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9.自覚できた思い

 今日は、お休みの日だ。


 いつもなら、自分の部屋でのんびりして過ごす。


 うかつに町を歩くのはちょっと危ないし、かといって屋敷の中をうろうろして他の人の仕事の邪魔をしてもいけないし。


 ガートルードに教わった針仕事をおさらいしたり、彼女から借りた本を読んで人間の世界について勉強したりと、やることはたくさんある。


 なので休みの日といっても、退屈することはなかった。むしろ、忙しかった。


 でも今日は、他にやるべきことがあった。……別に今日でなくてもいいのだけれど、これ以上先送りしたくない、そんな用事だ。


 朝食の後自室に戻り、必要なものを持って屋敷の奥に急ぐ。目指すは、奥にある広い中庭。前に、伯爵様に出会ったあの場所だ。


 奥の中庭は、今日もにぎやかだった。何だかよく分からない生き物が、庭のあちこちをぶらぶらしている。


 つるりとした木の上のほうで木の葉を食べている、ふわふわでゆっくりした動きの生き物、何だろう。可愛いなあ。鼻が大きくて、目がつぶらで。


 生き物たちをのんびり眺めながら、じっと待つ。一日頑張って待ち続ければ、伯爵様にまた会えるかもしれない。


 確信はないけれど、そんな気がしていた。伯爵様がここの生き物たちを見つめる目は、とても優しかったから。


 わたしは今日、伯爵様にお礼の品を渡そうと思ったのだ。でも、伯爵様の私室は屋敷の一番奥にあって、用もなく立ち入ることは禁じられている。


 ガートルードに頼んでお礼の品を渡してもらうことはできるかもしれないけれど、それでは足りない。


 わたしはきちんとお礼の言葉を述べて、感謝の気持ちを伝えたかった。自分の言葉で、はっきりと。


 感謝の気持ちがあるのなら早く出ていってくれと、こないだ伯爵様は言っていた。だから、これはわたしのわがままに過ぎないのかもしれない。それは分かっていたけれど。


 そんなことを考えながら、ひたすらに待つ。伯爵様どころか、誰も通りがからない。


 午前中いっぱい待ち続けたけど、伯爵様には会えなかった。ひとまずお昼ご飯を食べに自室に戻って、大急ぎで食べ終えて、また奥の中庭に駆けつけて。


 そうして午後も、じっと待つ。生き物たちのおかげで退屈はしなかったけれど、さすがに足が疲れてきた。


 少しずつ、日が傾いていく。気づけばもう、夕方になっていた。


「……今日はもう、帰ろうかな」


 奥の中庭は夕日の優しい色に染まって、動物たちもねぐらに帰ってしまった。


 今日はもう、伯爵様はここには来ないのだろう。仕方ない、また次のお休みの日に頑張るしかない。


「ひゃっ!?」


 そう思ってくるりと振り返ったら、すぐ目の前に伯爵様がいた。いつの間にか、音もなく後ろから近づいてきていたらしい。ああ、びっくりした。


 胸を押さえて目をぱちぱちさせていると、ほんのちょっぴりあきれたような声で伯爵様がつぶやいた。


「君はよほど、ここが気に入ったんだな。朝からずっと居座っているようだが」


 朝からずっと居座って。彼が口にしたその言葉にまたびっくりする。


 もしかして伯爵様は、ここにいるわたしを物陰から見ていたのだろうか。誰も見てないと思って、動物とか虫とかに話しかけてたんだけど、あれも見られたのかな……恥ずかしい。


 と、そんなことよりやることがあるんだった。やっと伯爵様に会えたんだから。


「伯爵様、あの、お願いが」


 唐突にそんなことを言い出したわたしを、伯爵様はじっと見つめている。警戒しているような気がする。


 そんな彼に、急いで小さな袋を差し出した。この時のために、前もって用意していたものだ。


「これ、受け取ってください。前に言った、お礼の品です」


「……不要だと、そう言ったはずだが?」


「それでも、どうしてもお礼がしたくて……その、中を見るだけ見てもらえませんか?」


 そう食い下がると、伯爵様はしぶしぶ袋を受け取った。と、仮面の下の目が軽く見開かれる。


「……この袋……やけにつたない針運びだが……まさか」


「はい、その袋はわたしが作りました。お裁縫をガートルードさんに教わって」


 町でちゃんとした袋を買ったほうがいいのかなって、わたしはそう思っていた。でもヒルダは、「下手でも構わないから、自分で縫ったほうがいいよ」と言っていた。


 そっと口をつぐんで、伯爵様の様子をうかがう。彼の表情は険しくこわばってしまっていた。


 やっぱり、怒らせちゃったかな。はらはらしているわたしには目もくれず、伯爵様は袋の口を開けて、中のものをそっと取り出した。


「これは?」


「わたしの故郷に伝わる、お守りです」


 伯爵様が手にしているのは、青く染めた麻紐に白い貝のビーズが何個も通された、素朴な首飾りだった。


 このビーズは、実はわたしの首飾りから外したものだ。


 わたしの首飾りは、守りの力がある海輝石と白い貝のビーズを紐に通したものだった。見た目が地味だからか、人さらいに奪われることもなかった。


 国宝である海輝石だけを残して、それ以外のビーズを全部外し、町で買ってきた紐に通して首飾りを作ったのだ。


 それぞれのビーズには、持つ者の身を守るという意味の模様が彫り込まれていて、これ単独でもお守りとして使われる。


「……なぜ、これを私に贈ろうと?」


 手の中の首飾りをじっと見つめたまま、伯爵様が低い声で尋ねてくる。ええっと、どう答えたらいいんだろう。


 贈り物がこれに決まったのも、ヒルダのおかげだった。


 彼女は「何を贈るかというより、何の気持ちをどれだけ込めたいか、で考えるものいいんじゃないかな。リトラー様、物には不自由してないだろうし」とも言っていたのだ。


 その言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのがこれだった。彼が絶対に持っていない、そしてわたしの思いがこもったもの。


「……伯爵様は、わたしの力になってくれました。だからわたしも、伯爵様の力になりたいんです」


 伯爵様が、大きく目を見開いた。彼が何か言う前に、さらに言葉を続ける。


 こうなったら、わたしの思いをきっちりと伝えるんだ。今言わないと、きっと言えない。


「伯爵様は、人間が嫌いなのだとうかがっています。でも……でもわたしは、伯爵様は優しい方だと思います。……町の人には、誤解されているみたいですけど」


 リトラー様の人嫌いはかなりのものだ。あの方のお屋敷は恐ろしいところだ。町の人たちはそう思っているのだと、前にヒルダから聞いた。


「できることなら、町の人の誤解を解きたい。そう思うんです」


 あけっぴろげで他人に偏見のなさそうなヒルダでさえ、このお屋敷のことを勘違いしていた。だったら町の中には、もっと色々な噂が乱れ飛んでいるのかもしれない。


「でも今のわたしは、ようやく一人で町を歩けるようになった、ただの世間知らずです。町の人を説得して回るなんて、まだまだ無理です」


 自分で言っていて、ちょっと悲しくなった。わたしがヒルダくらい町に詳しかったら、もっと色んなことができたんだろうなあ。


「だから、今できることを探しました。このお守りは、その最初の一歩なんです。せめてあなたを守りたい。そんな思いをこめました」


 そこまで言って、ふうと息を吐く。伯爵様の顔をじっと見つめたまま。


 伯爵様は何も言わない。さっきからずっと、石像のように動かない。


 夕暮れの温かい日差しが、伯爵様の髪をきらめかせている。綺麗だな、とこんな状況にもかかわらずそんなことを思ってしまった。


「……君の考えは分かった」


 やがて、伯爵様がぽつりとつぶやいた。何の感情も浮かんでいない、そんな声で。


「旅費は出してやる。今すぐ、故郷を探す旅に出るといい」


「えっ?」


 どうしてそんな話になったのか分からずに、呆然と立ち尽くす。伯爵様は、やはりこちらを見ないままつぶやいていた。


「……私は、人間は嫌いだ。それなのに、こんなものを渡されてしまっては……どうしていいか、分からない」


 気のせいだろうか。伯爵様の声が、ひどく辛そうだったのは。動揺を押し隠して、さらに問いかける。


「だから、わたしを追い出そうというのですか?」


「ああ。そもそも君には、帰るべき場所があるのだろう?」


 痛いところを突かれて、言いよどむ。


「それは、そうですが……」


 喧嘩別れしてきたお父様。視察に行ってきますね、と言って出かけていったお母様。海の城のみんな。そんな顔が、次々と浮かぶ。


 みんなに会いたい。けれど今のわたしの胸の中には、それとは別の、もっと強い衝動が宿ってしまっていた。


「……でも、まだここにいたいんです」


 おずおずと切り出すと、伯爵様はすぐさま首を横に振った。


「金のことなら、もう気にするな。私が全て出す」


「違うんです。わたし、まだあなたに恩を返し切れてない! このまま故郷に帰ったら、絶対に後悔します!」


 必死になるあまり、悲鳴のような声になっている。あわてて呼吸を整えて、一つ大きく息を吸った。


「わたしは、あなたの力になりたい。……違う、そうじゃない……わたしは、あなたのことを、もっと知りたい」


 そうして口からこぼれ出たのは、わたしがずっと気づかずにいた本心。


 さっきまで怖く感じられていた伯爵様の仮面の下の目が、所在なげに揺らぐ。


 と、伯爵様の口がかすかに動いた。何か言っているらしい。


「あの、伯爵様……今、なんて……?」


 耳を澄ませて、じっと待つ。ひんやりとした風が、赤く染まった奥の中庭を吹き渡っていた。


「……私の負けだ、と言った」

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