はじめまして、新しい街
要女たち兄妹が移り住んだのは、月守市の南方にある『灰嘆』という場所だ。
古き良き家屋が並ぶ住宅街であり、近隣に建つ店も昔ながらの個人商店が主である。
駅からもけして近くはないため、車がないと不便な場所だ。
要女が今まで暮らしていたのは、どちらかと言えば駅が近くにあり、商業施設なんかもアクセスしやすい栄えたベッドタウンであった。
そのため、灰嘆の空気は何処か新鮮に感じられた。
ちなみに、もう少し東の方に行くと『東灰嘆』という地名になるそうで、其処は田畑などが広がるもっと自然が残る場所になっているらしい。
住宅街の道は、どこか懐かしい匂いがした。舗装されたアスファルトの隅には、霜に晒されたタンポポの芽が小さく揺れている。
(あ、駄菓子屋さんだ)
要女がはじめに見つけたのは小さな家屋の一階を使った駄菓子屋だ。
小柄な老婆が経営しているそこは、様々な小さな菓子類を置いておりとてもノスタルジックな空気をしている。
(すごい、初めて見たな)
商業施設にある、駄菓子屋を模したコーナーで兄や友達と一緒にお菓子を買ったことはあるが、古くからやっているであろう『ほんとうの』お店に入るのは初めてだ。
軒先からおずおずと眺めていると、店主らしい老婆と目が合う。
「あら、綺麗な緑の瞳のお嬢さんだこと。見ない顔だねえ」
深い皺の店主が目を細めてそう微笑むと、あまり外見を褒められる機会が無い要女は照れ臭そうに頬を掻く。
自己紹介がてら、二百円ほど菓子を購入すればオマケだと飴を一つ二つ追加してビニール袋に入れてくれた。
子どもの夢を詰めた袋を提げ、少し楽しくなってきた要女は気が向くままに散策を続ける。
古くから有るのであろう文具ショップに隣接する交番の前では、制服に身を包んだ若い男の警官がプランターに向かってしゃがみ込んでスコップを動かしている。
どうやら何かしらの種を蒔こうとしているらしい彼と目が合えば、口元を引き結んだまま静かに頭を下げてくれた。
川沿いに整備された遊歩道の一角には掲示板が設置されており、『ようこそ、夢と猫の町・月守市へ!』という目立つ見出しのポスターが貼られている。
そこには市内にある五つの神社と、神社を巡って夢の結実や良い夢を見ることを願うイベント、『夢巡り』への案内が書かれていた。
「あれ?」
掲示板を眺めていた要女は、神社紹介の中で叔父の神社が載っている事に気付く。
他の四つの神社に比べると写真も無く記事も簡素だが、住所は要女がいる付近に指していた。
(夢巡りかぁ……)
夢と聞いて浮かぶのは、今朝見た奇妙な夢の事だ。
亡き両親の夢である筈なのに、思い返す度に何故か胸がざらつく。
此処から近いのなら行ってみようかな。そう考えながら視線を外すと幼い大きな瞳と目が合った。
「あ……」
春休みを満喫しているであろう小学校低学年くらいの少女が要女を……否、要女の瞳を見つめている。
「お姉ちゃんのおめめ、綺麗だね!」
少女が屈託ない笑みでそう告げれば、無意識に入っていた肩の力をそっと抜く。
月守市に来てから瞳の色を褒められるのは二度目だ。好意的に取られることに慣れていなかった要女は、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいな」
遊歩道の緩やかな坂を登り、住宅街の細い小路を抜けると、小さな公園に猫が入っていくのを見かけた。
入口に置かれている一対の石柱には、『灰嘆第一公園』と彫られている。
要女はまるで誘われるように公園内へ入っていく。
園内には遊具が数点設置され、ブランコの上や滑り台に併設されたトンネルの中で、猫たちが思い思いに寛いでいる。
猫の憩い場、と言ったところか。春休み中だというのに遊具で遊ぶ子供の姿も無く、ぽかぽかとした日差しの中でうたた寝をしている猫たちを見ると、こちらも眠たくなりそうだ。
そんな中、公園の奥に建てられた木製屋根の下のテーブル付きベンチに、自分と同年代であろう少女が座っている事に気付く。
腰まで伸びた艷やかな黒髪が、風に柔らかく揺れて綺麗だ。
ゆっくりとそちらに近付いてみると、彼女は読書中のようで、ページを捲る横顔は涼しげで知的だ。
初めて出会う同年代の子だ、もしかしたらご近所さんかも!そう思った要女の行動は早かった。
「……ねえ、何読んでるの?」
「……っ!?」
要女が声を掛けると、彼女は小動物のようにびくりと肩を震わせて顔を上げる。
そして、要女に気付くとしどろもどろになりながら目を伏せた。
「し、小説……」
「そっかぁ、近所に住んでるの?」
「う、ううん……ば、バスで来てる……」
「そうなんだ! 此処お気に入りなの?」
「う、ん……静かに本が、読めるから……」
厚めの前髪と、眼鏡に阻まれ目元から表情は伺い知れないものの、それが彼女の気の弱さと人付き合いが苦手らしき性格なのが伺える。
レースとリボンがあしらわれたラベンダーカラーのブラウスと、その上にコートを羽織り、タイツとグレーの膝下のプリーツスカートという服装は要女のそれとは真逆であり、いかにも大人しい文学少女といった出で立ちだ。
「ごめんね急に話しかけて。私、昨日此処に引っ越してきたんだ。同じくらいの子を初めて見かけたから気になっちゃって」
「そ、そうなんだ……」
「私、春告 要女っていうの! 良かったら君の名前も聞いていいかな?」
要女という少女は、基本的に物怖じをしないフレンドリーな人間である。
屈託ない笑みを見た少女は、まごまごと視線を反らしながらも、律儀に名乗った。
「えっと、白峯 瑠璃です……」
「いい名前! 良かったら瑠璃ちゃんって呼んでいい?」
「へ?え、あ、うん……」
「私の事は要女で良いよ!」
「うん……」
隣座るね、と一声掛けてからベンチに腰掛けると、瑠璃が少し左に寄って席を詰めてくれる。
ベンチの端には先程の猫がおり、金色の瞳でこちらを伺いながら、体を丸めていた。
「これ、お近づきの印に! 瑠璃ちゃんは、本好きなの?」
「う、うん……本を読んでると、色んな事が知れるから」
「へぇ、私は活字苦手だから凄いなあ」
「そんなこと、ないよ……」
駄菓子屋で買ったうまい棒のオーソドックスなサラダ味を差し出せば、瑠璃は小さな声で礼を言ってそれを受け取る。 どうやら嫌いではなさそうだ。地元の友人達も、サラダ味が好きな子が多かったと思い返す。
同じように、うまい棒のカレー味の封を開ければ、要女はさくりとそれを齧った。
「バスで来てるって言ってたよね、おうち遠いの?」
「うん……通学の定期券があるから、此処には良く来るの」
「通学……もしかして、山猫女学院に通ってるの?」
瞬いた要女の緑の瞳が煌めく。
驚いたように頷く瑠璃の手を取れば、嬉しそうにブンブンとその手を振った。
「すごーい! 私も春から山猫女学院に通うんだ!」
山猫女学院とは、月守市内にある私立の女子校だ。通称『ネコジョ』と呼ばれる古くからある学校で、要女の母や叔母も卒業している。
家から近そうな学校や守が春から通う高校の偏差値が高かった事と、親族の卒業生が複数出ているということで入学料が割り引かれる制度がある事もあり、要女は山猫女学院の一般入試を受け普通科への入学が決まったのである。
「瑠璃ちゃんは普通科? それとも看護科かな?」
「えっと、一応特別進学科……」
「すっご! 勉強出来るんだねぇ」
握った手を振りながら楽しそうな要女に、瑠璃はされるがままになるだけだ。
「クラスは別だけど、折角知り合えたんだから仲良くしてね!」
「は、はい……!」
喜色を隠すこと無く満面の笑みを浮かべる要女に、瑠璃は柔らかな頬を朱色に染めながらコクコクと頷く。
傍らの猫が、くあぁと欠伸をし本格的な午睡へ入っていった。
続きは明日(7月10日)投稿予定です
夢の中にて、お待ち下さい。