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 私は成績が悪かった。

 予習はしない、復習はしない、宿題もやってこない――それはそうだろう。授業中には、たまにマンガを読んでいたり、ごくたまには居眠りをしていたり。教科書を開いていても、そこに掲載されている写真やイラストへ落書き――“偉い人”はとりわけ好物だった――に精を出していたり、ページの片隅にパラパラ漫画を描いていたり。それ以前に抑々こいつはノートをとらない。抑々そういう習慣がないのだ。周りの真似をして板書しようとしてみたところで、後で見返すことなどないし、しもしない。面倒くさいのだ。読み返そうとしたところで、字が下手で書いた本人にすら読めないのだから、そりゃノートなどとりはしないし、とらないだろうし、とらない。それ以前に本人的には書くのが面倒くさかったのだけなのだが。だが、だからといってこいつは、テストで点がとれないかといえば、必ずしもそうでもなかった。それどころか、寧ろとれた。テストは出来たのである。科目によってかなりムラはあったが、いつも上位に――それどころか最上位に――名前を連ねるレベルではあった。通っていたのが田舎の、しかも、その片田舎に於いてでさえレベルの低い、県内ではいつもブービーか最下位を争っている学区の、何の変哲もない市立の小中だったから、「(文系の科目は)今までで何処かで見聞きしたから分かる」、または、「(理系の科目は)その場で考えれば解かる」――そんな具合でも通用したのだろうけれども。授業にはそれなりにちゃんと出席していたから、他のことをしながらでも、聞くとはなしに聞いていたから、「知っている」し「わかっている」、ということだろうか。教科書に落書きをしていたというのは、ある意味、教科書を読んでいないまでも、見るとはなしに見てはいたということになる訳であろうし。そんなのが脳味噌の何処かに残っていたというところだろうか。全く宿題をやってこなくても、碌に授業を聞いていなくても、それなりに注意されたり、叱られたりはした(それはそうだろう)が、そこまでがっつりと――当時でも都会の学校ならこんなふうではなかっただろうし、今のご時世では私の田舎でも、そんなふうではないだろう――怒られなかったのは、「成績が良かった」――「テストでは点数をとれていた」からであろう。でなければ、「勉強そのものは出来ない訳じゃないから」と、ただ単に放置されたのか、それともやらせること自体を諦められたのか。

「成績が悪かった」とは、つまりはそういうことである。教師受けが悪く、通知表の成績が悪かったということであるのではあるが。より正確を期すならば、期末等のテストの点数が多少は加味されて、教師が抱いている悪い印象よりはましになったものが通知表の数字にはなったと表現した方が適当であろうか。どちらにしても、授業態度がそんなふうでは、「それはそうだろう」なのではある。それでもやはり、当然と言えば当然なのだが、内申も内申点も「推して知るべし」ではあったのだが。特に内申書に関しては。

私は服装検査や頭髪検査等には一度も引っ掛かったことなどない。それどころか、それこそ模範的ですらあった。装うとか着飾るとかお洒落とか、もっと謂うのならば、流行というものに全く関心が無いということもあり、「そんなものはどうでもいい」という訳で学校指定の店で親に買い与えられたものをそのまま着ていた。ヘアースタイルにも何のこだわりもなかったし、無駄に手入れとかかかるようなのは面倒くさいだけだから、“無難なの”で十分だった。

 中学三年になり、進路に関しての三者面談が始まってみると、偏差値と内申及び内申点との乖離から、家族の「志望」と学校の「お勧め」にはものの見事に格差があった。合致しなかった。生徒の側としては、特に何かしらの拘りがあるのでなければ、出来るだけ偏差値の高い高校を志望するのは普通のことであろう。御多分に漏れず私も自分の偏差値に従い、学区内トップの進学校(公立。私立を含めても其処が最も偏差値が高かった)を志望校とした。これに対して担任教師は、「内申及び内申点に合わせるべき」と、小中学と同じ市内にある唯一の公立(市立。学区内に於いては「最も平均的」という表現が一番ピッタリする)の普通科高校を薦めてきた。高校受験の合否は入試の点数と内申及び内申点の比重は五部と五部だと聞かされていた。少なくとも、当時は。今思えば、それなら何故、件の県立進学校と件の市立校の間のレベルの高校を担任教師に薦められなかった――テストの点数と内申及び内申点の比重が同じならば、寧ろ、そのレベルの学校こそが最も適切だったのではないか――かは甚だ不思議なことではある。

当時、件の市立普通科高校を進学高校化しようとする動きがあったというが、真偽の程はどうだったのであったろうか? ただ、当時友達同士話している時に、「ウソ。あんな出来る奴があそこに行くの?」と思ったことは今でも憶えている。しかも、そういう生徒が沢山いた憶えがある。

 結局、私はどちらの高校にも進まなかった。


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