37.種族を超えて
そんな話し合いから、一か月ほど後。
「わあ……もうあんなに進んでる……」
屋敷の窓に張りついて、外の様子をうかがう。少し離れた草原で動いているたくさんの人影を見て、ほうとため息をつく。
フォルとアーエルの素敵な思いつき。人魚族と天翼族が協力して、互いに助け合っていける未来を目指す。
それは予想よりもずっといい感じに進んでいて、あっという間に『有事の際には助け合う』という約束が二つの種族の間で結ばれた。
それと同時に、ヒルダも動いてくれていた。
今回もやっぱり理由は言えないけれど、リトラー様の庭を広げるのに人手がいるの。そう言って、町の人たちに掛け合ってくれたのだ。
町の人たちは、それで察したらしい。以前のヒルダの不思議な頼み事も、そして今回の頼み事も、きっとリトラー様に関係のあることなのだろうと。
だったら川の水の分、しっかり働こう。そう考えたのかどうかは分からないけれど、人々はヒルダのお願いを聞いてくれた。彼らは交代でやってきては、せっせと穴を掘ってくれている。
池の形をどうするかとか掘る順番とかについては、そういったことを専門にしている人を正式に雇った。彼の指揮のもと、作業はとても順調に進んでいた。
そうしていたら、現場に一つの人影が近づいていくのが見えた。マントをはためかせた、若い男性。フォルだ。
彼はたくさんの人間が屋敷の近くにいることに落ち着かない様子だったけれど、それでも町の人たちが自分のために動いてくれているという事実に心動かされてもいたようだった。
だから彼に言ってみたのだ。一度、みんなの前に顔を出したらどうですか、って。きっとみんな喜んでくれますよ、とも。
それを聞いたフォルはすさまじく複雑な顔をしていたけれど、しぶしぶ現場に足を運んだ。わたしを連れて。仮面をきっちりと着けて。
不機嫌なフォルに、町の人たちは朗らかに話しかけた。以前はフォルのことを人嫌いだと言って、お屋敷は怖いところだと噂していたかもしれない人たち。
でも今では、そういった嫌な感じはまったくしなかった。
ヒルダが噂を訂正してくれたからか、それとも大水の被害にフォルたちが素早く対応したからか、もしかすると川の水とフォルが関係していることに気づいたからか。
どれが正しいのかは分からない。でも町の人たちが、フォルのことを受け入れてくれているのは確かだった。
フォルは口数少なではあったけれど、それでも和やかに町の人たちと話し、帰っていった。
それから彼は、時折ああやって作業現場に向かうようになっていた。ほんの数分話してすぐに戻ってくるだけだけど、それでも町の人たちは喜んでいた。
そうして今も、彼は現場にいる。あれだけ人間嫌いを連呼していた彼が。
「フォル……ちょっと、嬉しいな」
「ああ、俺もだ」
わたしのつぶやきに、いきなり後ろから返事があった。びっくりして振り返ると、そこにはアーエルとガートルードが立っていた。
フォルも突然現れたりするし、天翼族の人たちって気配を消して動くのがうまいのかなあ。
「天翼族と人魚族は、手を取り合うために進んでいる。ちょっと前には、話したこともない間柄だったのにね」
アーエルがわたしの隣に立ち、窓の外を見る。泣きそうな顔で、目を細めて。
「もしかすると、いつか……人間たちとも分かり合える、そんな気がするんだ。フォルには内緒だけど」
「きっと、あの子もその変化を受け入れると思います。あの子はもう、変わりましたから」
ガートルードがゆっくりと歩み寄ってきた。母親のような、優しい笑みを浮かべて。
「その変化をもたらしたのは……」
「ええ、そうでしょうね」
アーエルとガートルードの目が、同時にわたしに向けられる。え、どうしてそこでわたしを見るのだろう。
きょとんとしたら、二人が同時に笑った。とても晴れやかな、明るい笑みだった。
そう長くかかることもなく、リトラーの屋敷のそばに新たな池ができあがった。
周りの森のおかげで、町のほうからは見えない。川と池とをつなぐ二本の水路のおかげで、池の水はよどむこともなく美しい姿を見せていた。
そしてその向こうには、高い山。天翼族たちが降りてくる時により確実に姿を隠せるように、山の周りを柵で囲った。
これで、人魚族は人間の世界をのぞきにくることができる。天翼族も、もっと気軽にここにやってこられる。
ただその前に、もう少し二つの種族の距離を近づけておきたかった。
なのでわたしたちは、また別のことを計画したのだった。想像するだけでわくわくする、そんな素敵なことを。
そうしてわたしはまた、故郷である海の城に向かっていた。
前の時は、フォルと一緒に馬車に乗って向かった道のり。でも今度は、天翼族に運んでもらうことになった。
天翼族はたくさんの荷物を運ぶ時、大きなかごを使う。荷物を背負ったり馬車に乗せたりするのではなく、縄でぶら下げたかごに入れて運ぶのだ。
わたしたちは今、そのかごに乗っているのだ。わたしとヒルダとガートルードの三人で。フォルとアーエルも、すぐ近くを一緒に飛んでいる。
「ふふっ、すっごく速いなあ……もう海が見えてきた」
髪をなびかせてはしゃぐヒルダに、カートルードが同意する。
「天翼族のみなは、もっと大きな荷物を運ぶことも多いですから、私たち三人を運ぶくらいはたやすいものなのです」
そうして彼女は、わたしに向き直った。
「この先の無人島で人魚族のみなさまと落ち合い、海の城に向かう……のでしたね」
「はい。そこはいつもわたしたちが植物採集にいく島ですから、人間には見つかりません」
今日、ヒルダとガートルードは初めて海の城に行く。そのせいか二人ともちょっとはしゃいでいて、そして同時に緊張しているようだった。
二つの種族を結びつけるためには、やはりお互いのことをよく知らなくてはならない。その最初の一歩として、天翼族を人魚族の海の城に招待したのだ。
フォルは仕事を、他の天翼族に任せてきた。あの池と山がある新しい庭が完成したおかげで、代理を呼ぶのも楽だったのだそうだ。
そして、ヒルダも招待した。彼女は人魚族でも天翼族でもない。でも彼女も、わたしたちの仲間だ。
彼女はわたしたちの存在を、誰にも喋らなかった。『ニネミアもガートルードも、私の大切な友達。友達を困らせるようなこと、する訳ないよ』と主張して。
ちなみに彼女はフォルとアーエルのことも、友達なのだと言っていた。
それを聞いたアーエルはにこにこしていたし、フォルも無言だったけれど拒否はしていなかった。つくづくヒルダは、友人作りの天才だと思う。
それに実のところ、彼女には恩があった。
あのトンネルが開通する現場を人間に見られずに済んだのは、ヒルダのおかげだった。
彼女は町の人たちと一緒に、それは見事な芸を披露したらしい。それこそ、近隣の村の住人がこぞって見に来るような。
最後のほうでは、観客も巻き込んでみんなで盛大に踊りまくったのだそうだ。トンネルを抜けてなだれ込んだ水の音なんてかき消してしまえるような、それはにぎやかな騒ぎになっていたらしい。
ただその時のことが忘れられないのか、最近の彼女はちょっぴり踊るのが癖になってしまっているようだったけれど。
そんなことを思い出しているうちにも、地面が近づいてきた。無人島の浜辺に、かごがそっと下ろされる。
すぐ近くからは、歓声が聞こえてきた。近くの浅瀬で待っていた人魚族のみんなが、天翼族のみんなの翼を見て顔を輝かせていたのだ。わあ、本当に翼があるんだ。綺麗だね。そんなことを言い合いながら。
そして天翼族のみんなも、人魚族の尾を見て小さくため息をついていた。美しいな、まるで美術品だとかなんとか言いながら。仲間が褒められるとわたしも嬉しい。
「じゃあみんな、行きましょう!」
わたしのかけ声と共に、人魚族と天翼族が組になる。手に手を取って、次々と海の中に踏み込んでいった。
それじゃあ、わたしも海に入ろう。誰と手をつなごうかな。安全のために、人魚族一人につき天翼族一人ということになっているし。
「ニネミア、君は僕の手を引いてくれ」
ヒルダのほうに差し出しかけた手を、すっとフォルがつかむ。見るとヒルダは既に人魚族の少女と手をつないで、楽しげにお喋りを始めていた。また、お友達が増えている。
「はい。えっと、ガートルードさんとアーエルさんは……」
「二人とも、もう海の中だ。ほら、行くぞ。……ずいぶんとごねるが、もしかして僕と対になるのは嫌か?」
「嫌じゃないです! ……ただ、色々思い出してしまうだけで」
初めて一緒に海の城に向かった時のこと。川の中で二人、頑張ってトンネルを掘った時のこと。一度はつないだ手が、離れてしまったあの恐怖。
「……絶対に、離さないでくださいね」
小声でつぶやいたら、彼は力強くうなずいてくれた。
見慣れた海の中には、見たこともない光景が広がっていた。
美しい尾をしなやかに動かして泳ぐ人魚族と、手を引かれて進む天翼族。そんな組が、あっちこっちにいたのだ。
明るく澄んだ海の中に、驚くほどたくさんの人影が浮かんでいる。時々ぶつかりそうになりながら、ぎこちなくふわふわと進んでいた。
人魚族だけなら、こんな感じにはならない。
みんな泳ぎには長けているから、たくさんの人数が集まっても、やはりしなやかに素早く泳いでいられる。魚の群れと同じように、とても統率の取れた美しい群れになる。
でもわたしは、みんながよろよろと精いっぱい泳いでいる今の光景が、好きだと感じた。生まれて初めて見るこの光景が、とても愛おしかった。
何も言えずにじっとその様を見ていたら、隣からフォルの優しい声がした。
「……感慨深い、光景だな」
「はい。なんだか、夢を見ているみたいです」
そうして二人、まっすぐに泳ぎ出す。手を取り合ったまま、みんなを次々と追い越して。




