38.海の底から大空へ
そうしてみんなで、ふわふわゆらゆらと海の中を突き進む。あれこれとお喋りしている声が、さざ波のように聞こえてきた。
やがて、海の城が見えてきた。地上の建物とはまるで違うその姿に、あちこちから感嘆の声がもれる。あと、それを聞いた人魚族のものらしい笑い声も。
それとほぼ同時に、海の城から色とりどりの姿がいくつも出てきた。出迎えの人魚族だ。
みんなお祭りの時のようにおめかししている。海の底が一気に華やかになり、感嘆の声がさらに大きくなっていく。
「ようこそ、海の城へ!」
そう言って進み出てきたのは、シーシアお母様だ。出迎えのみんなと同じように、とっても綺麗な服を着て、サンゴの髪飾りをきらめかせて。
娘のわたしから見ても、お母様は美しいと思う。若々しくて、生き生きとしていて。
城の玄関には、オーセアンお父様の姿も見える。こちらもきっちりと着飾って、厳かな雰囲気で浮かんでいた。
お父様は、実は地上のことがとっても怖い。地上が気になっていたお母様とは正反対だ。実際にフォルと会った今でも、お父様の地上嫌いはまだ治っていないらしい。
だからこそ、かつて地上を見たいと言い出したわたしに、お父様はああもかたくなになって反対していたのだ。お母様がこっそりとそんなことを教えてくれた。前に、フォルを連れてここに戻ってきた時に。
そんな内心はおくびにも出さずに、お父様は堂々とたたずんでいる。天翼族たちが人魚族たちと手をつないだままお父様の前に進み出て、次々とお辞儀をしている。
あ、お父様の目がちょっぴり泳いでいる。やっぱり落ち着かないんだ。
お母様をちらりと見たら、お母様は一生懸命に笑いを噛み殺していた。隣のフォルを見たら、気持ちは分からなくもないと小声でささやいてきた。
「ただいま、お父様!」
そう元気よく呼びかけたら、お父様はどこかほっとしたような顔で笑い返してくれた。
そうして人魚族のみんなと、天翼族のみんなのにぎやかな交流が始まった。
ヒルダとアーエルは持ち前の人懐っこさをいかんなく発揮して、どんどん友達を増やしていった。今度はお屋敷に遊びにきてね、などと言いながら。
そしてしまいには、お父様とお母様とも友達になっていた。
まずはヒルダが申し出て、お母様が快く承諾して、お父様が戸惑いながらもうなずいて、アーエルが軽やかに笑いながらそこに加わって。
人魚族や天翼族には、身分は存在しない。必要に迫られてみんなをまとめている者、何か特別な役目を負ったものが、王とか長とか呼ばれているだけで。
でもヒルダは人間だし、身分については結構詳しいはずなのになあ。人間にとっては王って、かなり偉い人のように感じられるはずなのに。やっぱり彼女って、人懐っこい。
そしてガートルードは、学者たちと親しくなっていた。人間の世界について教えて、代わりに人魚族のあれこれについても教わっていた。
のみならず彼女は文字の読み方を覚え、絵本を借りていた。いつか、もっと色々なものを読んでみたいと意気込んでいる。人魚族にも物語の本はあるから、彼女の好みに合いそうなものを貸してあげようかな。
他の天翼族たちも、海の中の暮らしを楽しんでいるようだった。人魚族は人魚族で、翼をじっくり見たいなどとおねだりしている。
「みんな、すっかり仲良くなったみたいですね」
そうやって盛んに交流しているみんなを見ながら、フォルとささやき合う。
「ああ。人魚族はみな穏やかな気質の者ばかりだから、天翼族にとってはとても好ましい存在だ」
「天翼族の人たちはまっすぐで真面目で礼儀正しくて、とっても好感が持てます」
それから、同時に微笑んだ。みんなで海の城に来てから、わたしたちはことあるごとにこんな言葉を交わしていたのだ。
実のところ、ちょっとだけ心配だったのだ。人魚族と天翼族のみんながうまくやっていけるかなと。
でもこうして会ってみたら、思っていたよりずっとうまくいった。そのことが嬉しくて、つい何度も口にしていたのだ。みんな、仲がいいなあって。
「あら、ニネミア、フォルさん。今日も仲がいいですね」
そうしていたら、シーシアお母様が通りがかった。元々地上に興味があっただけあって、お母様はとても嬉しそうだ。
「ところで……少しいいですか? 面白いことが分かりましたので」
少女のようにくすりと笑って、お母様はわたしたちを人気のない廊下に連れていく。
「ニネミア、あなたが着けている首飾りに通されていたビーズのことなのですけれど。確か、今はフォルさんの手にあるとか」
「ああ。お守りだと言って渡されました」
そう言ってフォルが、服の内側のポケットから布袋を取り出した。あの時わたしが贈ったあの不格好な袋だ。その中から、青い紐の首飾りが姿を現す。
あの夜、川の中で、白い貝のビーズはひび割れてしまった。身に着けている間に砕けてしまっては大変だからと、あれ以来彼はこうやって袋にしまって肌身離さず持っている。
「そのビーズなのですけれど、古い文献に記録があったのです」
お母様はフォルの手の中のビーズに優しい目を向けて、それから小声で語り出した。
「長い間、そのビーズはただのお守りだと思われていました。持ち主の無事を願う、そんな思いを込めるだけのものだと」
うんうんとうなずいていたら、お母様はふっと言葉を切った。
「ただ……ずっと昔の記録をあたっていたら、こんな記載があったんです。『恋人の無事を願った乙女が、恋人にこのビーズを贈った。ビーズは奇跡を起こし、恋人の身を守った』と」
「……奇跡……」
崩れてきた岩は、フォルを押しつぶしはしなかった。彼を守るように、ぽっかりと空間ができていた。どう考えても、ただの偶然とは思えない。
「どうして奇跡が起きたのか、具体的に何が起こったのかについては分かりませんでした。けれどあなたたちは、間違いなく奇跡を起こした。わたくしはそう思いますよ」
それだけを言い残して、お母様はさっさと立ち去っていく。
後に残されたわたしたちは、互いの目を見ることすらできないまま、ただもじもじと突っ立っていた。
空気で満たされた城の中で、そんな風に毎日大はしゃぎした。
城の外にも遊びにいった。美しいサンゴ礁を見にいったり、暖かい海でイルカたちと遊んだり。夜光虫の海の中を、みんなで泳いだこともあった。
お祭りみたいに、ううん、それ以上に楽しい日々だった。
そうこうしていたら、あっという間に時間が経っていた。
「あーあ、もう帰る日になっちゃいました……」
数日後の夜、わたしはフォルと二人きりで無人島にいた。みんなは今、海の城で宴会の真っ最中だ。騒ぎ疲れたので、二人でちょっと抜け出してきたのだ。
明日になったら、わたしたちはリトラーの屋敷に戻る。人魚族は海に残り、天翼族は空へ。分かっていたけれど、やっぱり寂しい。
砂浜の流木に腰かけて、星空を見つめてため息をついていたら、フォルがためらいがちに切り出してきた。
「……その、君に話しておきたいことがある」
隣のフォルを見たけれど、彼はこちらを向くことなく、静かにつぶやくだけだった。
「前に、君に僕の羽根を渡しただろう? その意味を知ってもらいたいんだ。そうして、君の返事が聞きたい」
彼は羽根を渡してきた時、真っ赤になっていた。羽根を見たガートルードも大いに取り乱していた。
きっとこの羽根には何か事情があるのだろうと思っていたけれど、その推測は当たっていたらしい。
そうしてフォルは、いっそ厳かなほど真剣に、その言葉を口にした。
「……天翼族は、求婚の際に自分の羽根を渡すんだ」
驚きのあまり、ひゅっと息を吸い込んでしまう。それに焦ったのか、フォルが早口で付け加えた。
「君が嫌なら、聞かなかったことにしてもらえればいい」
「い、いいえ! 嫌じゃないです!」
しょんぼりし始めたフォルの言葉を、あわてて全力で遮る。
「あの、その、わたしがあなたにうろこを渡したことにも、同じような意味があるんです……」
そう伝えたら、彼が弾かれたように顔を上げてこちらを見た。
「求婚ではなくて、交際を申し込む時に使うんですけど……相手が受け取ってくれて、そして相手のうろこをもらえたら、晴れて恋人同士になれるっていう、そういうしきたりで」
どうしよう。内緒にしておくつもりだったのに。すっごく恥ずかしい。顔から火が出そう。
「ああ、そうだったのか。……ありがとう。あれに、そんな意味があったなんて……嬉しい」
しかしフォルはそれですっかり元気になったようで、明るい声でそう言い放つとぎゅっと抱きしめてきた。
こんなにくっついていたら、どきどきしているのに気づかれてしまいそう。でも、離れたくない。
あの時、フォルはわたしに求婚していた。わたしはフォルに、恋人になってほしいと申し出ていた。
二人ともその思いを、分かる形で伝えていなかっただけで。わたしたちは同じ気持ちだったのだ。
砂浜に打ち付ける波の音だけを、そうやって二人で聞いていた。じわじわとこみ上げる幸せを、じっと噛みしめて。
しばらくして、フォルがまた口を開く。
「もう一つ、いいだろうか?」
こくんとうなずくと、彼は思いもかけないことを口にした。
「今から、少し空の散歩に行かないか? そういう気分なんだ」
にっこり笑って、彼が差し出した手を取る。彼は軽々とわたしを抱き上げ、ふわりと舞い上がる。
夜風を切って、降るような星空の中を飛ぶ。思いの通じた相手と一緒に。
夢のような気分にうっとりと浸っていた時、ふと気づく。
「……あの、気のせいでしょうか? 前に運んでもらった時よりも、ずっと安定しているような……」
返ってきたのはちょっぴりくすぐったそうな、誇らしげな声。
「あれから、飛ぶ訓練をしたんだ。どうしても自分の翼で、君を連れて雲の大地に向かいたくて。はっきりとした目的があると、訓練もはかどるものなんだな。……自分がこんなに飛べるなんて、知らなかった」
そう言っている間も、彼はどんどん上へと向かっている。周囲にふわふわと浮かんでいる雲を追い越して、さらに上に。
「もしかして今、雲の大地に向かっているんですか?」
「ああ。この分なら、もうじき見えてくる。……ほら」
彼は顔を上げたまま、嬉しそうに微笑んでいる。その視線の先には、月に照らされたひときわ大きな雲が見えていた。
あそこが、天翼族が住むという雲の大地。気になる。行ってみたい。
ただ一つだけ、気になることもあった。
「あの、でもわたしたち宴会を抜け出してきた訳ですし……このまま雲の大地に行ってしまっていいのでしょうか」
そう尋ねると、フォルがいたずらっぽく目を細めた。
「……前もってアーエルに頼んである。もし今晩僕たちが戻らなかったら屋敷のほうを頼む、少し出かけてくるから、と」
つまり彼は、今夜わたしと二人きりになって、そうしてあの羽根の意味を打ち明けるつもりだったらしい。うまくいったらそのまま雲の大地に行こうと、そこまで考えていたようだった。
「……あいつに打ち明けたんだ。君に羽根を渡したことを。あいつ、大喜びしてた。まるで自分のことのように。そして、大丈夫だから安心して出かけてこいとも言っていた」
「アーエルさんが、そんなことを……」
なんだかその姿があっさりと想像できた。わたしたちがこのまま戻ってこなかったら、たぶんヒルダとガートルードも巻き込んで大はしゃぎしていそうな気もする。
思わず考え込んでしまったわたしに、フォルは明るく笑いかけた。今までで一番晴れ晴れとした、そんな笑顔だ。
「だから問題ない。行こう、一緒に。君に見せたいものがたくさんあるんだ」
「はい!」
わたしも元気よく答えて、フォルにつかまった腕に力を込めた。
月明かりに照らされた雲の大地が、目の前に広がっている。
その雄大な大地は、わたしたちを歓迎しているかのようにきらきらときらめいていた。
ここで完結です。読んでいただいてありがとうございました。
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