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私は孤独だった。
とか謂うと何だか恰好が良いのだが、何も哲学とか神学とか宗教とかを語りたい訳では無いし、語るつもりも毛頭無い。
要は、「ぼっちだった」ということである。
ただそれだけのことだし、たったそれだけのことである。
昼休みなどは、ある時は、窓際で何故か教室にあった手鏡で窓から入ってくる日光を反射して、教室の隅の影を照らしたり、反射した光を影の中でぐるぐると動かしていたり、またある時は、校長室の裏にあった小さな池の縁に座りぼうっと水面を眺めてたり、またはそこで泳いでいる錦鯉をぼんやりと観ていたり、ついでに給食のパンを残した時には、それを千切っては放り投げ、勝手に餌付けしていたりしていた。加えて、偶に小声でぶつぶつぶつぶつと独り言を呟いていた――当時、当人にはその様な自覚すら無かった――りするのだから、傍から見れば、さぞかし不気味で気持ちが悪かったことだろう。
こんなのは紛れもなく「ぼっち」というものであろう、というよりも――。
――そりゃまあ、そんなのは「ぼっち」というものだろうよ、それは。それ以外ではあるまいよ。
ただ、本当のところは、完全な「ぼっちだった」という訳でもなかった。
「イマジナリーフレンドはいたのだけれども」とオチがついているということでもなくて。
私は田舎者である。私の田舎は文字通りの田舎なので、真っ当な都会のようにお隣り近所との関係が疎遠ではなかった。少なくとも、私の実家の周りはそうだった。それは子供の社会でも相似していた。だから、何だかんだで、同級生たちと碌に話したこともなければ、全く遊んだこともないという有様ではなかった。必要以外の会話がなかったということではなかったし、何なら教室や校庭の片隅にいれば、偶にではあるが、「一緒に遊ぼう」と誘われることもあった。私の方もそれを頑なに拒否するという訳でもなかったし。そういう意味では、狭義の友達はいなかったが、可成り広めの解釈をするならば、広義の友達もいなかったのかというとどうであったのか?
そんな有様が変わったのは、小学校の三年生か四年生の頃くらいだったと思う。
アニメを観て、マンガを読むようになった。
そこで、はたと気付いたのである。「人には――こう謂うと大袈裟なのだが――友達というものがいるものなのだ」と。「今更?」なのではあるだが。それからは積極的に人と――こう表現するとやはりオーバーなのではあるが――関わる様になったのだろう。そこからはちゃんと友達と呼べる友人(友人と呼べる友達? 孰れにしても変な表現ではあるが)も出来た。多分、一方的に、「こちらがそう想っているだけ」というのではなくて。
私が生まれ育った環境がいくら片田舎であったとしても、スクールカーストと呼ばれるものは、確かにあった。私が位置していたのは、勿論頂点などではないけれど、どうやら底辺という感じでもなかった。(にせ)ぼっち時代は皆無ではなかったものの、確かに同級生達とあまり親しい会話をしたことはなかったが、頂点から底辺まで偏りはなく誰とでも接していてはいるが、それでいてカーストからは外れているような感じだった。それとも、そういうのを一般には底辺というのだろうか? ランキング外というか枠外という方が適切な気はするが。「接してはいた」というものの「極浅」でしかなかったのも確実なのではあるのだが。
その後、ちゃんと狭義の友達付き合いが出来るようになった友人達というのは皆、ピラミッドの真ん中くらいだったので、私の位置付けも、それ以降は辺だったのではないかと思う。田舎だったからなのか、スクールカーストの上から下まで万遍無く親しくなり、付き合いつつ。それでもやはり、私は抑々、人付き合いというものが不得手なのだろう。元が元なだけ――ぼっちであれ、にせぼっちであれ、どちらにせよ間違いなく人間関係は希薄だった――に、そんなものというのか、たかが知れているのであるが。それでも小学校中学年以降は、ちゃんと友達と呼べる人は徐々に増えていった。ささやかながらも。それなりに人との交流は広がっていった。
但し、それは中学を卒業するまでのことだった。
高校に進学するや否や、そんなものは断頭台に架けられたが如く、断絶されることとなる。