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こんな状態で勉強などにまともに出来る筈がない!
机に向かったところで無駄である。文字を書いて不快を逸らすなどとても家では出来たものではない。家に帰り自室に籠れば、意識は“外”にいるよりも遥かに内側に向かった。内へ内へとそれこそ際限なく。心の内に不愉快極まる感情がぐちゃぐちゃに入り混じって渦巻き、何か書く位ではまるでどうにもなりはしない。それは合わせ鏡をするが如くに。それどころか学校で、あの教室でこんなことをやらなければならなかったことを考えると拒絶反応さえ覚えた。それも強烈に。自宅では、自室では、Kをはじめとした連中はいない。「普通だ」「何でも無い」と虚勢を張る必要もないのだから、尚更そんなことをする筈が無い。
それでも私は高校へはちゃんと通った。家族に心配をかけたくなかったし、何としても“負け”を認めたくなかったのだ。
現在の私なら、「そんなものが一体何になる?」「負けるって一体何にだ?」「阿保か!」「くっっっだらない!」――其れで終わりなのだが。
私は確実に鬱病を患っていた。この苦しみが何とかなるのならば、精神科で診て貰いたい思ったのは一度や二度ではない。だが、其れは出来なかった。「精神科にかかりたい」等と謂ったら、「親はどんな気持ちになるだろう?」と考えると、とても口になど出来なかった。高校での私の置かれた状況、同級生にどの様な扱いを受けているのかなど話せる筈がなかった。こんなことで親を心配させたくなかった。ましてや、自殺などしようものなら絶対親は悲しむだろう。親は何も悪くはないのだ。
だが、当時の私にとって、“こんな事”である筈がない!
しかし、私は別の病院では診て貰った。ストレスで胃がやられて痛くてしょうがなくなったのだ。内科に行くのは別に普通の事で、精神科に通うよりもよりも比べものにならない程ハードルは低い。それにまさか親も自分の息子が高校で酷い目に遭っていて
少なくとも、そう感じて――そのストレスで胃がやられているなどとは思いもよらないだろうと考えた。何種類かの胃痛止めの薬等を処方されたが、理科室の棚に陳列されていそうな茶色く大きなガラス瓶に入った白いバリウムの様なねっとりした薬が薬は印象的で今でも憶えている。
此処迄が高校に入学して数ヶ月のことである。
高校に入学して数ヶ月で、最早私の精神はズタズタで、鬱に囚われ、既にしていつ自殺してもおかしくない状態には陥っていた。
もう数字に色がついてもいない。
黒インクで書かれた数字は、黒インクで印刷された数字以外にはもはや視えなくなっていた。
いなくなっていた。
代わりに感じるようになったのは鼻腔での違和感。
それは腐敗臭に等しく感じられた。
それは私の身の周りのことに対してなのか、私に対してなのか? それなのに生きていることに対してか、そんなのにまだ生きていることに対してなのか?
其の後、私は“待望”の精神科に通うことになるのだが。屈辱や苦痛、不安によって眠れなくなり。勿論其処でいじめが理由でそうなったとは口が裂けても謂うことなど出来ず、処方して貰ったのは睡眠導入剤の類のみであり、抗精神剤、精神安定剤の類は含まれてはいない。一緒に服用する“睡眠薬”の錠剤の中に含まれていたのかもしれない。「いじめで精神がいかれている」「今すぐにでも死にたい気分で一杯だ」そんなことが謂える筈などない! 但し、各種睡眠薬の類は徐々に増量されてゆき、やがて処方は薬事法の赦すところの限界迄に達する。