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3-3


 私は内向的である。小学校中学年から中学を卒業する迄に友達ゼロ人から順調に友人を増やし、親友と呼べる存在も出来たのだが、それを可能としたのは、同じ学校に通っていた同級生達が明らかに仲間から外れているようなぼっちにもそれなりに話し掛けてくれ、ぽつんと一人きりでいるところを見れば、たまには「一緒に帰ろう」とか「一緒に遊ぼう」と向こうから誘ってくれたという下地があったからである。私はそういう前提条件の下、自分からも積極的に話すようになり、仲良くなろうとしたことで、友人をつくり、友人関係を形成することが出来たのである。だから、コミュニケーション能力がピークであった中学三年時及びその直後でまだ全く減衰していなかった時点でさえ、そこまで積極的に自分から声をかけられるタイプではなかった。ただ、この時――高校入学間もないくらいの頃――はまだ話す必要があれば、こちらから声をかけ、ちゃんと話すことが出来た。仲良くなろうにも、休み時間には何を話題にし、何を話していいのか解らなくても、それ以前にその程度の度胸がなくても、授業時間中なら関係のあることを訊く程度の事は出来た。本当は必ずしも必要でなくても、迷惑にならないように気を配りながらも、何かしらを訊いてみたりすることで友達になる切っ掛けをつくろうとした。

それが災いとなった。

Kと仲良くしようとした――それがどういうことになるのかも知らないで。

 特別進学科――A組には私と同じ中学の出身者は私を含め三人いた――結局、卒業する迄、この人数・面子は変わらなかった――のだが、これはこの組に在籍する生徒の出身校では三位タイの人数だったのだが、一番多かったのは別の(地元の)市立中学の一つだった。其の中学出身のうちの三人と級長は顔見知りであった。級長は中学では野球部のレギュラーだったのだが、彼等三人もまた野球部の部員であり、Kもその内の一人だった。

そんなこともあり、高校入学当初、昼休みは机をくっつけ一つにして六人で一緒に昼食をとっていた。その面子というのは私と級長、それに先の三人、それに加えてもう一人という感じだった。その一人も級長とは旧知の仲であった。級長の両親は二人ともこの高校の教職だったのだが、もう一人というのもこの学校の関係者の子弟であった。と、いうのも、此の高校を運営する学校法人の創業者一族の子弟――現(当時)校長の息子であり、その関係で彼とも顔見知りだったのである。という訳で共に食卓を囲んでいた次第である。

 高校入学直後に二十四人のクラスにいきなり生じた六人のグループというのは謂うまでもなく其の時点で最大派閥であった。後に圧倒的な最大派閥となるのだが、其れは必然であったろう。最初にして既に級長がいて御曹司がいるくらいなのだから。実は此のクラスには七人のグループというのがあったのだが、此れはA組の女子全員が一か所に集まっていたというのが正確なところなので派閥というのとは違うだろう。派閥があったとすれば、此の女子グループの中に於いてであったろう。後に此の女子グループは一人人数が減る。一人が特別進学科から降格になったという訳ではない。

いなくなったのだ。

それがどういうことかというと――


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