第3楽章【あなたはともだち】
私は学校から帰ると、すぐにキッチンに向かった。今日の夕食当番は私だからである。
エプロンを付け、流れてくる髪をヘアピンで留め、冷蔵庫を開け、材料がきちんと揃っているか確認する。……前、おねぇが調子に乗って次の日以降の材料も使って料理しちゃったってことがあったから、それ以降確認は早くやるようにしていた。今の時間ならまだスーパー行っても間に合うし……。
と、思ったら案の定。チョコレートが無い。隠し味に使おうと思ってたのに……さてはおねぇのやつ、お菓子に食べたな?
どうしよう。別に絶対必要なものでもないけど、無いとちょっと物足りないような気がするし。うーん、だけどチョコレート1つのために外出するのも非効率的だし、やっぱり今日は妥協して──。
「お前の歌、うるせーんだよ!」
そこで外から、そんな声が聞こえた。
私は思わず肩を震わす。何? とキッチンの横についた窓を少し開けて、外の様子を窺った。
「いつも下手くそな歌を聴かせて! そういうの騒音って言うんだぞ!」
「なっ、失礼しちゃうわね! アンタだって大きな声出してるだけのくせに!」
「お前の歌は音程合ってねーだろ! 皆迷惑してんだ!」
……塀で見えないが、どうやら子供が2人、喧嘩をしているようだ。
めんどくさ……。何でもいいけど、人んちの前で騒がないでほしい。窓を閉めても声は聞こえてくるけど……聞かないフリするしかないか。
そう思いながら私が開いた窓に手を掛けようとすると。
「ちょっと! 酷い言い方は駄目ですよっ!」
そこで聞き慣れた声が割って入った。うわぁ、と顔をしかめる。
「なんだお前!」
「通りすがりの高校生ですっ! それより、言い方を考えて──」
「うるせーな、邪魔すんなチビ!」
「ち、チビ!?」
「チビ」という単語に反応し、彼女は大きく聞き返す。ああ、あいつ、身長が低いこと気にしてるからな……。
「私は貴方より背が高いですぅー! チビじゃないですぅー! チビって言う方がチビなんですぅー!!」
「はっ、はぁ!? 俺だって毎日牛乳飲んでるから、すぐお前なんて追い越すし!」
「あらら、負け惜しみですかぁー? 意地悪する子は大きくなれないですよー?」
「ぐぬっ……!」
本当にうるさい。私はため息を吐くと、大きく息を吸って。
「人んちの前で騒ぐな!!!!」
怒鳴り声を上げる。私の声は低い方だから、より付近に声が響いた。
「ひっ!? すっ、すみませんでしたぁっ!!!!」
私の怒号に答えたのは男子の方だけで、足音が響いたからたぶん逃げたのだと思う。あっ、コラ〜! と彼女の声がそれを咎めていたし。
私は窓を閉め、チョコを買いに行く口実と自分に言い聞かせつつ外に出た。塀を越えた道路側、そこにいたのはやはり──私の姉の実幸で。
「あっ、海歌!」
「あ、海歌、じゃなくてさ……近所迷惑でしょ。騒がしくしないで」
「えぇ!? 私が全て悪いことになってる!?」
両頬を抑え、眉をひそめる姉は他所に、私はその横で小さくなっている1人の少女を見つめた。
「……怒鳴ってごめん。大丈夫?」
「だ、大丈夫、です」
おねぇより背の高い、先ほど怒鳴った声と同じ人間が出てきたからだろう。彼女は萎縮した様子である。
まあ、これ以上してあげることもないし、チョコ買いに行くか、と歩き出そうとするが。
「ねぇ、もしかして何か困ってるんじゃない? 私たちで良ければ、お話してほしいな」
いつの間にかおねぇが少女と目線を合わせるようにしゃがみ、優しく告げる。そして彼女は顔を上げ、ね? と私に微笑んだ。
……本当、勘弁してほしい……。
その子は、扇菜遥と名乗った。近所の合唱クラブに入っているようだけど……。
「ああ、遥ちゃんね。確かに少し……音程が取れてないところはあるかな」
扇菜さんは合唱クラブに行く途中だったらしく、結果的に私たちもそれについて行く形になった。……女子小学生について来た怪しい女子中学生&高校生を、クラブ担当の講師が見逃すはずもなく。私たちは講師に連行されると、事情を説明して怪しい者ではないと証明した(※学生証の提示)うえで、あちらからも事情を聞いた。
どうやら扇菜さんは何と言うか……あまり歌が上手くなく、クラブ内でも少し浮いているらしい。
「遥ちゃん、良ければちょっと歌ってみてほしいんだ!!」
おねぇは別室に扇菜さんを連れて行くと、そんなことを言い出す。私はめちゃくちゃ帰りたかったけど、強制的に滞在させられた。というか夕飯どうしよう。とりあえずお母さんに代わりに夕飯を作ってほしい旨のメッセージを送った。
おねぇの言葉に扇菜さんは嬉しそうに大きく頷くと、背負っていたリュックサックから本を取り出す。恐らく楽譜なのだろう。そして口を大きく開き──。
……感想としては、あー、なるほど。という感じだった。まあ、確かにさっき家の前で見た光景にも納得がいくというか……。というか、これ聞いてるの結構辛いな……。
少し聞いた後、おねぇは青信号でも渡るみたいに手を上げ、歌を止める。果たして、一体何を言うんだか。
「──うんっ!! とっても大きな声で歌えて、素敵だね!! 姿勢も真っ直ぐ伸びてるし、何より表情が素敵!! 歌うことが本当に大好きなんだな~って伝わってきて、こっちまで笑顔になっちゃうな♡」
「ほ、ほんと!?」
今まで歌うことを褒められたことがなかったのだろう。扇菜さんは少しばかり驚いたように目を見開き、そう聞き返す。おねぇは笑って頷いてから、ただ、と切り出した。
「確かに、少し音程が合ってないなってところが多いかもって、私も思ったかな」
「うっ……」
「私、もったいないと思う!! 遥ちゃんは歌が大好きだって思ってるのに、聴いてる人にそれが上手く伝わらないのは!!」
「もったいない……?」
「うんっ!! だから……良ければ、私たちと一緒に練習しない?」
また始まった……と遠い目をする。「たち」と、もう巻き込まれることは確定らしい。
「こっちのお姉さんは、音楽の超超超超~~~~すごい人なんだよ!! だからきっと力になれると思う!!」
「いや別に、そんな凄くないから」
「またまたご謙遜を~♡」
「やめてくれる? 本当に」
私はおねぇを睨みつけるが、彼女はどこ吹く風だ。本当、コイツ……。
「あたし、歌上手くなりたい!! ……お姉ちゃんたち、よろしくお願いします!!」
すると扇菜さんは凛々しい表情でそう言うと、勢い良く頭を下げる。
……子供の手前、ため息は吐かなかったけど……やっぱ面倒なことになった。
その日から私たちはクラブに通い、扇菜さんに歌を教えた。
扇菜さんはリズム感に問題はない。しっかり声も出ていて、遠くまでよく届きそうだ。ただ問題は……やはり音程。本当、原曲ちゃんと聴いてる? って感じだ。言わないけど。
「扇菜さん、音がズレている自覚はある?」
「えと……ない、です……」
扇菜さんはやはり私のことを少し怖がっているらしく、びくびくしながらそう答えた。そんな委縮しなくてもいいのに……。視界の端でおねぇがニコニコ笑っているのがムカつく。
私は借りた電子ピアノの前に座り、右手のみ鍵盤の上に乗せる。
「じゃあまずは自覚することからね。……最初から……そうね、『ひろがるうた』まで、まず私が弾く」
次にスマホを取り出し、録音アプリを起動。録音開始ボタンを押すと、私は指を動かし始めた。
メロディだけだから、比較的簡単だ。いつもの癖で勝手に作った伴奏とかを付けたくなるけど、我慢して。
弾き終わると、停止ボタンを押す。それと同時、扇菜さんがパチパチと手を叩いた。
「すごい、お姉さん、すごくピアノが上手い……!」
「そうでしょう! 私の妹はすごいでしょう!」
「なんでおねぇがドヤ顔するの……ほら、次は扇菜さんが歌う番だよ」
私は録音ボタンに指を掛ける。おねぇが簡単に指揮をして、私は先程よりボリュームを少し下げ、同じようにメロディを弾いた。
……やっぱり、音がズレてるな。不協和音で違和感が凄い。
指定したフレーズまで終え、私は停止ボタンを押す。そして扇菜さんに近づくと、スマホを差し出した。
「聴いてみて」
扇菜さんはスマホを受け取り、再生ボタンを押す。……まず流れるのは、私のピアノ。扇菜さんはそれを真剣な表情で聴いていた。
次に再生したのは、私のピアノと扇菜さんの歌声が乗った音源。……やはりズレてる。
「分かった?」
「……分からない」
思わずその場でずっこけてしまう。こ、こんなにズレてるのに……。
「まずは最初から、『ともだち』の『もだ』の部分がレミなのにソシになってる。『わらって』はソソラシなのにドミソミになってるし……」
「海歌、音階で言っても分からないよ」
「……あ……」
反射的にズレている部分を指摘してしまうが、おねぇに優しく諭され、私は言葉を止める。扇菜さんを見ると、彼女はキョトンとしていた。
「……お姉さん、あたしの歌のドレミがわかるの?」
「え? ……ああ、うん」
「海歌は、絶対音感を持ってるんだよ~!」
「絶対音感?」
「うんっ! 聞こえる音がどのドレミか分かるんだよ! 私たちが喋ってるこの声にも、ドレミが付けられるんだよ!」
「……だからなんでおねぇがドヤ顔するの」
別に、おねぇがそんなにウキウキで説明する価値があるような特殊能力だとは思っていない。むしろ……今みたいに音のズレが気持ち悪くて、そればかり気にしてしまう。
……まず扇菜さんのいいところを見つけて、褒めたおねぇとは違う。
「お姉さん、すごいね! 音楽の神様に愛されてる、ってやつなんだろうなぁ……!」
すると扇菜さんが興奮したようにそう告げた。私は目を見開く。
「……音楽で、私は孤独になったのに」
「え?」
「ううん。……続き、やろうか」
すぐに思考を切り替える。……さっきの音源と照らし合わせながら、地道だけど、1つずつ音を矯正していこう。あとは、原曲のスピードだと少し早いから、テンポを遅くして練習して……。
真剣に思考する私の横──真顔で私を見つめるおねぇがいることに、私は気づかなかった。
そうやって数日、三人四脚で頑張り続けた。本当に……地道な作業だった……。
だけど扇菜さんも文句1つ言うことなく頑張り続け、途中から最初の音源が音程がズレていることに気付き、終盤は自力で修正を掛けられるようになっていた。やはり、子供の成長というのは目覚ましいものだ。
もちろんまだ荒いところはあるけれど、大人数で併せても間違いなく問題ないレベルにまで到達したと思う。だから私たちはクラブの先生のところまで赴き、扇菜さんをクラブ練習に混ぜてもらうことにした。
私とおねぇはクラブの端っこに椅子を置いて練習を見学させてもらうことに。ひな壇に立って少し不安げにこちらを見つめる扇菜さん。私たちは、迷わず大きく頷いた。
そして始まる合唱。……この曲は、友達の大切さを歌った曲。まあベタだけど、小学生が歌うには王道、って感じの歌だ。
さて、そんなことより扇菜さんだけど……うん、練習の成果が出てる。ちょっと緊張してるみたいだけど、相変わらずよく声が聴こえる。音程もズレてない。ズレてないどころか──先頭に立って、皆を引っ張って行っている。そんな感じがする。だって周りの子も、扇菜さんに釣られるようにどんどん声が大きくなってるから。
……良かったね、扇菜さん。
併せを終えた後、クラブメンバーに囲まれる扇菜さん。凄いと、たくさん言われているようだ。
感極まって半泣きになっているおねぇの背中を雑に撫でていると、扇菜さんに近づく1人の少年。……あれって、もしかして……。
「な、なぁ」
「……な、何」
扇菜さんは目を見開き、少し身を固くする。そしてその声で私は悟った。あいつ、家の前で扇菜さんに絡んでたやつだ。
「あ、あのさ」
「……」
「……うるさいとか、言ってごめん。今日のお前の歌……すげー良かった! めちゃくちゃ練習したんだろうな、って……」
「……!」
扇菜さんはその言葉に瞳を輝かせる。そしてにかっと笑うと。
「そうだよ! 本当に、めちゃくちゃ練習したんだから!」
すると扇菜さんがふと私を見る。肩を震わせると同時、扇菜さんがこちらに駆け寄ってきた。そして腕を掴まれ、ズルズルと引きずられる。
「すごいお姉さんに習ったんだから! いいでしょー!」
「はー!? ずりぃ! 俺にも教えてよ!」
「え、いや、」
「えー! ズルいズルい! 私もー!」
「僕も!」
「えっ、えぇ、えぇぇぇ」
あっという間に子供に囲まれ、私は情けない悲鳴しか出せない。
思わずおねぇを見つめて助けを求めるが……。
「あはは、海歌、人気者だ!」
「笑ってないで、助けてよ……!!」
今度は声に出して助けを求めると、はいはい、とおねぇは笑いながらこちらに歩み寄ってくるのだった。




