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兎も角、入学初日にはA組には其の二つのグループしかなかったとは謂える。
初日に担任教師に直々指名された学級長がいて、風の噂に聞いていた、隣県の中高一貫の有名名門進学校から態々此方にやって来た御曹司いる、どう見てもスクールカーストの頂点に君臨するしかないようなグループ――そりゃ、或る者は先の二人と親しくなりたいと考えるだろうし、また別の或る者は最大派閥の一員になりたいと思うだろう。そしてこのグループは事実そう成る。それも圧倒的多数派閥に。多少の増減をしながらも。
Kとはボツボツと授業中に訊いたりしているうちに、休み時間や昼食の時にも少しづつ話す様になったいった。
其の時はまだ、彼とは友達になれると思っていたし、信じて疑わなかった。
特別進学科とはいうものの――こういう謂い方は変かもしれないが――A組には運動神経は良い人間が大多数であった。級長は謂うに及ばず、例の三人も野球部のレギュラーであった様だし、御曹司も元いた中学では野球部に在籍していてそれなりであったという。件の派閥でスポーツが不得手であったのは私だけであった。休み時間や放課後に簡易野球みたいなものをしていたのだが、私だけが明らかに下手で、やがて何だかそんな自分が嫌で惨めになり、加わらなくなった。だが、簡易野球への参加者はクラス内で増えていった。他にも元野球部はいたし、中学時代に他の部活に在籍していても運動神経が良くて、野球が上手いのはいて――クラスの規模が小さいので人数で謂えば多くは無いがA組にいる生徒の割合でいえば結構なものであった――そういう連中と楽しそうに校庭で出来たバスケットや教室でも遊べる卓球等をやっていた。勿論、クラスにいたスポーツがある程度以上出来る人間誰もが、級長や三人組と御曹司と皆が皆馬が合って最大派閥に加わったという訳でもなかったのではあるが。
運動が不得手であった私は何処かで焦っていたのだろう。スポーツで仲良くしている連中に置いてきぼりにされない様、何かで何処かでそれを補おう追いつこうとした。
……其れが仇となった。
私も我らとは馬が合わなかった。そう認識して必要以上に、無理に仲良くしようとなどしなければよかったのだ。が、当時の私には其れが、そんなことがわからなかった。ぼっちを脱して以降は皆仲良くするべきだし、そう信じていた。信じて切っていたし、全く疑わなくなっていた。
私の人との仲良くなり方――其れは笑いを交えることであった。相手を笑わせることだった。少なくとも、小中ではそれでうまくいっていたので、高校でも当然そういう方法を採った。しかし、高校では思っているようにいかなかった。芳しくなかった。小中では私が全く頑張らなくても受け入れてくれる素地があり、ここまで馬が合わない同級生ばかりではなかったと気付いた時には後の祭りであった。
笑わせようとして思った様にうまくいかず、それどころか、かえって置いてけぼり感を覚えるようになった私は、他者を笑わせるのではなく、自らを笑わせようとした。笑いものにした――
此れが致命傷になる――
状況は嘗て無いものとなった。
私が経験したことのない最悪なものに。
仲良くなるどころか、彼等は私を見下げた。
自分達よりも下のものとして見下した――――
見下した最大派閥――勿論、私は彼等と対等となどとは見られなくなったのだから、ドロップアウトである――の者の中には級長もいたのだが、彼も私を省みる事など無かった。無くなった。ぶっちぎりの多数派の一人として私に接するようになった。
そして、K――。最大派閥の全員が私にとっての最悪であったが、其の中でも頭一つも二つも抜けて最悪だったのがこいつだった。