35.これでもう安心
ぽかぽかお日様。海の中の柔らかい日差しとは違って、じりじりと力強く降り注いでくる。
「うーん……」
目を閉じたまま、大きく伸びをする。ああ、気持ちいい。無人島でお昼寝してる気分……。
「ニネミア、目が覚めた?」
と、なぜかヒルダの声がした。ぼんやりとしながら目を開けたら、メイド服を着てこちらをのぞき込んでいる彼女と目が合った。
どうやらわたしは、寝台に横になっていたらしい。それも、フォルの屋敷の自室で。
「えーっと……どうしてあなたがここにいるの? ここ、わたしの部屋……よね?」
「もう朝だし、そろそろ起きてるかなって様子を見にきたの。昨晩、疲れて眠っちゃったって聞いてるけど、大丈夫?」
それを聞いて思い出した。そうだ、昨晩頑張ってトンネルを掘って、無事にやり遂げたと思った拍子に、それまでの疲れが一気に出て気を失ったんだった。
ゆっくり起き上がって、胸に手を当てて考えて。ちょっぴり疲れは残っているけれど、これくらいなら大したことない。
「……うん、もう大丈夫。それより、もう町まで水がきてるのかな?」
一番気になっていたことを、大急ぎで口にする。ヒルダはにっこり笑って、大きくうなずいてくれた。
「うん、ばっちり! 今朝にはもう川が元通りになっていて、みんなすっごく驚いてたけど、大喜び!」
「よかったあ……」
ほっと胸をなでおろしていると、ヒルダが複雑そうな顔をした。
「……ただ、ね……ほら、私が突然町の人を集めて、離れた村まで行ったでしょう? そのことと川の水が戻ったことに、何か関係があるんじゃないかなあって思った人たちがそこそこいるみたいで」
「それどころか、この件にご主人様がからんでいるのではないかと考えている者もいるようです」
そんな言葉と共に、今度はガートルードが入ってきた。手には、お茶のカップが二つ乗ったお盆。
「おはようございます、ニネミアさん。昨晩はお疲れ様でした。ヒルダさんも、良い働きをしてくれたようですね。どうぞ、疲労回復に聞くお茶です」
「あ、ありがとうございます」
お茶を受け取って、口をつける。……すっごく不思議な味。苦いような、ほんのり甘いような……?
隣のヒルダもちょっぴり顔をしかめているから、たぶん人間にとってもこのお茶は微妙な味なんだろう。
でもガートルードの言う通り、確かに疲れが軽くなったような気がした。
そんなわたしたちを見て、ガートルードが静かに言葉を続ける。
「ご主人様に仕えるメイドであるヒルダが不可解な行動に出た次の日、川に水が戻った。その二つの事柄に関連があると考えた者たちが、朝から屋敷に詰めかけていまして……」
そう言って、彼女はちらりと窓の外を見る。わたしとヒルダも恐る恐る窓に近づいて、身を隠しながら外をのぞいた。
少し離れたところに、屋敷から町へと続く道が見えている。
普段は静かなそこは、いつになくにぎやかだった。戸惑いと喜びを浮かべた町の人たちが、ずらりと並んで何やら話し合っていたのだ。
あ、フォルが屋敷から出てきた。リトラー伯爵として、あの仮面を着けて。町の人たちを前に、何か言おうとしているらしい。
薄く窓を開けて、外の音を聞こうと試みる。ガートルードも、すぐにわたしたちのそばにやってきた。三人でこっそりと盗み聞きだ。
「川の水が戻ったこと、私も嬉しく思う」
朗々と、フォルが呼びかける。さっきまでざわざわしていた町の人たちが、じっとその声に耳を傾けていた。
「なぜ川が干上がったか、そしてなぜ水が戻ってきたかについては、現在調べているところだ」
もちろん、これは嘘だった。わたしたちはその真相を全部知っている。
でも、真相を人間たちに告げることはない。トンネルを掘りにいくよりも前に、みんなでそう決めたのだ。
わたしたちが何をしたのか知れば、人魚族と天翼族の存在も明るみに出てしまいかねない。フォルはそれを望んでいなかった。
そしてわたしも、まだ今はその時期じゃないって思った。
ヒルダがわたしたちと一緒にいるように、天翼族と人間の血を両方引くガートルードがいるように、わたしたちは人間と仲良くなれる。
でもこんな風に一方的に力を見せつけて、恩を売るのはちょっと違う気がする。もっと自然な形で、少しずつ、時間をかけて仲良くなっていったほうがいい。
「調査の結果がどうあれ、私はこの地の領主として、なすべきことをする」
考え込んでいる間にも、フォルの声は響いていく。町の人たちの顔には、ほっとしたような笑みが浮かんでいる。
領主としての責任を果たす。それが人間嫌いのフォルの精いっぱい。でも今のわたしには、それがどれだけ立派なことなのか、よく分かっていた。
わたしが地上にきてすぐに、わたしをさらったウツボのおばさん。天気がめちゃくちゃになったせいで作物ができず、助けてくれという彼女たちの訴えを領主は無視した。その結果、彼女は人さらいの一味に加わった。
領主が人々の声に耳を傾け、必要に応じて動く。たったそれだけのことでも、みんなはとても安心できる。町の人たちの表情を見ていたら、そう確信できた。
「だからどうか、安心して日々を過ごしてくれ」
短くそう言って、フォルは屋敷の中に戻っていってしまう。薄く柔らかなマントをひらりとなびかせて。
後に残された町の人たちは、みんなとっても嬉しそうに微笑んでいた。のぞき見しているわたしたちまでつられてしまうような、そんな姿だった。
「……本当に、フォルは立派になりました」
そうして町の人たちが帰っていってから。わたしたちはそれぞれ腰を下ろして、三人でお喋りしていた。
「ガートルードさん、お屋敷の中なのに『フォル』になっちゃってますよ」
彼女はその時々の立場をきちんとわきまえ、呼び方を使い分けている。でもさっきのフォルの姿に感動したのか、うっかり呼び方が変わってしまっている。
それを指摘したら、彼女はにっこりと笑った。今までに見たことがないくらい、晴れやかに。
「あの姿を見られたことが嬉しくて、つい我を忘れてしまいました。……地上で過ごすようにあの子を説得して、良かった」
「わたしもそう思います」
ガートルードは、雲の大地で過ごしていたフォルと、地上でリトラー伯爵として過ごしていたフォルの両方を知る、数少ない存在だ。だからこそ、感慨もひとしおなのだろう。
「あ、あの」
二人でうなずき合っていると、ヒルダがそろそろと口を挟んでくる。ものすごく言いづらそうに、背中をちょっと丸めて。
「……伯爵様とガートルードさんって、どういう関係なんですか? 二人とも天翼族だっていうのは、アーエルさんから聞いてるんですけど。その、『あの子』って……」
その問いに、ガートルードは優しい声で答えた。
「弟のようなものです。少々手のかかる、でもとても大切な」
「わあ……」
ヒルダは感心したように、両手を握りしめて目をぱちぱちさせている。
「アーエルさんも同じようなことを言ってました。俺にとってあいつは可愛い弟なんだ、って。……伯爵様って、愛されてるんですね」
「はい、そうですね」
「うん、わたしも……そう思う」
ガートルードと二人でそう答えたら、ヒルダが思わせぶりに目配せしてきた。
もちろん、あなたも伯爵様を愛してる一人だよね。彼女の目は、そんなことをありありと物語っている。
ちょっぴりからかわれているような……まあ、いいか。
わたしにとってフォルがとっても大切なことに変わりはないし、別にいけないことでもないのだから、堂々としていよう。……ちょっぴり、恥ずかしいだけで。
そんなことを話していたら、入り口の扉がこんこんと叩かれた。




