8.はじめてのお友達
そうしてわたしとヒルダは、一緒に丘の上の屋敷を目指して歩いていた。お使いの荷物を手分けして運びながら。
「ありがとう、ヒルダ。助かっちゃった」
「いいのいいの。友達のためだもん。それに配達も、私の仕事だから」
「ところで、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
明るく笑うヒルダに、声をひそめて尋ねる。さっきから一つ、とっても気になることがあったのだ。
「もちろん。何でも聞いてよ」
「ありがとう。それでね……何だかわたしたち、やけに見られてない? 髪、もっとちゃんと隠したほうがよかったのかな」
行きに感じたたくさんの視線が、またしてもこちらに向いている。どうしてこんなことになっているのか分からない。ただ、とにかく落ち着かない。
やっぱり、わたしのふるまいに何かおかしなところがあるのかもしれない。ヒルダならきっと、それがどこなのか指摘してくれるはず。
期待を込めて、彼女をじっと見つめる。
すると彼女はおかしそうにふふっと笑った。こちらに近寄ってきて、声をひそめている。
「簡単よ。あなたがこの町では見ない顔で、しかもとっても可愛いから。ほら、あっちの店番の人……ずっとちらちらとあなたを見てる」
「可愛い? わたしが? ……見てるって、ヒルダを見てるんじゃないの?」
「違うよ。あの人は間違いなく、あなたが気になってる。そのうち恋文とか、もらっちゃうかもね?」
思わぬ言葉を投げかけられて、うっかり荷物を取り落としそうになる。えっとえっと、恋文とか、海の城にいた頃ももらったことないんだけど。
「そ、そうなの? 別にわたし、普通……だと思うし。気にされるようなこと、ないと思うな」
伯爵様のお屋敷で働くようになってから、わたしは普通の人間のふりをひたすらに続けていた。
色々おかしな言動をしてしまったから、ガートルードには普通でないとばれている。でも、他の人には普通の子だと思っていて欲しい。目立ちたくない。
口をとがらせているわたしに、ヒルダが目を丸くしている。
「自覚ないの? あなた、人目を引くんだよ。だから、その目立つ髪を隠してもあんまり意味ないんだよね。もうその布、外しちゃえば?」
「今日はやめておくわ。でも帰ったら、ガートルードさんに相談してみる」
「うん、それがいいよ。だってその髪、すごく綺麗だし。今度、じっくり見せてね」
ひとまず周囲の視線は無視することにして、隣のヒルダと歩きながらお喋りすることにした。
そうしてあれこれと話しているうちに、いつしか話題は日常のちょっとしたことになっていた。
「私、昼はあの店で、夕方から夜は酒場で働いてるんだ。料理が売りの、酒場というより料理屋って呼んだほうが正しい感じのお店だけど」
「そうなんだ。……昼も夜も働くって、大変じゃない?」
「忙しいけれど、いい稼ぎになるから。うち、父さんが死んじゃったから私も頑張らないと」
ヒルダがさらりと口にしたそんな言葉に、何も言えなくなる。彼女は肩をすくめて、にっこりと笑ってみせた。
「暗い顔しないでよ。私、この生活も結構気に入ってるんだ。たくさんの人に会えて、仲良くなれるし。今日だって、あなたと友達になれたもの」
笑い返そうとしたけれど、どうしてもぎこちなくなってしまう。そんな私を見て、ヒルダはふっと苦笑した。
「というか、ニネミアはどうしてリトラー様のお屋敷で働くことになったの? リトラー様って人嫌いだから、あそこで働いてる人数ってすっごく少ないのに」
「ああ、それは……」
ヒルダの問いに、ちょっとだけ口ごもって考える。どこまで話しちゃっていいのかな。人魚族だってばれなければ大丈夫、たぶん。
そうして、彼女に打ち明けていった。海の近くの町で人さらいにさらわれて、伯爵様のところに売られてきたのだと。
帰ろうにも、自分が元いた場所の地名も、さらわれた時にいた町の名前も知らなかった。ただ、海のそばだったということだけしか分からない。
困り果てていたら、伯爵様が屋敷に置いてくれた。今は故郷を探すための旅費を貯めているところだ。
事実とほんのちょっと違う、でもだいたいのところは合っている打ち明け話に、ヒルダはいきなり涙ぐみ始めた。
「ううっ……ニネミア、私よりずっと苦労してるんじゃない……かわいそうに……」
「えっと、泣かないで、ヒルダ」
「私、いくらでも力になるから……」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら涙声で話しているヒルダを見ていると、胸が温かくなる。
今日出会ったばかりのわたしのことを、こんなにも案じてくれる人がいる。やっぱり彼女は素敵な友達だ。
ただそれはそうとして、町中で泣かせたままというのもよくない。うんうんと彼女にうなずきかけながら、強引に話を引き戻そうと試みる。
何か、彼女の涙が引っ込むようなことを言わないと。あ、そうだ。あのことを相談してみよう。
ヒルダは親切だから、きっとそちらを真剣に考えてくれると思う。そうなれば、泣き止んでくれるかも。
「……それでね、伯爵様にはお世話になりっぱなしなの。何かお礼をしたいなって、ずっとそう思ってるんだけど……どうしたらいいのかなって……」
先日屋敷の奥の中庭で、伯爵様と出会った時のことを思い出す。
礼がしたいというのなら、早く金を貯めてここから出ていってくれ。
そう言い放った伯爵様の声には、そうやってわたしを突き放すことへの迷いのようなものが混ざっている気がした。
もちろん、わたしはいずれあのお屋敷を出ていく。お父様とお母様が待つ海の城に、絶対に帰る。みんなにはものすごく心配をかけてしまっただろうし。
でもそれとは別に、伯爵様にお礼をしたかった。彼の決断がなかったら、わたしはもっとずっと大変なことになっていただろうから。
力になってくれてありがとうございます、そんな思いを彼に届けたい。お礼の言葉だけじゃ足りない。
物を贈るとか、何か相手の喜ぶことをするというのが定番だとは思う。でも、具体的にどうしたらいいのか、全く思いつかなかった。
人間がこういう時、どういったものを贈るのか。どういったことをすれば喜んでもらえるのか。その辺りの感覚がよく分からない。
ガートルードに聞けばなんとかなるかもしれないけれど、でも彼女も伯爵様と同じことを言うかもしれない。お礼はいいから、早く出ていくように、とか何とか。そうなったら寂しすぎる。
……人魚族同士だったら、きらきらと鮮やかに光るクラゲとか、ちっちゃくて可愛いウミウシ、それに綺麗な貝殻やサンゴなんかが定番の贈り物だ。でも、ここではどれも手に入らない。
そうやってまたしても考え込んでいたら、ヒルダの声がした。興味をひかれたのか、ちょっと声が明るくなっている。
「……お礼かあ。いいと思うよ。何か、案とかあるの?」
「それが、全然なの……ヒルダの知恵を貸してもらえたら助かるんだけど」
おずおずとそう切り出すと、ヒルダがぱあっと顔を輝かせた。見事なまでに泣き止んでくれた。よかった。
「もっちろん! ……あ、そうだ。伯爵様ってどんな人なの? 参考までに聞きたいな。人となりを知っていたほうが、より適切なお礼ができそうだし」
「ええっと……ほとんど話したことはないんだけど、いい人だと思う。人間嫌いって聞いてるけど、そこまで嫌われてない気もするし……」
その言葉を聞いたヒルダが、空を見上げながらぶつぶつとつぶやく。
「ふむふむ。……そういえばリトラー様って、私たちよりちょっと年上で、しかも独身……婚約したって噂も聞かないし……」
それから今度は、わたしの顔をまじまじと見ている。目を真ん丸にして、とっても興味深そうに。
「そんなリトラー様が、ニネミアをそばに置いている……これって、もしかして? かも? きゃあ、だったらいいのに!」
「もしかしてって、何が?」
気のせいかな。ヒルダがやけに楽しそうなのは。
「ふふ、秘密。ただ、お礼をどうすればいいのかは思いついたよ」
「わあ、すごい! お願い、教えて」
「もちろん。でも、荷物を運び込んでからね。ちょうどお屋敷についたし」
いつの間にかわたしの目の前には、お屋敷がそびえたっていた。話に夢中になっているせいで、全然気づかなかった。
「さって、お屋敷お屋敷! ふふっ、楽しみ!」
小声でつぶやくヒルダを、苦笑しながら勝手口のほうに連れていった。
荷物を運び入れて、ついでにちょっとだけ屋敷の中を見て、また勝手口から外に出る。
そうして屋敷見学を終えたヒルダは、両手を腰に当てて胸を張った姿勢で、屋敷をじっと見上げていた。
「……案外、普通だったね」
「うん。ここ、人が少ない以外は普通よ。……たぶん」
実のところ、わたしも人間の屋敷がどんなところなのかは知らない。ただ、他の使用人たちの態度から見て、たぶんここはそうおかしなところでもないのだろうと思っていた。
あの奥の中庭は変わったところだとは思うけれど、あんなところまでヒルダを連れていってはいけないと思うし。
「ねえヒルダ、あなたはここがどんな場所だって思ってたの?」
ふとそんなことが気になって尋ねると、彼女は小さく舌を出して声をひそめた。
「もっと薄暗くて、なんか怖いところ。今にもコウモリくらい出てくるんじゃないかなっていう、そんな雰囲気の場所だって勝手に想像してた。というか、そんな噂をしてる人がいるんだよ」
「薄暗くって、コウモリがいる……そういう屋敷って、本当にあるのかな?」
コウモリじゃなくて、大きな蝶とか小さな鹿とかハリネズミとかなら出るんだけどな、という言葉をとっさにのみ込む。
ヒルダは首をかしげて、考え考え答えた。
「どうだろう。ともかく、リトラー様は徹底的に人間嫌いだから、そんな噂も立っちゃうんだと思う。おかしな生き物を買い集めてるって話だし」
「でも、町には伯爵様の屋敷で働く人たちが住んでいるんだよね? その人たちから、どんなところかって話が流れてくるんじゃ……」
「ああ、その人たちは隣町に住んでるの。毎日、馬車で通ってるんだよ」
「……知らなかった……でも、どうしてわざわざ隣町の人を雇ってるのかな?」
「自分の屋敷について知っている人間を、できるだけ遠ざけたいとかそういうことらしいよ」
ヒルダの言葉にうなずきつつも、どうにも納得のいかないものを感じていた。
伯爵様は人間が嫌いだ。だから、人間の側も伯爵様を誤解しているのかもしれない。それも仕方ないのかな、とは思う。
でもやっぱり、それは悲しい。伯爵様は親切な方だ。それに、もしかしたら結構親しみやすいところのある人かもしれない。こないだ話した時に、そう感じた。
「……とりあえず、私がみんなの噂を訂正しておくね。屋敷は普通のところだし、リトラー様も悪い人じゃないみたいだよ、って。ニネミアのおかげで、真実を知ることができたし」
ちょっぴりしゅんとしてしまった私に、ヒルダが明るく言う。ありがとう、と小声で礼を言ったら、彼女はにやりと笑った。
「いいの、気にしないで。ニネミアの『大切な』伯爵様のためなんだし」
「ええと……なんだか意味ありげなのは、わたしの気のせい?」
「気のせい気のせい。あ、そうだ。忘れるところだった。ちょっと耳貸して」
何かをごまかすように軽やかに言って、ヒルダはわたしの耳元に顔を寄せてくる。そうして、小声で話し始めた。
「あのね、リトラー様へのお礼のことなんだけど……」
ヒルダが続けて口にした言葉に、目を丸くする。
「えっ、そんなものでいいの? 喜んでもらえるかなあ……」
「大丈夫、とは言い切れないけれど、やるだけやってみたらどうかな? うまくいったら、きっともっと仲良くなれるよ」
もっと仲良くなれる。そう言われて、やっと気づいた。
わたし、伯爵様と仲良くなりたいなって思ってたんだ。だから、早く帰れって言われてもやもやしたんだ。
「うん、やってみる」
そのことを気づかせてくれたヒルダの提案なのだから、乗ってみる価値はあると思う。
ちょっと緊張しながらうなずくと、ヒルダはひときわ嬉しそうに笑った。