(6)エルファー王国のエルフ魔術師
見合いが続くお嬢は、さすがに疲れてきているようだった。隙あらば屋敷から脱走しようとし、俺が慌てて追いかけ回すことが増えている。
「頼むから、おっさんを走り回らせないでくれよ~……」
「私はジェドと鬼ごっこするの楽しいわよ!」
「そう言うなら屋根から降りて、地上を走ろうな?」
屋敷の屋根の上からブンブンと手を振るお嬢は、可愛さ余って憎さなし。可愛いから全部許されるんだぞ! 分かってんのか!
俺がメイド長から梯子を借りるしかないのか、と考えあぐねていた時だった。
不意にお嬢の体がふわりと宙に浮かび上がったのだ。
「お嬢⁉」
「へっ⁉ なになにーっ⁉」
お嬢は首根っこを掴まれた猫のように目を丸くして、そしてじたばたと宙でもがいているが体の自由は利かず。ヒュンヒュンと不自然な軌道を描き、お嬢は謎の方向に飛んでいく。
「お嬢ぉぉっ!」
必死に走るも、屋敷の裏側に飛ばされていったお嬢には追い付くことができない。何の魔法も使えず、翼も持たない自分を呪いたくなる。
(お嬢がさらわれても、俺は何もできねぇのか……!)
「ちくしょ――って、うわぁ!」
屋敷の外壁の角を曲がるや否や、すらりとした美形男性に衝突しそうになり、俺は慌てて急ブレーキをかける。危うく男性を弾き飛ばしてしまうところだった。
「アンタは……」
「ジェド! 師匠だったわ!」
ハッとして見上げる、美形男性にお姫様抱っこされながら、お嬢が元気に手を振っていた。無事でよかった――が。
「久しいですね。元気にしていましたか?」
金髪にエメラルドのような瞳、そして長く尖った耳をした美形男性は美しい唇で「ジェラルド」という名を口にした。
あー、ヤダヤダ。その本名嫌いなんだよと、俺のテンションはダダ下がりだ。
「俺は執事のジェドですよ。マルドル伯爵領にようこそ。エルファー王国の魔術師様」
彼は、フラヴィオ・ゴルド・ラタトスク・エルファー公爵。エルフ族の大魔術師で、三年前の戦争でも大活躍したお嬢の魔術の師匠だ。
◆◆◆
「う……。お茶に毒が……?」
「すんません。俺が渋く淹れすぎただけです……」
とてもではないが、紅茶の不味さに絶句するフラヴィオ公爵の顔をまともに見ることができない。つい数刻前には喧嘩腰に「ようこそ」だなんて言ったくせに、俺ダサすぎ! 恥ずかしくて消えたい!
(お嬢め……! また俺に偉い人で茶の練習させて。もぉ~っ!)
「師匠、いいこと教えてあげます! ジェドのお茶、お砂糖十個くらい入れたら美味しいんです!」
満開の笑顔で語るお嬢の可愛い顔がずるい。フラヴィオ公爵も同じなのか、「さすがはベリームーン……」と固い笑みを浮かべている。
俺たち三人は、お嬢の思い付きで湖岸にピクニックをしに来ていた。伯爵領自慢の美しい湖で、俺も何度もお嬢に連れて来られたことがある。
以前お嬢と来た時は寒い時期だったので、湖に張った氷の上を滑って遊んだのだが、今日は暖かいのでひたすら穏やかな景色だ。お茶はともかく、茶菓子が美味しくなるような景色で悪くない。まぁ、俺は執事だから食べないんだけど。
「ここは私とジェドのお気に入りの場所なんです。冬にはスケートができるんですよ!」
お嬢がにこにこしながらフラヴィオ公爵に思い出を語り始める。しかしこちらとしては、おいおい俺の名前を出すなと胃が痛くなる思いだった。
その理由は単純明快。
「そうですか。ベリームーンとジェドのお気に入りの場所ですか」
フラヴィオ公爵の指の間にあったはずのクッキーが、さらさらと粉になって宙を舞って行くのが見え、俺は「ひぇっ」と震え上がった。
(このヒト、お嬢のこと大好きなんだよなぁ)
今年最後の更新です。
来年もよろしくお願いします。