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私のクラスの担任は英語の教師で三年間ずっと同じだった。実は私を特待生選抜試験の直後に直接勧誘に当たった教師に口説き文句の一つに「ウチには優秀で熱心な英語の教師がいる」というものがあった。選抜試験の結果を見れば、私の不得意科目が英語なのは一目瞭然である。私が件の私立高校の特別進学科――特進を進学先の選んだ理由の一つが此れではあった。彼がA組の担任だという事もスカウトされた時に聞かされてはいた。此の人が主に手本にしている教師が中学の時に当時の担任が猛プッシュしてきた市立高校の英語教師(本人が「自分は色々な英語教師の良いところを取り入れているが、一番参考にしているは件の教師である」と自分で話していた。「彼が如何に優秀であるのか」も)は皮肉だとしか謂い様があるまい。
だが……。
結果として、A組の件の担任教師が英語の教師として優秀かどうかなど、はっきり謂ってどうでもよくなかった。
「勉強などどうでもよい」――どううでもよくなってしまったのだから。
ただ、彼が教師として優秀かと謂えば、主観的には「否」である。最悪とまでは謂わないが、及第点の教育者とは到底謂いかねる。彼は定期的に「クラスで何か問題はないか?」を話し合う会合の場を設けた。設けていた――其れはいい。だが、大多数を占める圧倒的独裁“派閥”の人間が、自らの“利権”に係わることに関して、そんなことに関して、自分達から議題に出したりするものだろうか? それに、“派閥”の構成員で無い者もそんな事を自分から謂い出す事等有り得ると思っているのか? それ以前に、私が此のクラスで無視され、孤立し、自分達が嫌な事は全部押し付けている事等、一目瞭然であった。その程度の事が解らなかったかったとすれば、此の人の眼は節穴である。或る日、件の会合で幼馴染みが、私がどういう目に遭っている事を話し出し、涙を流してくれた事もあったというのに、それで担任教師が特に何かしてくれたという事は無く、結果、状況が改善されることなど全く無かった。それどころか、寧ろ、悪くなる一方であった。
幼馴染みとは更に気まずくなっていった。
“嫌な気分”を覚える様になるにつれ、私は自分の殻に閉じ籠る様になっていった。高校進学後も幼馴染みは親と共に私の家を訪れていたのだが、私は彼女を避ける様になった。私が高校で“嫌な目”に遭っている事等、女子のグループから見ていても明白だったろう。元々学校ではあまり話さなかったが、私の家での会話も無くなっていった。
そして、彼女なりに頑張ってくれたあの発言である。
彼女からもどう見えているかなど頭では解ってはいた。解ってはいたが、いざ指摘され、実際に“知っている”事が明白になった時は、本当に身に沁みて惨めだった。私は消えたかった。消えてなくなりたかった。消えてなくなってしまいたかった。其れ以降は、彼女が家に来ても一言も話さなくなった。其れどころか、部屋に閉じ籠って顔も合わせなくなった。
拒否した。
拒絶したのだ。