?」
そう尋ねると、おねぇは少し驚いたように目を見開く。しかしすぐに首を横に振った。
「ううん、何もおかしなことじゃないと思う」
「……」
「海歌は間違ってないよ。より良い演奏をしたいと思うことも、そのせいで言葉に熱が入ってしまうことも。……でもね、相手の子も間違ってなかったんだと思う。楽しくやりたい、ってだけの子には、技術はそこまで重要じゃないから」
「……うん」
「だから仕方のないことだと思うんだ。大事にしていることが噛み合わなかった。それだけだから。……でもそれで海歌が『ずっと1人で良い』っていうのを選択するのは、すごくもったいないと思う」
おねぇはこちらに近寄る。そのまま私の手を取ると、愛おしそうに指先で撫でてきて。
「だって、海歌のピアノはとっても素敵なんだもの。一人占めなんてズルい!」
「いや、聴かせてるじゃん……」
「そうだけど、そうじゃないの!! ……だって、海歌も感じたでしょ? ──誰かの音楽で、自分の音楽も変わっていく感覚を」
目を見開く。誰かの音楽で、自分の音楽も変わっていく瞬間……。
ライブハウスで感じた熱。ストラディバリウスの重厚感。周りを導く歌声。重なり合う音楽。
あの全てが、私の中で息をしている。
「海歌の音楽は、きっと色んな人の心を動かすよ。そして貴方も同じように、誰かに心を動かされる。……1人じゃ出来ないことだよ。だからね、海歌の音楽がもっとも~~~~っとすごくなるには、やっぱり1人で音楽をやるんじゃもったいないと思う!!」
心臓が大きく高鳴る。緊張、躍動、血が巡り、叫びたいような衝動。
「……そうだね、この感覚は、私1人じゃ得られないものだ」
おねぇの手を握り返す。温かい。いつも私を隣で支えてくれていた手だ。
「ありがとう、おねぇ」
私がお礼を言うと、どういたしまして!! とおねぇは相変わらずの笑顔で頷いた。
「あ、小波海歌」
「あ、影太郎」
名前を呼ばれたので顔を上げると、そこには月宮先生の孫、サックス奏者の影太郎の姿があった。すると彼は不機嫌そうに眉をひそめて。
「なんで呼び捨てなんだよ。俺年上だぞ」
「……影太郎〝さん〟って感じじゃないでしょ、なんか」
「なんかってなんだよなんかって」
「ていうか、あんたも参加するの?」
「はぁ……この店の店主とじいちゃんが友達だから、そのよしみ」
反論を諦めたらしい。彼は深々とため息を吐くとそう答えてくれる。なるほどね、と私は頷いた。
「あ……小波さん」
するとまた名前を呼ばれる。そちらを向くと、そこには羽場さんの姿があった。そして私が何かを言うより早く。
「は、羽場葉都……」
「……あんたって、専門外の奏者にも詳しいのね」
「いや、羽場葉都も有名人だろ……」
「あ、あんまり目立ちすぎたくはないのですが……」
言い合う私たちの前で、羽場さんが恥ずかしそうにそう返す。
「ここにいるってことは、羽場さんも参加するの?」
「うん、私もこの駄菓子屋にはよく通ってたし……少しは人目にも慣れてきたから」
羽場さんはあれ以降もあがり症を治すために頑張っていると、小耳には挟んでいた。どうやらそれは本当らしい。
「あっ、小波さん~っ! 久しぶり」
「うわっ」
「あ~!? なんで避けるの!?」
嫌な予感がしたので一歩横にずれる。すると予想通り、そこに突っ込んできたのは原木さんだった。後から桜さんを始め、他のバンドメンバー3人もやってくる。
「日向、小波さんお話してたんだから、邪魔しないよ。……ごめんなさい、小波さん」
「ああ、いや……慣れてるから大丈夫」
主にうちの姉で……。
桜さんは日向さんの首根っこを掴んでその場から立ち去る。ここにいるということはやはり、彼女たちもお別れパーティーに参加するのだろう。
「な、なんか、すごい人でしたね……」
「まあバンドやるなら、あのくらいのガッツはないとなのかもね」
「コメントが適当すぎだろ」
そんなことを言い合っていると、合唱クラブの子たちも到着したらしい。その中には扇菜さんの姿もあり、私と目が合うなり大腕を振って来た。私は苦笑いを浮かべ、小さく手を振り返す。小学生って元気だな……。
気づけば練習会場には、まさに老若男女、大勢の人が集まっていた。それだけあの駄菓子屋は愛されていたのだろう。
……そして。
──そして私は、この人たちの伴奏を務める。
それなりに大人数で全員で日程を合わせるなど、1回出来るか出来ないか程度だ。だからそれまでは主に個人での練習、本番直前に全員で併せる、ということになっていた。そして今日はその、唯一の練習日である。しかもそんなに時間はない。
指揮はおねぇ。伴奏である私と併せやすい人が良いだろう、ということでおねぇになった。
で、併せてみたけど。
「……真ん中壇の左から5人目あたりの人、ちゃんと口開けて。見栄えが悪い」
「真ん中壇の左あたりの方、にーって笑顔になりましょうか! ……そうそう! いい笑顔ですよ~!」
「……最前列の右端の人、声デカすぎ。歌っていうか叫び声みたい。もっとフレーズ意識して」
「最前列の右あたりの方、もう少し流れる~ように、よりお淑やかに歌ってみましょうか!」
私がズバズバ出していく文句を、おねぇがなんかいい感じに言い直して注意してくれる。……やっぱり、こういうところだなと思った。彼女の周りに、自然と人が集まるのは。
「皆さん、と~ってもいい感じですよ! ……それじゃあ皆さん、メロディーの良さや歌詞の意味、駄菓子屋さんとの思い出に浸かりながらまた歌ってみましょうか!」
おねぇがそう言って指揮棒を構える。皆がおねぇを見つめている。光り、導く人。
おねぇが振り返り、私を見る。私が頷くと、彼女はしなやかに手首を動かした。
練習日から数日後、遂に本番がやって来た。
前行った公民館の音楽ホールの、更に一回り大きな音楽ホールを借り、そこに駄菓子屋の店主さん……鳳さんを呼んだ。ちなみに老人ホームに引っ越した月宮先生も外出して来てくれて、彼らの前で私たちは合唱を披露する。
練習通りに並び、私は椅子の高さを調節し、鍵盤を軽く撫でる。よろしくね。
そうして椅子に座って斜め上を見上げると、指揮台に立つおねぇと目が合った。それを見るとおねぇは手を振り上げる。全員の視線がおねぇに注目し、そして。
私が伴奏を弾き始める。ゆっくり、丁寧に。伴奏は歌う人にとってのライン、揺るぎない土台となるべきだ。
重なった美しい歌声が伴奏に合流する。うん、練習の成果が出ている。皆の歌声は安定しているし、音程を外している人もほとんどいない。これなら……。
だけどそこでふと、誰かの歌声が崩れた。……泣き声だった。啜り泣き、声が震える。音が、離散する。
そしてその啜り泣きはどんどん広がり、感極まった人はもうほとんど声が出なくなくなっていた。
もう練習の時とは全然違う合唱だ。こんなもの、〝完璧な音楽〟とはほど遠い。
──けど。
思う。これは胸を打つ音楽だ。完璧じゃない。出来が良いとは口が裂けても言えない。でも……この涙を含め、これは彼らの音楽だ。
この涙に込められた彼ら1人1人の思い出が、声を張り上げて歌っている。
私は、あの駄菓子屋に思い入れなどない。あそこで春松さんが立ち止まっていなければ、知る由もなかった場所。だけど、今なら分かる。あそこは、愛されていた皆の居場所だったのだ。
音が私の心を打つ。自然と涙が零れて、でも手は止めなかった。
2分と少しの合唱。おねぇが最後まで指揮を全うし、合唱が終わる。振り返ったおねぇは、優しく微笑んでいた。
「ありがとう。とても素敵な合唱だったよ」
拍手をし、柔らかく笑いながらそう告げる鳳さん。わっ、と彼らは声をあげ、ステージから降りて鳳さんに駆け寄る。
私は目尻に残る涙を拭いながら、それを見つめていた。
「海歌っ! お疲れ様♪」
「……おねぇ」
私は慌てて涙を拭いきると振り返る。そこには指揮棒を片手に微笑むおねぇ、そして少し下瞼を赤くする春松さんがいた。
「伴奏、すごく良かったよ。声を掛けて良かった」
「あ……ありがとうございます」
春松さんにそう褒められ、少し恥ずかしくなりつつお礼を言う。そうだ、春松さんが声を掛けてくれたから、私はこの体験をしたんだ。
誰かと音を重ねること。誰かの音楽を受けて、私の音楽が変わっていくこと。〝完璧〟じゃなくても、気持ちを届ける音楽があること。
音楽に、模範解答はない。だから自分が信じる方に歩かないといけない。……私の今まで歩く道は、きっと狭かった。でも、今は……。
「……2人とも、ありがとうございます。私、新しい景色が見えた気がするから」
私がそう言うと、2人は顔を見合わせた。そして小さく吹き出すと。
「私たちは何もしてないよ。ねぇ夢?」
「そうだな。それは、海歌ちゃんが自分の力で辿り着いたものだよ」
とぼける2人に、思わず私も笑う。本当、この人たちは……。
私たちの笑い声が、どこまでも天に昇っていく──そんな感覚がした。




