第1楽章【I can't enjoy music without you!!】
「だから何度も言ってるけど、他を当たって」
「小波さん……! そこをなんとかぁーーーー!!」
「あ~っ、鬱陶しい!! 脚にしがみつかないでくれる!?」
私はそう叫ぶが、私に抱き着くその人は離れる気配がない。だけど足蹴りにするわけにもいかず、額を抑えてため息を吐く。はぁ……本当にどうしよう。これ。
「中学2年生でありながら世界中で有名な孤高の天才ピアニスト!! そんな小波海歌さんに協力してもらえれば百人力なんだよ~~~~!! この通りっ!! お願いしますっ!!」
「……なんか懇切丁寧な説明をありがとう、同級生で有志で組んでるバンドのキーボード担当の原木日向さん……」
「そう言ってくれるってことは、お願い聞いてくれるの……!?」
「そんなわけないでしょ」
「そんな~!! 本当に頼れるの、小波さんしかいないんだよ~っ!!」
うるさい。耳が痛い。というかここ廊下のド真ん中だし、本当に勘弁してほしい。こっちは何度も断っているというのに……。
「まあまあ海歌。こんな様子だし、ちょっと別のところに行って話を聞かせてよ」
心苦しいが、やはり足蹴りにするしかないか……と考え始めたところ、横からそんな声が聞こえて私はそちらを見る。そして目を見開いた。
「お、おねぇ!? なんでこんなところに」
「海歌、教科書忘れて行ったでしょ? 届けに来たよ!」
「あ、数学の……あれ、忘れてたっけ。ありがとう」
「どういたしましてっ!」
そう言って笑うのは、私の姉──小波実幸だった。高校1年生で心優しい性格の人なのだが……よく奇行に走る人でもあるので、あまり身内だと思われたくない。まあ彼女は有名人なので、そう思ったところで不可能なのだが……。
現に今も、ここは中学校かつ3階なのに、持ち前の運動神経を使って当たり前のように登ってきて窓から侵入してきてる。そろそろ警察に通報されないか心配だ。
だがそんな私の心配を他所に、おねぇは一気に真剣な表情になった。
「原木さん、でしたっけ? ちょっと目立っていますし、移動しましょうか!」
「は、はい……」
彼女の奇行に驚いたらしく、私の言うことは全く聞いてくれなかった原木さんは、コクコクと頷く。
まあ……いいんだけどさ。
職員室に行って空き教室の鍵を貸してもらい(おねぇはこの中学の卒業生の為、先生は「またお前か」と言わんばかりの苦笑いを浮かべていた)、そこで原木さんの話を聞いた。私にとっては何回も聞いた話だけど……。
「なるほど……つまり原木さんは手を負傷してしまって、キーボードが出来なくなってしまった。でも1週間後にライブハウスでライブをする予定が入ってる。その枠は苦労して勝ち取ったものだけど、原木さんはそれに出れない。……だからうちの超可愛くて最高なピアニスト!! に声をかけた……というわけですねっ!!」
「は、はい!! そういうことです!!」
恥ずかしいから大きな声でそんなことを言わないでほしい。私はため息を吐く。
「何度も言ってるけど、私はそれを呑むつもりはない。そもそも私の専門はグランドピアノだし」
「昔は買うお金がなかったから電子ピアノだったけどねぇ」
「1週間で満足できるクオリティに仕上げられるとは思えないし」
「海歌は努力家さんだから出来ちゃうと思うけどねっ!!」
「ていうか、都合良くピアノが出来る私が近くにいたから声掛けたっていう魂胆が見え見えなのが腹立つ」
「溢れんばかりの海歌の最高な音楽を、みんな無視できないんだよ~!!」
「……ああもう!! おねぇは口出さないでくれる!? 話がややこしくなる!!」
「え~? だって私は受けてもいいんじゃないかなぁって思うんだもん」
「……は?」
自分の姉の言葉を疑い、私は思わずそう聞き返してしまう。だけど彼女は微笑むだけで私には何も言わず、原木さんと向き合ってあっという間に話をまとめてしまった。
「それじゃあ、小波さん! 明日からよろしくお願いしますっ」
私が呆然としている間に、原木さんはそう言って頭を下げると立ち去っていく。
ばいばーい、と横で呑気に手を振るおねぇを睨みつけ、私は口を開いた。
「……どういうつもり?」
「どうもこうも、困ってる人は助けなきゃなーって思うの!」
「……」
おねぇは確かに、困っている人は放っておかない人だ。どんな人にだって、必ず彼女は手を差し伸べる。
でもだからと言って、こうして人を巻き込んでまでそうするような人じゃない。……だから、勝手に了承したことには何か思惑があると思うんだけど……。
今それを言わないということは、これ以上追求しても無駄、ということなのだろう。
「……明日から余計な用事が増えて、最悪」
「私も協力するから、一緒に頑張ろうね! 海歌!」
「……勘弁してほしい……」
その日から私は練習スタジオに向かい、原木さんの教えでキーボードを習得していった。
「じゃあまずは、私が手本で弾くね! といっても、片手だけだけど……イメージにはなるんじゃないかなって!!」
「……うん。よろしく」
意気揚々とそう告げる原木さんに、私はそう返す。
といっても、楽譜があって楽器の使い方さえ覚えてしまえば、困ることはほとんどないのだが。自分で言うのもあれだが、技術はある。あとは曲の解釈を擦り合わせ、鮮明にイメージをすること。そしてそれを演奏で出すことだ。いつもとやることはほとんど変わらない。強いて言うなら、キーボードの鍵盤の軽さに慣れることくらいかな。
まあ、弾いてもらうに越したことは無い。やはりクラシックとバンドだと、ルールも違うだろうし……その違いを掴むことはとても大切だ。
原木さんは軽くキーボードのつまみのようなものを弄りながら音出しをする。そして準備が終わったのか、使える左手のみを使い、自分のパートを弾き始めた。
弾むような音。原木さんらしい音だな、と思った。楽し気で、こちらの気分を乗せてくれる音。だからといって土台になるわけでもなく、先頭に立つわけでもなく──道を示す、と言うべきだろうか。こっちに行くよ! という声が聞こえてくるようだ。
左手だけでこれなら、右手も付けたら一体どんな音楽になるのだろう、と思う。もっと楽しくなるのだろうか。いや、この曲はバンドでやるもの。他のメンバーが集まったら、一体どんな音楽が……。
そう考えると、彼女たちの音楽が聴けないのは……何と言うか、少しだけ残念だ。
私は原木さんの顔を見つめる。彼女は夢中でキーボードを弾いていた。満面の笑みで、体を揺らして。本当にバンドが、音楽が大好きなのだと……そう、伝わってくる。
別に、特別に上手いとは思わない。こういうバンドは五万といるだろう。だが……こうして楽しそうに出来るのは、才能とも言える。義務感や周囲からの期待で音楽をやる人が、私の周りには……プロの世界には少なくないからこそ、そう思う。
……だけど、まあ、原木さんは。
──このままならプロにはなれないだろう。
「……ふぅ! こんな感じかな! ねぇねぇ小波さん、どうだった!?」
「途中から楽譜に沿ってなかった。アレンジしすぎだったけど、お手本する気あった?」
「あっ、分かっちゃう!? 流石は小波さん!! いや~、楽しくなっちゃって、つい!!」
「……まあ、別にいいけど」
楽譜はちゃんと貰っているから、むしろ個人的にはアレンジをしてもらった方が助かる、かもしれない。彼女が求める音楽が分かりやすいから。
「私たち、将来はプロになりたいと思ってるんだ!! だからこういう、ライブオリジナルパフォーマンスっていうの? そういうの、よくやるんだよねっ!!」
「……」
「え、小波さん。何その顔。……確かに小波さんからしたら、私なんて全然まだまだだろうけど!! というか、今こうして怪我もしちゃってるしね……」
「……まあ、否定はしない」
「わーん!! 小波さんが素直だよー!!」
原木さんはそう言って泣き真似をする。思わず私は小さくため息を吐いた。
まあそんな調子で、私は原木さんと話を擦り合わせながら、代理部分を完成させていった。
「流石は小波さんだね! もう通しで弾けるんじゃない?」
「楽譜は、貰ったその日に覚えたからね」
「うわ……凄い。流石は天才ピアニスト……」
「……それで? 合わせはいつ始めるの」
「あ、うん。もうすぐ来るはずだよ」
私がそう尋ねると、原木さんはスマホで時間を確認してからそう答える。そう、と私は呟いた。
今日は初めて原木さんのバンドメンバーと合わせを行う予定となっていた。バンドというものは、メンバーと息を合わせて演奏することで、初めて1つの音楽になる。……たぶん。だから、一緒にやってみて初めて分かることもあるのだろう。
……人に合わせて演奏するなんて、本当、あの時以来だな。
そんなことを考えて少し憂鬱になっていると、スタジオの扉が開く。そちらを見ると、3人がぞろぞろと入ってきた。
「あ、小波さん。初めまして。私は──」
「自己紹介はいい。早く準備して」
その内の1人が私の顔を見るなり口を開くので、私はそれを遮ってそう告げる。すると不思議そうに3人が顔を見合わせたので、私は続けた。
「貴方たちのことは、音で覚える。言語で覚えるより、そっちの方が私の性に合うから」
そして私たちは、演奏を行った。先頭で走るギター、奇想天外な音を出すベース、後方でずっしり構えて支えるドラム。スピーカーから流れだす大音量とボーカルの歌声に、体の芯がビリビリと震える感覚がした。
……やっぱり、生演奏は良いな。
最後の一音まで丁寧に弾き終える。……うん、ミスなく弾けた。3人の演奏の癖も分かったし、あとはバンドとしてどこまで精度を上げていくか、だけど……。
「……小波さん、凄い!!!!」
するとそんな声が飛んでくる。顔を上げると、そこには目を輝かせたボーカル兼ギターの少女がいた。
「たった数日でここまで仕上げちゃうなんて!! やっぱり世界で活躍してる人はレベルが違うね!!」
「……どうも」
一応褒められてはいるのだろう。お礼もそこそこに、私は楽譜を手に取った。
「早速だけど、気になった点がいくつかある。1人1人、指摘していきたいんだけど……」
『──別に、頼んでないんだけど』
思わず口が止まり、そのまま閉ざす。私は恐る恐る顔を上げ……。
……そこには、同じように楽譜を手に取ってこちらの言葉を待つ3人の姿があった。ギターの人と目が合い、彼女はキョトンと首を傾げる。私は小さく息を飲み……出せなかった言葉を続けた。
この人たちは……真剣に音楽をやってる人なんだな。
……だったら。
──だったらやはり、このままではいけない。
「小波さんは本当に凄いね! 桜ちゃんにあんなに褒めさせるなんて……桜ちゃん本当に厳しくて、なかなか人のこと褒めたりしないんだから!」
「……それだけバンドに真剣、ってことなんじゃない」
「うん、そうなんだと思う」
私の言葉を、原木さんは肯定する。微笑みながら、噛み締めるように。
私はその横顔に、告げた。
「だから、逃げたの?」
「……えっ?」
原木さんは足を止める。だから私も遅れて足を止め、振り返った。
「手、本当は怪我なんてしてないんでしょ」
「えっ……なんで」
「あんなに人の脚に力強く抱き着いておいて、怪我してないは無理があると思う」
「あ……」
最初から嘘だと分かっていた。しつこく頼まれたあの時から、ずっと。
……原木さんが切羽詰まった様子だったから嘘だと指摘しづらかったし、おねぇが受けちゃったから、結局指摘する機会を失ったわけだけど……。
別に、もう指摘しなくてもいいとは思っていた。一度受けてしまったからにはプライドをかけ、全力でやる。……そう思ってたけど。
音楽に真剣なバンドメンバーを見て、気が変わった。
「あの3人は、原木さんと一緒にやりたいと思ってる。なのに貴方は手を怪我したって嘘を吐いて……どういうつもり?」
「……小波さんには分からないよ」
私が尋ねると、原木さんはゆっくりと口を開いた。
「才能がある小波さんには、分からないよ。何度練習しても上手く出来なくて、桜ちゃんには怒られてばかりで、本当にいつか、バンドとしてデビューできるのかなって不安になって……! 毎日、押し潰されそうなのに!」
「……」
「まだ3日しか経ってないのに、小波さんは私以上に上手で……私なんていない方が……!!」
「違う」
私は一言で彼女の言葉を止める。原木さんは驚いたように目を見開いて、黙った。
「10年1カ月」
「……え?」
「3日じゃない。10年1カ月。その積み重ねが私にはある。上手さに差があるのは当然でしょ」
「っ……」
「あとあんたら、私のことやたらと天才だの才能だの言うけど、私は最初からこうだったわけじゃない。それこそ練習を何度も重ねて、今の実力になったんだ。……その工程を、軽んじないで」
原木さんは何度も口を開いては閉じ、言い返す言葉を探していたようだったが……やがて、眉を八の字にした。
「……ごめんなさい」
「別に、謝罪はいい。これからどうするの。言っておくけど、私はもう出るつもりはないからね」
「えっ」
「いや、えって。怪我が嘘なんだから前提が壊れたわけだし、そうなったら頼みを聞く義理もないでしょ」
「そ、そんな……」
「キーボード、好きなんじゃないの?」
私のその問いかけに、原木さんは顔を上げる。
「1回怪我してない方の手で……いや、まあ、片手でお手本に弾いてくれた時があったでしょ。……その時の顔、すごく楽しそうだったと思うけど」
「……!」
「本当は自分でやりたいんじゃないの。私に投げて、それで終わりで良いわけ?」
「……私は……」
その顔を見つめる。彼女は真剣な表情で黙り……そして、顔を上げた。
「海歌」
「……おねぇも来たんだ」
「うんっ、海歌も関わったバンドの曲、聴きたいしね!」
「……私は結局、当て馬になって終わっただけだけど」
「それでも、残りの練習とか見たんでしょ? 十分関わってるって!」
おねぇはそう言って笑う。まあ、と私は返事を濁した。
そう、彼女の言う通り、私は「嘘吐いたことを謝ってバンドに戻る」と言った原木さんの練習を見たのだ。人に教える経験は……ほとんど皆無だったけれど、出来ることはやりきったと思う。
そして今日はライブ当日。原木さんにチケットを貰い、私はライブハウスまで来ていた。
……あれ、このライブハウス、確か招待制だったと思うけど、おねぇはどうやって入って……いや、考えるのやめよ。
『──皆さんこんにちは、〝4son〟です!』
そこでマイクのスイッチが入る。ギター──桜さんが話し始めた。
『季節のように感情が移り変わっては巡る、そんな音楽を届けていきます。よろしくお願いします!』
桜さんが挨拶を終えると、ドラムに目配せ。カウントが取られ──演奏が始まった。
先導するギター。激しく打ち鳴らされるドラム。超絶技巧で盛り上げるベース。──メロディーラインを流すキーボード。歌声が響き渡る。ライブハウスの隅から隅まで。
心を、体を揺らす。心臓が一緒に歌っている。……そんな感じがする。
「……いいじゃん」
思わず微笑む。今まで見た彼女たちの演奏の中で一番良い。いい、音楽だ。
「素敵だね、すごく」
隣にいるおねぇが、短くそんな感想を告げる。うん、すごく。と私は答えた。




