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私の田舎には県の公立校に通う生徒なら全員が受ける――「強制的に受けさせられる」だったのかもしれない――県名を冠する新聞社が主催する年五回の模擬試験があり、その成績が進学先を決める目安となったのであるが、私のいた学区ではもう一つほぼ全員が受け(させられ)る模試があった。それは私の住んでいた市にあるもう一つの高校とその姉妹校の母体である学校法人――系列には専門学校や短期大学及び四年制大学も存在する――が主催するものであったのだが、それと新聞社主催のものとの大きな違いが三つあった。それはその模擬試験が自分達の運営する高校への生徒の勧誘を大きな目的にしていることに由来するのだが、一つはいよいよ受験本番という時期の直前に一度だけ行われること、二つ目にはこの私立高校単独ではなく姉妹校と合同で行われる為、受験者は私の田舎の学区や県どころかその隣県、それどころかその向こうからもやって来ることもあり、地元の新聞社主催のものよりも遥かに規模が大きくレベルが高いこと、三つ目には年に五回催される模試が志望校の合格確率やAとかBといった合格判定を示すのに対して、学校法人のものは自分達の経営する高校、志望した科の合格確率や合否判定を下すことであった。三つ目に更に説明を加えると、合格した場合にどの程度の優遇を受けられるか――特待生(の資格の付与を約束する)の選抜試験であるという点である。それからもう一つ新聞社のものと件の学校法人のものとの違いを挙げるならば、前者の成績が貼り出されないし、誰が何位ということが明らかにされないまでも、氏名の欄が空白になっている(それ以外は全てが記されている)順位表のプリントが、全員に配られるのに対して、後者は最後の三者面談で各人に自分の成績のみが知らされるという点であろうか。それは生徒の在籍する中学校に因ろうが。
件の私立高校の母体が主催した模擬試験――正確には「特待生選抜試験」というらしいのだが、受験する側からすれば、「皆が受ける最後の模試。名前なんぞ知らん。第一、そんなものには一ミリも興味が無い」という認識だった。
特待生選抜試験の翌日、私は近所のとあるお宅に招かれた。その人はその私立高校の教師であった。
宿題をやってこなかったり、授業を聞いていなかったり、小中学校の教師間では評判が良い筈がないだろうが、通ったことのない学校の教員に小言を――それも自宅に呼び出されてまで怒られなければならないような悪事をしでかした覚えはない。出かける時に親にも「何かやったのか?」と訊かれた。
「一体何事?」と思って行ってみると、「ウチに来ないか?」という勧誘だった。「しでかした」記憶はかったが、密かに少々ビビッてはいたのでホッと一安心した覚えはある。まだ学校に――受検者のいる中学校に――も、特待生選抜試験の結果を知らせていないから詳しくは話せないということだったが、私の試験結果は総合評価でAだったということであった。「総合評価がA」というのは件の私立高校を受験した場合、入学金と授業料が免除され、其処で最も偏差値の高い特別進学クラスへの合格が確約されるということであり、単願で受験した場合には、返さなくてもいい奨学金が最上限で支給されるということを意味している。たまたまAをとった生徒(私)が近所にいたから、此の人に勧誘をさせたという訳であった。
受験後の私の手応えとしては、「あんまり出来なかった。英語と数学、特にムズ。出来るかこんなモン」という感じだったのだが、特待生選抜試験に於ける主要教科の難題などを解けるレベルの生徒はそこまで多くいなかったということであろう。勧誘の言葉を聞く一方で、「A評価は君の通う中学には他に二人しかいないのだから大したものだ」ということに加えて、「社会が凄いね」と「英語は残念だね」とも聞かされた。英語は別に特に難問でなくても私は解けない。社会科系で点数が取れるのは家にいる時は、大抵テレビをつけっぱなしにし、寝る時にはラジオをかけっぱなし、暇な時は百科事典を広げて写真やイラストを眺めるのが好きだったのだが、そんな事をしているうちに――観るともなしに観、聞くともなしに聞き、見るともなしに見、読むともなしに読んでいたのだろう――いつの間にか、そんなのが頭に入っていたのだろう。英語が苦手だったのは、普段の生活では日本語で十分事足りる為、英語に接しようとはしなかったからであろうか。英文なんか見てみたところで、あまり読めはしなかったし、英会話を耳にしたところで、碌に何を話しているかなど解らなかったし、全くもって無駄としか思えなかった。加えて、同級生の大半と違って洋楽とかにも全く興味を持たなかったから、人並にすら英語に親しみなど無かったし、それどころか、ビタ一文湧いてもこなかった。ちなみに、日本語の歌にも全く関心は無く、アイドルとかにはしることもなかった。兎に角、テレビはつけっぱなしにしていたので、「そういう人種がいる」「そういう名前の人間が人気だ」「そういう歌が流行っている」ことくらいは知っていたが。
最後の三者面談で、これまでの新聞社の五回の模試と“最後の模擬試験”の結果を踏まえた上で、「これなら学区内の高校なら最難関(件の一番の公立進学校)でも、多少内申(及び内申点)が足を引っ張っても受かるのでは」という話をしたのだが、担任教師が頑なに件の地元市立高校を推す様に、相変わらずのゴリ押し感がいよいよ嫌に――それ以前に既に私はこの人の平然と嘘を吐くところ等を嫌ってはいた――なり、「それならあっちに行きます」と件の私立高校の名前を出した。合格が確約されているのだから、担任教師も流石に黙る他はなかった。親は「あんたがそう言うんなら」と合意してくれた。
此れが私の人生における最大のターニングポイントとなった。
其処から先、私を待ち受けているのが地獄だとも知らずに。