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第4楽章【This moment that connects with you.】

「ねぇ、海歌って昔のことまだ気にしてる?」


 とある休日の昼下がり、おねぇに唐突にそう切り出された。前置きも何もなかった。


「……何、藪から棒に」

「うーん、なんかそうなんじゃないかなぁって思って」

「……答えになってないんだけど」


 私は目を逸らす。昔のこと……言わずもがな、あのことだろう。あの時は、親にもおねぇにも心配をかけたと思う。


 でも別に、そんな大事おおごとじゃない。本当にちょっとしたトラブルだ。……私の練習スタイルと、他の子の練習スタイルが合わなかった。それで口論になった。それだけの話。


「ほら、海歌、あれ以降1人でピアノをやることに拘るじゃん」

「……1人でやる方が性に合ってるだけ」

「そう? 一緒にバンドしたり、バイオリンと演奏したり、歌に合わせてピアノ弾いたり……見てるけどなぁ?」

「……結果論でしょ」

「結果が全てだよ」


 言い返す言葉を失くす。おねぇの顔が見れない。


「……私は、1人で良い」


 ……またああいうことになるくらいなら。


「……そっか」


 おねぇは優しく相槌を打つ。すると、ふと右手に灯る温もり。顔を上げると、そこには笑顔で私の手を握るおねぇがいて。


「案内したいところがあるんだ。おいで」


 その顔を見てしまったら何も言えなくなってしまって、手を引かれるまま私は立ち上がった。





「ああ、海歌ちゃん。こんにちは」

「こ、こんにちは、春松さん。あの、これは……」

「うーん、暇潰し?」

「普通にバイトでしょ?」

「……ま、普通にバイトだ」


 涼しい顔で暇潰しだと言い放つ春松さんに、おねぇが少し呆れたように言い返す。すると春松さんはまた涼しい顔でそれを肯定した。

 連れていかれたのは、とある一軒家。玄関は開けっ放しになっており、荷物を持った人たちがこまめに出入りしていた。


 えーっと……引っ越しのバイト……?


「話は通してあるから、まあ入れよ」

「ありがとう。……海歌、行こっ!!」

「えっ、ちょ、おねぇ!?」


 春松さんは親指で家の方をクイッと指し示す。おねぇは笑って頷くと、私の手を大きく引いた。





 中は物が少なかった。いや、もうほとんど無だと言ってしまっていいだろう。やっぱり引っ越しの途中らしい。

 そして連れていかれた部屋の真ん中、そこには1人のおじいさんがいた。


 彼は顔を上げると、細めた目を少しだけ見開く。そりゃ、突然家に知らない人が来たら戸惑うよな……いや、春松さんが話は通したとか言ってたっけ。そんなことをグルグルと考えていると、おじいさんが口を開いた。


「実幸ちゃん、海歌ちゃん、久しぶりだね」

「はいっ! お久しぶりですっ!」


 その言葉に戸惑う私の横で、おねぇが意気揚々とそう挨拶を返す。思わず横を見ると、彼女も同じように私を見つめていた。


「海歌はまだ小さかったからあんまり覚えてないかもしれないけど、私たちが最初に行ってたピアノ教室、覚えてる? そこの先生だよ」

「あ……」


 記憶はない。ただ事実としての記憶があるだけだ。……私たちは最初、違う教室に行っていたのだけれど……そこの先生が「自分に習うより別の先生に習った方が良い」と、私が今通っているピアノ教室を紹介してくれたと。

 名前は……そう、確か……。


月宮つきみや先生……?」

「はい、月宮つきみや誠二郎せいじろうです」


 大きくなったねぇ、とその後に言葉が続き、ありがとうございます……? と言うしかなかった。お世話になったのには違いないのだろうが、なんせ記憶がない。

 で、私はなぜ月宮先生のところに連れて来られたのだろう。


「それで月宮先生! 今日は……」

「ああそうそう、今日はこれを見てほしくてね」


 すると実幸が私の心を読んだようにそう切り出す。月宮先生は手を叩くと、近くにあった古い菓子缶を私たちに差し出した。


 おねぇは動きそうな気配がなかったため、私が受け取る。月宮先生を一瞥すると彼は頷いたので、私は蓋を開ける。……そこに入っていたのは、1つのカセットテープだった。


「これは……?」

「亡くなった妻の物を整理していたらこれが出てきてね。聴きたいのだけれど、生憎この家にはカセットテープを再生できる機械がないんだよ」


 手に取って、ひっくり返してみる。そこには1枚のラベルは貼られていた。



 ──【人類と心が重なった瞬間】。



 どういうことだろう、と思う。確かにこれはどんな音が録られているのか、興味も出てくる。


 カセットテープってどこに行けば再生できるんだろう、と考え始めると……。


「おいじいちゃん、荷物全部運び終わったみたいだけど……って、なんだよお前ら!?」


 新たな声が割って入る。振り返るとそこには、大きな楽器ケースを背負った男性が立っていた。


「あ、こんにちは~」

「いやこんにちはじゃなくて!! 不法侵入、通報……!!」

影太郎えいたろう、私の客だからそう警戒しなくても良いよ」

「な、じいちゃんの?」


 男性──影太郎と呼ばれていた──は戸惑ったように私たちを見つめる。明らかにその瞳には「こんなチビたちが?」と書いてあって、まあ違うにしろ失礼なことを考えられているのは一目瞭然だった。それを悟り、思わず少しだけイラっとしてしまう。


「私は小波実幸です! よろしくお願いします! こっちの可愛い子は私の妹の小波海歌です!」

「小波海歌って、あの小波海歌か?」

「……何、文句ある?」

「いや、有名人だろ。……なんで苛ついてるんだよ」

「別に」


 確かに私はよく世界に出るし、有名人だと思うけど、でもそれは界隈内だけの話だ。……こいつ、楽器ケースも背負ってるし……界隈内のやつ?


 なんとなくバチバチ睨み合っていると、ひょこっとおねぇが間に入ってきた。


「仲良し!」

「いや今の何を見てそう思ったの……」

「まあそれはそうとして」

「切り替え雑すぎない?」

「カセットテープ、使えそうな場所に心当たりあるの! 皆で行かない?」

「カセットテープ……って、ばあちゃんの?」

「知ってるの?」

「……いや、別に……」


 おねぇがカセットテープという単語を出すと、影太郎が分かりやすく反応する。聞き返したが、返事は濁された。……なんなんだ?


「影太郎、お前も一緒に来なさい」

「え!? なんで俺も……」

「演奏にハリがないと詰まっているんだろう? 何かヒントが得られるかもしれないよ」

「……」


 月宮先生にそう言われ、影太郎は気まずそうに目を逸らす。そう言われるということは、やっぱり音楽をしているやつらしい。


「それじゃあ皆で、レッツゴー☆」


 おねぇがその場の空気全てを切り裂く明るい声で、そんな掛け声を出す。もちろん続ける人は誰もいなかったけど。





 そうしてやってきたのは、公民館だった。平日ということもあり中はガラガラで、人は全然いない。いや、日常的に来るわけじゃないし、いつもの混み具合とか知らないけど……。


 おねぇは受付のお姉さんと何かを話すと、差し出された書類にさらさら~と何かを書き込む。


「おねぇ、何するつもりなんでしょう」

「まあ、すぐに分かると思うよ」


 バイトを終えたらしい春松さんも行き途中で合流し、私の隣でそんな風に言って笑う。流石、おねぇと長年一緒に居るだけあって余裕だ。


 そうして待っていると、遅れて月宮先生と影太郎もやってきた。月宮先生は足が悪いから、私たちが先に来て申請など時間が掛かりそうなことは済ましておこう、ということだった。


「終わったよ~!」


 丁度いいタイミングでおねぇも申請を終わらせたらしく、こちらに駆け寄ってくる。その手にはラジカセがあった。


「じゃ、音楽ホールに移動しよっか!」


 なるほど、申請に時間がかかっていたのはそっちらしい。


 というわけで音楽ホールに移動。やはり別に大都会ってわけでもない町の公民館だから、そこまで大きな音楽ホールではない。だけどこの人数が入るには十分だ。


「それじゃあ再生しましょうか!」


 ステージのど真ん中、床におねぇがラジカセを置いてそう宣言する。ざ、雑……。

 まあ他に置くところもないのも事実だ。私はため息をついてから、カセットテープをセットする。いや、嘘だ。セットの仕方が分からないから春松さんにやってもらった。


 再生ボタンを押す。ジジ、ガザ、とノイズ音が響き、そして──。


『準備は良い?』


 女性の声が響く。ノイズ交じりで、クリアではないけれど。


『録音開始してから言うことじゃないだろう』


 次に男性の声。私だ、とすぐに月宮先生が言った。


「ああ、この時の」

『あはは、それもそうだね。……まあいっか! 始めるよ!』


 女性が笑いながらそう告げる。そして流れ出したのは。


 ──音楽。


 まずはドラムのソロ。激しく打ち鳴らされる音はカセットテープに収まりきらず、音割れを起こしていた。でも……悪い気はしない。体を揺さぶられ、心臓が高鳴る。


 ソロが終わると、ドラムはリズムを刻み始める。するとピアノの音が出てきた。ドラムが基盤となり、メロディが流れ出す。叩くような、跳ねるメロディ。


 なんとなく、分かる。これは月宮先生のピアノだ。


 しばらくドラムとピアノの二重奏だったが……ふとトランペットの音が入り始める。そしてチェロ、サックス、ボンゴ、誰かの歌声、誰かが足を踏み鳴らす音。


 気づけばもう何人いるか分からない、重奏となっていた。


「……懐かしいなぁ。妻とストリートで演奏をしたことがあってね、その時……楽器を持って他の人も演奏に加わってきたんだ」

「えっ、知ってる人ですか?」

「いいや、その場で初めて会った人だよ。……気づけば数えきれないくらいの人になっていてね。皆楽器を弾いたり、歌ったり踊ったり、収拾が付かなくなったよ」


 春松さんの問いかけに、月宮先生はそう言って笑う。知らない人が、月宮先生たちの音楽を拾って……。


「確かに、そうだね。これは間違いなく──【人類と心が重なった瞬間】だ」


 演奏が終わる。音割れした拍手や指笛が響き、そこで音源は終了した。

 途端に静かになる音楽ホール。さっきまで音楽があったからこそ、その静寂はよく響いた。


 ……まだ、心臓がドキドキしている。


 今のやつは、いわゆる「ジャズ」だ。即興演奏が主流の、限りなく自由な音楽。

 気づけば私は口を開き、告げていた。


「私……ピアノが弾きたい」


 4人の視線がこちらに集まる。その視線を受けて、私は肩を震わせた。


「あ……その、私……」

「──いいな、じゃあ俺は打楽器でもやるか」


 すると賛同してくれる人が1人。春松さんがこちらに笑いかけ、思わず頬が熱くなるのを感じた。


「はいはーい! 私は音楽センスがないので、踊ります!!!!」

「自分で言ってて悲しくないのか、お前」

「全然! 適材適所だよ!」


 おねぇはそう言って歯を見せて笑う。相変わらずポジティブだ。


「ではせっかくだ。私も、海歌ちゃんの隣で弾かせてもらっていいかな?」

「月宮先生……はい、もちろん大丈夫です」


 私は迷わず頷く。そうと決まれば、と舞台裏を見てみたりステージ上にあるピアノの調子を確かめた。タンバリンしかなかったわ、と苦笑いを浮かべる春松さんに、頑張れ~と手を叩くおねぇ。軽い……。

 ピアノは問題なさそうだ。私は舞台裏から椅子をもう1つ持ってくると、既にあった椅子の横に置く。元からあった椅子に月宮先生が座って、私は持ってきた方の椅子に座った。


「俺はいい感じに合わせるよ。海歌ちゃんのやりたいようにやってほしいな」

「……分かりました」


 春松さんに促され、私は頷く。隣に座った月宮先生を見ると、彼は小さく頷いた。


 鍵盤に指を押し込む。まずはゆっくり、焦らず。……だけど徐々に、このドキドキを音に込めて。

 ジャズはやったことないけど、気持ちを音に乗せることなら得意だ。


 すると隣にいる月宮先生が弾き始める。走っていく私の想いに、優しく沿うように。優しくて、温かい音。


 月宮先生の音が入ったことにより、音のスピードが落ちてゆったりになってくる。そのタイミングを狙ったように、しゃらら、とタンバリンの音が鳴った。そちらを見ると春松さんが優しく笑っていて、隣ではおねぇが踊り始めている。2人は顔を見合わせ、楽しそうにしていた。


 鍵盤に視線を戻し、まだ足りないな、と思う。もちろんピアノと、タンバリンと、ダンスだけでも十分いい。だけどもっと、ハリのある音が──。

 顔を上げる。影太郎と目が合った。


 私は視線で「お前もやれ」と言う。するとそれを受け取ったらしく、彼はぎょっとしたように目を見開いた。……だけどすぐに楽器ケースを下ろしたのを見るに、一応入るタイミングを窺っていたらしい。慣れた手つきで組み立てたのは──金色こんじきに輝くサックス。マウスピースを咥え、力強く息を吹き込んだ。

 ……うん、やっぱりハリが出る。


 影太郎のサックスはとてものびやかで、空に向かってどこまでも音が広がっていく。そんな感じがする。聴いていて気持ちがいい。


 ……それに、なんかさっきまでは湿った顔してたのに、今はその表情が晴れた気がする。そのお陰で、音もより良くなっているみたいだ。


 私と月宮先生のピアノに対抗するよう、サックスが挑戦的な音を出す。整っていなくて、どこか棘があって、でも──すごく面白い。そんな音。

 私も対抗するようにそのメロディに乗った。すると影太郎は「これに付いて来たのか」と言わんばかりに驚いたように目を見開いて、でもすぐに音を返してきた。だがすぐに月宮先生が音を返す。家で会った時の穏やかな雰囲気とは裏腹、それはとても荒々しく、情熱的で……影太郎のサックスの音と、よく似ていた。


 2人は楽しそうに音の応酬をし合う。すぐ傍で見て、こんなにも胸が、熱い。


「海歌、海歌も一緒に踊ろ!」


 するとそこで横から声が掛かる。そこには私に手を差し出すおねぇの姿があって。気づけば私は2人の演奏に見惚れ、自分が演奏をすることを忘れていたらしい。

 私は少し迷って、その手を取った。たぶん今は、この2人だけの演奏の方がいいと思うから。


「私ダンスとか分かんないんだけど」

「そこは音楽に合わせて、ノリと勢いだよ!」

「ふふ、何それ」


 おねぇの言い分に思わず笑いながら、私たちは手を取り合って踊る。春松さんのタンバリンを使わせてもらったりもして、私たちの笑い声が混じって、情調も何もない、しっちゃかめっちゃかの音楽が響いていた。

 だけど──本当に楽しい。


 あのカセットテープの中にある音楽には届かないかもしれない。でも今の私には、これが【人類と心が重なった瞬間】に思えて止まないのだった。





「ありがとう。あの瞬間の音楽を、もう一度味わうことが出来て良かった」

「いえいえ! 私たちも、す~~~~っごく、楽しかったです!」


 月宮先生がそう言うと、おねぇが満面の笑みを浮かべてそう答える。その隣で、私も小さく頷いた。

 すると月宮先生がこちらを見て、口を開く。


「海歌ちゃんのピアノを聴いたのは、教室を移る前以来だけど……本当に上達したね。私のピアノに後れを取らないとは」

「いえ……私なんて、まだまだです」


 2人の演奏を見て、思わず手を止めてしまった。邪魔をしないという意味もあったが……混じることも出来たんじゃないかと思う。そこで手を止めてしまったのは、やはり実力不足だからだ。

 私は影太郎を見上げる。……こいつも、ただサックスを背負ってるだけのやつじゃないって、十分分からされたからね。


「なんだよ、こっちをじっと見て」

「……別に。悪くない腕前だったんじゃない?」

「年上に対して随分偉そうだなオイ……」


 影太郎はそう言ってジト目をこちらに向けてくる。しかしすぐに、真剣な表情になった。


「……俺からも、ありがとう」

「……え? 何、急に」

「いや……そういえば俺が音楽始めたのって、ばあちゃんが聴かせてくれたあのカセットの中の音楽が理由だったなって、思い出せたから」

「あんた、あの中身知ってたってこと?」

「思い出したのは聴き始めてからだよ。……あの時の楽しい気持ちがぶわって蘇ってきて……呆然としてたんだけど、あんたのピアノが掛かって来いって言ってきてるみたいだったから、居ても立ってもいられなくなった」

「ただボーっとしてただけじゃなかったのね」

「なんか言い方にいちいち棘があるな……とにかく! 音大の教師から最近、ハリがないって指摘されることが多かったんだけど……なんか、勘が取り戻せた気がする。だから、ありがとう。──俺のサックスを、引きずり出してくれて」


 影太郎はそう言ってニッと笑う。屈託のない笑みに、私は思わず吹き出すように笑った。


「次ぼさっとしてても、引きずり出してやらないんだからね」

「心配するなよ、もう迷ったりしねぇから」

「へぇ、どうだか?」

「はは、2人とも息ピッタリだな」

「仲良しだねぇ」

「「別に仲良くない!!」」

「あはは!! やっぱり仲良しだ~!!」


 私と影太郎のことを、春松さんとおねぇがそんな風に言って笑う。すると月宮先生も笑い出してしまうものだから、私と影太郎も釣られて笑ってしまう。

 ホールには私たちの、楽しい笑い声が響き渡るのだった。

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